« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月27日 (日)

年末に3時間半を確保するのは難しい

3時間半というだけでわかる人にはわかると思いますけど、KERA芝居ですね。年をまたいでシアターコクーンで上演中です。

なにかとあわただしい師走。都内勤務の都内在住だとしても平日に出かけるのは難しいところ。たまたま都内に用事があって夜が空いた平日もあったのですが、19時開始の22時半終演という余裕のなさでアウト。週末は週末で、忘年会だ大掃除だと用事はたくさんあります。昨日は都内で夜に用事があったのですけど、13時開始の16時半終演という時点で待合せに間に合わないのでアウト。これが2時間半ならまだなんとかなったんですけど。

年内にあと1回、チャレンジできるかもしれない日があるのですけど、なんか今から自信がなくなってくるような、そんな巨大な壁、3時間半。どうなることやら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月22日 (火)

松竹制作「十二月大歌舞伎 夜の部」歌舞伎座

<2009年12月19日(土)夜>

野田版鼠小僧。あと2つ。

酔っているのでこんなもんで失礼。

やっぱり野田版鼠小僧のスピード感、テンポのよさは素晴らしい。初演から特に演出は変わっていないけど(他の役者をネタにした台詞はたくさん増えていた)、再演に耐えうる名作です。再演でリラックスした勘三郎、軟派から悪役まで幅広く見せる三津五郎、短めの見せ場もきっちりこなす七之助など、役者も見ごたえ十分。このテンポのよさを支える野田芝居常連のスタッフも素晴らしい。

何度も書くけど、何でこのテンポと台詞回しが歌舞伎の標準にならないんだろう。これに比べると、一幕目の引窓なんてかったるくて観ていられないし、第一何を言っているのかわからない。外国人向けにはいざ知らず、日本人向けにイヤホンガイドが必要な芝居なんてそれだけで失格だ。伝統芸能づらしているんじゃないよ。このペースで芝居ができないならそんな役者は引退しちまえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月13日 (日)

庭劇団ペニノ「太陽と下着の見える町」にしすがも創造舎

<2009年12月12日(土)夜>

精神病院とおぼしき場所で繰広げられる妄想の数々。

よく考えたら劇団でみるのは初めてかもしれないタニノクロウの新作は「パンチラ」。新鮮ではありましたけど、賛否のわかれるところ。個人的には個々のエピソードが細かすぎて散漫な印象あり。

医者や患者の妄想がパンチラと共に語られるという芝居ですが、語られている内容とパンチラは必ずしも一致しない、というか、関係ないことも多い(笑)。個々のエピソードはそれっぽいのですが、それを一本の芝居につなげてしまうあたりの強引さは素晴らしいです。途中から見切れ対策なのか、パンチラどころかパン見せになっていました(笑)。どうせなら、パンチラ席と非パンチラ席に分けると面白かったかも。

どれが誰の妄想かについては、最後でちょっとネタがあるのですが、これの解釈がちと難解。まあ好きに解釈すればいいや。

あと、これを芝居として成立させるために音響は外せません。タイミングといい、不快感といい、芝居のスタンスをもっともはっきりあらわしていたと思います。ついでに言えば、音がとてもクリアで、機材もよかったと思います。

次回以降も、大きくてチケットの取りやすい劇場だったら、観に行きたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月12日 (土)

グリング「jam」東京芸術劇場小ホール1

<2009年12月12日(土)昼>

軽井沢にあるペンション。周りは続々閉鎖しているが、食事のおいしさに常連がついて、そこそこやっている。地域の年末の第九イベントに向けて指揮者とピアニストを招いて練習が重ねられており、その人たちの宿泊先にもなっている。今月の練習が終わり、一段落の飲み会を開こうとした夜の話。

今回で活動休止公演のグリングは再演もの。再演でもあまり役者を変えない劇団という印象があるのですが、今回は大分入替えての上演。6年前ですでにこれだけの脚本でやっていたのなら、いまさら劇団でもないよな、という完成度(ラストのひとつ前に場面を追加したくらいだそうな)。後味のよさと悪さを両方兼備えた良作。

ペンション経営家族の家庭事情に、宿泊客の思惑が交錯。思惑のいくつかをはっきりさせないことで、どうなるかなと期待を持たせる展開。何かを遠慮することで成立っていたバランスが、行動に移されたことで変化を生じるまでのいきさつを、実に上手に描いています。休止公演の脚本に選んだだけのことはあります。

が、その脚本のせいなのかキャスティングのせいなのか、過去のグリングの芝居がデジャブするような感覚もあったりなかったり。コンパクトにまとめた舞台で、一幕一場リアルタイムの1時間45分。これは劇団以外の役者だけでもう一度上演してほしいです。ピアニスト役の松本紀保はサバサバした女性を好演。この人はもっと小劇場に出てきてほしいですね。

で、芝居には何の問題もなく楽しんだのですが、たまたま知らずに観に行ったらアフタートークがあったので観たのですが、これが今まで観たアフタートークの中で最悪に下品なものでした。青木豪が脚本を書いたテレビドラマが今度放映されるようで、その宣伝も兼ねて監督とプロデューサーが登場したのですが、jamの話をしたのは最初だけ。あとはひたすらドラマの撮影話に終始する。途中で中野英樹と萩原利映も登場したのですが、それもドラマの話に終始。

別に1時間もあるならドラマの宣伝をしてもいいですけど、あくまで舞台のアフタートーク。「取材が長いと聞いていたらドラマの取材は短かった」というエピソードを出すなら舞台の脚本の取材の話を振るとか、「監督は役者を安心させる」という感想を出すなら舞台稽古のときの青木豪の話を訊くとか、「(ドラマの出演者である)泉谷しげるが青木豪の父親に似ている」のを披露するならjamでは誰かモデルはいないの尋ねるとか、いくらでも舞台の話と絡める機会はあった。舞台のアフタートークなんだからもう少しバランスを考えろ。「余韻が醒めるからアフタートークには出たくない」と監督とプロデューサーは最初に言っていたけど、こんなトークを聴かされたこっちが興醒めだ。こんなアフタートークならやめちまえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 6日 (日)

TBS/エピキュラス主催「夜会 本家・今晩家」赤坂ACTシアター

<2009年12月5日(土)夜>

売子の娘。有名な観光地である寺の、隣の小さな寺の前で売子をしながら寺に迷惑をかけたり世話になったり。

一度観てみたかった夜会をようやく観られました。が、予想と大きく違ってまあびっくり。もうすこし芝居っ気の多い舞台だと思っていましたが、前衛劇というか、ここまで実験色が強い舞台だとは思いませんでした。

一幕と二幕で話がつながっていなくもないけど、舞台からして違う。一幕はまだ舞台設定がひとつだけだったけど、二幕は途中でどんどん変わっていくし、二幕の中につながりを探すのが難しい。夢十夜をさらに抽象的にしたようなもので、歌とリズムにひたすら乗っていくのが正しい楽しみかたなのかな。合間合間の台詞は野田秀樹っぽいんですけどね。

それなりに前の席が取れたんだけど、それでも「普通に中島みゆきに興味を持っている」程度の人が、2万円を払って観るものではない。シアターコクーンで1万円ならまだ実験舞台と言えたけど。一度観て、ああこういうものか、歌も上手いな、と納得できたからまあよしとする。次からは観るならコンサートのほうが私はよい。

それにしても、劇場であんなに男の観客が、それも年長の人が多いのは始めて見た。トイレの行列は、全部足したらたぶん男の方が長かったんじゃないか。おっさんたちの財布を開かせる中島みゆきの人気、恐るべし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 1日 (火)

事業仕分けについてとりあえず書いておく

何をどう書いてもまとまらないので、とりあえず書けるところを小出しに書いてみる。最初のエントリーはこちら

・とりあえず伝統芸能は置いておく。現代劇が私の興味の対象だし、伝統芸能に変に手を入れたらたぶん日本の見えない力が動くだろうから放っておいても問題なし。以下で国というとき、国である場合と新国立劇場である場合が混ざっているので注意。
・国が現代劇との関係をどう位置付けるかが問題。私は「多様性の確保に現代劇を活用する」を基本方針にする。
・その柱として「地方の多様性を全国に広める」「日本の多様性を海外に広める」「個人の多様性を育てる」の3つを柱とする。
・もう少し具体的に言うと、表から見えるのは制作のコーディネート業務。ある地方の制作した芝居を他の地方に広めることで多様性を広める。そこには東京を含む全国公演で黒字を目指す+参加者を育てる意図もある。税金で芝居を作るのは地方自治体に任せる。そこの箱物を生かし、関係者が交流できる拠点とする。
・日本の公演は民間や地方自治体のものも十分面白い。日本ならではのものも多数ある。ただし海外にチャレンジするには資金もノウハウも足りないので、ここをサポートする。野田秀樹ですら個人での赤鬼イギリス挑戦が3000万円赤字とか、そんな状況を改善する。
・それらに付随する業務として、スタッフ交流・育成と役者育成を行なう。地方だと交流が少なくなるところを、上手くアレンジして全国のスタッフと交流してノウハウ交換とか視野を広げるとかできるようにする。そこら辺、特に制作関係は体系立てて学ぶ場所が少なそうなので、育成も行なう。役者育成は、日本のスタンダードな現代劇の演技を決めることで、逆に独特の演技を際立たせることも狙い。自由度が高すぎて、独特が独特たりえないのが現状。
・芸術家育成については、海外に日本の多様性を紹介できることが条件。海外留学は25歳以下に限定。帰国してから世界3カ国以上で発表できないとダメ。評価は動員人数x黒字額。脚本家の場合は翻訳されて上演された分も係数を付けた上で加算。制作はコーディネートの一環で国がサポート。
・引込めるもの。国による芝居制作。テーマはあっても芝居選びに一貫性がないし、営業やる気ないし。貸し館も禁止。そんな暇があったら地方自治体が作った良作を上演する。というか短期間上演だと赤字になるから、その分を地方自治体に割く。あるいは自分たちがコーディネートした海外公演の凱旋公演に割く。営業は地方自治体がプランを立てて、国が協力する形を取る。営業やる気ないし。
・新国立劇場運営財団は廃止。必要な業務は日本芸術文化振興会に一本化。無駄な理事長は削減。これは伝統芸能と現代劇とのコーディネートも狙う。特に歌舞伎は民間での交流が先行しているけど、もっといろいろできるはず。
・芸術文化振興基金はコーディネートと若手育成に注力。大器晩成の見極めは民間の助成にまかせる。活躍する人は学生時代から活躍している。30歳すぎた自己満足集団に税金を使うな。表現と興行のバランスを取るのはあらゆるビジネスに共通。
・寄付は税制面の優遇措置を設けて、あるいはたくさんアピールして、たくさん集めることで税金投入を減らす。ただポイントは、税金優遇措置というより、集めた寄付の使い道。野球のシーズンチケットみたいな販売とか、公演を上手にパッケージして寄付したくなる企画に仕立てるとか、寄付した期の役者の公演に招待とか、使い道のわかる寄付企画をたくさん立てるのが大事。
・ここまでは「地方の多様性を全国に広める」「日本の多様性を海外に広める」の話。「個人の多様性を育てる」は少し違う。
・いわゆる芸術家派遣とかの話。現代劇のノウハウは、教育に応用するとよい効果がありそうだと、これは直感的に思う。自分を表現すること、他者の表現を許容することは、私を含めた多くの日本人に欠けている要素のひとつ。平田オリザ頑張れ。

・キーワード。面白い現代劇は最高に面白い。歌舞伎が現代劇に学んでいる。グローバル化。フラット化する世界。文明の衝突。画一化の圧力下ではむしろ多様性が貴重となる。不思議の国ニッポン。道州制。二極化。グローカル。文化は余裕のバロメーターのひとつ。来日舞台は多いが海外公演はほとんどない。拠点があると交流が促進される。動きがないと交流しようがない。少子高齢化。日本ブーム。世田谷パブリックシアターとさいたま芸術劇場は頑張っているし、東京芸術劇場も変わるかもしれない。首都圏と地方の人材の厚さと母数の違い。すでに税金は大赤字だから減らせるものは減らすことで対応。

とりあえず適当に書いてみました。念のために書いておくと、「新国立劇場不要」からスタートしているわけではありません。そもそも国が文化振興として何をやるべきかが不明確だと考えたから(それは本来政治家が決めることですが)、現代劇は文化振興なのか、それとももっと他の立ち位置から見直せるのではないか、と考えた結果です。

キーワード以外にも、私の当たり前にしている前提が隠れているかもしれませんが、それはそれで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »