松竹 + Bunkamura制作「ドラクル」Bunkamuraシアターコクーン(ネタばれありあり)
2007年9月16日(日)昼
18世紀のフランス。人里離れた城に2人きりで住むレイとリリス。レイは吸血鬼でありながら自分の力を封じ、過去の仲間の誘いにも乗らず、リリスと共に神に祈る日々を過ごしていた。だがリリスが体調を崩し日々悪化している最中、昔リリスが王女だった領地の使者に見つかってしまう。訳あって戻ることを拒んでいたリリスだが、使者によって強引にさらわれてしまう。怒りに燃えるレイは、神への祈りを止め、自らの力を解放し、リリスを助けることを決心する。
ここまでが前半。後半はがらっと場面も役者も変えて進行するので、ほぼ2本分の芝居を3時間15分。
阿佐ヶ谷スパイダースの印象を裏切る洋風芝居。わざと翻訳調の台詞で仕上げたとの由。非常に良い線を進んでいたが、要所で致命的な不出来がいくつかあって、あと一歩を超えられず。今回は箇条書きで書いてみる。ネタばれ多数なのはご了承を。
良い点(一部)
- 結末。最終場面のリリス(宮沢りえ)の告白 -> レイ(市川海老蔵)の許し -> レイの「死ぬのが怖い」という告白 -> 手を握ると・・・という一連の流れには、ちょっと愛とか信仰とかを垣間見たような気にさせられた。
- リリスのエピソード。
- 笑いを抑えたこと。扱っている題材にも関わらずグロを控えめにしたこと。あれで控えめというのもどうかと思うけど、阿佐ヶ谷スパイダースと比べて。
- 美しさが評判のビジュアル面のスタッフワーク。照明の石畳とか、翻すと美しいレイのマントとか、いろいろ。転換に伴う音はそんなに気にならなかった。
- 邪悪すぎる司教に手塚とおるが似合いすぎる。永作博美の女王も捨てがたい。しかし一番上手かったのは、上手さをまったく感じさせずになんでもこなす山崎一。
- 明星真由美と山本亨の吸血鬼仲間の描き方。前半しか出てこないのがもったいない。
で、気になった点(一部)
- 海老蔵が下手(涙)。暴れる場面では格好いいけど、対話場面がほぼ全滅。おかげで宮沢りえがほどほどにしか見えなかった。前半最後では足を鳴らしそうになっていた。歌舞伎の所作が身体に染込んでいるんですね。
- レイとリリスとの出会いの場面があっさりしすぎ。あの場面があの程度なら、前半はいらないのでは。
- 最強の吸血鬼の割には司教にあっさりやられすぎ。あんまりダメージを受けたようにも見えなかったし、そのあと反撃できないのも不可解(聖なる水に対する私の理解不足?)。というかこの芝居では司教が強すぎる(笑)。
- 中山祐一朗が浮いている。「ピローマン」のときよりさらに浮いていた。あの台詞回しと滑舌の悪さでは、この芝居にはきつい。
- 最終場面、檻の底が抜けていたような気が。持上げれば脱出できるのではないか。床が沈む場所だというのはわかるのだけど。
レイを山本亨、昔の仲間を手塚とおる、司教を海老蔵というキャスティングだともう少し収まったとは思うけど、それは芸能界として許されないわけで。 海老蔵の隠し子の実話とか、観ていて脳裏をかすめていろいろあれやこれや。
なんか否定的な感想が多いですけど、この脚本自体にはとても可能性を感じます。キリスト教圏の外国で、外国人役者で上演したら仕上がりも全然違うのではないかと思われます。舞台となったフランスもいいですが、いっそバチカンお膝元のローマで、上演してほしい。
長塚圭史は、外部公演の方が話のスケールが大きくなる脚本家ですね。
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