2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« 新国立劇場主催「ヘンリー六世(第一部、第二部、第三部)」新国立劇場中劇場 | トップページ | パルコ企画製作「海をゆく者(プレビュー公演)」PARCO劇場 »

2009年11月12日 (木)

職人の魂

・芝居と演劇
・見物と観賞
・小屋と劇場
・役者と俳優
・興行と芸術
・演技と表現

学生時代に入っていたサークルは、演劇研究会でありながら、小劇場系というか学生のエネルギーというか、そういうものに引張られて、言葉遣いは限りなく前者に近かったです。その影響というわけでもないですけど、私もこのブログでは前者の言葉をよく遣います。

別に後者の言葉を遣うことには文句はありません。だいたいこのブログのタイトルからして「観劇」ですから。ただ、前者の人たちと後者の人たちは、拠って立つ場所が違うのではないかなと思います。

前者にとっては、そのスキルはあくまで芸であり、それを身に付けるためには盗んだり認められてこっそり教わったりしながら覚えることであり、やがてはその道の職人になることなのではないかと思います。後者にとっては、そのスキルは能力であり、それは体系立てて教育可能なものであり、やがてはそれ職業とすることなのではないかと思います。

体系立てることは教えられることであり、裾野を広げる重要な手段であり、その努力は芸能界を含むあらゆる業界で行なわれるべきです。一方で一人前になった職人の魂には目を見張るものがありまして、この魂は、時に身体を削りながら、周りの人をして奇跡と言わしめる何かを起こしてしまうことがあります。

この職人魂というのが、芸を身に付ける方法とは別に、教育で培うことができるのか、だとすればどうすればいいのか、というのが私の疑問です。最後の拠り所を、スキルを超えた自分自身に、あるいは自分自身を超えたよくわからない何かに持てるかどうか。持てないということは向いていないということなのか。自分で突詰めた勉強と試行錯誤の先にしか職人魂は存在しないのか。

今の日本は、職人の薫陶を受けた弟子たちがまだ一定数存在しています。これがあと二十年もすると、職業人が増えてきます。それがいいとか悪いとかではなく、将来です。ただ、何かの拍子に職人の片鱗を見せられると、そこに憧れを感じます。

私には職人の魂が足りないなと、仕事で思うところがあったので、考え込んだ挙句に芝居に関連付けた小話になってしまったので、思わず書いてしまいました。

« 新国立劇場主催「ヘンリー六世(第一部、第二部、第三部)」新国立劇場中劇場 | トップページ | パルコ企画製作「海をゆく者(プレビュー公演)」PARCO劇場 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新国立劇場主催「ヘンリー六世(第一部、第二部、第三部)」新国立劇場中劇場 | トップページ | パルコ企画製作「海をゆく者(プレビュー公演)」PARCO劇場 »