NODA・MAP「ザ・キャラクター」東京芸術劇場中ホール(ネタばれありあり)
<2010年7月31日(土)昼>
とある町の書道教室。生徒にランクをつけて、高ランクの生徒は住込みで学びながら別の生徒に教えるシステム。ある日、海外旅行から帰ってきた家元はギリシャ神話に感動したので古代ギリシャ式に改めると言い出す。そんなところにやってきたのが、人探しの女性2人。
2ヶ月公演の終盤ぎりぎりになってようやく観られた野田地図。小劇場垂涎のキャスティングで臨んだ初の中ホール公演でしたが、これは駄目だったと言いたい。理由は以下全力のネタばれで。
住込みのシステムは生徒に財産を拠出させているのが理由の悪徳教室。これに「書道」から「紙」から「神」の連想で、家元が段々神のように振舞うようになっていく。そうなる前振りとして行方不明になった家族を探す2人が絡んで、時間を前後にずらしながら、団体がエスカレートしていく様子を描きます。
ということで、察しのいい人は気がついたと思いますが、後半3分の2はオウム真理教の事件そのままです。この「そのまま」というところが私が一番引っかかったところで、あの世界に残るテロ事件とそれを引起した人間たちが嵌るまでの経緯が浅すぎる。もちろん家元=松本智津夫の詳細を想像で描くのは控えたほうがいいし、主要メンバーで今も逃亡中の犯人もいるのですが、それならそれで、被害者とか、下っ端の生徒=信者とか、もっと違う視点を中心に描いたほうがよかった(2人の女性は家族を拉致された立場ですが、それも片方は潜入捜査っぽくなって微妙)。もっと言えば、中途半端にギリシャ神話でまぜないで、ストレートプレイにしたほうがよかった。
表現の自由と言っても、こんな内容を上演すると何が起きるかわからないとタブー扱いになるところ、これは野田秀樹の実績と実力に加えて、芸術監督をやっている劇場での上演、そして引かなかった役者スタッフがいてこそ実現できた企画だと思います。これを千秋楽まで無事に行なうことができれば(何も起こらないと信じたいですが)ひとつのタブーが消えるので目出度いのですが、でも芝居が現実に負けていた。野田秀樹をもってしても負けた。
付加えるのであれば、2ヶ月公演の終盤のための疲労蓄積と、ゆったりしすぎて芝居に向かない劇場のつくりという二重のハンディはあるのですが、じゃあこれをシアターコクーンでやって、どこまで芝居のまとまりが出たかは「もし」の話になるのでやめておきます。
ただ、そんなハンディを全力で跳ね返して勢い余って舞台から落っこちてあっというまに盛返したチョウソンハには惜しみない拍手を送りたい。あと、声に疲労を感じたけど緊張感は途切れさせなかった宮沢りえと美波の2人にも。
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