世田谷パブリックシアター + コンプリシテ共同制作「春琴」世田谷パブリックシアター(ネタばれあり)
<2008年3月1日(土)夜>
富裕な商家の娘に生まれるも、9歳で失明した春琴。丁稚奉公に来ていた佐助を気に入り、手引きをさせるようになる。失明した春琴は三味線の稽古に励み、それに触発された佐助も主人に内緒で三味線を始める。やがて春琴の知るところとなり、春琴が稽古をつけるようになるが、それ以来、春琴のきつい性格と、佐助の羨望が合わった稽古が通じて2人の奇妙な関係が始まる。
谷崎潤一郎の「春琴抄」「陰影礼賛」を舞台化。内容は(読んだことはないけど)まるっきり「春琴抄」で、演出(これは読んだことがある)に「陰影礼賛」を採用。思いっきり地味なんだけど、妙な力強さを持った仕上がりに。
いろんな人がいろんな役を演じ、子供時代の春琴に到っては人形で登場(笑)。棒と畳を駆使した場面転換でいろいろな和様の舞台を作っていくあたりはさすがサイモン・マクバーニー。何でこれで和式舞台が成立するのかわからないけどやっぱり成立しているんだなこれが。
原作の小説の内容がエロティックなんだろうけど、何と言うか、叫んだり走ったりしない点では地味でも、全体にねっとりした雰囲気で、飽きませんでした。逆に特定の役者の活躍を期待するとがっかりします。深津絵里をあそこまで地味に使うというのは、日本の芸能界では許されないのでは(笑)。
スタッフでは陰影を強調した照明と三味線の生演奏(本條秀太郎)が一層怪しさを増幅。映像は控えめで、その点は肩透かしだけど、得意の映像をあえて自重したのもなんとなく伝わる。
この舞台を成立させて絶賛ものなのが、立石涼子の朗読。小説の地の文のほとんどを朗読していたのだけど、やっぱりプロはすごい。あまりにも心地よかったため、聞きほれていたことに終わるまで気がつかなかった。
立見で接したスタッフの接客内容(立見案内の手際の悪さと、声の小ささによる説明不足(聞こえないんだってば))に一部不満があり。こんなにレベルは低くなかったと思っていたんだけどな。
ポストパフォーマンストークは野村萬斎、本條秀太郎(三味線)、野田学(制作時の通訳)の3名。以下覚えている範囲で大意。間違っていたら勘弁。
- 演出家にいろいろ聞けるといいんでしょうけど、2月末に帰国してしまった(笑<昨日ってことです)。忙しい人なので。
- サイモン・マクバーニーのワークショップに参加したのは10年前から。そのころは「陰影礼賛」をやりたいと言っていた。
- 三味線をばらすと、組立てて弦を張りなおすのは大変なこと。最初に三味線の説明を求められたときにうっかりばらせることを見せてしまったのが失敗。毎公演とも失敗しないか命がけ(笑)。
- 具体的にスポットライトを当てたりしないでも、想像力を刺激できれば、観客が自分でスポットライトを当てた気分になる。
- すべてお客さんに見せるというのが演出の方針のひとつ。陰になって見えない部分もあったとは思うが、基本的には役者は出ずっぱり。
- (野村萬斎が「畳の裏にカタカナが見えて気になった」ので確認したところ)それもわざと残している。現代日本でラジオ収録するという設定だから、それを残して、むしろ見せてしまっている。
- 畳は重さやすべりやすさに非常に気をつけて、たくさんの候補の中から選んだ。
- ラジオ収録の設定についてサイモン・マクバーニーは「Radio4(イギリスの国営放送のラジオ)」と言ったので、通訳として「NHK第2」と提案した(笑)。
- 「よくわからない」というのも演出の方針のひとつ。なのでいろいろな人がいろいろな役を演じて、誰が誰だかはっきりしなかったりする。
- 日本では建物は幾何学できっちり作られている。逆に物事は曖昧だったりする。「見計らい」や「程よく」という言葉にもそれが表れている。
- 観客からの質問「人形はオリジナルなのか」回答「オリジナル。人形は幼少期と少女期で2種類用意しているが、少女期の人形の頭のサイズと、その直後に入替わった宮本裕子の頭のサイズがほとんど同じ。実に小さい(笑)」
たまたま別のポストパフォーマンストークを記録した記事を見つけたのでそれも貼っておきます。
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