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2025年11月12日 (水)

松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎(夜の部)」歌舞伎座

<2025年11月8日(土)夜>

春駒売りに姿を変えた曽我十郎と曽我五郎の兄弟が父の仇である祐経と対面する舞踊「當年祝春駒」。伊勢で歌舞伎を演じる一座が義経千本桜を演じてまあまあ評判を取っているが、上演のために役者をなだめたり大道具のトラブルに応じたりで舞台裏は大わらわ、狂言作者が振回されている。そこに座元が慌ててやって来る。上演中の義経千本桜は座元が原案を出していたが、実は上方の人形浄瑠璃で上演されていたものを勝手に盗んで上演していたのだが、原作の作者が芝居見物にやって来るという。その場で上演中止などと言われたら大損害なので何とか全力で上演して認めてもらおうと考えるのだが、そう考えない人もいれば、こんなときに失敗する人もいて一層大わらわに「歌舞伎絶対続魂(ショウ・マスト・ゴー・オン)」。

「當年祝春駒」は曽我兄弟ものってこんなに華やかな話だっけと考えながら美しい踊りを堪能。

「歌舞伎絶対続魂」は近年のオリジナル版は観た上で見物。義経千本桜も先月観たばかり。それなりに面白い場面も見所もあるもののオリジナルほどきっちり収まる脚本ではなく、個別個別の場面が独立感が強い。この辺は何度も上演して磨いてほしい。

こちらの不勉強を挙げれば、役者役はともかく、裏方の仕事が何をやっているのかよくわからなかった。大道具と附打と囃子方はわかっても狂言作者と座元と頭取の違いを前知識なしで理解できず。そこに拘らずとりあえず上演しようと頑張る人たちだと見做してしまえばいいと頭では分かるもののそれでは納得がいかない。三谷幸喜の芝居にしてはいささか不親切。

あとは客席。若い雰囲気がしたのは結構。だけど若干のネタバレ込みで書くと、終盤に「義経千本桜 川連法眼館」の場の一部を演じるけど、あの場の観客のノリが良すぎて公演1週間目にしてすでにリピーター多数かと疑われるレベル。ああいうのはこう、巻込まれるような感じで少しずつ盛上がるのが客席は望ましい。

役者寸評。現代風新作初演だと型に逃げられないので役者の役作りの地力が問われるところ、二日酔い役者の獅童がいい感じ。狂言作者の幸四郎は振回されたときの反応がややワンパターンになりがちなのが惜しい。座元の愛之助は何に慌てているのかわからないのでもっと工夫がほしい。あと目に付いたのは少しだけ出してほしい遊女役は、新悟でいいのかな、男女役のややこしいところを整理して上手。白鸚はちょい役すぎてもっと観たい。染五郎は現代風の劇展開はこれから。そしてこの大舞台にまったく負けない大道具の阿南健治と、なぜあそこまで可笑しくなるかの浅野和之は、さすが三谷作品を多数経験しているだけのことはあるし、期待した通りの間でやってくれるのがありがたい。

あまり花道を使わないのと、休憩挟まずの2時間5分で通してくれるのは親切だし、終わるのが8時前なのも遠方の人としてありがたい。ただ夜の部の開演が5時というのは結構慌ただしい。この日は昼に新宿で4時前まで別の芝居を観ていたので移動と食事仕込みで、せっかく銀座に行ったのにぶらぶら歩く余裕もない。歌舞伎だからそこはまあしょうがないとしても、やっぱり土日祝日は1時6時の開演がいい。

二兎社「狩場の悲劇」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2025年11月8日(土)昼>

とある雑誌の編集長の元に男が訪ねてくる。雑誌に載せてもらえないかと前に置いていった小説の掲載可否を聞きたいという。まだ読んでいないと断る編集長に男は無理やり話を読んで聴かせる。元判事だったという男が自分が関わった事件だと断って話すのは、勤めていた領地の伯爵とそこに暮らす使用人たちを巡る話だった。

チェーホフに小劇場感を絡めて、永井愛ならではの手付きで丁寧に仕上げられていたものの芝居全体が平坦な印象。編集長を演じる亀田佳明と執事の佐藤誓の2人は内面のテンションが高くさすが。それと対比すると元判事の男を演じる溝端淳平は他はよくともテンションが欠けていたのが残念で、どんどん変わる庭師の娘は原田樹里だったけど門脇麦の降板代役で時間が足りなかったか。この2人の物足りない感がそのまま芝居の盛上がりの物足りない感になってしまった。

あとは原作が文学寄りなものの一応ミステリーのため、事件までの経緯を端折るのも躊躇われるけど、やはり事件が起きるまでが長い。休憩挟んで2時間50分をあと20分縮められないか。間延びした印象。

あとは芝居に関係ないけどセンターの通路前後に空席をたくさん作っていたのが悪印象。前売チケットであれより後ろの席で観ていた自分が損した気分。

2025年11月 3日 (月)

ほろびて「光るまで」浅草九劇

<2025年11月2日(日)夜>

ぼんやりとしか思い出せない男が語る、妻の実家に初めて顔を出した話。実家の家族とは折合が悪くもう10年以上帰っていない、結婚したことも手紙で知らせただけの仲だが、ある日妻が実家に帰らないといけないと言い出して一緒に妻の実家に出かける。挨拶した母親と兄は愛想よく歓迎してくれるが、姿が異なる別人だと妻が言う。

前に観たときが良すぎたので再挑戦のほろびてです。この4人の関係はどうなっているのか、という点を曖昧にさせ最後に明かすのは芝居の手法の1つですが、途中まではよかっですし、質は高いのですが、最後のオチが急展開過ぎて付いていけなかった。ちょっともったいなかったというのが感想です。

チラシやサイトには「過去に作った『公園』を原案として作成した、新作を上演します」とありますので、おそらく最後の場面は今回足したものではないかと思われます。ただ、それまでのぼんやりとした雰囲気、壊れそうなところを壊さないように努めるところをチラ見せしながら、唐突にかつ中途半端に具体的な話に飛びすぎでした。これがもっともっと具体的な現実の具体的な話だと野田地図なんかでも見かけるような展開になりますが、あちらはそれまで具体的な話に負けないくらいテンション高めのしゃべり通しで種を撒いて土台を作った上での急展開です。どれだけテンションの高い場面でも緩さと柔らかさが基にあって膨らませた場面をいきなり握りつぶすような展開は、うーん、どうなんでしょう。

役者は問題ありません。主人公の藤代太一と妻役の藤井千帆、母親役の佐藤真弓と兄役の佐藤滋。むしろ素晴らしい出来。舞台の奥を空けて楽屋まで見せるのは平成中村座が浅草でやっていたのを場所柄思い出しました。だから80分の芝居でしたが開演前のゼロ場を入れると2時間近くやっていたことになります。すっきりした舞台美術も、ほとんど流れないけど今時らしい綺麗な音響もよかった。ただ今回は私の好みに合いませんでした。

EPOCH MAN「我ら宇宙の塵」新宿シアタートップス

<2025年11月1日(土)夜>

星座と宇宙に詳しい父親が亡くなって5年、ほとんど口をきかなくなった息子は朝早くに家を出て行方不明となる。気が付いた母親は息子を探して家を出る。幸い行く先々で息子の手掛かりは得られ、息子と話した人たちも一緒に探すと申し出てくれる。

一人劇団として名前を見かけていたので観劇。評判通りの仕上がりでした。

息子を探す話がやがて、という展開は落着いて考えれば強引極まりないものですが、そこは日本の小劇場の伝統ある作風に則って笑いとテンションで納得させて引張ってくれます。そこに子供は人形を使って演じられていて、あの足を役者の足に付けて頭と腕を棒で動かすタイプの人形を何と呼ぶのか知りませんが、不思議と馴染んでいました。

そしてその作風に則りすぎるとやや貧乏臭い舞台になることもままあるのですが、今回は舞台の側面から背面までをLEDパネルで覆って、全面の映像を上手く使うことでむしろ洒落ていました。映像の観やすさの違いを気にして狭いシアタートップスで席種を4つも設けていましたが、2つくらいでよかったんじゃないかなと思います。ちなみに音響も綺麗で雰囲気を新しくするのに一役買っていて、音源と設備によってはこのくらいはできるのだなと再認識しました。

肝心の芝居ですが、全員よかった。とは言え池谷のぶえがやはり一頭抜けていて、真面目な役なのにふざけた場面で役と芝居の雰囲気を壊さずにふざけるのに付合える腕前は素晴らしいの一言。渡邊りょうは調べたらこれまで何度か観ていたはずなのにあまり記憶にないですけど、こういう弱いところの多い役もできる人なのですね。そこにテンション勝負なら負けていない異儀田夏葉はKAKUTAの人、見た目で勝負しつつ意外と動けるぎたろーはコンドルズの人だからそれは動ける、そして自分は子供の役で参加した脚本演出の小沢道成は、あちこちから狙った通りの役者を集められるのも実力のうち。

1時間半くらいだったかな、時間が短くとも密度で短いとは感じさせない。初演で読売演劇大賞を取ったのも納得でした。

文学座「華岡青洲の妻」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2025年11月1日(土)昼>

江戸時代。紀州で医者をしている家族。息子の雲平、後の青洲は京都に勉強にやっている。その間に母親は娘たちと家を守り、息子のために近くの村の庄屋から嫁ももらっていた。まだ息子と顔を合せていない嫁は母親に可愛がられながら雲平を待つ。それから3年経って雲平が戻って来るが、母親は雲平にかかりっきりで嫁のことはすっかり放置する。亡くなった父の跡を継いで医者を務める傍ら、外科の患者を助けるために京都以来の麻酔薬の研究に打込む雲平を巡って、母親と嫁の諍いが増えていく。

有吉佐和子の原作を、本人が脚本を書いたのかな。昔から上演されている舞台らしく名前に聞き覚えがあったので気になって観劇。よく整った舞台だったけれど、少しずつ届いていないところがあって食い足りない仕上がり。

芝居の大半を占めるのは嫁姑の諍い。原作発表が1966年だから、その当時は今よりも大家族が多くて今よりも受けた題材でしょう。そこを丁寧に、どちらかに贔屓が傾かないように、かつどろどろしすぎないように演出していました。おそらく最後の場と合せて、どれだけいがみ合っても病気や寿命の前には小さなことであり皆平等であるという意図を狙ったのではないかなと観客としては想像しました。

それを実現するためには、まず脚本が足りません。原作未見ですが、一般に小説は舞台よりも長いものですから、原作の小説にはもう少し医者としての使命感や葛藤も書き込まれていたかもしれません。ただし脚本は嫁姑の話に多くを割いたため、そちらの場面が足りない。ないものは演出できませんから、やや手薄になるのは仕方がない。

それと役者です。一定の水準の演技も保っていたので安心して観ていられましたが、といってぐっと掴んでくるものも手薄です。演出の求める遠距離感を保ちつつ脚本にある近距離感を手の内に入れた感があったのは母親役の小野洋子くらいでしたが、それでもやややりすぎ感があったのは脚本の湿気のためでしょうか。そして今回の演出では雲平の役が重要になるのですが、演じた釆澤靖起には場面というか芝居を通して支える重さが見えなかったので一層奮起してほしいです。

あとはスタッフ。美術や照明はいい感じでしたが、場転で流れる音響がどうにも締ましません。芝居と馴染まない選曲でした。それっぽいバイオリンの曲ではありましたが、たぶんテンポが芝居と合っていない。

と、着物髷物をしっかりこなして見せたのはさすがだったのですが、消化不良で劇場を後にしました。そもそも小説の発表から半世紀以上経って、現代日本と照らし合わせて脚本の寿命が来ていると思われるので、もし原作にこれ以上の内容が書き込まれているならリライトに挑戦した方がいいのではないかと愚考します。

2025年10月20日 (月)

2025年11月12月のメモ

11月前半の毎日何かが初日を迎える所の並びが美しいですね。つまり全部は観られないということですが。

・ぱぷりか「人生の中のひとときの瞬間」2025/11/02-11/09@ザ・スズナリ:ポップな雰囲気のチラシに重たい雰囲気の粗筋を載せて

・松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎」2025/11/02-11/26@歌舞伎座:夜の部が「ショー・マスト・ゴー・オン」の歌舞伎化ですけど、昼の部初めの勧進帳がひょっとしたらよさそうという期待もあります

・大人計画/パルコプロデュース・製作「雨の傍聴席、おんなは裸足…」2025/11/06-11/30@PARCO劇場:宮藤官九郎のロックオペラですが松たか子まで出てくるとあっては

・二兎社「狩場の悲劇」2025/11/07-11/19@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA:チェーホフを永井愛がよさそうな役者でとなれば気になるじゃないですか

・劇団俳優座「存在証明」2025/11/08-11/15@シアタートラム:長田育恵を脚本に迎えて数学者の話なのかな

・阿佐ヶ谷スパイダース「さらば黄昏」2025/11/08-11/30@小劇場楽園:あいかわらず人数多い芝居です

・劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵」2025/11/09-12/26@新橋演舞場:9月からツアーしていますのですでに観た人も見かけますがここは久しぶりの橋本じゅんを期待したい

・新国立劇場演劇研修所「トミイのスカートからミシンがとびだした話」2025/11/11-11/16@新国立劇場小劇場:新国立劇場は三好十郎が好きですよね

・かわいいコンビニ店員飯田さん「位置について」2025/11/12-11/16@吉祥寺シアター:かわいい劇団名にまったくかわいくない粗筋を載せて

・まつもと市民芸術館プロデュース「チェーホフを待ちながら」2025/11/12-11/16@神奈川芸術劇場大スタジオ:自分も役者出る土田英生によるチェーホフの初期喜劇の脚色を曲者ばかりよく揃えるなという役者陣で

・KAAT×城山羊の会「勝手に唾が出てくる甘さ」2025/11/14-11/30@神奈川芸術劇場中スタジオ:チケットが全然手に入りません

・世田谷パブリックシアター企画制作「シッダールタ」2025/11/15-12/27@世田谷パブリックシアター:ヘルマン・ヘッセの小説をこれも長田育恵を脚本に迎えて白井晃演出ですが草彅剛効果でチケットが

・新国立劇場海外招聘公演「鼻血」2025/11/20-11/24@新国立劇場小劇場:小川絵梨子つながりで招聘されたらしいのでクレジット団体が不明ですが不穏な芝居であることは間違いない

・ヌトミック「彼方の島たちの話」2025/11/22-11/30@シアタートラム:片桐はいりが出るのでピックアップ

・劇団四季「恋におちたシェイクスピア」2025/11/23-2026/02/08@自由劇場:映画原作を松岡和子翻訳の青木豪演出とは劇団らしからぬ自由さですね

・横浜ボートシアター「新版 小栗判官・照手姫」2025/11/26-11/30@座・高円寺1:何か怪しげなのでピックアップ

・新国立劇場主催「スリー・キングダムス」2025/12/02-12/14@新国立劇場中劇場:実際にあった胸糞悪い事件なのかな、それを元に舞台化したイギリス芝居を次期芸術監督の上村聡史演出で

・独立行政法人日本芸術文化振興会主催「令和7年12月文楽鑑賞教室」2025/12/04-12/18@東京芸術劇場プレイハウス:あの広さで文楽出来るのかなと思いますが「国性爺合戦」を一度観ておきたい

・松竹主催「十二月大歌舞伎」2025/12/04-11/26@歌舞伎座:第三部で夏に見逃した玉三郎の「火の鳥」を観たいところですが第二部でがっつり古典というのも考えどころ

・劇団普通「季節」2025/12/05-12/14@シアタートラム:前回があまりに衝撃を受けたのでピックアップ

・こまつ座「泣き虫なまいき石川啄木」2025/12/05-12/21@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA:今更こまつ座と思いきや演出鵜山仁になかなかの役者を揃えてきたので

・NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺企画製作「ジョルジュ」「トロイメライ」 2025/12/19-12/24@座・高円寺1:年末の風物詩は「ジョルジュ」は竹下景子に芸術監督就任のシライケイタが相手役、「トロイメライ」は去年に続いて亀田佳明と月影瞳

・ゆうめい「養生」2025/12/19-12/28@神奈川芸術劇場大スタジオ:一度は観ておきたいのでピックアップ

年末が一番公演が多いのは毎年のことですが、金よりも時間よりも体力が持たないので身体のやり繰りも試される期間です。

2025年10月19日 (日)

松竹主催「義経千本桜 第三部(Bプロ)」歌舞伎座

<2025年10月12日(日)夜>

吉野にいるらしい義経の元へ静御前が向かう途中、義経より預かった初音の鼓を叩くと佐藤忠信実は源九郎狐が現れる。桜の中を進む二人を捉えようと追手がやって来るが「吉野山」。義経を匿っている川連法眼の郎党の元に、義経を差出すよう手紙が届くも川連法眼は匿う意向を見せる。そこに静御前がたどり着くが、一緒に来たはずの佐藤忠信がいつの間にかいなくなっているばかりか、間もなくやって来た佐藤忠信は静御前を助けたことなどないという。怪しむ義経が静御前に調べるように命じ、静御前が初音の鼓を叩くと、旅路を共にした佐藤忠信が現れる。実は自分は狐、その初音の鼓は両親の皮を張って作られたものだと正体を白状し「川連法眼館」。

通しで観ました。第一部はこちら、第二部はこちら

踊りメインの「吉野山」は、お前この時代に一人旅でまた襲われてまた佐藤忠信実は源九郎狐に助けられているのかと静御前に突っ込みたくもなりますが、そこはまあ見逃します。ただ、ここで吉野の桜の場面だから、やっと千本桜かなと先入観がまた頭をもたげました。そこが罪作りな場面です。

「川連法眼館」ですが、オリジナルだとこの前に「蔵王堂の段」という場面があって、ここで鎌倉方から手紙が届いて匿っている義経をかばうか討つかと相談します。そこを省略して、川連法眼が妻の飛鳥に語る形で済ませるところ、ここも台詞が聞き取れずに難儀しました。

そしてこの第三部は義経でもなく、平家の誰かでもなく、源九郎狐が主役です。それはもちろん、ここまで静御前を助けてきたにしてもいかにも怪しいのだから正体を明かさないで終わるわけにはいかないのですが、舞台背景にも桜があるし、ようやく義経の最期かと思いきや源九郎狐の話ですから、うっちゃりもいいところです。オリジナルの五段目だと平教経が出てくるので平家滅亡物語として三部構成の辻褄が合うのですが、そこは切られているので描かれない。

そういう脚本構成の文句を除けば、身体能力を生かして存分に踊る忠信実は源九郎狐の尾上右近と、静御前の米吉の若姫ぶりはよい出来でした。ただ第一部から代わって義経を演じた梅玉は、さすがに義経には貫禄ありすぎではないかと思われます。

松竹主催「義経千本桜 第二部(Bプロ)」歌舞伎座

<2025年10月12日(日)昼>

平維盛が高野山でまだ生きているとの噂を聞き、妻の若葉の内侍と子の六代君が、家来の小金吾を連れて旅路の途中、休んだ茶屋で木の実の採り方を教えてもらった親切な男に荷物から金を取っただろうと因縁を付けられる。実はこの辺りでも評判の悪者、いがみの権太だった。この勢いで実家の金も取上げて見せようと思案する「木の実」。旅を続ける若葉の内侍一行だが、頼朝の追手が掛かり小金吾が奮闘するも「小金吾討死」。権太の妹お里が、店で働く弥助と結婚することになっている。そこへ父親の留守を狙ってやって来た権太が母親に金をせびるも、そこへ戻った鮓屋の主人は権太とお里の父で、慌てて隠れる。じつは父親は討死した小金吾の首を持って帰ってきた。こっそり桶に隠してから人払いして弥助に今日の出来事を話す。実は弥助は平維盛で、その父平重盛に恩あって維盛を匿っていた。だが鎌倉方に噂が伝わり維盛を寄越せと言われた、ついては明日早々に逃げてほしいと伝える。だが追手の梶原景時はその日のうちにやって来た「すし屋」。

通しで観ました。第一部はこちら、第三部はこちら

第二部がまた困ったもので、義経が一切出てこない。仁左衛門が演じるのだからいがみの権太が主役の場なのだろうと想像は付きましたが、それで出てくるのが平知盛ではなく平維盛が生きていると聞いて旅をする若葉の内侍と六代君と主馬小金吾。これ、オリジナルの初段には「北嵯峨庵室の段」という場面があって、隠れ住んでいた若葉の内侍と六代君が小金吾から維盛が生きている噂を聞いて旅立つ、かつ追手も掛かっていることが描かれているのですね。そこが省かれているから戸惑うことになる。

ただし、その事情だけ把握していれば非常に独立性の高い場面なのが第二部でもあります。そこを見せるために主人公のいがみの権太は、旅人から金を奪いながらも妻子に優しく、実家の金をだまし取ろうと母親を騙すも父親の企みに気が付いて自分の妻子を身替りに引渡す、悪いのも優しいのも両面見せることが必要になる。やりがいは合っても現代演劇的な理屈の辻褄合わせでは処理しきれない役ですが、そこは仁左衛門がしっかり務めてくれました。顔芸含めて、引出が多くていいなあと思いながら観ていました。

ただ初見ではやはりわからないところがあって、権太の父親である鮓屋弥左衛門が平維盛を恩ある人の息子として匿っているという下りや、褒美の陣羽織を維盛が確かめる下りなどは台詞をしっかり聞き取れずに雰囲気だけで察しました。首を使ったすり替えの内容が先月観たばかりの寺子屋と重なるところがあるのが惜しいです。間が空いていたらもう少し素直に見られたでしょう。

物語全般を追うだけなら三部のうちこの二部が一番わかりやすかったのですが、その分だけ平維盛がのんびりしているのが目に付きました。お前が追われているんだぞ、お前を助けるために周りが慌てているんだぞ、何をのほほんとしているんだ、と突っ込みたくなりました。同じ何もしていないのでも、ただ座っているのと、緊張感あふれているのとでは違うもので、そこは演じた萬壽に文句を言いたい。Bプロは第一部と第二部が初日でしたけど、だとしても文句は文句です。

<2025年11月12日(水)更新>

誤字訂正。

松竹主催「義経千本桜 第一部(Bプロ)」歌舞伎座

<2025年10月12日(日)朝>

京都にいる間に兄頼朝の追手に襲われ、伏見稲荷まで逃れて来た義経と従者。静御前も追付いて一緒に逃れたいと願うも義経は許さず、会えない間はこれを自分と思えと初音の鼓を授けるが・・・「鳥居前」。船で逃げようとする義経一行を追ってやってきた頼朝の手先だが、荒れる海に船が出せないのを廻船問屋に無理やり出させようとするが、店の主人が先客優先と追返す。先客は義経一行だが、実はこの主人は亡くなったはずの平知盛だった。実は落ち延びていて、義経に復讐するためにわざと船に乗せたところを狙おうとするが、戦の大勢は義経一行に傾く「渡海屋・大物浦」。

通しで観ました。第二部はこちら、第三部はこちら

あらかじめ断っておくことが2つあります。まずは疲れていたところに前日昼夜2本の芝居を詰込んだため、芝居を観る集中力に欠けた1日だったこと。古典芝居を通して観るのに良い体調だったとは言えません。

それともう1つ、「義経千本桜」は名前こそ何度も目にしていましたが初見です。そしてあまり芝居の事前情報を入れないで観ることが好みのため、まったく内容を知らずに臨んで、むしろタイトルから「義経が活躍して、それを疎んだ頼朝に追詰められて、桜の花の下で最期を迎えるのだろう」くらいの筋だと先入観を持って臨んでしまいました。結果、義経がほとんど出てこなかったため、ただでさえ体調不良で減っていた集中力の半分くらいを先入観との戦いで費やしてしまいました。だから物語が頭に入らず、いつもブログの頭に書いている粗筋も、ネットで調べながら書く始末です。

これは調べたらわかりました。オリジナルが人形浄瑠璃で、五段目まであるうち、今回の通し上演では二段目、三段目と、四段目のダイジェストで構成されていました。で、省略された初段には義経が逃げることになった経緯が、四段目、五段目では、頼朝の家臣が義経を追詰める場面が多数ありました(なおオリジナルでは最期は義経は助かることになっています)。だから歌舞伎版の場合、タイトルに義経と残っているものの、実は平家の落人の末期に焦点を当てた再構成版となっています。

これだけでも驚きましたが、Wikipediaで調べたら千本桜についても書かれていました。

ただし断っておかなければならないのは、本作は題名に「千本桜」と付いているにも拘わらず、実は桜の咲いている場面は全段の中にはひとつもない。現行の文楽・歌舞伎においては桜の花が「道行初音旅」、「河連法眼館」に見られるが、浄瑠璃の本文にもとづけば、本来はいずれも桜の咲いている時分ではないのである。「千本桜」という言葉は初段大序「院の御所」の終わりに、

「…鼓を取って退出す。御手の中に朝方が悪事を調べのしめくゝりげにも名高き大将と。末世に仰ぐ篤実の強く優なるその姿。一度にひらく千本桜栄へ。久しき(三重)君が代や」

とあるだけで、「桜」という言葉が出てくるのもここだけである。しかし「院の御所」でも桜が咲いていたわけではない(後述)。また「壇ノ浦」のことも出てこない。平家が壇ノ浦の合戦において滅んだのは周知のことであるが、この『義経千本桜』においては平家が滅んだのは屋島の合戦であるとし、このときに安徳天皇や二位の尼も入水したのだと義経は「院の御所」で物語る。すなわち原作の浄瑠璃では「千本桜」と称していながら桜の花は出ず、壇ノ浦の戦いについては敢えて史実を枉げ、無かったことにしている。『新日本古典文学大系』の注では壇ノ浦のことについて触れないのは、「歴史には裏があるとの設定から、あえて壇浦合戦の語を避け」たとしている。

これをあらかじめ知っていればもう少し助けになっただろうと考えたのですが、後の祭です。後でチラシを見返したら、義経以外の3人が主人公扱いになっていたのだから気が付いてもよさそうなものなのに。だから今回は、何も知らない素人の頓珍漢な感想をできるだけ素直に書くことを目指します。

という前書きの上で。

「鳥居前」は伏見稲荷と書かれた鳥居の前の出来事ですが、義経がのんびりしていたから、これから出陣の場面と勘違いしてしまいまいした。だから遅れてきた弁慶が叩かれたのだろうと考えましたが、それにしては出陣で静御前が一緒に連れて行ってほしいと願うのはおかしいし、とさっぱりわかりませんでした。オリジナルの初段を省いた構成なら、ここは義経が狂言回しになって状況をきっちり説明してほしいところ、節回しの多い台詞が体調不良もあって聞き取れませんでした。佐藤忠信実は源九郎狐の尾上右近は母の見舞で遅くなり、という事情は伝わったのですが、うーん、と首を捻っている間に終わってしまいました。

「渡海屋・大物浦」でようやく義経一行が身分を隠して逃げていて、それを鎌倉方が追う、という展開だとわかりました。追手役は相模五郎で松緑で合っているかな、わかりやすくやってくれて助かりました。渡海屋銀平実は新中納言平知盛が落ち延びていて、義経一行を逃がすふりをして海の戦で復讐を目論む、というのが芝居ならではの大転回。ただしここで焦点が義経でなく平知盛と匿う安徳帝一行に当たるのが、やっぱりいささか混乱したところです。

それはそれとして、平知盛の役は演じる役者に一段大きくなることを求めるような役で、それに応えた巳之助が気合十分見応え十分で見せてくれました。お柳実は典侍の局の孝太郎もわりと素直に演じてくれたので、この2人のおかげで何とか話を追えました。そして安徳帝に従う一行の悲劇は並み居る大人に混じって子役の安徳帝が健気に通してくれましたが、これはクレジットがないけどAプロに続いて巳之助長男の守田緒兜でいいのでしょうか。だとしたら初お目見得であれだけしっかり台詞を言えるのがびっくりです。

で、仕掛けられた戦に勝って戻ってきた義経が、やっぱりぼおっとしている。戦に勝って高揚しているでなし、平知盛が生き残っていて驚いているでもなし、自害した典侍の局に哀れを覚えるでもなし。平知盛を見せる場だとしても、義経が大きく演じればこそなお一層平知盛が輝くだろうに。これは鳥居前と合せて第一部で義経を演じた歌昇に文句を言いたい。Bプロは第一部と第二部が初日でしたけど、だとしても文句は文句です。

2025年10月13日 (月)

新国立劇場主催「焼肉ドラゴン」新国立劇場小劇場

<2025年10月11日(土)夜>

高度成長期の末期、関西の地方都市の一角にある在日朝鮮街。そのまた一角にある常連客で賑わう焼肉屋は、店主の名前からいつしか「焼肉ドラゴン」と呼ばれるようになる。店主夫婦と3人の娘と1人の息子、そして常連客が織りなす賑やかで激しい日常と、社会の歪、押寄せる時代の波。

在日朝鮮人の家族を描いた力作は、粗筋だけ追えば悲劇の範疇で、差別と抑圧を真っ向から描いてもいる。それでも暗く陥らないところが素晴らしく、日常の騒動を小劇場的な笑いも多数混ぜることで、ホームドラマとしても高い仕上がり。

その暗く陥らないところをもう少し考えると、どれだけ激しく喧嘩をしても後を引かない。これがどうしてなのかと思い返すと、全方面に感情の振幅が大きく作られていて、この登場人物たちは喜怒哀楽すべてこの大きさで体現しているように作られているから。今の日本で全方面に慎重な感情表現が求められることと比べると、そこは少し羨ましいと感じないでもない。

それと、政治的な問題も大上段に振りかざさず、かならず登場人物の目線の問題として描いたこと。この芝居をメタな視点で牽強付会に見てみれば、在日朝鮮人から見た日本の悪い面の一方的な告発と取れなくもない。これが平田オリザならいわゆる日本人をもう何人か登場させて、さりげない態度や言葉で日本人の差別感情を表現したかもしれない。でもここではほぼすべての登場人物が在日朝鮮人で、その本人たちが受けて、感じたことを表現する手段を取っている。しかも在日朝鮮人の中にも、韓国で育ってから日本に来た人、小さいころに韓国で生まれたが小さいうちに日本に来たから韓国語がわからない人、日本で生まれ育った人、と在日韓国人の中でグラデーションを見せている。そして差別を真っ向から描いている。だから政治思想の対立に陥らない。

その上で一家の長が、生きて行かなくてはいけないと過去を忘れないながらも前を向くことも忘れない。それがあるからこそあの家族の今後を考えざるを得ないラスト、とラストのラストのリヤカーの場面の輝きがいっそう増す。

4演目だけあって作品の理解も演出も隅々まで行届いていた。日韓合同の役者陣も全員100点以上。名前を全員は挙げないけれど、出鼻から怒鳴り散らして振り切っていた村川絵梨、一家の長のイ・ヨンソク、その妻のコ・スヒの3人を挙げておく。千葉哲也が出ていて目立たないというのもなかなかない事で、各自ソロパートもありつつレベルの高いオーケストラのような仕上がり。ゼロ幕や休憩時間も飽きさせない音楽演奏。そして島次郎のものを継続利用だという美術が奥行きを感じさせて見事。

各種演劇賞受賞も、今回で4演目になるのも、観ればわかる納得の完成度だった。

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