2011年1月 6日 (木)

2010年下半期決算

旧年中にまとめたくてまとめられなかった2010年下半期決算です。

(1)モダンスイマーズ「真夏の迷光とサイコ」青山円形劇場

(2)ナイロン100℃「2番目、或いは3番目」下北沢本多劇場

(3)こまつ座「黙阿弥オペラ」紀伊国屋サザンシアター

(4)NODA・MAP「ザ・キャラクター」東京芸術劇場中ホール

(5)劇団M.O.P.「さらば八月のうた」紀伊国屋ホール

(6)ブス会「女の罪」リトルモア地下

(7)パルコ企画製作「ハーパー・リーガン」PARCO劇場

(8)サンライズプロモーション東京製作「イリアス」ル・テアトル銀座

(9)テアトル・エコー「日本人のへそ」恵比寿エコー劇場

(10)ナイロン100℃ Side Session「亀の気配」サンモールスタジオ

(11)TBS・サンライズプロモーション東京主催・制作「志の輔らくご in ACT」赤坂ACTシアター

(12)青年団「砂と兵隊」こまばアゴラ劇場

(13)SPAC「わが町」静岡芸術劇場

(14)東京芸術劇場「ブルードラゴン」東京芸術劇場中ホール

(15)こまつ座「水の手紙/少年口伝隊一九四五」紀伊国屋サザンシアター

(16)大人計画「母を逃がす」下北沢本多劇場

(17)演劇集団キャラメルボックス「サンタクロースが歌ってくれた」サンシャイン劇場

以上17本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果、

  • チケット総額は101850円
  • 1本あたりの単価は5991円

となりました。上半期の13本とあわせて

  • チケット総額は165200円
  • 1本あたりの単価は5507円

です。上半期は青年団と新国立劇場の芝居が多くて5000円を切っていた単価ですが、下半期は商業演劇(イリアス)、こまつ座、東京芸術劇場中ホールと高額な芝居が多く通年の単価5000円切りはなりませんでした。それでも6000円を超えていた近年の傾向を考えると望ましい結果です。

どの芝居も観てからそれなりに時間が経っていますが、今になって選ぶと「カガクするココロ」、「黙阿弥オペラ」、「さらば八月のうた」、あとなぜか半年に1回観たことになる「志の輔らくご」が観てよかったと思います。期せずして上半期、下半期とも2009年と同じ本数になったのですが、チケット総額が1割以上圧縮された割に、満足度はそれほど変わらないのが発見と言えば発見です。

話は変わって、上半期でも書いたのですが、今年は芝居を観に行く時間が上手く取れませんでした。経済的にヤバい、という時期は脱したのですが、代わりに時間がなくなった。特に12月は例年注目作が多くて本数の増える時期なのですが、今年は1本だけという有様です。ラインナップを見返しても初見の団体がほとんどないのは余裕がない証拠です。仕事が忙しくて休日を食ったというのもあるのですが、それより体力がきつい。うまくやれば1日2本観られるところ、土曜日は疲れて午前中は動けず、昼から動くため夜の芝居しか観られないという効率の悪さです。

そして12月に見逃しと売切御免を連発した結果、芝居見物の欲求が少なくなっていることに気がつきました。なぜかと年末年始に考えたのですが、

  • 芝居を見慣れた結果、期待のハードルが上がって、その分得られる感動が減っている
  • 生活の危機感が趣味への興味を上回った

という結論になりました。前者はお前程度の見物本数で何がわかると言われればそうなのですが、それでもこのくらいの本数と金額の芝居を毎年自分で選択、チケット手配、自腹支払までして観ていると、それなりに目は肥えるという話です。後者について補足すると、自分の年齢と今のビジネススキルについて芝居を観る本数を減らして、その分を修行に当てないと今後社会人として危なくなるという危機感が出てきました。いろいろ足りないものを身に付けないといけないので、今後芝居を観なくなるというわけではないのですが、そこに振分けるリソース、とりわけ時間は減らそうと考えています。

なので、2010年の30本/28日を2011年は減らす方向で調整して、月1日に2本観る計算で、24本/12日くらいまで圧縮することを目指します。1月がまた忙しい上に観たい芝居が多いんですけど、観すぎた場合は2月で調整します。こんな零細ブログでもほんの少々の常連さんはいらっしゃるようですが、そのくらいの更新頻度でもひとつ生暖かく見守っていただければ幸いです。

本当はそれでも観に行きたくなるくらい面白い芝居であふれているといいんですけど、世界で一、二をあらそう大都市の東京といえども、それは難しいのですね。半年や1年のロングランが成立たないところが、新作を促してある種の活気を産んでいたと思うのですが、面白い芝居がロングランにできないことは創るほうにも観るほうにもデメリットなんじゃないかと思うようになってきました。

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2010年12月23日 (木)

演劇集団キャラメルボックス「サンタクロースが歌ってくれた」サンシャイン劇場

<2010年12月23日(木)昼>

クリスマスイブの夜に予定のないゆきみは、同じく予定のない女友達のすずこと芥川龍之介をモデルにしたミステリー映画を観る約束をする。到着が遅れるすずこを待つために先に映画館を観始めるが、映画の進行が途中でおかしくなる。劇中の犯人役がスクリーン外に逃亡したらしい。映画の継続のために連戻そうと、ゆきみが戸惑っている目の前で主人公たちがスクリーンから飛出してきて、ゆきみに協力を求める。一方、遅れて着いたすずこは、映画館から出てきた犯人役の人物から協力を求められる。

他の芝居と迷って、キャラメルボックス見納めで選んだ本作。キャラメルボックス芝居が嫌いになった私でもちょっとぐっと来てしまった。見納めにふさわしい仕上がりだった。

キャラメルボックスの芝居は劇団名通り甘ったるいものが多く、それはこの芝居も例外ではない。けど、映画中の人物とそれを演じた役者、映画設定の時代(大正時代)しかしらない人物とその将来を知っている現代の協力者、劇中の映画の上演時間(制限時間)と実際の芝居の上演時間との一致(時計の進め方についてはご愛嬌ですが)、そして映画を継続しようと奮闘する登場人物と実際の劇団、などの対比構造が上手にはまった脚本は、さすが代表作。演出家を変えれば他でも通用しそう。というか、他の演出家ならもう一度観てみたい。

そして、今がぎりぎり見納めじゃないかという初期メンバー中心でのキャスティング(若い役が多いから)。劇中でも役者の実年齢と役の年齢とのギャップが何度もネタになっていた。ただ、さすがベテランと言うか、甘ったるいなりに甘さの加減を心得ていて、それ以上は崩さない感じに好感。西川浩幸、上川隆也、近江谷太朗というトリオはたぶんもう観られないんじゃないかという予感。こういっちゃなんだけど、ピンで観ると何てことない人たちばかりなのに、3人揃うと何かバランスがとれる。最初のキャラメルボックスは「さよならノーチラス号」の初演で、このトリオを観られたんだから、めぐり合わせというのは確かにある。ついでに言えば、観た席も初演に近い席(座布団の通路席)だったのを今思い出した。

後半の、映画中の登場人物が役者・上川隆也と問答する場面や、最後の映画館での場面なんかは、あちこちですすり泣きが聞こえていて、実際自分も危なかった。キャラメルボックス名物の劇中ダンスも、今となっては劇中ダンスなんてやっている劇団を見つけるほうが難しいのですが、この芝居では「映画の宣伝広告」という形で処理されていて、違和感が少ないのもいいです。

満員御礼確実なのに、サンタクロース絡みの芝居だからなのか、26日が日曜日なのに25日の土曜日昼で千秋楽という贅沢スケジュールを組んだのは思い入れの故でしょう。まあこの仕上がりなら許す。ちなみに千秋楽は当日券がパンクしそうなので、となりのホールでの映像生中継も決まったそうです(ひょっとしたら近江谷太朗が上演中にそっちに行くかも?)。それでも構わない人は25日を狙ってみてはいかがでしょうか。

それにしても久しぶりのキャラメルボックスは当日券に驚いた。
・当日券待ちのために椅子を用意している(途中で足りなくなりましたけど)。そして販売開始と同時に回収する手際のよさ。
・販売前の販売方法説明で、販売する客席を、座席表を見せながら飛行機の離陸前のように説明。
・当日券は1時間前販売と思いきや、行列が伸びたからか、10分早めて販売。
そしてなんというか、販売する側の手際のよさは褒めるところなんですが、客の行儀のよさにもびっくりした。悪い意味で。なんて言えばいいんだろう。劇団が当日券の販売について長年努力してきたことはいいんだけど、それに唯々諾々と従うような人たちだけがファンとして残って進化したガラパゴス島というか。上にも書いた役者の実年齢と役の年齢とのギャップネタも、よくよく考えれば役者と役の年齢は一致している必要はないわけで(そんな芝居は無数にある)、劇団に馴染がない人からすれば「え、それは笑うところなの?」というネタのはずなのにドッカーンと笑いが取れるというのは、私にしてみれば不健全。まあ劇団の寿命がどこまで続くかは神のみぞ知るということで。

ただ、一番驚いたのは、帰りのロビーで見かけた、かつて前説をやっていたあの人の老けっぷり(失礼)。時間の流れを一番感じたのはここでした。ええ。

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2010年11月30日 (火)

大人計画「母を逃がす」下北沢本多劇場

<2010年11月28日(日)昼>

日本の東北地方と思しき地域で酪農を営む10名強の小集落。他の集落から距離が離れており、頭目と呼ばれる代表の元、いわくありげな構成員が、閉鎖的な雰囲気の中で生活している。具合の悪い頭目に代わって息子が代行として集落を取仕切るなか、他の集落から逃げてきた男たちが助けを求めて集落に合流する。それと時期を同じくして、かつて集落にいた別の人間が戻ってきて・・・。

とても久しぶりの大人計画は、ほぼフルメンバーによる再演。ひっぱりだこの役者に、再演するだけの価値がある脚本が揃ったのですが、詰めの甘い仕上がりが惜しまれる出来。

前半のデタラメで強引な設定を笑いと一緒に成立させて、後半(頭目の容態悪化)からのしびれるような台詞の嵐と、終盤の急展開。今の松尾スズキにこういう脚本が書けるかというと、たぶん怪しい、と思えるくらいに勢いと力強さの詰まった脚本でした。こんな芝居を連発していたらそりゃ人気劇団にもなる。ならないわけがない。

ただ、この脚本を芝居として成立させるためにはある種のアングラさというか、怪しさが必要で、それが欠けていた。舞台美術が丁寧だったり、音響や照明が行届いているのもあるけど、何より役者が重要。登場人物は閉鎖的な中でぎりぎりなラインを保ったり保てなかったりしているはずなんだけど、妙にオープンな雰囲気。みんな昔よりも上手になって売れっ子になって洗練されて余裕が出てきたせいじゃないかと疑ってしまう。こういうときこそ演出の出番なんだけど、そういうところはあまり気にしなかったみたい。それとも単に外れの回を引いただけかな。

そんな中で文句なしの出来で目を引いたのが、一番売れっ子になったはずの宮藤官九郎というのが、またどういうわけなのか。宮藤官九郎はもっと役者として舞台に出てほしいですほんと。他によかったのは池津祥子、近藤公園、あと台詞はなくても動きがたまらない松尾スズキでしょうか。贔屓の役者が多いのにこの結果は残念。

じゃあ観なければよかったかというと、観てよかった。そういう出来の脚本です。少なくとも個人的には。この脚本は、若い劇団で観てみたい。あるいは蜷川幸雄演出で観てみたい。そして次に再演モノをやるなら、ヘブンズサインが観てみたい。

帰りに渋谷のタワーレコードに寄ったら、なんかグループ魂のイベントが予定されていたようで、あんだけ芝居やった直後にタワーレコードで別のイベントって、なんか芸能人だな。いや芸能人なんですけど。こうやって劇団員が成長して、むしろ劇団としてはもって瞑すべきなんでしょう。

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2010年11月14日 (日)

こまつ座「水の手紙/少年口伝隊一九四五」紀伊国屋サザンシアター

<2010年11月13日(土)夜>

水に困る世界各国の実情を手紙として紹介する「水の手紙」 / ゲストによる井上ひさしへの手紙の朗読「井上ひさしさんへ」 / 広島に原爆が落とされた後、宿と食事と引換えに、印刷できない新聞を口頭で伝え歩く仕事をまかされた少年3人「少年口伝隊一九四五」

ひと言でいうと「はずれ、さすが、当たり」の3本。

「水の手紙」は、内容が政治的なのも、全体に「生命体の中で人間が一番偉い」という思想が見え隠れするのも嫌。温暖化のテーマも今となっては、とも思う。で、脚本はさておき、朗読が下手(たくさん動いていたから朗読というよりは演技といったほうが正確)。同時にしゃべったり、歌ったりは上手だけど、「群読のために」と銘打っているならもう少し聞かせてほしかった。チャドの母ちゃんとコロラドのおっちゃん、あとぎりぎりヴェネツィアの学生の計3人くらいしか及第点はやれん(チャドの母ちゃん役をやった人の名前がわからんので誰か名前を教えてください)。

そのくらいがっかりしたので「少年口伝隊一九四五」は期待しなかったんだけど、逆に相当の迫力でやってくれたのでびっくりした。脚本もすごいけど、読む側も負けていない。しっかり芝居が立上がった。朗読物は今後あまり一般上演されないと思うので、多少でも興味のある人は一度聞いておいたほうがいいです。たしか12人だったと思うけど、役者は全員「水の手紙」に出ていたのか? だとしたら、なんで「水の手紙」があんなにへなちょこだったのかがわからない。配役表を配らないこまつ座だったのが惜しまれる。

加えるとどちらもソロの生演奏(ヴィオラとギター)で、よい演奏でした。弦楽器に弱いんだ自分は。

で、「少年口伝隊一九四五」で役者を見直したんだが、それでも白石加代子の朗読にはかなわない。どこがどういいのかを言語化するだけの知識はないし、大ベテランと比べるのは酷とはいえ、聴いていてはっきりわかってしまうんだなこれが。多少つっかえたってご愛嬌です。こういう趣向なら木場勝己と大竹しのぶの回も聴きたかったがスケジュールが無理。

うろ覚えですけどメモ代わりに。

・最初の縁は「天保十二年のシェイクスピア」だけど、そのときは他の出演者がスターばかりなので静かにしていてあまり話していない。
・身毒丸もグリークスもやったからまだまだラブシーン大丈夫です、と「ムサシ」初演の記者会見で言って会場爆笑(笑)、それを聞いていた井上ひさしの反応は「ほう」(笑)。
・初演の稽古では毎日数ページずつ脚本が届く。そんな状況を楽しめるカンパニーだったのがよかった。台詞が少しずつ届く稽古もたまにはいいもんだと吉田鋼太郎「ちゃん」は言っていた(笑)。それで油断していたらラストシーンで自分に大量の台詞が割振られた。台詞覚えが悪いのに(笑)。
・「ムサシ」再演は初日から脚本があったのでたっぷり稽古できた(笑)。
・(再演は海外公演も行なって)ロンドンで通じるか、初日は心配していたが、杞憂だった。
・さらにニューヨーク公演。9・11があったあの都市で、怨みの連鎖はやめるべきという主題が誤解されないか心配したが、絶賛された。その興奮した観客の様子を井上ひさしに見てもらえないのが残念だった。取材に来ていた記者も同じ事を悔しがってくれた。
・井上ひさしが駆抜けた最後に、少しだけしがみつかせてもらった自分です。

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2010年11月13日 (土)

東京芸術劇場「ブルードラゴン」東京芸術劇場中ホール

今の中国で画廊を営むカナダ人の男。才能ある若い中国人の画家の女を売込みつつ、付き合っている。その画家の個展も間近にせまったある日、カナダ人の知り合いの女性が中国にやってくる。中国人の養子を迎える途中で男に合いに来た。ここを境に動く、男女3人の物語。

ロベール・ルパージュは「アンデルセン・プロジェクト」のインパクトが強かったのでぜひ観たかった。リアルな脚本と演出はさすがで、達者な役者も含めて面白いのは確かなんだけど、観ていて先読み以外の想像力を働かせる余地があまりなかった。

途中、個展会場で女2人が初めて話して、そこからバーに流れて以降の一連の流れはすばらしい。男の観客としては「自分でなくてよかった」とひやひやしながら観てました(何にひやひやしたかは実際に舞台で確かめてくれ)。あと、中国って日本は近いだけに迷惑で規格外なのもわかって慣れているんだけど、欧米の人たちはよくわからなくて怖がっているのかな。そういう印象を受けた。

あと、照明映像舞台美術効果音はよくて、特に効果音の繊細さは日本の劇場ではついぞお目にかかれないもの。それはよかったんだけど、いかにも中国っていう選曲と、一昔前の小劇場(とまでは言わないけど)で見かけた、途中で突然ダンスが入るのは集中力が切れて個人的に不満。

リアルな分、テンポはよくてもスピードがやや遅めだったな。こういう芝居を観ると、野田秀樹の「省略と誇張」に代表される日本の舞台のスピード感は、あれはあれですばらしいと思わずにはいられない。

だらだら書いたけど結論は、ガキの芝居に飽きているなら観ろ、芝居にリアルなんて求めねーよって人なら見送れ、って感じですね。次回作はぜひ「アンデルセン・プロジェクト」を文句なしのぶっちぎりで超えてほしい。

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2010年10月31日 (日)

SPAC「わが町」静岡芸術劇場

<2010年10月30日(土)夕>

アメリカの田舎町であるグローバーズコーナーズにおける、隣り合った2軒の家族を中心とした、平凡で、ありふれて、だからこそ美しい日常の話。

気になっていたので、どうせ台風なら遠出してやるよってことで行ってきました初静岡芸術劇場。一般公開初日は固さが残るものの後半に盛返した仕上がりでした。ただし遠征に見合うかと言われるとちとつらい。後半のほうが仕上がりよさそうなので、来週末以降だともっとよかったかも。

「わが町」を観るのは2回目なんですけど、やっぱり脚本がいい。誰がやっても70点までいける。ただ観るほうは「脚本で70点」というのがわかるから、ここから点数を上乗せするのは至難の業。3幕目はかなりよかったけど、1幕目2幕目はもっと上を目指せるし、目指してほしい。

SPACの役者はレベルが高いと書いてあったので期待していたけど、自分でハードル上げすぎだった。役者は声派の自分には、役者のレベルの差が気になった。個人的によかったのは、ギブス夫人と、結婚式が好きな夫人と、牛乳配達の人(この人はもうちょっと観てみたかった)。頑張ってほしかったのは、進行係とエミリで、特に進行係は、あんなに気取った声を出してはいけません。

素舞台なのは脚本の指定っぽいけど、衣装はよかったな。

1回観ているのが大きな理由なんだけど、1幕最後の脚立の場面と、2幕目最初の好きな台詞がいまいちだったのが、個人的にマイナス要素。脚立はなー、地震一発でアウトの危なさを承知のうえで、てっぺんまで登って座ってほしかった。ロビーに流れていた稽古映像ではそうやっていたのに。よりかかるのは美しくない。

いろいろ言いましたけど、なにしろ元がよい話なので、観て損ということはないです。新国立劇場で来年1月に上演されますけど、俄然観に行く気が出てきました。

演出家x芸術監督のトークがあったのは嬉しい誤算。以下なごやかなトークのメモを覚えている範囲で。質問時間はなし。順番は編集済み。細かいところは気にするな。普段役者としてしか観たことがない人が結婚指輪をしているのは新鮮だ。

(今井)演出家の違いでは3バージョンくらいだけど、文学座では毎年必ず卒業公演(?)で上演するので、それを入れると10回くらい観ている。文学座は自分も出たけど、人数が多くて1役全部割振れないので、自分が出演したときは進行係の、2幕目のソーダバーの場面のマスターから結婚式の牧師までだった。
(鈴木)なんか納得します(笑)。

(今井)東京だと、稽古は長くても1ヶ月。スタッフプランも稽古初日には出来上がっている。それを今回は8月の頭から、スタッフとゼロから相談しながら作れた。長期間な分、あまり演出プランを固めると途中で発展の余地がなくなるで、大枠までしか決めないで稽古に臨んだ。
(鈴木)衣装で色のついた布がよかった。衣装のアイディアは誰が出したのか。
(今井)最初は白と黒の衣装だけだったが、舞台袖に役者を待機させる演出プランを思いついたとき、演技中と待機中の役者を区別するために衣装スタッフと相談して出てきた。途中カラフルな衣装の場面は、重要な場面と判断して色をつけた。色はあれでも抑えたほうで、最初はもっと派手だった(笑)。

(鈴木)演出でどんな駄目出しをするのか気になっていたので稽古見学中に注意していたけど、あまり全員に駄目出しをしない。休憩になってから役者に歩いていって、こっそり話すので何を言っていたのか今でもわからない(笑)。ぜひ教えてほしい。
(今井)一度全体駄目出しをしたら、1時間半かかった。自分だったら自分と関係ない役者の駄目出しを1時間半聞くのは耐えられないので、作戦変更した。でもSPACの役者は、他の人の駄目出しを自分の次の出番に反映させるところがすごい。
(鈴木)そこに役者がいるから何を言われたか聴いてみましょう。
(役者)「軽いままでいい」と言われた(笑)。
(役者)「息を吸って吐いて」と言われた(笑)。
(今井)軽いまま・・・は、その役がやっているときっちりしたくなる役なので。息を・・・は、肉体の意識の話。自分の演出は台詞の意味よりも、台詞を言うときの意識を口元からずらすようにに注意する。普段の会話では自分のトークは気にしないで相手の反応を気にしているはずなのに、芝居になると自分の口とか咽でなんとかしてやろうと思いがち。だから例えば腕を組んだ相手と話す場面では腕の接点で相手と話すイメージを持つように伝える。実際に腕がしゃべるわけではないけど、そういうイメージを持つことで、トークの意識が口や咽からずれて、自然な会話になる。

(今井)何人かの翻訳があるけど、今回は戦前(?)くらいの森本訳を選んだ。
(鈴木)何か変更したところはあるか。
(今井)宗教関係など、さすがに今となってはこれは古い、という箇所は自分で調べて5-6箇所なおした。あとはてにをはを少々いじったくらい。わざわざ好きで古い翻訳を選んだので、それを全面的に変えるような事はしていない。
(鈴木)古い翻訳の割には今聞いても全然不自然ではない。
(今井)今どきの言葉と比べると多少言いにくいが、そのほうが台詞にインパクトが出てくる。するっと話せる台詞はするっと出ていってしまうので個人的には多少言いにくいくらいがちょうどいいと思う。
(鈴木)結婚式の場面で「1回だけなら楽しい」って台詞があって、意味がわからないが、どういう解釈をしたか。
(今井)あれは翻訳によって入っていなかったり違う訳になっていたりする。森本訳を選んだのはあの台詞が入っていたのが一番の理由。牧師から観たら結婚して子供が産まれて自分は死んで、というのは決まりきったパターンで、それに何度も関わった牧師は退屈だけど、その当事者として1回きりの経験をする分には結構なことだ、という解釈。

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2010年9月26日 (日)

青年団「砂と兵隊」こまばアゴラ劇場

<2010年9月25日(土)夜>

どこかの砂漠。行軍する軍隊の小隊、軍人の夫に会いに来た妻、新婚旅行中の夫婦、失踪した母を捜す家族。いろいろと場違いな彼ら彼女らの邂逅って言っていいのか悪いのかよくわからない出会いと会話。

自分が平田オリザを実際に観る前に抱いていたイメージはこんなだったよなーというくらいど真ん中で教科書に載せたくなるような不条理劇。ここんところの物語路線とはまったく違います。

砂を一面に敷詰めた舞台で、お前その格好で砂漠は死ぬだろという登場人物がそれぞれ真剣な、そして場違いな会話をする。それぞれの会話や個々の登場人物の造詣は惹かれるところ多数で、特にひらたよーこ演じる兵隊の歌から、後で出てくる福士史麻に絡まれて別れるまでの場面のやり取りには結構好きだったんですけど、結局のところ不条理劇なので消化不良。不条理劇は苦手なもので。でもフランス人ってこういうの好きそうですよね、と勝手な先入観で思います。

砂の舞台だから気を使って、飴とマスクをもらえる心配りはうれしいところ。ただ、質の高さは保証できても、芝居素人には勧められるものではない。そんな臭いをかぎつけたかどうか、客席も空きが目立った。で、自分で素人には勧められないって書いておいてなんだけど、東京の観客だったらこの芝居も満員にしてみろって学生時代に頭でっかちに芝居を考えていた自分は思う。

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2010年9月25日 (土)

TBS・サンライズプロモーション東京主催・制作「志の輔らくご in ACT」赤坂ACTシアター

<2010年9月24日(金)夜>

大工が物知りの隠居に質問した回答を信じた男が「バールのようなもの」、罪人を護送する船の監視役が聞いた罪の話「高瀬舟」、引越したばかりの豆腐屋が近所の貧乏学者に差入れを続けていたら「徂徠豆腐」。

都合がつくのに観たいものがない、と思って探したら見つけてしまった志の輔らくご。芝居に比べたらぐっとお得な値段も、この会場の大きさで成立するのかとおっかなびっくり聴いてみたら、これが成立したので驚いた。自分でも調整は難しいと言っていた時間は、本日は休憩20分を挟んで2時間35分。

1本目は実に気楽に笑い飛ばせる話。2本目は森鴎外の有名な話ですけど、「語り下ろし」って言っていたかな? 枕なしの勝負で、そういうのも落語にあるんだとびっくり。罪人護送の話ってタイミング的にぴったりすぎて、狙ったわけじゃないですよって後で断っていた。3本目も一応人情話なのかな。3本目は一部台詞が怪しかったけど、特にそれで壊れるわけでもなく、すべて楽しめる水準の仕上がりでした。上手な落語は、聴いていて面白いというか、楽しい。

ただ、変な事件がたくさんある世の中だからってのもあるんですけど、枕がちょっと好戦的な感じで、あまり噺家に煽ってほしくないなと願っているんですが、かといって自重するほどのものでもなく、んー笑わせてくれるだけに微妙。

以下雑感。
・この劇場は何かやらないといけない気がする、って言っていましたけど、きっと劇場が立派過ぎるんでしょう。良くも悪くも。
・1階の最後列でも、距離は遠くても顔の高さが合っていたせいか結構いけました。ただこれが2階の最後列でどう見えたかはわからない。声は当然マイクで拾っているので聴こえないことはないですけど、斜め45度から見下ろすと多少印象が変わるかも。
・これ以上大きい会場ではやらないだろうとおもったら、東京国際フォーラムのホールCでの独演会が11月にあった。もう、武道館とか東京ドームまでいかないと大会場への挑戦が収まらんのではないか。
・場所と時間と値段といろいろ条件が重なったけど、背広のサラリーマンが多かったのは、芝居ではなかなか見られない客層。年齢高めだった気がするけど、それでも男女バランスはよかったです。

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2010年9月20日 (月)

ナイロン100℃ Side Session「亀の気配」サンモールスタジオ

<2010年9月19日(日)夜>

工場勤務の父親が機械に巻きこまれて大怪我をしたため、東京から実家に戻ってきた次女。心機一転を目指して一緒についてきたそのボーイフレンド。次女は近所の付合いで、ボーイフレンドは父親の働いていた工場のバイトで、あれこれ出てくる秘密の数々。

ほぼ若手公演で休憩なしの2時間20分。役者はみんな上手いしこれからまだまだ上達する気配を感じさせてくれる。全体で見ると男性陣より女性陣のほうが一枚上手に感じられるのは、KERAの眼力なんでしょうか。抑えた中にテンションを感じる女性陣に対して、テンションを表に出しても中で抑えちゃった男性陣という印象です。特に悪役2人。ちなみに、後でサイトを確認するまで菊池明香を植木夏十と間違えていましたすいません。

で、脚本演出ですが、もともと2本立てで用意した脚本を1本にまとめていて、十分な完成度。ただ、今回の話の起点となる父親の話がほとんど出てこなくて、お前らなんで地元に来たんだと突っ込みたくなるところは何とかしてほしかった。元の脚本にはあったのかな。あと、完成度が高いのはいいですけど、高くて発展の余地があまりなさそうなのが気になった。せっかくなので脚本演出にも将来を嘱望したくなるなにかを感じさせてほしかった。芝居がKERAっぽいのは、KERAが手伝ったから当然なんですが、当日パンフのメッセージまでKERAに似ているのは気になる。やっぱり藍より出でて藍より青くなってほしいので、もっとがんばれとあえて低めの評価にしておく。

昔を振返る場面とか、いろいろ面白い場面もあって全体に満足できたんですが、疲れてこれ以上書けないので失礼。あと1ステージだけど、当日券を狙う人は枚数が少ないので早めに並んでください。

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テアトル・エコー「日本人のへそ」恵比寿エコー劇場

<2010年9月19日(日)昼>

吃音症の患者だけを集めて、自分の吃音症の原因を物語に仕立ててミュージカルとして発表することで、吃音症を治療するという、アメリカで考案された治療法。それを本場で学んできた教授による第1回の発表会は、ストリッパーだったヘレン天津の回。岩手出身の彼女が集団就職で東京に出る前の晩から話は始まる。

テアトル・エコーはこれで3回目ですが、井上ひさしのデビューがテアトル・エコーだったとは今回の公演まで知りませんでした。その処女作の上演。作曲はずいぶんタイムリーな人が担当していたのだから、豪華なもんです。すごい軽口に仕上げた2時間40分の喜劇。

上演は、たぶん初演のときもこんな調子だったんだろうという、今となってはずいぶん素直な感じ。それを役者はきっちり上演したから何も言わない。でも、この素直な演出なのに、全体に脚本の禍々しさが浮かび上がっていました。

40年前だからなのか40年前ですらなのかわかりませんが、いまどきの脚本家には書けない毒に満ちています。ところが話の構成や展開はしっかりしていて、細かい設定や言葉遣いも詰められており、結果として荒々しさをうまく残しつつ、今上演しても面白い、古くならない脚本になっています。これに比べたら東京裁判三部作なんてつまらないもんで、自分が観た範囲では、これに対抗する出来の脚本は「天保十二年のシェイクスピア」くらいかな。でもあんなきっちりではない。率直にいって、これを書いたときの脚本家は気狂いすれすれの欲求不満だったと思います。DVで名をはせた井上ひさしのイメージと脚本がようやくつながったのと、それでいて何であんなに崇められていたのかがようやくわかった。それが一番の収穫。

これは当時の舞台設定を知る伊東四朗にもう少し巧く演出してもらうか、松尾スズキにもっとケバく演出してもらうかしてもう一度観てみたいと思ったら、来年の3月にシアターコクーンで栗山民也演出+豪華キャストで上演するという折込チラシを発見。今回観られない人はそちらで取返してください。でも栗山民也かなぁ。もっと暴力とかセックスを感じさせる人が演出するべきだと思うんだけど。

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