世田谷パブリックシアター企画制作「死のバリエーション」シアタートラム(ネタばれあり)
<2007年5月20日(日)昼>
すでに分かれた夫婦。夫だった男の元に、妻だった女が娘の訃報を知らせに来る。記憶の中で昔を思い出す2人だが、幸福な時間はほとんどなかった。亡くなった娘も、小さいころから独りを好む、さびしい娘だった。
全編を貫く陰鬱な雰囲気。回想場面はできちゃった婚の2人が新居に住み始めるところから始まるけど、最初から先が思いやられる展開。そんな環境で育った娘に友人はなく、親とも距離感がつかめない。そんな娘は「虚無」を友人とするようになる。
夫婦の現在と若い頃と、両方に役者が用意されているけど、主人公は娘ですね。娘を軸に、夫婦の軽率さと、人生が生きるに値しない人間の絶望を描いていて。最後で絶望している夫婦に、若い頃の夫婦の回想場面「なんとかなるよ、大丈夫だよ」という台詞をかぶせるあたり、もうこてんぱんですよ。
なんでこんな暗い話をわざわざ芝居にするんだか、と言いたい所だけど、いかにも昨今の時代の雰囲気にぴったり。というか、他人事じゃないぞ、紙一重だ俺、みたいな。単調な台詞の繰返しが、絶望を深めていく。抽象的な構成のようだけど、周りとのつながりの無さを考えるとむしろ具体的とも。そんな難しい芝居の中で、一人だけ明るく振舞える「虚無」の笠木誠がアクセントに。何といってもあの身体の切れは、観ていて楽しい。
演出が面白くて、背景の一部だけ明るい舞台。まだ希望がある人は明るい部分から出入りするけど、絶望しているひとは暗い部分から出入りする。全員絶望すると舞台全体が暗くなる(笑)。あと、前衛的なダンスみたいな振付で、役者がお互いに触りそうで触らない仕草を多用して、理解しあえない距離感を表現。いくら脚本が海外物でも、日本人っぽくない仕上がりだな、と思ったらフランス人演出だった。ひょっとして、婚外子が多かったり、暴動が起きたり、何かと目立つフランスの社会現象が演出に反映されたのかも。
あんまりにも深刻な舞台だったから、ちょっと一服するためのリンクを貼っておきますね。
最後に、あの不思議な舞台美術の構造がわかる人がいたら教えてください。暗いところと明るいところを、どうやって仕切って出入りしていたんだろう。
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