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2007年9月30日 (日)

TSP企画製作「郵便配達夫の恋」東京グローブ座

2007年9月29日(土)夜

歌手のあかりは母の一周忌に実家の島に帰ってくる。島の外れにある祖父の家は、郵便配達夫が訪れる以外は静かな場所だが、静養したいあかりをマネージャーが連れ戻しに来る。マネージャーを説得したあかりは母の一周忌を済ませ、遺品整理を始めたが、その中に未投函の1通の手紙を見つける。

テレビドラマの続編として、キャラメルボックスの真柴あずき(砂本量によって加筆)が脚本を担当した舞台の再演。実は昔脚本を読んだことがあるので、ある程度中身を知っていて、どちらかというと賭けに近い気分で臨んだのだけど、結論は、賭けに負けました。

全体に決め台詞が乱発されて、登場人物が全員とも妙に優しくて、舞台より映像に向いている脚本なので、仕上がりは役者の演技次第。なんだけど、あかり役の中島知子は役を膨らませられず。はきはきと低い声でしゃべるのは素敵なんだけど、演技がわるくないまでもいまひとつ。今回のような役よりも、癖の強い役のほうが本領が発揮できそうな気配は感じた。郵便配達夫(辰巳琢郎)もマネージャー(西川浩幸)も、ひとりで仕上げちゃった感じ。逆木圭一郎だけが役を生き生きと演じていた。

あと中島知子が歌う場面もあるのだけど、弾けないギターを無理に弾かなくても、アカペラでいいのに。ずれたタイミングで拍手をした客のせいで拍手なしになってしまったのは気の毒だったな。

当日券で特等席が取れたので、役者の顔を間近で堪能しましたが、それだけでは不十分です。

ひとつ不思議だったのは、ほとんど満員だったにもかかわらず、ものすごく客席が冷めていたこと。開演前の客席ってもっと賑やかなはずなのに、なんであんなに静かだったんだろう。新聞の読者招待が多かったのか、業界関係者が多かったのか、独り客が多かったのか、原因不明。

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2007年9月21日 (金)

だからスケジュールは事前に確認しておけと

先週末、「ドラクル」と「シェイクスピア・ソナタ」を観劇したけど、本当はもう1本観たい芝居があったわけです。「散歩する侵略者」。

3連休だから月曜日までやっているだろうと思ったら、日曜日まで。それなら日曜日は13時/18時だろうから千秋楽に賭けるか、とよく見てみたら。

千秋楽は17時開演。バラシ早すぎです。

それだと「ドラクル」14時開演3時間20分(シアターガイド「上演時間情報」である程度調べられる)を観たら間に合わない。月曜予定の「シェイクスピア・ソナタ」と入替えるかようと調べたら、ドラクルは月曜休演。3連休2回なのに両方とも。日曜は昼公演のみ。3連休2回なのに両方とも。かっこいいよそのスケジュール。

次の3連休は予定が入っていて芝居は観に行けない。

迷った挙句、「散歩する侵略者」を切りました。

とても評判のよい芝居だけど、今回を入れて3回上演されている脚本なら、4回目もきっとすぐに上演してくれるだろうと判断して。

中途半端に当日券に慣れると、こういうポカをやらかしてしまうというお話。

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2007年9月18日 (火)

シアターナインス「シェイクスピア・ソナタ」PARCO劇場(若干ネタばれあり)

2007年9月17日(月)昼

旅公演を中心にシェイクスピアを上演する沢村一座。公演の最終地は座長の亡くなった先妻の実家に用意される仮設劇場で行なう事が恒例となっている。だが、先妻が亡くなった直後に一座の女優と再婚した今年、これまで支援してもらっていた先妻の実家に対する緊張がある。上演こそできているものの、先妻の妹夫婦からの冷たい視線と、一座内の揉事が重なり、しかも義父は出張先から戻ってこない。座長の心痛は増すばかり・・・。

随所にシェークスピアの台詞を取入れ、色々ほのめかしながら進む岩松了の脚本演出に満足。ほのめかしに耐えられない人は公式サイトで事前情報を仕入れていくのが吉。

ややこしい背景で、名前だけしか出ない人物もいますけど、基本的には屈折した登場人物達は誰かが好きで、しかも寂しいんだよ気づいてくれよっていう、その感情を素直に出せないという話。と思っておけば大丈夫、なはず。その屈折をあの手この手で描いて進んでいくのが、よいのですよ。

松本幸四郎ってテレビで観ても好きになれなかったんですけど、こういうヒネた芝居では、非常によくはまる。先妻の妹役の伊藤蘭と、その夫で専務役の高橋克実は、なんというか、役の背景をとても感じさせてくれる演技でした。もったいなかったのは松本紀保で、この人の所作とか声とか気になる役者のひとりなので、「OUT」みたいに出番を増やしてほしかった。まあこの立場で他より目立ったらいかんとは思うけど。

あとですね、岩松了はおいしいだけの役をよく考え付きますね。しかも高橋克実の役をやらせたくなるくらい上手いのがかえって憎たらしいというか(笑)。

シェークスピアの台詞が大量に引用されているっぽいのですけど、それを理解するには知識が足りない。そこは台詞というより音を楽しむ。「結局ハムレットはオフィーリアのことが好きだったんですか?」には笑ってしまった。

当日券でも結構良い席が空いていましたので、高い芝居ですけど気になっている方はぜひ。

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松竹 + Bunkamura制作「ドラクル」Bunkamuraシアターコクーン(ネタばれありあり)

2007年9月16日(日)昼

18世紀のフランス。人里離れた城に2人きりで住むレイとリリス。レイは吸血鬼でありながら自分の力を封じ、過去の仲間の誘いにも乗らず、リリスと共に神に祈る日々を過ごしていた。だがリリスが体調を崩し日々悪化している最中、昔リリスが王女だった領地の使者に見つかってしまう。訳あって戻ることを拒んでいたリリスだが、使者によって強引にさらわれてしまう。怒りに燃えるレイは、神への祈りを止め、自らの力を解放し、リリスを助けることを決心する。

ここまでが前半。後半はがらっと場面も役者も変えて進行するので、ほぼ2本分の芝居を3時間15分。

阿佐ヶ谷スパイダースの印象を裏切る洋風芝居。わざと翻訳調の台詞で仕上げたとの由。非常に良い線を進んでいたが、要所で致命的な不出来がいくつかあって、あと一歩を超えられず。今回は箇条書きで書いてみる。ネタばれ多数なのはご了承を。

良い点(一部)

  • 結末。最終場面のリリス(宮沢りえ)の告白 -> レイ(市川海老蔵)の許し -> レイの「死ぬのが怖い」という告白 -> 手を握ると・・・という一連の流れには、ちょっと愛とか信仰とかを垣間見たような気にさせられた。
  • リリスのエピソード。
  • 笑いを抑えたこと。扱っている題材にも関わらずグロを控えめにしたこと。あれで控えめというのもどうかと思うけど、阿佐ヶ谷スパイダースと比べて。
  • 美しさが評判のビジュアル面のスタッフワーク。照明の石畳とか、翻すと美しいレイのマントとか、いろいろ。転換に伴う音はそんなに気にならなかった。
  • 邪悪すぎる司教に手塚とおるが似合いすぎる。永作博美の女王も捨てがたい。しかし一番上手かったのは、上手さをまったく感じさせずになんでもこなす山崎一。
  • 明星真由美と山本亨の吸血鬼仲間の描き方。前半しか出てこないのがもったいない。

で、気になった点(一部)

  • 海老蔵が下手(涙)。暴れる場面では格好いいけど、対話場面がほぼ全滅。おかげで宮沢りえがほどほどにしか見えなかった。前半最後では足を鳴らしそうになっていた。歌舞伎の所作が身体に染込んでいるんですね。
  • レイとリリスとの出会いの場面があっさりしすぎ。あの場面があの程度なら、前半はいらないのでは。
  • 最強の吸血鬼の割には司教にあっさりやられすぎ。あんまりダメージを受けたようにも見えなかったし、そのあと反撃できないのも不可解(聖なる水に対する私の理解不足?)。というかこの芝居では司教が強すぎる(笑)。
  • 中山祐一朗が浮いている。「ピローマン」のときよりさらに浮いていた。あの台詞回しと滑舌の悪さでは、この芝居にはきつい。
  • 最終場面、檻の底が抜けていたような気が。持上げれば脱出できるのではないか。床が沈む場所だというのはわかるのだけど。

レイを山本亨、昔の仲間を手塚とおる、司教を海老蔵というキャスティングだともう少し収まったとは思うけど、それは芸能界として許されないわけで。 海老蔵の隠し子の実話とか、観ていて脳裏をかすめていろいろあれやこれや。

なんか否定的な感想が多いですけど、この脚本自体にはとても可能性を感じます。キリスト教圏の外国で、外国人役者で上演したら仕上がりも全然違うのではないかと思われます。舞台となったフランスもいいですが、いっそバチカンお膝元のローマで、上演してほしい。

長塚圭史は、外部公演の方が話のスケールが大きくなる脚本家ですね。

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2007年9月15日 (土)

感動する芝居に想像力は必要ないのかも

こちらより。

ド素人の下手絵と、有名画家が描いた抽象画。「本物」がしばしば人を感動させるのに、 そうでない絵は単なる落書き。落書きと芸術とが、仮に情報量としては同じ程度、 使っている色の数とか、使った絵の具の量なんかが同じであったとしても、 やはり芸術は芸術で、落書きは落書き。

おそらくは、落書きが行っているのは情報量の削減で、芸術家が行ったのは、 情報量の「圧縮」。それは可逆的に展開可能なものだから、鑑賞する人の 視覚を通じて脳に達した圧縮ファイルは、そこで展開され、鑑賞者の脳を「ハック」して、 そこに感動を呼ぶ。同じ構図のデジカメ写真は、情報量としては 圧倒的に多いのだけれど、今度は鑑賞者自身の感覚で帯域制限がかけられてしまうから、 脳に達する情報量は少ないのかも。

「観客の想像力を信用する」なんて誰かの言葉をどこかで読んだけど、それは間違いとは言わないまでも、正確ではないのかもしれない。

この芝居はやりすぎてつまらない、という感想をもった事は一度ならずある。あれは実はやりすぎなのではなく、圧縮されていなかった、「そのまま」すぎたということか。

上手い表現はいろいろやっているようで、実は同じ内容を最小限の行為で伝えるか(無意識で?)考えていた。その減らし方とか、減らし加減こそが、実力ってものか。

こういうアプローチで見直すと、なんかいろいろな突破口が見えてくるかも。個人的には仕事の苦手な内容(情報伝達)に応用できそう。

もちろん、圧縮する情報がないことには圧縮しようがないけど。

明日こそは久しぶりに芝居を観にいきたいぞ。

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