高萩宏「僕と演劇と遊眠社」を読んだ
最近芝居を観にいけないので、ってわけでもないですけど、「僕と演劇と遊眠社」を読みました。
野田秀樹が怪我をする2章の途中まではどきどきしながら読んだんですけど、それ以降の醒めた感じがなんとも。関係者が現役で、今の仕事にも関係してくるってあたりで率直な物言いは控えることになりますが、それにしても控えめです。
2冊連続で「一勝九敗」も読んだんですけど、こちらの控えめにしようとしても控えめにならないパワフルさと比べると、「高萩は金に淡白すぎる」と野田秀樹に言われるだけのことはあります。途中から遊眠社の映像放送部に参加した北村明子の「名刺入れを置いていかせる」現実全快っぷりと比べても、高萩氏は現場寄りの仕事より、仕組作りの仕事というか、「(お金と才能と場所を)組み合わせる技術」が生かせる仕事のほうが向いている、というのがひしひし伝わってきます。
職業制作者としては日本で有数のパイオニアなんでしょうけど、その人にしてなお、さらなるパイオニアの助けを借りて、それでも七転八倒しながら、後悔に後ろ髪をひかれながらやってきたという絶叫のような本です。自分の選んだ道を進むというのはこういうことだ、と一喝するような。
岩松了とかKERAあたりが、これを芝居に仕立ててくれると面白いんですけど。しかも現役の役者を出演者に起用してくれるともっと面白い。無理ですけど。
以下箇条書きで感想など。
・才能ある野田秀樹との比較とはいえ、自分に演出の才能がないことがわかってあっさり引下がる点で、淡白ですよね。It's none of your businessが心の支えになるという点で、芸術家になるには合理的すぎる人だったんでしょう。
・なんかこういうチョンボが起きることもわかる気がする。
・紀伊国屋の洋書部門で働いていたんですね。だからエディンバラ・フェスティバルのときも英語が大丈夫だったのかな? 仕事で英語が必要になるときに苦しむ私からすると羨ましい。さすが東大とは言いたくないけど、さすが。
・間違いに気づいてでも言い出せないあたりに、情けないことですが共感を覚えます。そうはいっても実績がすごいのは承知の上で。
・グローブ座はオープニングから関わっていたんですね。あれも不遇な劇場です。その経験があってこその世田谷パブリックシアターでしょうか。
・世界の広さを味わってしまって、今の仕事が急激に色褪せるという感覚が、わかる気がします。
・ほとんど出てきませんけど、たぶん、奥さんの存在に助けられることが多かったのではないかと推測します。この本を芝居化する場合には(<しつこい)、ぜひ奥さんの存在をクローズアップしてください。
芝居の制作の仕事ではなく、制作者である高萩氏に興味がわく本でした。
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