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2020年9月15日 (火)

芝居の客席数の50%制限が9月19日から11月末まで暫定緩和される

いまだにこの手の資料がどこで発表されるのかわかっていないのですが、今回は「【事務連絡】9月19日以降における催物の開催制限等について」という題で内閣官房の「新型コロナウイルス感染症対策」ページに載っていました。

厳密にはこれまで

①収容人数10,000人超⇒収容人数の50%
②収容人数10,000人以下⇒5,000人
(注)収容率と人数上限でどちらか小さいほうを限度(両方の条件を満たす必要)

となっていたところ、

〇 得られた知見等を踏まえた業種別ガイドラインの見直しを前提に、必要な感染防止策が担保される場合(別紙3「収容率及び人数上限の緩和を適用する場合の条件について」)には緩和することとし、当面11月末まで、以下の取扱いとする方針とする。
 ①収容率要件については、感染リスクの少ないイベント(クラシック音楽コンサート等)については100%以内に緩和する。その他のイベント(ロックコンサート、スポーツイベント等)については50%以内(※)とする。
 ②人数上限については、5,000人を超え、収容人数の50%までを可とする。

とされました。この中で収容率要件が100%に緩和されるイベントとして

大声での歓声・声援等がないことを前提としうるもの・クラシック音楽コンサート、演劇等、舞踊、伝統芸能、芸能・演芸、公演・式典、展示会等

と演劇が明記されています。たいていの劇場の収容人数は5000人以下で、その場合は「収容率と人数上限でどちらか小さいほうを限度」でも、客席数100%のほうが小さいほうに該当するため、全席販売が可能になります。

この資料は細かいところに注意書きがたくさんあって、私の理解では客席数(収容率)以外は、消毒飲食その他もろもろ何も緩和しませんという内容です。それでもあらゆる団体で一番気になっていた個所が暫定ですが元に戻ったので、上演側には喜ばしい内容でしょう。

私は実験の報告書を読んでもいまいち安心できなかった人なので、もう少し緩和を待ったほうがいいんじゃないかと考えていました。今後の動向に注目です。

2020年9月12日 (土)

緊急要望を出したのにニュースで公開しない演劇業界

前回紹介した「#コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト」報告書を背景に、クラシック音楽公演運営推進協議会が「緊急要望:イベント(舞台芸術公演)における客席の収容率50%制限の撤廃について」を9月10日付で大臣宛に出しています。いろいろ限界や不明点も残っていますが、背に腹は代えられないから早く撤廃してくれ、という立場なのでしょう。それは後で引用する文面に色濃く出ています。

この要望が連名で出されていて、他に「公益社団法人全国公立文化施設協会」と「緊急事態舞台芸術ネットワーク」も名前が載っています。前者は以前調べましたが、国公立の文化会館とか文化センターとか名の付くような施設が参加する協会で、会場側の新型コロナウィルス対策を取りまとめた団体です。クラシック音楽の会場にもなることが多いでしょうから、連名するのはわかります。こちらも同じ要望を出したことを9月10日付で公開しています

で、緊急事態舞台芸術ネットワークです。主に芝居に縁の深い劇場、劇団、スタッフ業界が名を連ねています。「2020年2月26日に政府による突然の自粛要請を受けて以来、公演の中止延期が相次いだ舞台芸術界の損害の実態を把握するため、損害額調査を実施。その結果を受けて、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による舞台芸術業界が危機的状況であるとの認識のもと、緊急的に形成されたネットワークです。」と書かれている通り、今回急遽集まった団体です。要望の根拠である実験に芝居業界は何も参加していませんので、少しでも大勢の要望としたかったクラシック業界のお声がけに乗ったのでしょう。

それはそれで構いませんが、この要望を出したことが、緊急事態舞台芸術ネットワークのWebサイトのどこにも載っていません。ニュース一覧のページで私が9月12日16時時点で見ている中で一番新しいニュースは8月31日付のものです。

緊急事態舞台芸術ネットワークの世話人は大物の名前ばかりが載っているので、事務局がどうなっているのかわかりません。そう思って調べたら事務局の情報がほとんど見つからないことに気が付きました。規約の中に「当団体の主たる事務所を東京都豊島区に置く」とあり、世話人の1人が野田秀樹なので、東京芸術劇場のスタッフが兼ねているのかと想像しますが、想像の域を出ません。

事務局仕事も事務局運営ならではの常識やノウハウがいろいろ必要でしょうから、設立から4か月ではなかなか慣れていないのかもしれません。あるいは、世話人が連名することを決めて事務局に連絡を忘れたのかもしれません。ここまでニュースに載っていない理由はさておき、とりあえず名前を連名に載せたからには、要望を提出したことをニュースとして急ぎ掲載したほうがよいです。

そして緊急事態舞台芸術ネットワークの設立趣意には「『緊急事態舞台芸術ネットワーク』は、今回の新型コロナウィルスのような緊急事態にのみ活動します。すなわち、舞台芸術全体が公演中止に追い込まれそうな時、もしくは追い込まれた時においてのみ活動します。主たる目的は社会と共にいかにして舞台芸術の公演を再開していくかにあります。」とあります。一段落したら名前を変えてもいいから、この団体と事務局は維持して、演劇業界を代表する業界団体に育てたほうがよいと思います。離合集散の激しい劇団が長期の参加団体に適しにくく、規模の大きい団体の声が大きくなるかもしれませんが、そうだとしても、劇場やスタッフまで広く職種を横断した業界団体があるのとないのとでは大きな違いなので。

以下が要望の内容です。

令和2年9月10日
新型コロナウイルス対策担当大臣
西 村 康 稔 殿

緊急要望:イベント(舞台芸術公演)における客席の収容率50%制限の撤廃について

公益社団法人全国公立文化施設協会
クラシック音楽公演運営推進協議会
緊急事態舞台芸術ネットワーク

新型コロナウイルス感染症による公演の中止や施設の閉館など舞台芸術関係が被った打撃に対して、国では補正予算を含む多様な支援策を講じていただいており感謝申し上げます。公立文化施設や舞台芸術諸団体としても、新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドラインに則った対策を講じた上で、公演や施設の再開を進めているところです。

一方で、国では屋内イベントの客席収容率を一律で50%以内と示され、それを受け感染拡大予防ガイドラインでは「前後左右を空けた席配置」とし、公演再開においても50%以内の収容を厳守しています。しかしながら、多くの舞台芸術公演では、チケット販売における採算ラインを80%以上と見込んで、予算を立て制作されています。このまま収容率50%制限が続くならば、再開しても公演を続ければ続けるほど、赤字が積み上がることとなります。

クラシック演奏、ダンス、演劇、伝統芸能、演芸等の公演において観客は、原則として公演中は、定められた席に着席し、一定方向を向いて、相互の会話も行わずに観劇しています。先般、クラシック音楽公演運営推進協議会が提出公表した科学的検証においても、マスクを着用していれば、隣り合う配席でも、前後左右を空けた配席でも、感染リスクは変わらない結果が立証されております。また、劇場施設は建築法や興行法等により一定規模の空調設備が設置されており、屋内であっても決して密閉空間ではありません。

公演の中には、公演内容や観客層の年齢構成等、収容率において配慮が求められるものもありますが、公演主催者や施設管理者が、感染拡大予防ガイドラインに基づいて設定し、併せて「歓声や出待ちを控える」等の感染防止策を徹底することにより対策は可能です。

このまま不採算公演が続くと関係諸団体等の倒産や廃業、関係者の離職等による文化の継承の断絶等も想定されます。一定の条件下の舞台芸術公演において、感染拡大予防ガイドラインを遵守した上で、客席収容率50%制限の早期の撤廃をお願いいたします。

2020年9月 2日 (水)

読み方が難しい「#コロナ下の音楽文化を前に進めるプロジェクト」報告書

クラシック音楽の業界団体が音頭を取って実験を行なうと発表していましたが、結果が報告書にまとまって公表されました。クリーンルームで測定して、どのくらい飛沫が飛ぶのかを調べ、今言われているソーシャルディスタンスが本当に必要なのかを検討するためです。丁寧に実験していて、これだけの実験を企画して実現できてしまう日本クラシック音楽事業協会という業界団体の実行力はすごいです。

ある程度の曲を演奏するには演奏する側も密が必要、客席も経済上の理由で密が必要、なのが背景なので、楽器の演奏だけでなく、歌唱と、客席についても測定しているのがポイントです。芝居の参考になる情報がないかと読んでみましたが、これがなかなか難しい。

先に載っているのが客席。クラシック音楽なので「発声したとき」「咳をしたとき」「ブラボーと声を出したとき」の実験が載っています。すべて1分間連続です。向きは前方が90㎝の間隔、横は48㎝の間隔で測定しています。新国立劇場の小劇場の座席スペースが「幅50cm、奥行91cm」、中劇場では「幅52.5cm、奥行95cm」なので、あの客席のサイズを想像してもらえばよいです。

マスクなしで咳をしたときの数値はやばいだろうというのは飛沫感染を警戒されていることからわかります。全般にマスクなしは論外です。ただ、マスクなしの発声と、マスクありの咳とが、倍くらいの差しかありません(マスクなしの発声のほうが大きい)。至近距離で15分間しゃべり続けても感染の可能性があるので、そこから半分になったとして、これが大丈夫か気になります。

というのも、1分間咳が続いたらちょっとロビーで水飲んで来いよと本人も思えますが、芝居だと「笑ったとき」があり得ます。1分間続けてとは言いませんが、短く笑いをつなげて爆笑に持っていったら、断続的に1分間というのはあり得なくはありません。これが「咳をしたとき」「ブラボーと声を出したとき」のどちらに近いか。笑い方にもよりますが、私の直感では咳をしたときに近いと思っています。これがどのくらい影響があるのかわからない。

それは「本実験の限界」として記載もされています。「新型コロナウイルスの感染をきたす微粒子の大きさや数についての明確な情報がなく、微粒子数が少ないことで感染リスクがないと言い切ることはできない」。その通りですが、その通りだからこそ微妙な実験結果が出てしまったなと思います。

そして歌唱についてです。口元が一番多いのは誰が考えても予想通り、マスクなしで咳をしたときと同等です。他の測定個所は、100㎝前方を含めて「少数」となっているので最大2桁ですが、口元の測定値が大きすぎて他の測定値が読めません。口元以外の測定値が、マスクありの咳の前方とどちらが大きいか気になります。

歌ったのは3曲ですが、日本の童謡が2曲、海外の曲は第九の1曲です。この第九が原語か訳詞かがわかりません。西洋言語は唾が飛びやすいから感染しやすいと言われていたので、それを確かめたかったのですが、記載が見つかりません。もし追加実験を行なうことがあったら、日本の歌と西洋の歌と別々に試験してほしいと願っています。

芝居では動いて発声することが多いので、それでどうなるかは今回の実験では不明です。考察にも「より長時間あるいは複数名での歌唱による変化や、体の動きを伴ったり移動したりしながら歌ったりしたときの影響、マスクの効果など、さまざまな実験パターンの検討、追加実験の実施が必要である」と書かれています。

思い出すと、芝居を観ているとき、照明の加減で唾の飛沫が見えることがありますが、目に見えるくらい大きい飛沫はたいてい放物線ですね。上は目の高さくらいから下はあごの先くらいまで広がって、あとは下に落ちる。だいたい手を伸ばしたくらいの距離かもう少し先くらいで落ちていました。それなら全部そうかというと、普通の発声で飛沫がもっと小さい目に見えないときがわからない。今回の実験にある客席の「発声したとき」を当てはめていいのか、役者の発声はまた違った特徴を持つのか。動いて発生したり、換気の流れに乗るような小さい軽い飛沫だとどうなるのか。

あるいは、複数の場合にどうなるか。三密の条件でクラスターが発生しやすいことはわかっているので、1人の測定値では大丈夫でも、それが複数人重なると危険な閾値になることは想像できます。それはどのような場合か。

それは本実験の限界に「今回の実験は無風のクリーンルーム内という特殊な条件で行ったものである。コンサート会場や演奏場面では、空調や換気、複数の演奏者の相互の影響など、さまざまな要因が加わることに留意し、総合的に感染対策を検討することが望ましい」と記載があります。上演条件や環境が違いすぎるので、すべてのパターンを測定できるものではありません。それは承知の上で、上演の前提として、何か線引きできるような実験方法や、実用的な上演条件を考えられればよいのですが、今のところ思いつきません。

なお客席実験の結果を受けて総論に「マスク着用下であれば『1席あけた着席』でも『連続する着席』でも、飛沫などを介する感染のリスクに大きな差はないことが示唆された」と載せています。これは少なくとも芝居の客席については、私は不賛成です。上演中は静かにしていることが普通のクラシック音楽のコンサートの客席と、笑うこともあり得る芝居の客席とはすんなり比べられません。

あと、連続する客席を認めることによる誤ったメッセージを観客に伝える可能性があります。GoToキャンペーンで旅行して陽性になった人のコメントで「旅行に行こうか迷ったがGoToトラベルが始まったので大丈夫かと思い」というのがありました。そういう0か1かの判断で行動する人は世の中に一定数います。私も芝居以外の分野ではそういう行動をきっとどこかでとっている。観客の判断力を当てにした結果、マスクなしの客やおしゃべりする客を誘発することを懸念します。

何でそんなに心配をするのかというと、「赤鬼」を観たときにいたんですよ、マスクを外してお連れの方と話す老婦人の観客が、客席に。芝居が始まる直前にマスクは着けてはいましたけど。暑い中来場して疲れていたのかもしれませんが、それならロビーで休むなり、マスクを外しても話さないなり、あの時期にわざわざ劇場までやって来る観客にはそういう行動を期待したいじゃないですか。でもいたんですよ。入場時にマスクをチェックされる、上演時にはマスクを着ける、でもその間はマスクを外して話しても構わないと考えてしまう観客が。あるいは新型コロナウィルスの前の「芝居は友達と出かけて、待機時間はおしゃべりするもの」という行動様式が抜けない観客が。連続した客席を認めるとこういう観客がもっと増えると予想します。

上演側は観客を選べませんし、100人を超える利害関係の一致しない人間に、強制力なしで同じ行動は期待できません。少なくとも期待できない前提で運営を考えるべきです。その場合、自由席なら今よりもう少し幅を詰めるのはありだと思いますが、物理的に客席の距離を離しておくのは、興行がつらいところを申し訳ありませんが、感染防止への協力を呼掛けるのに有効な手段になっていると考えます。

報告書を読んで参考になりそうな情報を探していたのですが、むしろ悩みが深くなりました。

2020年8月30日 (日)

今後は芝居を観に行く動機をいかに見つけるか

9月と10月のメモをまとめながら感じたことです。

今回、できるだけ今までと同じ目線でまとめました。以前なら「観られるものなら観たいけど金と時間と体力は有限なので縁がなかった」と考えられたラインナップです。ところが今回は本当に観たいか自問して、「いや実はそんなに観たくない」と自答していました。

観劇習慣が抜けてきたとか、「赤鬼」で今までと違うことが体験できていろいろ考えたとか、やっぱり感染が怖いとか、いろいろ理由はつけられます。ですが、何より「そこまで面白そうに思えない」のが一番です。何て表現するのがいいんでしょう、芝居の魔法が解けたというか。

新型コロナウィルス騒動でいろいろ日常の環境と行動が影響を受けて嗜好にも影響があったのと、一連の騒動で芝居業界に対する失望を覚えたのと、両方ありますが、多分それだけではありません。

これだけ世界中が影響を受けているところに、中止や延期などのスケジュール変更はあるにしても、なぜ今まで通り芝居が上演されるのか。消毒だマスクだ1席飛ばしだと製作の苦労はありますが、数年前から企画されていたというだけでそのまま上演するなら企画が現実に負けます。

別に演目を変えろとか、新型コロナウィルスに関連する演出を入れろとか言うのではありません。このご時世で芝居を上演するにあたって、新型コロナウィルスを一時でも忘れられるような娯楽を提供しますとか、新型コロナウィルスの世の中でも戦っていけるように背中を押す芝居を作りますとか、その上演団体の新型コロナウィルスに対する向きあいかたが見えないと、上演案内を見ても輝いてくれません。そこを飛ばして芸術です文化です、紅旗征戎と新型コロナウィルスは我が事ではありませんと無視されると、芸能の魔法が生まれなくなります。以前紹介した横内謙介の覚悟は今も有効であり、これに対する回答を出した団体は寡聞にしてまだ知りません。

そして横内謙介の覚悟は客側にも問われています。「なぜわざわざ劇場に芝居を観に行くのか」と自問して、名残惜しい演目をあと何本か観ておきたい以上の自答ができないのであれば、劇場からおのずと足は遠くなります。そして今のところ私はまだそれ以上の回答を持合せていません。

以前は「新型コロナウィルス後に芝居を上演するようになってもすぐには観に行けない」と書きましたが、今は「芝居を観に行く動機が見つけられなくなっている」状態です。

2020年9月10月のメモ

だいぶ数が戻ってきました。と書いたら休漁期後の魚を想像してしまいまいした。大半は以前から企画されていたものですけど。

・松竹製作「鷺娘」2020/09/01-09/26@歌舞伎座:4部制の九月歌舞伎の第四部に玉三郎が一人で踊るので少しだけ観るのにちょうどいいかも

・シス・カンパニー企画製作「わたしの耳」2020/09/09-09/18@新国立劇場小劇場:ピーター・シェーファーの3人芝居連作前半でこれはマギー演出

・ケムリ研究室「ベイジルタウンの女神」2020/09/13-09/27@世田谷パブリックシアター:緒川たまき主催のユニット1本目でKERA脚本演出

・シス・カンパニー企画製作「あなたの目」2020/09/22-10/01@新国立劇場小劇場:ピーター・シェーファーの3人芝居連作後半でこれは寺十吾演出

・Q「バッコスの信女 - ホルスタインの雌」2020/09/24-09/27@神奈川芸術劇場大スタジオ:市原佐都子の岸田戯曲賞受賞作だけど初演があいちトリエンナーレ2019なので首都圏初上演、であっているかな

・五反田団「いきしたい」2020/09/25-10/05@こまばアゴラ劇場:「コロナに全く関係のない個人的な出来事」だそうです

・劇団青年座「ブルーストッキングの女たち」2020/09/26-10/04@東京芸術劇場シアターウエスト:宮本研のわりと上演される1本だから本当は観たいのだけど

・SerialNumber「All My Sons」2020/10/01-10/11@シアタートラム:アメリカを舞台にした重苦しい家族を描いたアーサー・ミラーのデビュー作

・新国立劇場主催「リチャード二世」2020/10/02-10/25@新国立劇場中劇場:新国立劇場のシェイクスピア王朝シリーズの完結編

・パルコプロデュース「獣道一直線!!!」 2020/10/06-11/01@PARCO劇場:ねずみの三銃士企画の4本目で、宮藤官九郎脚本と河原雅彦演出も継続

・青年団プロデュース「馬留徳三郎の一日」2020/10/07-10/11@座・高円寺1:4月に上演予定で中止になった演出だけ平田オリザで脚本は髙山さなえの1本

・東京芸術劇場企画制作「真夏の夜の夢」2020/10/15-11/01@東京芸術劇場プレイハウス:シェイクスピアを野田秀樹が潤色して海外の演出家日本の役者で演じるややこしい1本

・CHAiroiPLIN「三文オペラ」2020/10/17-10/25@三鷹市芸術文化センター星のホール:再演らしいですが初演の写真を観た瞬間に正解度高いと感じたのでピックアップ

・木ノ下歌舞伎「糸井版 摂州合邦辻」2020/10/22-10/26@あうるすぽっと:以前当日券に挑戦して目の前で売切れた1本

・Bunkamura企画製作「フリムンシスターズ」2020/10/24-11/23@Bunkamuraシアターコクーン:松尾スズキの新作ミュージカルは長澤まさみと秋山菜津子と阿部サダヲを中心に

・新国立劇場演劇研修所「尺には尺を」2020/10/27-11/01@新国立劇場小劇場:まだ観たことがないシェイクスピアを「子供のためのシェイクスピア・シリーズ」の山崎清介演出で

とりあえず書いてみましたが、ちょっと感覚が変わってきたので別エントリーに書きます。

2020年8月25日 (火)

接触確認アプリをインストールしていたら開幕しても電源オン、機内モードオン、Bluetoothオン、音は鳴らないように

この前「赤鬼」を観に行ったときに、接触確認アプリをインストールしているけど電源を切ったものか、と書きました。そうしたら、新国立劇場は電源を入れたままにするようアナウンスしていました。「新国立劇場における新型コロナウイルス感染拡大予防への取り組みと主催公演ご来場の皆様へのお願い」に書いてあります。

〇新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」のインストール、ご利用のご協力をお願いします。

厚生労働省が提供しているアプリをご利用いただきますと、陽性者と接触した可能性が分かることで、検査の受診など保健所のサポートを早く受けることができます。詳しくは厚生労働省のウェブサイト別ウィンドウで開きますでご確認ください。
なお、ご観劇中は、スマートフォンの電源は切らずに、音、振動が出ないように設定をお願いいたします。また、劇場設備に障害が出る恐れがあるため、WiFiをOFFにしてくださいますようお願いいたします。

以前調べたときには記載がなかったので、後から追加したようです。

「COCOA」は近くのスマホとBluetooth通信で接触を確認するので、電源を切ったら接触確認できないし、でも電源を入れていたらいろいろな通信でスマホが鳴るかもしれないし、どうするのかと思ったら、Bluetoothだけオンにしておく方法は用意されていました。検索すれば出てきますけど、とりあえず検索して出てきた「機内モードのままWi-FiとBluetoothを使う方法 iPhone、Android対応版」のリンクを載せておきます。どこでどんな通信が動くのかわからないので、機内モードを有効にして全部の通信を無効にしてから、Bluetoothだけ有効にするのがよさそうです。

これから芝居見物に出かける人は「COCOA」をインストールの上、事前にこの操作に慣れておきましょう。そして通信と関係なく音が鳴る可能性もつぶすために、音量もゼロにしてうっかり鳴らないようにしましょう。

これを推し進めていくと「携帯電話、スマートフォン、時計のアラームなど音の出る機器は、電源からお切りください」のアナウンスを変更することになりますが、これをどうアナウンスにするかがセンスなので、上演側は頑張ってください。「COCOA」をインストールしたスマートフォンは電源入れたままにする、だけどBluetoothだけを有効にする、を上手に説明する定番のアナウンスを生みだせるよう頑張ってください。

日本文化はフィルタリングシステムという話

11年前の掲載ですけど佐々木俊尚「個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム」という記事を見つけました。業界人には知られた話なのでしょうか。読んでとても関心したので、大半ですけど引用します。

 世界を代表する三つの国の映画産業――アメリカ映画とフランス映画、そして日本映画の違いって何だろうか? そういう問題提起がある。

 観点はさまざまにあるから単純化しすぎるのは危険かもしれないが、こういうひとつの切り口がある。「アメリカ映画は物語を描き、フランス映画は人間関係を描き、日本映画は風景を描く」。ハリウッド映画は完璧なプロットの世界で、物語という構造を徹底的に鍛え抜いて作り上げ、導入部からラストシーンまで破綻なく一本道を走り抜けられるように構成されている。

 フランス映画の中心的なテーマは、関係性だ。夫婦、父と子、男と愛人、友人。そこに生まれる愛惜と憎悪をともに描くことによって、人間社会の重層性を浮かび上がらせる。

 日本映画は、風景を描く。自然の風景という意味ではない。目の前に起きているさまざまな社会問題や人間関係の葛藤、他人の苦しみ、さらには自分の痛み。われわれにとってはそれらはすべて「風景」だ。どんなに深く関わろうとしても、しかしどうしてもコミットしきれない所与のものとして、われわれのまわりの事象はそこにある。だから日本映画には、向こう側に突き抜けられないことによる透明な悲しみが漂っていて、それがある種の幽玄的な新鮮な感覚として欧米人に受け入れられている。
(中略)
 しかし日本は違う。日本にも縄文時代に村落をゼロから作った時もあっただろうし、戦国時代や明治維新のような内乱の時代もあった。だがたいていの人々にとって、権力装置は自分でゼロから力を合わせて作り上げるものでなければ、血で血を争う暗闘の果てにつかんだ血塗れた旗でもない。私たちにとって権力というのは、「世間」「空気」のような言葉に代表されるなんだかわからない軟体動物のようなベタベタとした空間で、しかしこの空間はわれわれを絡めとって離してくれない。いったい何が敵なのかということさえ可視化されていない。

 これは言ってみれば、最強の権力構造でもある。この暴力的な権力構造は所与のものとして私たちの前に立ちはだかっていて、私たちは社会に直接向き合うことさえ許されてこなかった。

 人々は決して、その権力構造を作る側には立てない。権力構造はつねにそこに存在しているのであって、民衆はその構造に組み込まれる「お客さん」にすぎない。そういう社会に生きるということは、だからそこにひとつのあきらめ感を抱えながら生きていくということだ。もちろんそういう構造から突き抜けて生きていける一部の人はいるし、そのような人は尊敬されるかもしれないけれど、しかし多くの人にとってはそうではない。
(中略)
 こういう日本という国で生まれる文化は、軟弱だ。軟弱で、冷笑的で、一歩つねに傍観者的に引いている。でも軟弱であるがゆえの洗練はすばらしく、その洗練のゆえに日本文化は世界の中で尊敬され、賞賛されてきた。手先の器用さは、構造というビッグビジネスに立ち向かえないがゆえのチマチマした自己憐憫でしかなかったのかもしれないが、しかしそれが「俺たちが社会を作るぜ」ビッグ構造文化には持ち得ない、極端な洗練を生み出したのだ。だからわれわれは、すぐれて洗練された器用な文化を生み出しながらも、でもつねに冷笑的で傍観者的な立ち位置を保ち続けている。

 もっとぶっちゃけた極論を言えば、こういうことだ――どうせ構造をつくるような雄々しいことはできないんだから、暇つぶしにいろんなことをやってみようよ。

 そうやって日本の世間には権力側には行けないバカと暇人があふれ、枕草子を書いたり源氏物語を書いたり、歌舞伎や浄瑠璃や私小説を生み出してきたのだ。

 もちろんそうやってバカと暇人の膨大な集合体のなから、歴史に名の残るような芸術を生み出せた人はごくわずかである。たいていのバカと暇人は、先駆者の作ったコンテンツをただ消費するだけだったり、すばらしいコンテンツを揶揄して皮肉るだけだったり、バカだ荒らしだと批判されながら、衆愚の道をつねにまっしぐらに進んでいった。日本人が衆愚化しているのなんて別にいまに始まったことではない。江戸の昔から、歌舞伎オタクに身を持ち崩して財産を失い、乞食になって死んじゃうようなバカはいくらでもいたのである。

 しかし日本文化はそういうノイズに塗れた中から、秀逸なひとにぎりのクリエイターを生み出してきた。そういうフィリタリングシステムを作り上げてきたのである。全員が力をそろえてひとつの構造を作り上げるのではなく、バカや暇人が好き勝手なことをやってただコンテンツ消費をしているだけの中から、フィルタリングしてわずかひとにぎりの天才クリエイターを生み出すというただそれだけのことを、日本文化は綿々とやってきたのだ。

 日本の文化は、つねに社会のメインストリームとは外れたところから生み出されてきた。圧倒的な男の漢文社会の中から生まれた枕草子や源氏物語がそうだったし、武家社会の中で生まれた町人文化である歌舞伎や浄瑠璃がそうだったし、明治維新の富国強兵の中から生まれた近代に批判的な目を向けた夏目漱石もそうだった。どうでもいい個人的な話を延々と描き続けた私小説なんて、その最たるものである。

 だから日本では、社会のメインストリームと最も優秀なカルチャーはつねに一体化しないのである。つまりは古代から現代まで一貫して、日本の文化を担う中心軸はサブカルチャーだったのだ。ここに来て急にニコニコ動画やアニメのようなサブカルチャーが「日本の誇るコンテンツで海外に輸出しなければ」と言われて変に気恥ずかしい思いになってしまうのは、そういう歴史的背景がある。しょせんサブカルなんだから、気持ち悪いからそっちから歩み寄って来ないでよ……というわけだ。
(中略)
 前に日本テレビで「電波少年」を作ったプロデューサーの土屋敏男さんとあるシンポジウムで同席していたとき、彼がこう言っていたのを思い出す。「ぼくの仕事は、いかにすごい『個人の狂気』を見つけ出すかということなんです」。バカや暇人と、すぐれたクリエイターの間にある境界は、ある種の「狂気」ということなのだろう。そういう狂気こそがバカと暇人文化における「玉」なのである。

 だから日本の優秀な雑誌編集者やテレビプロデューサーは、大衆文化のプラットフォームを作る側にたっているのにもかかわらず、みんなマーケティングがあまり好きではない。マーケティングではなく、個人の狂気たる自分の生理的直感によって勝負することが最上だと考えているのだ。
(後略)

「だから日本では、社会のメインストリームと最も優秀なカルチャーはつねに一体化しないのである」というのが、とてもしっくりきました。私は「不要不急で無駄だからこそ芝居は文化たりうる」と書きましたがそれは日本の話で、海外だとメインストリームになりうるということ、そしてアメリカとヨーロッパとではまた違うこと(アジアやアフリカや南米の各国でも違うのでしょう)を、はっきりした言葉で読めて少し頭が整理できました。

クラシックやバレエの世界だとがっちり作られた育成システムがありますが、あれはやっぱり欧米風システムですよね。富国強兵以来、日本でもそういうシステムを軍と学校を中心に育ててきましたが、やっぱり日本は一子相伝、盗んで覚えるが基本だと思います。確立された育成システムのない、売れたものが支持されて残っていく日本の演劇界というのは、ある意味もっとも日本らしい業界とも言えます。

原作者が逮捕されて舞台が舞台の舞台化が流れた話

そういえばメモしていませんでした。朝日新聞デジタル「原作者逮捕の『アクタージュ』 ジャンプで連載打ち切り」より。

 マンガ誌「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載中の「アクタージュ act-age」(原作・マツキタツヤ、漫画・宇佐崎しろ)が、11日発売号で連載を終了する。10日、同誌の公式サイトで編集部が発表した。警視庁は8日、女子中学生の胸を触ったとして、原作者の松木達哉容疑者を強制わいせつ容疑で逮捕し、発表していた。

 編集部の発表によると、事実確認や作画担当の宇佐崎氏と協議を経て、連載終了を決めたという。「事件の内容と、『週刊少年ジャンプ』の社会的責任の大きさを深刻に受け止め、このような決断に至りました」としている。

 アクタージュは、俳優を目指す女子高生が才能を開花させる物語。2018年に連載が始まり、コミックが12巻まで発売されている。ホリプロなどが2022年に舞台化を予定していたが、逮捕の報道を受け、主演のオーディションサイトでは、「事実関係を確認中で、オーディション・舞台の今後に関して、改めて報告する」と説明している。

マンガの存在すら知りませんでしたが、役者が主人公のマンガは久しぶりらしく、評判もなかなかよかったようです。そこでこのマンガを原作にホリプロが2022年に舞台化、それに合わせてヒロインオーディションもやっていました。が、企画自体が中止になりました。その公式サイトより。

舞台「アクタージュ act-age ~銀河鉄道の夜~」ならびに
ヒロイン「夜凪景」役 オーディション中止のお知らせ

今月8日に『アクタージュ act-age』の原作担当であるマツキタツヤ氏が逮捕された事を重く受けとめ、関係各所とも協議した結果、2022年に開催を予定しておりました
舞台「アクタージュ act-age ~銀河鉄道の夜~」の上演、ならびに現在進行中のヒロイン
「夜凪景」役 オーディション、双方の中止を決定致しました。

弊社としても舞台ならびに本オーディションがこのような形で終えてしまう事は残念でなりません。
応募者の皆様、そして2022年の舞台を楽しみにされていた皆様には心苦しいばかり
ではございますが、ご理解を賜ります様、何卒宜しくお願い申し上げます。

㈱ホリプロ / ㈱ホリプロインターナショナル

グランプリが主演だけでなく「(株)ホリプロインターナショナルとの専属契約」とあるので、昔からこういう流れで発掘から専属契約までもっていくのが得意ですよね日本の芸能界は。「後援 ワーナー ブラザース ジャパン合同会社」とあるので映画化も視野に入っていたと推測されます。

この中でちょっと意外に思ったのが、脚本演出に松井周をもってきたところ。実力は認めるとして商業演劇まで手を広げるのかと意外でした。何しろ青年団演出部ですから。

それで上記公式サイトをもう少し詳しく読んだら、プロデューサーのコメントに「以前に週刊少年ジャンプ掲載の人気漫画『DEATH NOTE』をミュージカル化させていただきました」「その結果、ミュージカル版デスノートには原作を知らない演劇ファンの皆様にも、普段劇場に足を運ぶことがない原作ファンの皆様にもご支持いただき、5年間で3度の上演を重ね、海外でも上演される作品に成長しています」とあり、そういえば栗山民也が演出だったなと思い出しました。あれもホリプロだったかと気が付くと同時に、オーディションも話題作りだけでなく本気だったことがわかりました。

つまり、舞台に向いていそうで話題になりそうだから、くらいのノリでマンガ原作を決めたのではない。海外上演まで育つポテンシャルがマンガ原作にはあるとデスノートでホリプロは実感して、その第2陣として白羽の矢が立ったのがアクタージュだった。ただし役者が演技を考えるマンガであり、よほどきちんとした体制をとらないと駄目な舞台になることも、舞台事業も長いホリプロはわかっていた。そこで、脚本の実力があり、演出もできて、たまに自分も役者として出演するので役者の仕事もわかる人、で大真面目に探した結果、松井周に決まったと推測されます。

よく考えたら平田オリザも小説を映画舞台に提供して演技指導とかしていましたし(こちらも劇中劇は「銀河鉄道の夜」でした)、最近だと青年団では岩井秀人が活動範囲を広げています。それに比べたら商業演劇に進出するくらいはなんてことはない、と言えます。

この件については、まっさきに検索したのが、ホリプロは「ガラスの仮面」も蜷川幸雄演出で舞台化していたよなと確認することで、するともっと昔に松竹が舞台化していて北島マヤを大竹しのぶが演じていて何それ観たい、とか、それよりガラスの仮面はまだ読んでいなくて完結したら読もうと思っているのにいつ完結するの、とかミーハーな先入観から始まったのですが、裏切られました。

公式サイトには逮捕された原作者と松井周との対談も載っています。

松井 そう言っていただけるとほっとします。舞台版のみでの「こんなキャラクターがいたら面白そう」というのを妄想して、
書いてみたい気持ちも確かにありますね。だけど一方で、やっぱり夜凪や阿良也たちをしっかり存在させるのを第一には考えています。
それは原作ファンへのサービス的な意味合いよりも、舞台の上で何かが起き、その何かに劇場の中を支配させるためです。
それには俳優同士がきちんと『アクタージュ』の世界を想像し、はっきりそこに存在していないと難しい。
『アクタージュ』のキャラクターは、みんながそれぞれいろんなアプローチで演劇に関わり、努力や苦労して何とかスキルを身に着けようとしています。それは生き方に繋がっていて、一人一人の生き方がそのまま舞台に表れてくると思うんです。
とても魅力的な人たちだし面白い世界なので、それをできる限り舞台上に存在させたいと思います。

マツキ 「みなさん夜凪景を待っててください」みたいな事ではないんですよね。
理想を頭の中に作って、答え合わせをしに来てほしいわけではない。ああ『アクタージュ』ってこういう見方があったんだとか、松井さんはこういう見方をしたんだとか、もしかしたら僕はこう思っていたのかもしれないとか。
そういう非常に個人的なものを僕は期待しています。
(中略)
マツキ 夜凪役のオーディションだからといって、夜凪を目指してもらう必要はないのかなって。

松井 はい。こういう人が欲しいと想定している人物像は特にありません。その人独特な「この人じゃなければできない感じ」に、いかに僕らが魅せられるか――つい目で追ってしまうとか、声を聞きたくなるとか、こんな動きをしてもらいたいとか、誰かと合わせた時に
こんな反応するんだとか。そういう具体的な人となりがわかった時に、そこから「この人にこんなふうに夜凪を演じてほしいな」という
アイデアが出てきたりするんです。夜凪自身が自分の器を壊していく、今までの自分を越えていくタイプの人じゃないですか。
そういう伸びしろを大事にしたいですね。

マツキ 原作通りに演じてほしいとは、僕も全く思いません。オーディションを受ける方に関しても、松井さんに関してもそうですが、
今回たまたま『アクタージュ』という素材を使って何を表現してくださるのか。僕が見たいのはそこなので。

松井 でも「原作通りに夜凪を演じよう」みたいな人は、そもそもこのオーディションにあまり来ない気がしますよ。

マツキ そうですかね。

松井 だって『アクタージュ』自体に、「そういう事じゃないよ」というメッセージが明確に入っていますから。自分のままでどうその役をうまく捉えるかという話が原作で丁寧に描かれているから、夜凪をやりたい誰々をやりたいではなく、もし自分にその役と似ている部分があるなら引き出してほしい…って応募してくれる人が多いと思います。『アクタージュ』という作品自体が、オーディションの応募者を
ある程度選定している、基準を作っているように感じます。

こういう会話が成立つ点で、仕上がりも結構期待できたのではないかと推測されます。

だけど強制わいせつは駄目です。日本では性犯罪よりまだ人殺しのほうが同情が集まるんじゃないかという感覚なところ、女子高校生が主人公なのに被害者が女子中学生とか目も当てられません。既刊のマンガが出荷停止になったことには賛否両論あるかと思いますが、連載打切りも、まだオーディション段階の舞台企画が流れるのも、致し方なしです。

2020年8月23日 (日)

新型コロナウィルスに関する公演中止のパターンいろいろ

すでに終わってしまった話ですが、今後のためのメモです。全部追いきれないので目についたところだけ。

(1)スタッフが感染して中止になったケース

東宝「ジャージー・ボーイズ イン コンサート」は「ジャージー・ボーイズ」のコンサート版として7月18日から8月5日まで上演+配信予定だった。これが初日前の7月16日に東宝関係者の1人がPCR検査陽性。出演者や接他のスタッフとの接点が少ない部署の人だったけど、7月18日から7月21日までの公演を配信だけに変更。関係者にPCR検査を実施、陰性を確認して、7月22日の休演日をはさんで7月23日から観客を入れての公演になった。

東宝が説明ニュースを削除してしまったので詳細を思い出せないけど、たしか票券管理スタッフと言っていたような記憶がある。このニュースの掲載先が、東宝のサイトではなく、開示情報サービス会社のリンクだったから最初はあっているのかなと怪しんだ記憶がある。

参考サイト。
東宝演劇部お知らせ用Twitter

同じケースが新国立劇場でもあって、演劇ではないけどバレエ「竜宮」の上演中に業務委託者1名の陽性が7月29日に確定。こちらは7月30日、7月31日の公演が中止になって千秋楽が早まった。

参考サイト。
新国立劇場「【重要】新国立劇場に勤務する業務委託者の新型コロナウイルス感染とバレエ『竜宮 りゅうぐう』7月30、31日公演の中止について

ちなみに歌舞伎でも関係者が微熱になった。8月5日の、これは4部制のうち第3部だけが中止になったけど、PCR検査陰性がわかったので、8月6日からは再開した。これは初の4部制を組んで影響を最小限にしようと考えた松竹の方針が、いきなり有効であることが認められたことになる。4部制、役者スタッフも1部のみ参加、の方針は当面継続されそうです。すでに発表されている九月歌舞伎も同様の体制になっている。ひょっとしたら(2)のケースかもしれないけど、わからないのでこちらに入れておく。

参考サイト。
松竹「歌舞伎座『八月花形歌舞伎』 8月5日(水)第三部『吉野山』公演中止のお知らせ
松竹「歌舞伎座『八月花形歌舞伎』 8月6日(木)以降の公演についてのお知らせ

(2)出演者が感染して中止になったケース

日本テレビ企画製作「巌流島」が、そもそも7月31日に明治座初日で9月10日まで、東京、仙台、新潟、金沢、名古屋、高松、大阪、福岡で全国公演予定だった。このうち新型コロナウィルス騒動で東京が8月6日から8月11日に日程変更、仙台、新潟、金沢が中止になっていた。

それで進めていたところ、宮本武蔵役の横浜流星が抗原検査陽性で7月20日から入院。この時点で東京公演の中止が決定された。ところが主演の濃厚接触者として、佐々木小次郎役の伊藤健太郎も、PCR検査は陰性だったが、8月4日まで自宅待機となった。他も推して知るべしということで、7月29日に全公演の中止が発表された。

参考サイト。
ステージナタリー「横浜流星主演の舞台『巌流島』東京公演が中止に
ステージナタリー「横浜流星主演の舞台『巌流島』全公演中止に
スポニチアネックス「伊藤健太郎 PCR検査も陰性 8月4日まで2週間の自宅待機 舞台『巌流島』で横浜流星と共演
公式サイト「舞台『巌流島』新スケジュール決定/チケット払い戻しのお知らせ
公式サイト「舞台『巌流島』東京公演 中止のお知らせ
公式サイト「舞台『巌流島』名古屋公演・高松公演・大阪公演・福岡公演中止のお知らせ

(3)感染対策と演出が両立できずに中止するケース

帝国劇場で9月2日から9月26日まで上演予定だった「DREAM BOYS」は、もともと脚本演出がジャニー喜多川で、ジャニーズが多数出演して1-2年間隔で再演されていた演目。ボクシング場面やフライング演出などを使った公演が多かった。このため「本作の演出上の特性や新型コロナウイルス感染症の現状も鑑みて、今般の状況下では、『DREAM BOYS』の目指す本来の表現ができない」との理由で、公演が中止になった。

東宝「帝劇9月公演『DREAM BOYS』公演中止のお知らせ

(4)関係者が来日できずに公演中止になるケース

ロベール・ルパージュの劇団であるEx Machina「HIROSHIMA、太田川七つの流れ」はカナダからの来日が難しく、7月10日から7月12日までの上演予定だったのを、5月29日で中止決定。これは出演者含めてほとんど海外のケース。

東急文化村「【重要】『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』 公演中止およびチケット払い戻し方法のお知らせ

これとは別に、出演者は日本人だけど演出やスタッフの一部(美術と衣装)を海外から招聘するケースだったのが同じBunkamuraの「アンナ・カレーニナ」。8月7日から9月3日までの東京公演、9月10日から9月13日までの京都公演、ともに5月29日で中止決定。

東急文化村「【重要】『アンナ・カレーニナ』 全公演中止およびチケット払い戻し方法のお知らせ

いろいろなケースがありますけど、(2)のケースは稽古すらできないという厳しいケースで、関係者としても無念と思われます。そして(4)のケースは、DISCOVER WORLD THEATREと銘打って海外演出家に力を入れていたシアターコクーンが結構厳しそうと見ていたのですが、9月11日から10月4日までの「十二人の怒れる男」はここまで中止が発表されていないので、どうにかやりくりがついたと推測されます。

2020年8月17日 (月)

東京芸術劇場企画制作「赤鬼」東京芸術劇場シアターイースト

<2020年8月14日(金)夜>

嵐の後に浜辺に打上げられたのは、村から舟で逃げたはずの「あの女」たち。だがせっかく助かったのに「あの女」は身投げしてしまう。一緒に助けられた少し頭の足りない兄が説明する、「あの女」の身投げの理由と赤鬼をめぐる一連の騒動。

チケット購入に手が動かなかったところ、当日券で観た人による購入手続き説明付きの感想をうっかり読んでしまう。読んだ瞬間に、この日に行けば引けるという当日券の神様のお告げが聴こえて、ここまでクラスターになっていないし東京久しぶりだしと理由をつけて出かけて、引いた。

Dチーム。若手もいればそれなりに長くやっているベテランもいた回だったけど、ずいぶん若い芝居に仕上がっていた。よく言えば早口の台詞で勢いがある。反対に言えば緩急に欠ける。ところが、仕上がりはどこからどう見ても「赤鬼」だった。理由を考えると、第一には脚本の良さ。エネルギーを切らさず最後まで走り抜けられればある一定の仕上がりに達することができる、すでに古典の風格がありながら古びない脚本。

演出は昔のタイバージョンとそんなに変わっていない。村人が赤鬼への対処を相談する一場面だけ、村人がマスクをして、マスクをしていない兄に「何でマスクしてないんだよ」とツッコミをいれる演出が入っていた。今の新型コロナウィルス騒動に重ねて、一般人が未知のものを過剰に怖がる様子と自粛警察がはびこる様子とを短時間で表現していた。あの一場面だけでそういう見立てを伝えたのは見事。だけど新型コロナウィルスに直面した演劇業界のことをいろいろ書いた自分は、村人が演劇業界人で、赤鬼が一般人とか行政とか専門家会議の専門家とかでも成立つんじゃね、と思った(公演を自粛してほしいと希望する側に、何でだよ補償しろよドイツだよと演劇業界人が反発するイメージ)。2020年8月現在、すでに市中感染のレベルになって誰でも感染しうる状況で、小規模な公演でも大規模な公演でも実際にクラスターが発生した後で観ると、1か月前に固めたであろう演出がすでに古い。

そういう余計な考えを除けば、やっぱりどこを見ても「赤鬼」なので、久しぶりに観られて満足した。もったいなかったのは、会場の空間が芝居の広がりに対してやや狭い。もう少し広い会場で観たかった。あと、トータル95分だったけど、前に観たときはもう少し長かった記憶がある。新型コロナウィルス対応で、できるだけ短い時間に収める制限を設けたのか、減った客席をダレさせないための判断か。その中で緩急をつけるのもプロの技かもしれないけど、せめてあと5分追加できたらという惜しさは残った。ミズカネ演じる吉田朋弘が通してよかったけど、フクを演じた北浦愛の、最後「フカヒレって、言ったよね」からの気迫も「あの女」感が出ていてよかった。

そしてカーテンコール。四方向挨拶の動きに懐かしさを感じたけど、観客数の少なさを実感したのもここ。1席飛ばしの客席では満席でも拍手がまばらになって、拍手の塊感が出ない。熱演に拍手が届かなかった。

以下メモ。

・囲み舞台で1席飛ばしの自由席。客席とアクティングエリアの間はビニールシート。照明が入れば視界への影響は最小限だったし、(舞台中央だったけど)強い言葉で唾が飛ぶのが見えたので、やっぱりあってよかったと思う。ただ最前列はビニールシートが目の前(前の座席の背もたれまでくらいの距離)なので避けた。あれは好みで選べばいいと思う。

・ロビースタッフや客席誘導スタッフは全員マスクに加えてフェイスガードも装着。当日券購入時には連絡先記載。入場はチケットの番号順に1人ずつ呼んで入場。入場時は順に検温、チケットの目視確認(その後に自分でもぎり)、当日パンフは自分で任意にピックアップ、最後にアルコール消毒。手がふさがるのでアルコール消毒を前に持ってきてほしいけど、チケットを手に持っていたら変わらないか。退場はエリア別に順に退場。

・スマホには接触確認アプリをインストールしているけど、上演中は電源を切った(念のためスタッフに聞いたけど切ってくださいとの返答)。接触時間が長ければ判定になるので、電源入れっぱなしのほうがいいと思うけど、それは無理か。通信機能抑止装置を入れたらBluetoothもダメになるっぽいし。せめてと思って、開演ギリギリまでひっぱってから電源を切ったけど、あれはどうするのが正解なんだ。

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