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2011年5月30日 (月)

イキウメ「散歩する侵略者」シアタートラム(ネタばれ少々あり)

<2011年5月28日(土)夜>

ある町で3日間失踪していた男が保護された。知識に問題はないが、性格が大きく変わっていた。脳の病気ではないらしいが生活に困るため、別居中だった妻が面倒を見ることになる。男は少しずつ回復していくが、同じ頃、同じ町で、認識能力の一部が欠けた患者が次々と発生する。

調べてみたらイキウメではすでにこの芝居だけ再々演になっていて、それだけ脚本がよくできているからだと思うのですが、はたして素晴らしい物語でした。欠点も目立ちましたが、それを補うだけの魅力ある舞台というのが正確か。

1にも2にも素晴らしいのは脚本。ネタばれを承知で言えばLove&Peaceのひと言で済んでしまう内容で、うっかりすると「若えな」で終わってしまう話で、設定は荒唐無稽で展開は強引なんですけど、そんな事を気にさせない、それだけで終わらない何かが作用している。それが何かについて1日考えたんですけど、いまだにわからない。大きな背景と身近な現象という点では「東京ノート」を思い出しますけど、それと比べて、徹底的に身近なミクロの場面を描いて、それがラストに世界のマクロにつながるところがいいのかな。

そういう物語の面白さに、演出と演技が追いついていないように思う。役者でいいと思えたのは岩本幸子と大窪人衛で、主人公2人が弱い。劇中の日数の経過とか場面設定なんかも、適当に済ませたんじゃないかという点が散見。小劇場の欠点として衣装替えを嫌がるってのがあるけど、今回の演出ならそれは不自然。個人的にはテーマ音楽の音の悪さ(録音の悪さ?)も気になる。もっと言えば、脚本も部分的に整理する余地はありそう。

ところが、そういう明白な欠点が多数あるにも関わらず、いいんですよ。普通これだけ欠点があると、脚本が良くても評価は辛くなるんですけど、カーテンコールでまず「観られてよかった」という満足感が先にきました。そこが不思議なところ。

以上の感想を短くまとめると、こちらの方の感想に近くなります。「なにか奇跡が起きてる気がする舞台」というのが私の抱いた印象を説明するのにありがたい言葉です。ただ、明々白々に奇跡が起きるには粗すぎました。でも観たことのない人は観ておいたほうがいい。そういう不思議な芝居。ウェルメイドの上手な別の演出家でも観たいな。宮田慶子とか。

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2011年5月20日 (金)

梅本真理恵をご存知ですか

私はしらないのですが、こんなものを見つけたので紹介します。体調が悪くて1本しか観られん。

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買ったチケットを観に行かないのは観客の責任

上演の継続判断をするのは上演側の責任。買ったチケットの回が上演されているのに観に行かない(行けない)のは観客の責任。数回のステージ中止で経営危機が疑われる団体の次回公演の振替なんて子供銀行券と同じ。プリペイドチケットやシーズンチケットを発行して買ってもらえるだけの実績と体力は必要。ステージでなく、公演自体が3本くらい中止になっても大丈夫な蓄えを持ちつつ、公演中止に備えた興行保険に入っておくことが理想。

だからロングランで普段から稼いでおけ、と思うんだけど、やらないよねみんな。毎月新作を1週間公演を12本ならやる(やれる)団体は多いと思うんだけど、評判の再演を1ヶ月、2ヶ月、ツアーも含めて3ヶ月、って企画しないのかな。貧乏で、バイトや仕事の掛持ちをしているのはわかるけど、プロを目指すのであればそういう体制を目指してほしい。

ってことをもう少し丁寧に書きたかったけど、体調が悪いので書きなぐりで。これを読んだ感想。

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週末の芝居を断念

なんで東京原子核クラブのときに限って体調最悪になるかな。イキウメの散歩する侵略者も観られない。嗚呼。

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2011年5月17日 (火)

どうでもいいようでどうでもよくない震災の話2つ

自分が以前書いたこと同じような事を考えている人を見つけてちょっとうれしかった話。

これは「再演なのだし、震災を反映した改訂版を」と求めるものではない。決してそうではないが、再演に堪えうる舞台かどうかも震災以前と以後では変わってしまったこと、それくらい影響が深く長いことを、作り手側は冷徹に考える必要があるのではないかと思う。

あと、以前からキャラメルボックスと四季だけが丁寧だよな、と思っていた前説の話。丁寧というか、それくらいが普通だと思う。

震災後の劇場では、どこも前説がとても丁寧になった。劇場の構造に問題がないこと、余震があった場合も照明が落下しないこと、万一の場合は係員が避難場所 に誘導すること……。そしてどのカンパニーも、主宰やプロデューサーがこの環境下で上演することへの思いをそれぞれの言葉で付け加えた。私は以前から前説 はお手伝いさんや録音で済ませるべきではないと思っていたが、東京のカンパニーは前説の果たす役割を改めて認識したのではないだろうか。

単なるメモですけど、これが後で役に立つ。

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2011年5月13日 (金)

四コママンガに先を越された芝居

四コママンガ家にもいろんな人がいるけど、その中でもいしいひさいちは別格だと思う。そのいしいひさいちが描いたマンガを取上げたブログを見かけたので紹介。コメント欄も合せて読むこと。

向こうが毎日描いているのに対して芝居は何ヶ月も準備が必要なのはわかっているけど、それでも「芝居が現実に負けている」とか「芝居がつまらない」とか書いた人間としては注目せざるをえない。10年後で10年前を語る表現は、本当なら芝居の得意分野のはずで、自分の記憶では「いやむしろわすれて草」なんかが同じではないけど近い。それをわずか四コマで表現されてしまっている。四コママンガのもっとも注目の高い全国紙で「四コママンガとしてオチてません」と言われるような内容にも関わらず、先に載せられている。

最初に書いたとおり、いしいひさいちは別格だと思う。でも、創り手の側の人が芝居の準備中で先を越されたならスケジュールの話だからしょうがないけど、何も考えていない状態で先を越されたのであれば、それはいち観客から見て情けないぞと自分の事を棚に上げて伝えたい。

それとは別に、この紹介先のブログ主の紹介文が簡にして要を得ている。四コマに圧縮された想いと狙いを解凍した紹介文は、現物の四コマを見ていないけど、むしろこの紹介文のほうが現物よりも感動ものなんじゃないか。零細ブログで芝居の観劇録を書く身としては、こういう紹介文を書けるように精進したい。あんまり素晴らしいので今回のエントリーはそれを引用して終わる。

 いしいひさいちは東日本大震災を直接描くことをしませんでした。その代わり「10年前の大きな事故」を描いたのです。10年たてば関係者はみんな元気でやってるよ。みんなあなたたちのことを忘れてないよ。
 

 これは作者による鎮魂の歌です。掲載されたのは2011年5月11日。震災から二か月めの日でした

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2011年5月 2日 (月)

「東京原子核クラブ」の日程が半端すぎる

この前の3月に、死ぬ前に1本だけ芝居を観るとしたら何がいいかなって考えたんですけど、そのときの結論は「東京原子核クラブ」でした。別に原発がどうのこうのというわけではなくて、日本の芝居で世界に持っていっても通用しそうなもののうち、笑いあり涙ありシリアスありで、芝居に不慣れな人でも楽しめるもので、自分も観たいものを考えたら、そういう結論になりました。前にもう一度観ようとしたときは体調不良で断念してしまったので、再挑戦の機会をうかがっていたところです。

そこに上演の話がきたのはいいんですけど、どうも他地域の上演を主体にしているみたいで、東京は金曜土曜の2日間、それぞれ1公演の計2公演だけしかやらないらしいです。自分が観た俳優座劇場の2006年版とくらべて、演出の宮田慶子を筆頭にほぼ揃ったメンバーなんですが、この日程で観に行けるかどうかは微妙なところです。俳優座は公演の無駄遣いが好きなんでしょうか。それともツアー後に改めて上演してくれるんでしょうか。つうか上演しろよ。

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ゴドーを待たせてもらえなくて

ゴドーさんは有名人。知名度抜群。なのに誰も会ったことがない。待合せをしても来ない。10分とか1時間とかじゃなくて、来ない。平気ですっぽかすらしい。なのにすっぽかされたほうはまた待合せ場所に行っちゃうらしい。
面白半分で待合わせ場所に行ってみようと思ったけど、そもそも待合せ場所に通してもらえない。超人気。有名なだけあって超人気。同じ事を考えている人たちが大勢いて、順番待ち。ぎりぎりまで調整するけど無理な可能性が高いとか言われる。それでも待つと、案の定無理って言われる。
いやこっちも悪いのよ、並ぶ事を知っているのに寝坊したから。けど1日1回しか会う機会がない。土日祝日関係ない。渋谷や下北沢は土曜は2回は会う機会があるのが普通。でもゴドーさんは1回だけ。大物だから。それでも誰も会えないくらい大物だから。それで断られたのが悔しくて3日通ったけど、3日とも断られる。諸葛亮孔明だって三顧の礼を尽くしたら相手にしてくれたのに、ゴドーさんはそもそも待たせてすらもらえない。ゴドーさん偉い。孔明より偉い。
申し訳ありませんって言う係の人が心なしか嬉しそうに見えて憎い。憎いけど喧嘩してもしょうがないから立見でもいいからとお願いしてみる。そしたらゴドーさんはショウボウホウの教えを守っているのでといって断られる。ショウボウホウ誰だかわからない。諸葛亮とは別人らしいけどわからない。誰だかわからないから漢字も書けない。
結局ゴドーさんを待たせてすらもらえない。やばい。噂どおりの大物。待ちながらなんかしようと思ったらそれ以前の段階で待たせてすらもらえない。やばい。超やばい。


というネタは置いとくとして、民間劇場に比べたら少ない公演回数で満員になったからとかいって勇んで上に報告する職員の姿が想像されて欝です。なんで土曜日くらい2回公演にしないんでしょうか新国立劇場。もともと赤字公演続きだったところにメスが入ったのかもしれないけど、土曜日に2回公演もしないようなスケジュールを組んで、それで全公演満員でした、よくできました、とか口が裂けても言うなよ。民間だったら黒字の額で結果がはっきりでるからいいけど、それに変わる公立施設の評価指標はなんか考えないと駄目ですね。

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ままごと「わが星」三鷹市芸術文化センター星のホール

<2011年4月30日(土)夜>

40億年以上経った地球の誕生と終わりを、その地球上のある一家のある少女の誕生と終わりに重ねて描く、壮大な音楽劇。

1年前の初演ですでに大評判で、今回も立見上等の当日券目当ての人たちが大行列。確かに新しい、評判になるのも頷ける内容。ただし完成度に不満ありでもったいないというのが感想。

芝居と音楽との融合した表現形式は斬新で、ミュージカルなんか捨ててもいいと思えるような内容。観たことのない人に説明しにくいんですけど、DVDが出ていたんで観られなくて気になる人は買ってください。たぶん初めて野田秀樹が出てきたときも観客はこんな感覚を受けたんじゃないかと推測する。これを思いついて形にしたという点で、柴幸男と関係者は絶賛に値する。岸田國士「戯曲」賞受賞ももっとも。

これを支えるスタッフワークでも、照明と振付の大胆さが素晴らしい。シンプルにまとめた美術も気に入った。そして音楽は、よくぞここまでまとめたというくらいぴったりはまっている。ついでに言えば、台詞とリズムについて、こんなに的確な実例を示してもらえたことには感謝もの。

なんですけど、それに匹敵する不満が2つある。ひとつは役者。演技も、身体能力も、この芝居に要求されているレベルに届いていない。脚本負けしている。中心に向かう演技を要求される演出だけど、だとしてもこの規模の劇場で空気を支配できないのはつらい。部分的にぴんとくる場面もあったけど、全体で見れば不満のほうが多い。

もうひとつは、音楽はよかったけど音響が拙い。立見で半端な場所だったとはいえ、台詞が聞こえない場面が多すぎる。戯曲本の初演では初日直前にあわててマイクをいれたと書かれていて、今回もマイクがはいっていたはずなんだけど、音量の大きい、マイクが必要な場面では完敗。じゃあ音量を下げればいいかというと、ライブとしてはあの音量が正解だから、マイクを頑張るべき。初演ならまだしも、同じ劇場で再演なのだから、もっとやりようがあったはず。ハウリングを避けるためのスピーカーポジションを照明と取合って照明優先になったんじゃないかと予想するのだけど、そういうのをまったく気にしない音響だった可能性もある。どちらにしてももう少し考えて欲しい。

不満はあるけど、内容だけなら、この時期、東北でこそやってほしい内容だった。いわき市での公演が中止になったのが惜しまれる。再々演もあると思うので、そのときはぜひ東北ツアーをやってほしい。

蛇足ですけど、柴幸男は5年後くらいにこの種の芝居に飽きてストレートプレイにいくような予感がするので、今のうちに書きためておいてほしい。

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