SPAC「わが町」静岡芸術劇場
<2010年10月30日(土)夕>
アメリカの田舎町であるグローバーズコーナーズにおける、隣り合った2軒の家族を中心とした、平凡で、ありふれて、だからこそ美しい日常の話。
気になっていたので、どうせ台風なら遠出してやるよってことで行ってきました初静岡芸術劇場。一般公開初日は固さが残るものの後半に盛返した仕上がりでした。ただし遠征に見合うかと言われるとちとつらい。後半のほうが仕上がりよさそうなので、来週末以降だともっとよかったかも。
「わが町」を観るのは2回目なんですけど、やっぱり脚本がいい。誰がやっても70点までいける。ただ観るほうは「脚本で70点」というのがわかるから、ここから点数を上乗せするのは至難の業。3幕目はかなりよかったけど、1幕目2幕目はもっと上を目指せるし、目指してほしい。
SPACの役者はレベルが高いと書いてあったので期待していたけど、自分でハードル上げすぎだった。役者は声派の自分には、役者のレベルの差が気になった。個人的によかったのは、ギブス夫人と、結婚式が好きな夫人と、牛乳配達の人(この人はもうちょっと観てみたかった)。頑張ってほしかったのは、進行係とエミリで、特に進行係は、あんなに気取った声を出してはいけません。
素舞台なのは脚本の指定っぽいけど、衣装はよかったな。
1回観ているのが大きな理由なんだけど、1幕最後の脚立の場面と、2幕目最初の好きな台詞がいまいちだったのが、個人的にマイナス要素。脚立はなー、地震一発でアウトの危なさを承知のうえで、てっぺんまで登って座ってほしかった。ロビーに流れていた稽古映像ではそうやっていたのに。よりかかるのは美しくない。
いろいろ言いましたけど、なにしろ元がよい話なので、観て損ということはないです。新国立劇場で来年1月に上演されますけど、俄然観に行く気が出てきました。
演出家x芸術監督のトークがあったのは嬉しい誤算。以下なごやかなトークのメモを覚えている範囲で。質問時間はなし。順番は編集済み。細かいところは気にするな。普段役者としてしか観たことがない人が結婚指輪をしているのは新鮮だ。
(今井)演出家の違いでは3バージョンくらいだけど、文学座では毎年必ず卒業公演(?)で上演するので、それを入れると10回くらい観ている。文学座は自分も出たけど、人数が多くて1役全部割振れないので、自分が出演したときは進行係の、2幕目のソーダバーの場面のマスターから結婚式の牧師までだった。
(鈴木)なんか納得します(笑)。
(今井)東京だと、稽古は長くても1ヶ月。スタッフプランも稽古初日には出来上がっている。それを今回は8月の頭から、スタッフとゼロから相談しながら作れた。長期間な分、あまり演出プランを固めると途中で発展の余地がなくなるで、大枠までしか決めないで稽古に臨んだ。
(鈴木)衣装で色のついた布がよかった。衣装のアイディアは誰が出したのか。
(今井)最初は白と黒の衣装だけだったが、舞台袖に役者を待機させる演出プランを思いついたとき、演技中と待機中の役者を区別するために衣装スタッフと相談して出てきた。途中カラフルな衣装の場面は、重要な場面と判断して色をつけた。色はあれでも抑えたほうで、最初はもっと派手だった(笑)。
(鈴木)演出でどんな駄目出しをするのか気になっていたので稽古見学中に注意していたけど、あまり全員に駄目出しをしない。休憩になってから役者に歩いていって、こっそり話すので何を言っていたのか今でもわからない(笑)。ぜひ教えてほしい。
(今井)一度全体駄目出しをしたら、1時間半かかった。自分だったら自分と関係ない役者の駄目出しを1時間半聞くのは耐えられないので、作戦変更した。でもSPACの役者は、他の人の駄目出しを自分の次の出番に反映させるところがすごい。
(鈴木)そこに役者がいるから何を言われたか聴いてみましょう。
(役者)「軽いままでいい」と言われた(笑)。
(役者)「息を吸って吐いて」と言われた(笑)。
(今井)軽いまま・・・は、その役がやっているときっちりしたくなる役なので。息を・・・は、肉体の意識の話。自分の演出は台詞の意味よりも、台詞を言うときの意識を口元からずらすようにに注意する。普段の会話では自分のトークは気にしないで相手の反応を気にしているはずなのに、芝居になると自分の口とか咽でなんとかしてやろうと思いがち。だから例えば腕を組んだ相手と話す場面では腕の接点で相手と話すイメージを持つように伝える。実際に腕がしゃべるわけではないけど、そういうイメージを持つことで、トークの意識が口や咽からずれて、自然な会話になる。
(今井)何人かの翻訳があるけど、今回は戦前(?)くらいの森本訳を選んだ。
(鈴木)何か変更したところはあるか。
(今井)宗教関係など、さすがに今となってはこれは古い、という箇所は自分で調べて5-6箇所なおした。あとはてにをはを少々いじったくらい。わざわざ好きで古い翻訳を選んだので、それを全面的に変えるような事はしていない。
(鈴木)古い翻訳の割には今聞いても全然不自然ではない。
(今井)今どきの言葉と比べると多少言いにくいが、そのほうが台詞にインパクトが出てくる。するっと話せる台詞はするっと出ていってしまうので個人的には多少言いにくいくらいがちょうどいいと思う。
(鈴木)結婚式の場面で「1回だけなら楽しい」って台詞があって、意味がわからないが、どういう解釈をしたか。
(今井)あれは翻訳によって入っていなかったり違う訳になっていたりする。森本訳を選んだのはあの台詞が入っていたのが一番の理由。牧師から観たら結婚して子供が産まれて自分は死んで、というのは決まりきったパターンで、それに何度も関わった牧師は退屈だけど、その当事者として1回きりの経験をする分には結構なことだ、という解釈。
« 蜷川幸雄が文化勲章受賞 | トップページ | 東京芸術劇場「ブルードラゴン」東京芸術劇場中ホール »
コメント