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2010年6月29日 (火)

ワールドカップ期間に公演を企画した劇団は何を考えたのだろう

どうなんでしょう。サッカー人口と芝居人口が重なっているという情報があるわけではないんだけど。それにしたって予想外(私は予想外でした)の予選突破で、今日なんて当日券はどこもガラガラなんじゃないか。

ワールドカップを飲み込まんばかりに思いっきり期間が重なっているナイロン100℃は、劇団とKERAの確固たる人気と実績があればこそ。それとも、この期間が不人気だからあえて安く劇場を借りられたりしたのか。野田地図くらいまでいくと、もういつでもいいっス、くらいなのかな。

芝居は前売がほとんどだから大丈夫って考え方もある。でも身内客が多い小さい劇団は大丈夫なんだろうか。いや、身内が多いからこそ義理堅く劇場に足を運んでもらえるとか。

別に23時なら間に合うじゃないか、と考えるのは都内の便利な場所に住んでいる人。明日仕事なのに終わったら1時だし、事前に風呂入って、明日の用意をして、瞑想して(?)、準備万端でゆったり観たいのがファン心理。もし3時半の試合を観たいなら、むしろ仕事が終わって帰ってすぐ寝て、3時半に起きて観て、終わったらそのまま仕事に行って定時でさっさと帰る、とか。

何でこんなことを考えたかと言うと、チェックしているいくつかのサイトの更新状況が悪いこと。いや自分も更新が滞っていて、それは仕事のせいで、他のサイトもそうかもしれないんだけど、チェックしているサイト全部の更新状況が悪いと言うのは妙だ。ということで考えてみたわけです。

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2010年6月21日 (月)

新国立劇場主催「夢の痂」新国立劇場小劇場

<2010年6月20日(日)昼>

終戦後、参謀本部勤務で敗戦の責任を取ろうとしたが一命を取りとめた男。それから2年、親類の仕事を手伝って東北の旧家に滞在中、天皇行幸の宿泊場所としてその旧家が選ばれる。参謀本部で天皇を何度か観かけていた男は、失礼のないように予行演習を指導してほしいと旧家の一族に依頼され、了承するが・・・。

東京裁判三部作といいつつ、東京裁判は全然出てこない最終作。戦争の責任を問うという意味では、まあ間違っていない。けど、3本とも観た感想(夢の裂け目夢の泪)では、これが一番よくできていて面白い。

演出と脚本とどちらの影響が大きいのかはわからないけど、説教くさいのは前2本と同じながらも、前2本と比べて辛気臭さが薄いのは、直接東京裁判が出てこないせいか。あと、文法を手がかりに進める話の展開は、国語上手といわれた井上ひさしらしい。クライマックスで言い分を踏込んだあたりも、内容の是非はともかく、ようやく脚本がリスクをとってくれたと思えて、前2本の欲求不満が解消できた。

ただ、千秋楽で大盛上がりのところを申し訳ないけど、スタンディングオベーションすることはないだろうとは思った。その1。舞台装置が寂しすぎる。能舞台を模して、そこに劇中劇とか幽玄境を云々とか、いろいろ意味を込めたとは思うけど、離れの別宅とはいえ、宿泊場所に選ばれるような旧家で、娘が骨董を持出すような物持ちで、あれは簡素すぎる。その2。3本ともオチが同じなので、前半始まってまもなくオチが予想できたのは、シリーズ物であることを差引いてもつらい。その3。これが一番大きいけど、役者の実年齢と主役の年齢が離れすぎている。この芝居で32歳を68歳が演じたり、推定45歳前後を62歳が演じたりするのは、さすがに無理がある。最初は 台詞と役者の設定が一致しなくて(最後までその違和感は残って)大変だった。実力とか、初演に縁のある役者とか考えたんだろうけど、いくら人材の乏しい日本演劇界でも探せば適役はいるはずで、これはキャスティング ミスだと声を大にしていいたい。念のために言っておけば、役者は全員すばらしい演技だった。けど、演技ではカバーできないケースもある。

3本観終わって、もういいやとすっきりしましたが、チラシには井上ひさしの公演が多数。本当、多いですね。とりあえず「黙阿弥オペラ」と「父と暮らせば」は、都合がつけば観たいと思います。

そういえば、当日券で観たんですけど、並んでいる人数が少なく、しかも千秋楽だからとはいえ、お堅い新国立劇場にしては珍しく真摯に当日券の確保を調整していました。不慣れな点が誠実に見えただけとも言えますが、まあちょっとだけ好感度が上がりました。新国立劇場の職員も、少なくともそれなりに一生懸命な人もいるんだというのはわかりましたが、それでいてこの劇場の活動が演劇界の邪魔をしているようなへたくそな印象を受けるのは何が原因なんでしょう。私の妄想なんでしょうか。

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2010年6月14日 (月)

野田秀樹の舞台は危険がいっぱい

最近芝居を観にいけていないから、こんな記事で野田地図の初日が近いことを知るわけです。産経新聞より。

 NODA・MAPによると、銀粉蝶さんは3日、稽古中に約1.2メートルの高さの舞台セットから転落し、骨折。順調に回復しているが、医師の診断で初日の出演を見送ることになった。高橋さんは20日~25日まで代役を務め、それ以降も代役が必要となる場合は大西智子さんと交互で務める。チケットの払い戻しは行わない。

野田秀樹本人がはしごから落っこちた経験の持主なんですけど、でもそのくらいの上下がないと野田芝居は成立しないんでしょうね。

その銀粉蝶ですが、ブリキの自発団の主催メンバーだったんですね。私は観たことがありませんけど、片桐はいりの出身劇団ということは知っていて、なんかいろいろつながっているんだな芸能界は、って思いました。

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2010年6月 6日 (日)

最近は劇場がブランド化している

単なる私の感想ですが、この話題前も書いたような気がするけど、思い出せないからいいや書いちゃえ。

劇場の格差が著しい。最近自分が観る芝居の上演劇場がどんどん偏ってきている。トップクラスの人たちがこぞって芸術監督になったものだから、劇場が上演団体を選ぶようになって、トップクラスの人たちだけあって目の付け所がよくて、気になる企画、団体の上演が続いている。芸術監督制度なんてものが日本に根付くのかと思っていたけど、このまま行くと根付きそう。

具体的にブランド候補の劇場は、こまばアゴラ劇場、王子小劇場(観に行かないけど、気になる劇団はここを通って売れ始めることが多い)、三鷹市芸術文化センター(これも場所が遠くて見逃しているけど気になる劇団が多い)、世田谷パブリックシアター、東京芸術劇場、彩の国さいたま芸術劇場、パルコ劇場、シアターコクーンあたり。

これらの劇場で芸術監督をおいているのは公立劇場が多いけど、共通点としてはさきほど書いたとおり、劇場が上演団体を選んでいること。その趣味や志が反映されたラインナップは、見ていて楽しい。

逆に、下北沢がつまらない。新宿もつまらない。貸し館ばっかりやっているからでしょう。面白い芝居が続かない。最近の本多劇場なんて、ナイロン100℃と大人計画と阿佐ヶ谷スパイダースだけ順番に上演するのが役目のように思える。

こうなると、「あの劇場に行けばなんか面白い芝居をやっている」という状態になる。そうなると、その劇場で上演することがステータスとなるし、興行のためにも知名度のためにもかかせなくなる。昔は劇場すごろくという言葉があった(今でもある?)けど、今は劇場(の芸術監督なり劇場つきの制作者なり)に認められるかが重要。貸し館でいくら上演しても、それはゴールのないすごろくの堂々巡り。そこで下手をすると、劇場がいばって権威化するという可能性もあるけど、そこはビジネスの原則(売れないものは淘汰される)と、もうひとつ、芸術家の矜持(「おれはおれが面白いと思うものを選んだのであって、情実やえこひいきの出番はない」みたいなもの)に期待する。

だから上演側として取りうるキャリアパスは3つ。

一つ目は、上記の劇場の目に留まるようにひたすら工夫する。何を持って工夫とするかは観客の自分にはわからないけど、とにかく上記の劇場の、できればフェスティバルの参加を目指す。

二つ目は、ひたすら貸し館で上演する。でもこれはまもなく廃れる。すくなくともあと10年は、面白い上演団体を放っておくほどの余裕はない。なのでこのパスはまもなく無効になる。

三つ目は、国内の劇場に頼らず、世界を目指す。チェルフィッチュは成功した。快快も目指しているらしい。これも何が必要かと訊かれても困るけど、予想するに、オリジナリティと、世界に通じるコアな部分(ローカル性を排除するというものでもなく、どローカルが逆にどローカルな人たちに受けることもある)と、あと自分たちの上演内容の意図を言語化してアピールできること、でないかと思う。もちろん、海外で上演するなら立場に応じた語学力は必須。

これからの小劇場は、たぶん、これまでの小劇場より早く有名になれる代わりに、だらだら芝居をやっている個人や団体への淘汰の圧力がいっそう厳しくなる。それが観客にとって吉と出るか凶と出るか、それはこれからの話。あと5年経ったら、続きを話そうじゃないか。

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2010年6月 4日 (金)

twitterで突発的短期芝居上演企画

これ。なんかすごいことになっている。

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