2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月30日 (月)

芝居を観る国民上位8国

芝居というのは金がかかるものですし、観る側にもある種の慣れ、想像力を要求するものなので、音楽と比べるとハードルの高い表現分野であり、誰でも観られるというものではありません。芝居自体はほとんどの文化圏に存在すると思いますが、外国で(あるいは外国の)芝居を、金を払って、わざわざ観るというのは、嫌な言い方ですけど文明国のゆとりのようなものを持っていないとできないものです。

ではそのゆとりを持つ国はどこかというと、以下の8国(正確には8言語)です。
英語
フランス語
ドイツ語
イタリア語
スペイン語
ロシア語
中国語
日本語

これはどこから出てきたかというと、ウェストエンドで「エアスクリプト」という字幕サービスを始めた、というシアターリーグの紹介記事です。観客の3分の1が海外の客で、劇場側が「この人たちは取りこぼしてはいけない」と判断した言語です。

ヨーロッパの言語は複数の国で使われているものもありますので(英語なんてねぇ)、国を表すところまではいかないのですが、将来、海外公演を検討する団体では、これらの言語の国を候補にするといいと思います。

2009年11月28日 (土)

舞台事業関連の仕分けの話がまとまらない

なんだかんだ言って、私は芝居ファンのひとりなので、それなりに芝居に関する情報がインプットされているんですね。それをわかるように説明しようとしても、インプットされた情報が多すぎるので出すだけでも一苦労ですし、出したものを組立てるのはもっと難しい。

以前書いたこれは自分の考えをまとめるいい機会だと思っているのでぜひまとめたいのですけど、それなりに意見を固めるまで2週間かかりましたし、それを組立てるのは1日ではできそうもありません。むー。

<2009年11月30日追記>
とりあえずこちらに書いてみました。

2009年11月22日 (日)

バンコク・シアター・ネットワーク「農業少女」東京芸術劇場小ホール1

<2009年11月21日(土)夜>

タイの北部に位置する農村の、農家の少女。できるだけ農業から離れたいと願っていた少女が、たまたま乗過ごした電車に乗ってバンコクに。そこで関わることになったボランティアの行方。

赤鬼と同時上演のこちらはタイ人による現代演劇。当日パンフやアフタートークで話されていた通り、農業(米)をめぐる状況は日本とタイとで非常に似ているそうで、設定がタイになってもまったく違和感なし。よい感じでした。

役者の演技も癖が無く、身体がよく動くので観ていて楽しいです。主人公をめぐる2人の男はいい役者です。6つの箱で舞台を組替えたり、ちょっとした衣装の工夫で役を早変わりするあたりは、野田秀樹の舞台に通じるものがあります。

もったいない点を挙げると、イヤホンを聞きながらだったため声には集中しづらかったので、字幕のほうがよかった気がします(後ろの壁は使っていなかったので場所には困らないはず)。あと、照明がもうすこし派手でもよかったかも。輪郭のはっきりした照明が全然なくて、なんかぼうっとしていました。

残念な点を挙げると、私はサイド席で観たのですが、これは正面席で観たほうがわかりやすいように構築されていました。わからないとか見切れるということはないのですが、後ろでも端でもいいので、これから席を選ぶ人は正面席を選びましょう。

バンコク・シアター・ネットワーク「赤鬼」東京芸術劇場小ホール2

<2009年11月21日(土)夜>

海辺の漁師村、ある嵐の夜にどこからともなく現れたひとりの男。言葉も通じず見た目も違う男を、「赤鬼」と呼んで拒否する村人。その「赤鬼」をはからずも匿うことになった、村八分の兄妹の話。

リケエというタイの大衆演劇バージョン。タイの歌舞伎+舞踊+囃子みたいなものです。非常に興味深かったのですが、総合的にはちと外れ。

役者はみな上手で、「あの女」役の女性なんかは非常によかったです。が、脚本を編集したために、展開が飛んで感情が追いつかなくなる場面(特に前半)があったのがひとつ。常に音楽が明るくてメリハリが足りなかったのがひとつ。たびたび客席も明るくする照明が(個人的には)集中力を削ぐ方向に作用したのがひとつ。

あと残酷な話なんですが、やっぱり過去2回観た野田秀樹のタイバージョンの完成度は高すぎた。同じアプローチで迫るにはハードルが高いし、違うアプローチで仕上げたくてもやり尽くされている。

リケエの所作が判ると、もう少し違う興味を持てたのかもしれないですけど、残念。

緊急口コミプッシュ:パラドックス定数「東京裁判」pit/北 区域

感想はこちら。こんな脚本を書いて演出した野木萌葱、それに応えた男5人。言葉を全面に出して組立てたストレートプレイ。これが至近距離かぶりつきの劇場で、当日3000円なら安いもんです。あと2日間3公演しかありませんけど、ぜひ。当日券も10枚くらいは出ていました。たぶん、もう少し出せるはず。客席は、椅子の配置から好みの場所を選んで大丈夫です。

日本の小劇場、探せば名手がいるものです。

パラドックス定数「東京裁判」pit/北 区域

<2009年11月21日(土)昼>

東京裁判の開かれた法廷。28人のA類戦犯を弁護するために集まった、圧倒的不利な5人の弁護団の法廷闘争。

男5人による、直球勝負のストレートプレイ。かねがね評判になっていたパラドックス定数をようやく観られたと思ったら、こんな当たり芝居にいきなりめぐり合えました。

東京裁判についてはいろいろな見方がありますが、法律の観点からは、ずさんなところが多くみられるのは最近の研究で指摘されています(私が読んだことがある本はこれ)。その法廷闘争を中心におきつつ、弁護に関わる5人の立場の違いを上手に描いて、引込んでくれます。法定で弁護団があんなに私事の絡む協議をするわけはないのですが、そこは芝居の力というもので、それが複雑な事案を順番に説明するのに一役買っています。多少は前知識があったほうが理解はしやすいと思いますが、無くても十分楽しめます。

今回pit/北 区域という劇場には初めて行ったのですが、劇場自体が非常に狭く、そこに照明変化なし、音響ゼロとすることで、役者の力だけで芝居を成立させることを要求するのですが、十二分に応えています。素舞台にテーブルと椅子を置いただけという舞台は、そのために役者の位置や向きが制限されて顔が見えないことも多々あるのですが(私は自由席)、この劇場内に響く声の説得力は圧倒的でした。5人ともものすごく上手。

まさか小劇場の芝居でこんな重厚なドラマを観られるとは思っていませんでした。劇場が狭いというアドバンテージはあるにしても、そこらの海外の芝居を吹飛ばす質です。勝手な願いですけど、この芝居はジャップと呼ばれる覚悟で海外、特に欧米に持っていって上演してほしいです。世界のどこに持っていっても通用します。せめて全国ツアーをやってください。パンフレットや脚本は絶対買わない主義の私が脚本を買ってしまいました。見逃したらもったいない。ぜひ観てください。

あと、受付から座席案内、事前の携帯電話停止依頼、何かあったときの対応の説明など、狭い劇場でぐだぐだになってもおかしくないところを手際のよくさばいていた制作陣も素晴らしかったので書いておきます。

2009年11月16日 (月)

舞台芸術関連の事業仕分けについてつらつらと

前提として、予算削減は金額の高いところから手を付けるもんだろ、赤字国債が60兆円を突破する可能性もあるときに3兆円ですったもんだするなよ、と思います。いや、全然見ていないからどんな風に進んでいるのか知らないんですけどね。

その上で、舞台芸術関連の事業仕分けについて放談でも。資料はしのぶの演劇レビューでまとまっています。相変わらず熱心です。この資料によると仕分け対象になったのは
(1)日本芸術文化振興会関係。いわゆる舞台運営。
(2)芸術家の国際交流、伝統文化子ども教室事業、学校への芸術家派遣・コミュニケーション教育拠点形成事業。つまり(1)以外。
に分かれています。

(1)の問題点は私の理解では大まかに以下の3つになります。
(1a)(財)新国立劇場運営財団、(財)おきなわ運営財団への業務委託に関する疑問。
(1b)寄付集めの努力不足との指摘。
(1c)芸術振興主体を国、地方、民間の誰が行なうかに関する議論。平たく言えば誰が金を出すのか。

(2)の問題は私の理解では大まかに以下の5つになります。
(2a)芸術家の国際交流に関する成果の測定方法の不備。
(2b)伝統文化子ども教室事業の主体は地方自治体であるべきとの指摘。
(2c)伝統文化子ども教室事業がそもそも必要なのかとの指摘。
(2d)学校への芸術家派遣・コミュニケーション教育拠点形成事業の評価測定方法の不備。
(2e)学校への芸術家派遣・コミュニケーション教育拠点形成事業がそもそも必要なのかとの指摘。

で、いろいろ書こうとおもったけど、長くなりそうなのでまた後にします。忘れないように(1)の参考資料のリンクも貼っておきます。

新国立劇場運営財団とは
独立行政法人 日本芸術文化振興会
芸術文化振興基金

<2009年11月30日追記>
とりあえずこちらに書いてみました。

2009年11月15日 (日)

不景気が劇場にやってきた

先日の「海をゆく者」ですが、リピーター割引として1000円引の案内が折りこまれていました。いい芝居だったのですが、実力があるかわりに渋めの出演者で7500円だと、コアな演劇ファン以外は足を運んでくれないのかもしれません。私が観たときはプレビューでしたが、最後列から2列くらいが埋まっていませんでした。昼間公演ではアフタートークを大量に用意しているのも危機感の表れのようです。

ホリプロの「錦秋」は、火曜日x1と木曜日x2(全て昼間)の3公演が中止になりました。「諸般の事由により、上演中止となりました」なんていわれたら、客入りが悪すぎましたと邪推するのが当然じゃないですか。公演を間引くあたりの度胸のよさはさすがと思いますけど。

普段芝居を観ないよ人が観るような場合はお目当ての役者がいる場合がほとんどだと思いますが、上記2本は失礼ながら舞台ファン好みの役者ばかりなので、そういう観客は最初から当てにしていないと思います。それでこの状態ということは、コアなファンに不景気の影響が来たと考えても悪くない推測だと思います。もともと芝居を定期的に観るコアなファンなんて都内でも10万人いるかいないか、というデータも以前あったくらいで、それからファンが増えたという話も特に聞かないので、特に変わっていないのでしょう。昼間の公演で苦戦が続いているということは主婦層の影響が多そうなので、つまり旦那さんの収入が減って芝居どころではないのでしょう。芝居を観に来るくらいだからそれなりに裕福な部類に入るのでしょうか、そこにも不景気がやってきているわけです。

それでもって自分の周辺の給料体系とか勤務状態を見たり聞いたりして思いますけど、若い人はお金がありません。下手をしたら仕事がありません。独身だからといって自由に使えるお金がそんなにあるわけではないです。それで真面目に貯金をしたら、芝居に行ける人なんていません。私も仕事はともかくお金が危なかったんですけど、すれすれで助かりました。ただ、芝居は絞り気味です。新感線なんて、よほど期待させてくれないと観に行かないです。

で、一番働き盛りの旦那さんたちは、もともと芝居を観る習慣の一番少ないグループですけど、そこは給料を減らされた上に忙しいという状態。なもんで芝居なんていっていられない。

だから今の劇場は、芝居関係者(予備軍の学生含む)か、30歳以上で仕事を持っていて独身で芝居に熱心な人か、不景気をものともしない高給取りかのいずれかがメインなんでしょう。あてずっぽうですけど。

最初から自給自足経済圏を前提にしている小劇場の学生または学生上がり直後くらいの劇団は、それこそ赤字前提でやっているからいいでしょうけど、商業演劇はこれからは苦しそうです。年末から年明けにかけて景気が一段と悪くなるでしょうから、上演中止される演目が出てくるかもしれません。

とりあえず注目は、無敗神話を誇る北村明子氏の無敗伝説が続くかどうかですね。今やっている「バンデラスと憂鬱な珈琲」は前売券完売だそうですけど、次回の「えれがんす」がどうなるか。

そして私は、中島みゆきの「夜会」を観たい。これさえ観ておけば、1万円超の舞台はしばらくお預けにできる。年末にかけて気になる作品が目白押しですけど、改めて絞らないといけません。すでに大体決めてはいるんですけど、もう少し絞れと言われると、悩ましいです。来年はもっと厳しくなるかもしれないので、今のうちに観られるだけ観ておけという考えもあるんですが。

シアターガイドのちょっとした工夫

シアターガイドの上演時間情報は重宝して使っているのですが、ここに当日券情報が追加されました。当日券派の私には非常に便利な機能追加です。ありがたや。

しかし当日券情報は載っていないものもあるし、そもそも上演時間情報すら載っていなかったりする。自己申告制なんでしょうか。上演団体の皆様におかれましては、載せておいてください。

ひょっとして有料制? だとしたら、それは載せないという判断があってもしょうがない。ご存知の方、教えていただけますか。

パルコ企画製作「海をゆく者(プレビュー公演)」PARCO劇場

<2009年11月14日(土)夜>

アイルランドの田舎。怪我で目が見えなくなった兄の世話に戻ってきた弟。一人では外出もままならない兄は、クリスマスイブということで、家に友人を呼び祝おうとする。そこに弟と因縁のある友人も呼んでしまい険悪な雰囲気になるが、その友人は途中で知合った男と一緒に来訪する。

中年男ばかりの5人芝居で休憩を挟んで3時間。アイルランド人はこんな辛気臭い話しか書けないのかという出だしに身構えてしまいましたが、登場人物が増えてから一気に面白くなります。そうなると役者の実力が生きてくる。飽きさせない芝居でした。人間の弱いところをたくさん描きつつ、それでも見放さないところが、芝居に深さを与えます。この匙加減は栗山民也の演出に追うところも大きいでしょう。地味になりすぎず、派手になりすぎず、よいバランスを保っていました。

なんというか、この脚本はあまり西洋モノっぽくないですね。ディテールはとてもしっかりしているんですけど、脚本のノリは、どちらかというと日本の小劇場に近いものがあります。迫力あるぶつかり合いをあれだけ見せておいて、オチはあれでいいのか(笑)、いやいいんだろうな、という展開。あと、はっきりと片付かない問題をひとつ放置しておくのも、あまり翻訳モノではみかけないかな。

肝になる設定も、日本の芝居に慣れた立場としては「現実離れした設定がより現実をはっきりさせる」ととらえましたけど、西洋の人にはあれもひとつの現実と認識しているのかもしれない。キリスト教の国の人の設定ですよね。何をいっているのかわからないでしょうけど、この芝居はネタばれなしで観た方が面白い。

役者はみんな芸達者。登場人物は基本的にダメ男ばかりなんですけど、みんなダメ男の役が上手(笑)。浅野和之は最初誰だかわからなかった。吉田鋼太郎は、一番声が大きいのに一番怒鳴り散らす役で、ちょっとうるさい(笑)。個人的には小日向文世がよかったかな。あと、照明がいい雰囲気を出していた。

落込みそうなところで観ると慰められるというか励まされるような芝居で、実際励まされるところがありました。God bless you! という言葉はこういう時に使うんだということを教えてもらえる芝居でした。

2009年11月12日 (木)

職人の魂

・芝居と演劇
・見物と観賞
・小屋と劇場
・役者と俳優
・興行と芸術
・演技と表現

学生時代に入っていたサークルは、演劇研究会でありながら、小劇場系というか学生のエネルギーというか、そういうものに引張られて、言葉遣いは限りなく前者に近かったです。その影響というわけでもないですけど、私もこのブログでは前者の言葉をよく遣います。

別に後者の言葉を遣うことには文句はありません。だいたいこのブログのタイトルからして「観劇」ですから。ただ、前者の人たちと後者の人たちは、拠って立つ場所が違うのではないかなと思います。

前者にとっては、そのスキルはあくまで芸であり、それを身に付けるためには盗んだり認められてこっそり教わったりしながら覚えることであり、やがてはその道の職人になることなのではないかと思います。後者にとっては、そのスキルは能力であり、それは体系立てて教育可能なものであり、やがてはそれ職業とすることなのではないかと思います。

体系立てることは教えられることであり、裾野を広げる重要な手段であり、その努力は芸能界を含むあらゆる業界で行なわれるべきです。一方で一人前になった職人の魂には目を見張るものがありまして、この魂は、時に身体を削りながら、周りの人をして奇跡と言わしめる何かを起こしてしまうことがあります。

この職人魂というのが、芸を身に付ける方法とは別に、教育で培うことができるのか、だとすればどうすればいいのか、というのが私の疑問です。最後の拠り所を、スキルを超えた自分自身に、あるいは自分自身を超えたよくわからない何かに持てるかどうか。持てないということは向いていないということなのか。自分で突詰めた勉強と試行錯誤の先にしか職人魂は存在しないのか。

今の日本は、職人の薫陶を受けた弟子たちがまだ一定数存在しています。これがあと二十年もすると、職業人が増えてきます。それがいいとか悪いとかではなく、将来です。ただ、何かの拍子に職人の片鱗を見せられると、そこに憧れを感じます。

私には職人の魂が足りないなと、仕事で思うところがあったので、考え込んだ挙句に芝居に関連付けた小話になってしまったので、思わず書いてしまいました。

2009年11月 1日 (日)

新国立劇場主催「ヘンリー六世(第一部、第二部、第三部)」新国立劇場中劇場

<2009年10月31日(土)一日中>

王座を目指した権力欲に取付かれた馬鹿共と、その巻添えで名誉を守って死んでゆく人たち。または「お前が言うな」の繰返し。

三部作一挙上演で、しかも重厚な役者が揃っていて、これは見逃せない。いろいろ考えて、当日券で苦労の末、首尾よくチケット取得。さすがスケールの大きさは別格で、観られてよかった。

三部揃うと、ある部の喧嘩が次で戦いになったり、この部の展開は前の部の出来事のためだったりするのがよくわかります。似たような名前が多く出てくるけど、それも順番に登場してくれるので、混乱も少ないです。笑ったり失笑したりする場面もそれなりにあって、肩がこる心配はありません。

どの部も独立しているけど、つながりを観るならやはり第一部から順に観た方がよいです。ちなみに第三部の後はさらに「リチャード三世」に繋がるのが順番ですが、今回でようやくリチャード三世のバックグラウンドや家系もわかりました。というか、ここまできたら「リチャード三世」も同時上演してほしいところです。

登場する役者は、台詞回しと声の張りが命の新劇ベテラン陣が中心。演技ももちろんいいけど、台詞を聴いていて非常に心地よいです。全員は挙げられないけど、それでも挙げずにはいられません。誰がいいかは人によるだろうけど、第一部の木場勝己と鈴木慎平、第二部の村井国夫と中嶋しゅうと久野綾希子と関戸将志、第三部の今井朋彦と岡本健一、そして三部を通して浦井健治と中嶋朋子がとてもよかった。

最高に素っ気ない舞台を照明で変化させて、現代の軍服を意識した衣装を多めに投入。王位を巡る争いの不毛さに、今の戦争の不毛さを連想させるのは予想の範囲内。ところが三部連続で(チケット購入から数えて)12時間も経つと、本当にずうっと戦いばかりが続くので、最後には「まだやってんのかよ不毛だな」と心の底から思えるようになるというおまけがつきます(笑)。だから冒頭のような粗筋になったのですが。あと、フランス人を馬鹿にしすぎではないでしょうか(笑)。あれが脚本に忠実だとしたら、昔からイギリスとフランスは仲が悪かったという証拠にできるくらいです。

ただですね、殺陣が緩いのはしょうがないとしても、選曲がダメダメでした。木場勝己がさらう第一部はまだ気にならないとして、第二部全部と、第三部前半は、まったりしすぎでぜんぜん乗れません。音楽で訴えかけるセンスに関しては、いのうえひでのり(今日見かけました)とか蜷川幸雄に完敗です。もったいない。

それを差引いても観る価値があると私は思いますが、落ちている人も見かけましたので、不安な人はやはり第一部から観ると、話がわかりやすくなっていいと思います。個人的には、予備知識の無い人が第二部をいきなり観ると、経緯と名前がすんなり入らないのではないかと思われます。第三部はむしろそうでもない。

当日券ですが、第一部は完売のキャンセル待ち(遅れたもので)、第二部はZ席が昼まで残っていてその後キャンセル数枚、第三部はほぼ全席種で大丈夫でした。どうやら通しで買っても座席は同じにならないようです。あと、舞台が客席側に張出しているので、1階席ならどこからでも円形劇場状態で距離は近くなるのですが、上手に池があり、そのせいでアクティングエリアまで距離が遠くなります。センターが一番なのですが、上手と下手で選ぶ必要があるなら下手をお勧めします。

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »