2025年11月
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2025年11月23日 (日)

新国立劇場海外招聘公演「鼻血」新国立劇場小劇場

<2025年11月22日(土)夜>

両親は日本人だが父親の仕事の都合で日本とアメリカを行ったり来たりして、今はアメリカで暮らすアヤ。自分のアイデンティティが定まらないのは日米を行き来していたものの家族とはろくに話をしなかった父親のせいだと考えている。その父親はだいぶ前に亡くなったが、家族は葬式もせず墓も作らなかった。そんな父のことを今あらためて思い返す。

1人複数役ならぬ複数1役というか、脚本演出のアヤ・オガワが父親を演じて、他の役者がアヤと他の役を演じる。日本語と英語がちゃんぽんで出てきますけど、そこは字幕があって、英語の台詞では日本語の、日本語の台詞では英語の字幕を出してくれるのでわからないところはありません。

さすがアメリカで作った芝居なだけあって演技はしっかりしたものですが、それよりは構成の繋げ方や展開のスピーディーさがどことなく日本の小劇場を思い起こさせます。終盤以外は地明かりだけで進んでそれでいて緊張感を途切れさせないところは青年団さながらですが、どんどん場面転換していくところは野田秀樹以来の小劇場です。観客参加場面も織り交ぜつつ、色々考えた結果としてのエンディングにたどり着いたあのエンディングも小劇場感があります。

よくできた芝居だったのですが、家族との確執という点では日本の現代小劇場指折りの傑作であるハイバイの「て」があります。あちらはまだ生きている父との話、こちらはすでに亡くなった父との話でアイデンティティも絡めて、とやや違うところがありますから上下優劣を付けられるものではありません。ただ、デジャブというか、初見ならではの驚きには欠けたのが惜しいです。

築地小劇場以来の翻訳劇、それ以来の新派というか劇団芝居、唐十郎や野田秀樹から現代口語演劇まで連なる小劇場の新作群、そして歌舞伎や宝塚といった日本固有の芝居。日本の芝居の百花繚乱の前にはインパクトは弱かった。日本の「アヤ・オガワ」が「おがわあや」としてアイデンティティに悩まずに日本で演劇を続けていたらどういう「鼻血」が生まれただろうかと帰り道には考えました。

KAAT×城山羊の会「勝手に唾が出てくる甘さ」神奈川芸術劇場中スタジオ

<2025年11月22日(土)昼>

ご近所付合いで仲の良い中年男性3人が、近所で歌を習っている。しばらく先の発表会に備えて練習しているオリジナル曲は、伴奏する教師の弟である詩人が作曲した。何とも不思議な歌詞は知合いに作ってもらったという。どうやらその知合いは年上の人妻で、弟が入れ込んでいるのを姉の教師が心配している。3人が詳しいことを知りたいと問うても詳しいことは語らない。そこに仕事の連絡が入って1人が抜けたところで、近くを通りかかったからと女性がやって来る。どうやら作詞をした女性らしい。

役者は多かれ少なかれ(ハレではなく)ケを持っているものだと思いますが、ケが強い役者のケを前面に押出して、馬鹿話と艶話との間を綱渡りしながら笑わせる手際はさすが。役者では作詞をした女性の松本まりかのあざとい演技と、詩人の中山求一郎のころっと変わる様子はいい感じなので記録しておきます。

ネタバレすると悪いので細かいことは書きませんが、城山羊の会2回目にして、癖になる作風です。

2025年11月16日 (日)

阿佐ヶ谷スパイダース「さらば黄昏」小劇場楽園

<2025年11月15日(土)夜>

過疎に悩む村の駐在所。定年間近の年配の警官は村の女性とこれから結婚して故郷の北海道に間もなく戻るところで、若い警官は村の女性とこれから結婚を控えているものの村の住人から結婚式の前に村を練り歩きをしろと言われて頭が痛い。そんなある日、村の若者が車に引かれそうになって怪我をし、若い警官は石を投げられて怪我をする。物騒な事件が続いたあとで、住人の1人が気になる話を持ってくる。昔、村で事件を起こした男が出所して戻ってくるために準備をしているらしい。

Aキャスト。田舎の村を舞台にそこに暮らす人たちの葛藤と、それで穏やかな日々が揺らぐ危機を描く、昔の映画にありそうなテイストの芝居。最後はすっ飛ばして観客に任せ過ぎではないかと思わないではないものの、描きたいのは葛藤の方だったのだろうなとは察する。

中村まことがちょっと雰囲気を出しすぎで、昔の話を知っている中山祐一郎や長塚圭史や村岡希美との温度差が開きすぎな気もしないでもないけど、そちらのベテラン勢があっさりしすぎな気もして判断に迷う。怪我をした若者の母親の志甫まゆ子が好演。若い巡査を演じた大久保祥太郎と、怪我をした若者の本日Aキャストの宮崎柊太もいい感じだけど、いっそ芝居がうっとうしくなるくらいまでもっとやってもいいのになと思う心がある。稽古で一度芝居を壊すくらいはちゃめちゃに色々試しておいてほしい。

劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵」新橋演舞場

<2025年11月15日(土)昼>

天保時代。元役者の父に山の中で育てられた娘は、江戸で役者になる、忠臣蔵で大星由良之助を演じる、そして大看板役者になることを夢見て江戸に出てくる。だが女性が舞台に立てない御法度が出てから久しく、また天保の改革を前に歌舞音曲に目を付けられたくない小屋主たちも認めない。そんな中で女性も出ている闇芝居があるとこっそり教えられて連れて行かれたのは、無宿人が集まる島だった・・・。

芝居やミュージカルの有名な演目、サブカルというほどサブでもない有名な漫画やアニメ、そして新感線について、知らなくても楽しめる、知っていればなお楽しめる、これでもかと詰込まれた脚本は劇団員が集まった中途半端な45周年に相応しい内容。最後はスペシャルゲストに任せ過ぎではないかと思わないでもないものの、そこまでのハチャメチャを考えれば許される。

内容を云々するのも野暮なので役者寸評。主人公まで劇団員で欲張らずに小池栄子を連れてきたのが好判断で、カーテンコールで駆けてきたときの笑顔に文句なしの拍手。元劇団員の橋本じゅんは出番多数のおいしい場面多数で商業演劇での活躍多数に恥じない出来で、右近健一とのデュエットで美声を無駄遣いする場面はこの日一番のお気に入り。もはや劇団員の早乙女太一は相変わらず切れのいい殺陣を馬鹿衣装と一緒に披露してさすが。高田聖子と粟根まことが本格演技と馬鹿演技の切替を見せるも、どれだけ真面目にやっても小劇場新感線を失わなかった(褒め言葉)のは羽野晶紀。その分だけ他との絡み控えめで終わってしまった橋本じゅんが惜しい。タッパ高くて顔よしの向井理は顔が小さすぎて髷が似合っていないものの二役こなして活躍。そして古田新太はそれなりの役なものの出番控えめにしたのは正しい判断で、身体が動かなくなったのでは致し方なし。他は侍姿と芝居が妙に様になっていた世直隊長の川原正嗣と采女家臣の武田浩二を挙げておく。

あとは本筋とは関係ないけど、歌舞伎の見得を切る場面であれだけの役者がそろっても歌舞伎役者のように見得を切るのは難しいのだなとは発見だった。身体を大きく柔らかく使えないといけないのか。

2025年11月12日 (水)

松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎(夜の部)」歌舞伎座

<2025年11月8日(土)夜>

春駒売りに姿を変えた曽我十郎と曽我五郎の兄弟が父の仇である祐経と対面する舞踊「當年祝春駒」。伊勢で歌舞伎を演じる一座が義経千本桜を演じてまあまあ評判を取っているが、上演のために役者をなだめたり大道具のトラブルに応じたりで舞台裏は大わらわ、狂言作者が振回されている。そこに座元が慌ててやって来る。上演中の義経千本桜は座元が原案を出していたが、実は上方の人形浄瑠璃で上演されていたものを勝手に盗んで上演していたのだが、原作の作者が芝居見物にやって来るという。その場で上演中止などと言われたら大損害なので何とか全力で上演して認めてもらおうと考えるのだが、そう考えない人もいれば、こんなときに失敗する人もいて一層大わらわに「歌舞伎絶対続魂(ショウ・マスト・ゴー・オン)」。

「當年祝春駒」は曽我兄弟ものってこんなに華やかな話だっけと考えながら美しい踊りを堪能。

「歌舞伎絶対続魂」は近年のオリジナル版は観た上で見物。義経千本桜も先月観たばかり。それなりに面白い場面も見所もあるもののオリジナルほどきっちり収まる脚本ではなく、個別個別の場面が独立感が強い。この辺は何度も上演して磨いてほしい。

こちらの不勉強を挙げれば、役者役はともかく、裏方の仕事が何をやっているのかよくわからなかった。大道具と附打と囃子方はわかっても狂言作者と座元と頭取の違いを前知識なしで理解できず。そこに拘らずとりあえず上演しようと頑張る人たちだと見做してしまえばいいと頭では分かるもののそれでは納得がいかない。三谷幸喜の芝居にしてはいささか不親切。

あとは客席。若い雰囲気がしたのは結構。だけど若干のネタバレ込みで書くと、終盤に「義経千本桜 川連法眼館」の場の一部を演じるけど、あの場の観客のノリが良すぎて公演1週間目にしてすでにリピーター多数かと疑われるレベル。ああいうのはこう、巻込まれるような感じで少しずつ盛上がるのが客席は望ましい。

役者寸評。現代風新作初演だと型に逃げられないので役者の役作りの地力が問われるところ、二日酔い役者の獅童がいい感じ。狂言作者の幸四郎は振回されたときの反応がややワンパターンになりがちなのが惜しい。座元の愛之助は何に慌てているのかわからないのでもっと工夫がほしい。あと目に付いたのは少しだけ出してほしい遊女役は、新悟でいいのかな、男女役のややこしいところを整理して上手。白鸚はちょい役すぎてもっと観たい。染五郎は現代風の劇展開はこれから。そしてこの大舞台にまったく負けない大道具の阿南健治と、なぜあそこまで可笑しくなるかの浅野和之は、さすが三谷作品を多数経験しているだけのことはあるし、期待した通りの間でやってくれるのがありがたい。

あまり花道を使わないのと、休憩挟まずの2時間5分で通してくれるのは親切だし、終わるのが8時前なのも遠方の人としてありがたい。ただ夜の部の開演が5時というのは結構慌ただしい。この日は昼に新宿で4時前まで別の芝居を観ていたので移動と食事仕込みで、せっかく銀座に行ったのにぶらぶら歩く余裕もない。歌舞伎だからそこはまあしょうがないとしても、やっぱり土日祝日は1時6時の開演がいい。

二兎社「狩場の悲劇」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2025年11月8日(土)昼>

とある雑誌の編集長の元に男が訪ねてくる。雑誌に載せてもらえないかと前に置いていった小説の掲載可否を聞きたいという。まだ読んでいないと断る編集長に男は無理やり話を読んで聴かせる。元判事だったという男が自分が関わった事件だと断って話すのは、勤めていた領地の伯爵とそこに暮らす使用人たちを巡る話だった。

チェーホフに小劇場感を絡めて、永井愛ならではの手付きで丁寧に仕上げられていたものの芝居全体が平坦な印象。編集長を演じる亀田佳明と執事の佐藤誓の2人は内面のテンションが高くさすが。それと対比すると元判事の男を演じる溝端淳平は他はよくともテンションが欠けていたのが残念で、どんどん変わる庭師の娘は原田樹里だったけど門脇麦の降板代役で時間が足りなかったか。この2人の物足りない感がそのまま芝居の盛上がりの物足りない感になってしまった。

あとは原作が文学寄りなものの一応ミステリーのため、事件までの経緯を端折るのも躊躇われるけど、やはり事件が起きるまでが長い。休憩挟んで2時間50分をあと20分縮められないか。間延びした印象。

あとは芝居に関係ないけどセンターの通路前後に空席をたくさん作っていたのが悪印象。前売チケットであれより後ろの席で観ていた自分が損した気分。

2025年11月 3日 (月)

ほろびて「光るまで」浅草九劇

<2025年11月2日(日)夜>

ぼんやりとしか思い出せない男が語る、妻の実家に初めて顔を出した話。実家の家族とは折合が悪くもう10年以上帰っていない、結婚したことも手紙で知らせただけの仲だが、ある日妻が実家に帰らないといけないと言い出して一緒に妻の実家に出かける。挨拶した母親と兄は愛想よく歓迎してくれるが、姿が異なる別人だと妻が言う。

前に観たときが良すぎたので再挑戦のほろびてです。この4人の関係はどうなっているのか、という点を曖昧にさせ最後に明かすのは芝居の手法の1つですが、途中まではよかっですし、質は高いのですが、最後のオチが急展開過ぎて付いていけなかった。ちょっともったいなかったというのが感想です。

チラシやサイトには「過去に作った『公園』を原案として作成した、新作を上演します」とありますので、おそらく最後の場面は今回足したものではないかと思われます。ただ、それまでのぼんやりとした雰囲気、壊れそうなところを壊さないように努めるところをチラ見せしながら、唐突にかつ中途半端に具体的な話に飛びすぎでした。これがもっともっと具体的な現実の具体的な話だと野田地図なんかでも見かけるような展開になりますが、あちらはそれまで具体的な話に負けないくらいテンション高めのしゃべり通しで種を撒いて土台を作った上での急展開です。どれだけテンションの高い場面でも緩さと柔らかさが基にあって膨らませた場面をいきなり握りつぶすような展開は、うーん、どうなんでしょう。

役者は問題ありません。主人公の藤代太一と妻役の藤井千帆、母親役の佐藤真弓と兄役の佐藤滋。むしろ素晴らしい出来。舞台の奥を空けて楽屋まで見せるのは平成中村座が浅草でやっていたのを場所柄思い出しました。だから80分の芝居でしたが開演前のゼロ場を入れると2時間近くやっていたことになります。すっきりした舞台美術も、ほとんど流れないけど今時らしい綺麗な音響もよかった。ただ今回は私の好みに合いませんでした。

EPOCH MAN「我ら宇宙の塵」新宿シアタートップス

<2025年11月1日(土)夜>

星座と宇宙に詳しい父親が亡くなって5年、ほとんど口をきかなくなった息子は朝早くに家を出て行方不明となる。気が付いた母親は息子を探して家を出る。幸い行く先々で息子の手掛かりは得られ、息子と話した人たちも一緒に探すと申し出てくれる。

一人劇団として名前を見かけていたので観劇。評判通りの仕上がりでした。

息子を探す話がやがて、という展開は落着いて考えれば強引極まりないものですが、そこは日本の小劇場の伝統ある作風に則って笑いとテンションで納得させて引張ってくれます。そこに子供は人形を使って演じられていて、あの足を役者の足に付けて頭と腕を棒で動かすタイプの人形を何と呼ぶのか知りませんが、不思議と馴染んでいました。

そしてその作風に則りすぎるとやや貧乏臭い舞台になることもままあるのですが、今回は舞台の側面から背面までをLEDパネルで覆って、全面の映像を上手く使うことでむしろ洒落ていました。映像の観やすさの違いを気にして狭いシアタートップスで席種を4つも設けていましたが、2つくらいでよかったんじゃないかなと思います。ちなみに音響も綺麗で雰囲気を新しくするのに一役買っていて、音源と設備によってはこのくらいはできるのだなと再認識しました。

肝心の芝居ですが、全員よかった。とは言え池谷のぶえがやはり一頭抜けていて、真面目な役なのにふざけた場面で役と芝居の雰囲気を壊さずにふざけるのに付合える腕前は素晴らしいの一言。渡邊りょうは調べたらこれまで何度か観ていたはずなのにあまり記憶にないですけど、こういう弱いところの多い役もできる人なのですね。そこにテンション勝負なら負けていない異儀田夏葉はKAKUTAの人、見た目で勝負しつつ意外と動けるぎたろーはコンドルズの人だからそれは動ける、そして自分は子供の役で参加した脚本演出の小沢道成は、あちこちから狙った通りの役者を集められるのも実力のうち。

1時間半くらいだったかな、時間が短くとも密度で短いとは感じさせない。初演で読売演劇大賞を取ったのも納得でした。

文学座「華岡青洲の妻」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2025年11月1日(土)昼>

江戸時代。紀州で医者をしている家族。息子の雲平、後の青洲は京都に勉強にやっている。その間に母親は娘たちと家を守り、息子のために近くの村の庄屋から嫁ももらっていた。まだ息子と顔を合せていない嫁は母親に可愛がられながら雲平を待つ。それから3年経って雲平が戻って来るが、母親は雲平にかかりっきりで嫁のことはすっかり放置する。亡くなった父の跡を継いで医者を務める傍ら、外科の患者を助けるために京都以来の麻酔薬の研究に打込む雲平を巡って、母親と嫁の諍いが増えていく。

有吉佐和子の原作を、本人が脚本を書いたのかな。昔から上演されている舞台らしく名前に聞き覚えがあったので気になって観劇。よく整った舞台だったけれど、少しずつ届いていないところがあって食い足りない仕上がり。

芝居の大半を占めるのは嫁姑の諍い。原作発表が1966年だから、その当時は今よりも大家族が多くて今よりも受けた題材でしょう。そこを丁寧に、どちらかに贔屓が傾かないように、かつどろどろしすぎないように演出していました。おそらく最後の場と合せて、どれだけいがみ合っても病気や寿命の前には小さなことであり皆平等であるという意図を狙ったのではないかなと観客としては想像しました。

それを実現するためには、まず脚本が足りません。原作未見ですが、一般に小説は舞台よりも長いものですから、原作の小説にはもう少し医者としての使命感や葛藤も書き込まれていたかもしれません。ただし脚本は嫁姑の話に多くを割いたため、そちらの場面が足りない。ないものは演出できませんから、やや手薄になるのは仕方がない。

それと役者です。一定の水準の演技も保っていたので安心して観ていられましたが、といってぐっと掴んでくるものも手薄です。演出の求める遠距離感を保ちつつ脚本にある近距離感を手の内に入れた感があったのは母親役の小野洋子くらいでしたが、それでもやややりすぎ感があったのは脚本の湿気のためでしょうか。そして今回の演出では雲平の役が重要になるのですが、演じた釆澤靖起には場面というか芝居を通して支える重さが見えなかったので一層奮起してほしいです。

あとはスタッフ。美術や照明はいい感じでしたが、場転で流れる音響がどうにも締ましません。芝居と馴染まない選曲でした。それっぽいバイオリンの曲ではありましたが、たぶんテンポが芝居と合っていない。

と、着物髷物をしっかりこなして見せたのはさすがだったのですが、消化不良で劇場を後にしました。そもそも小説の発表から半世紀以上経って、現代日本と照らし合わせて脚本の寿命が来ていると思われるので、もし原作にこれ以上の内容が書き込まれているならリライトに挑戦した方がいいのではないかと愚考します。

2025年10月20日 (月)

2025年11月12月のメモ

11月前半の毎日何かが初日を迎える所の並びが美しいですね。つまり全部は観られないということですが。

・ぱぷりか「人生の中のひとときの瞬間」2025/11/02-11/09@ザ・スズナリ:ポップな雰囲気のチラシに重たい雰囲気の粗筋を載せて

・松竹主催「吉例顔見世大歌舞伎」2025/11/02-11/26@歌舞伎座:夜の部が「ショー・マスト・ゴー・オン」の歌舞伎化ですけど、昼の部初めの勧進帳がひょっとしたらよさそうという期待もあります

・大人計画/パルコプロデュース・製作「雨の傍聴席、おんなは裸足…」2025/11/06-11/30@PARCO劇場:宮藤官九郎のロックオペラですが松たか子まで出てくるとあっては

・二兎社「狩場の悲劇」2025/11/07-11/19@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA:チェーホフを永井愛がよさそうな役者でとなれば気になるじゃないですか

・劇団俳優座「存在証明」2025/11/08-11/15@シアタートラム:長田育恵を脚本に迎えて数学者の話なのかな

・阿佐ヶ谷スパイダース「さらば黄昏」2025/11/08-11/30@小劇場楽園:あいかわらず人数多い芝居です

・劇団☆新感線「爆烈忠臣蔵」2025/11/09-12/26@新橋演舞場:9月からツアーしていますのですでに観た人も見かけますがここは久しぶりの橋本じゅんを期待したい

・新国立劇場演劇研修所「トミイのスカートからミシンがとびだした話」2025/11/11-11/16@新国立劇場小劇場:新国立劇場は三好十郎が好きですよね

・かわいいコンビニ店員飯田さん「位置について」2025/11/12-11/16@吉祥寺シアター:かわいい劇団名にまったくかわいくない粗筋を載せて

・まつもと市民芸術館プロデュース「チェーホフを待ちながら」2025/11/12-11/16@神奈川芸術劇場大スタジオ:自分も役者出る土田英生によるチェーホフの初期喜劇の脚色を曲者ばかりよく揃えるなという役者陣で

・KAAT×城山羊の会「勝手に唾が出てくる甘さ」2025/11/14-11/30@神奈川芸術劇場中スタジオ:チケットが全然手に入りません

・世田谷パブリックシアター企画制作「シッダールタ」2025/11/15-12/27@世田谷パブリックシアター:ヘルマン・ヘッセの小説をこれも長田育恵を脚本に迎えて白井晃演出ですが草彅剛効果でチケットが

・新国立劇場海外招聘公演「鼻血」2025/11/20-11/24@新国立劇場小劇場:小川絵梨子つながりで招聘されたらしいのでクレジット団体が不明ですが不穏な芝居であることは間違いない

・ヌトミック「彼方の島たちの話」2025/11/22-11/30@シアタートラム:片桐はいりが出るのでピックアップ

・劇団四季「恋におちたシェイクスピア」2025/11/23-2026/02/08@自由劇場:映画原作を松岡和子翻訳の青木豪演出とは劇団らしからぬ自由さですね

・横浜ボートシアター「新版 小栗判官・照手姫」2025/11/26-11/30@座・高円寺1:何か怪しげなのでピックアップ

・新国立劇場主催「スリー・キングダムス」2025/12/02-12/14@新国立劇場中劇場:実際にあった胸糞悪い事件なのかな、それを元に舞台化したイギリス芝居を次期芸術監督の上村聡史演出で

・独立行政法人日本芸術文化振興会主催「令和7年12月文楽鑑賞教室」2025/12/04-12/18@東京芸術劇場プレイハウス:あの広さで文楽出来るのかなと思いますが「国性爺合戦」を一度観ておきたい

・松竹主催「十二月大歌舞伎」2025/12/04-11/26@歌舞伎座:第三部で夏に見逃した玉三郎の「火の鳥」を観たいところですが第二部でがっつり古典というのも考えどころ

・劇団普通「季節」2025/12/05-12/14@シアタートラム:前回があまりに衝撃を受けたのでピックアップ

・こまつ座「泣き虫なまいき石川啄木」2025/12/05-12/21@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA:今更こまつ座と思いきや演出鵜山仁になかなかの役者を揃えてきたので

・NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺企画製作「ジョルジュ」「トロイメライ」 2025/12/19-12/24@座・高円寺1:年末の風物詩は「ジョルジュ」は竹下景子に芸術監督就任のシライケイタが相手役、「トロイメライ」は去年に続いて亀田佳明と月影瞳

・ゆうめい「養生」2025/12/19-12/28@神奈川芸術劇場大スタジオ:一度は観ておきたいのでピックアップ

年末が一番公演が多いのは毎年のことですが、金よりも時間よりも体力が持たないので身体のやり繰りも試される期間です。

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