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2007年9月15日 (土)

感動する芝居に想像力は必要ないのかも

こちらより。

ド素人の下手絵と、有名画家が描いた抽象画。「本物」がしばしば人を感動させるのに、 そうでない絵は単なる落書き。落書きと芸術とが、仮に情報量としては同じ程度、 使っている色の数とか、使った絵の具の量なんかが同じであったとしても、 やはり芸術は芸術で、落書きは落書き。

おそらくは、落書きが行っているのは情報量の削減で、芸術家が行ったのは、 情報量の「圧縮」。それは可逆的に展開可能なものだから、鑑賞する人の 視覚を通じて脳に達した圧縮ファイルは、そこで展開され、鑑賞者の脳を「ハック」して、 そこに感動を呼ぶ。同じ構図のデジカメ写真は、情報量としては 圧倒的に多いのだけれど、今度は鑑賞者自身の感覚で帯域制限がかけられてしまうから、 脳に達する情報量は少ないのかも。

「観客の想像力を信用する」なんて誰かの言葉をどこかで読んだけど、それは間違いとは言わないまでも、正確ではないのかもしれない。

この芝居はやりすぎてつまらない、という感想をもった事は一度ならずある。あれは実はやりすぎなのではなく、圧縮されていなかった、「そのまま」すぎたということか。

上手い表現はいろいろやっているようで、実は同じ内容を最小限の行為で伝えるか(無意識で?)考えていた。その減らし方とか、減らし加減こそが、実力ってものか。

こういうアプローチで見直すと、なんかいろいろな突破口が見えてくるかも。個人的には仕事の苦手な内容(情報伝達)に応用できそう。

もちろん、圧縮する情報がないことには圧縮しようがないけど。

明日こそは久しぶりに芝居を観にいきたいぞ。

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