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2011年6月29日 (水)

作品をつくるためにはお金儲けもしないといけない

別に私が言うのではなく、ニコニコ動画で有名なドワンゴの代表取締役です。それが今はもっと有名なスタジオジブリに入社したらしくて、それについてのインタビュー記事がこちら。その中に感銘を受けた箇所があったので紹介。

ひとつ目は2ページ目のこれ。

川上氏:
 結局,「何が目的か」なんじゃないですか。お金儲けが目的なのか,そうではなくて,作品を作るのが目的で,そのためにお金儲けもしなきゃいけないのか。 スタジオジブリのスタンスは,明らかに後者なんですよね。というか,恐らくはちゃんと物を作っているところというのは,多分そういう組織だと思うんです。

4Gamer:
 そうかもしれません。

川上氏:
 お金儲けが最終目的になってないけど,それが商業的な成功に結びつくのが,エンターテイメント,コンテンツの世界だと思います。

もうひとつが3ページ目のこれ。

川上氏:
 まぁクリエイターというのは,作品を作ることこそが目的ですよね。

4Gamer:
 ええ。要するに押井さんが自分の勝利条件として定義付けていたのは,「自分の作りたい作品が次も作れる」ことこそが,“勝利”だと言うんですよ。商業的 に失敗して周りから批判を浴びたとしても,次も自由に作れる限りは勝利者なんだと。逆に大成功を収めた結果,次の作品がその成功に縛られるようであれば, それは作り手としては敗北なのではないかと。

散々アーツカウンシルの話を書いた最後に「芝居の分野は支援してもらえて当たり前と思っている人が多すぎじゃないか。元は税金だぞ」「なんでそれで食っていける職業として成立つ劇団が少ないんだ。プロとしてやっていくつもりはあるのか」という私個人の問題意識を書きましたが、それをこれだけきれいに言葉で語られると私の出番はありません。

冗談はさておき、作品を作るためにはお金儲けもしないといけない、と考えている人たちの割合はどのくらいなんでしょう。お金儲けが汚いと考えている人が多いとまでは思いませんが、なんかビジネスがおいてきぼりになっているような印象を小劇場界からは受けることが多いです。別に10打数10安打なんて期待はしていないのですが、見送り三振の代わりに次の打席も応援したくなるような豪快な空振り三振で、ホームランを狙ってほしいです。小劇場界はお金のない業界だとしても、打席に立つ機会だけはたくさんあると思うので、そこで空振りした人たちの中から大物が出てきてくれないかと願っています。

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片桐はいり「私のマトカ」「グアテマラの弟」幻冬舎文庫

なんで買おうと思ったのか忘れたけど、とにかく買った。最初は「私のマトカ」を文庫本で買って、面白いから「グアテマラの弟」を買おうとしたけど文庫本になっていなくて、本を置くスペースが圧迫されている現状では見送っていたら文庫本が出て、買って、読んで、やっぱり面白かった。

文庫本にふさわしい分量なんだけど、1ページに、1段落に、1行に、片桐はいりフィルターを通して観察された情報が圧縮されていて、才能のある人はこういう風に観ているのかと考えさせられる。その情報量を受止めているうちに、読んでいるこちらが現地にいるかのような錯覚に陥ってくる。2冊買っても1000円未満。下手な芝居を1本観るくらいならこの2冊を読んで、作家の人生の一端を覗いてみるのも一興。文句なしにお勧めです。

そして本人を舞台で観る機会が最近少ないので寂しい。もっと舞台に出てください。

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2011年6月19日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「モリー・スウィーニー」シアタートラム

<2011年6月18日(土)夜>

ある田舎町に住む盲目の女性モリー。夫は妻の視力を回復させようと様々な調査を重ねる。そんな時、かつて世界的に活躍していたが、事情があってキャリアをドロップアウトした眼科医が同じ町の病院に勤めていることを知る。手術をすれば妻の視力が回復すると信じる夫は、手術を引受けてくれるよう医者に直談判におよぶ。

劇団のDULL-COLORED POPが評判になったとたんに活動休止になって気になっていた谷賢一が、豪華なキャストを手にして、翻訳まで手がけた3人芝居。厚みを持った芝居が見事に立上がっていました。

もったいぶった粗筋ですが、物語の展開だけなら観る前からわかるような脚本です(冗談抜きで、ちらしから予想した通りの展開だった)。それをモノローグを多用しながら、その展開の途中の登場人物の心情をものすごく丁寧に描くことで、「見ることと見えないこと」という題材を具体化した。

そういう脚本は下手をすると脚本負けしてしまうのだけど、今回の3人はみんな役を自分のものにして、さらに魅力を増幅させていた。南果歩がヒロインの喜怒哀楽を、相島一之が過去をひきずる医者の葛藤を、小林顕作が自己完結しがちな夫の心情を、細やかだったり大胆だったりのバリエーションを持たせながら、それぞれ表現していた。モノローグを使いこなしていた。南果歩は以前の芝居でいい女優だと知っていたけど、相島一之のよさは今回初めてわかった。そして小林顕作ってあれだけハチャメチャやって誰だろうと思ったら、コンドルズその他いろいろやっていたんですね。

それで感心したのは、それだけハチャメチャをやっても芝居が崩れないだけの大きい枠を設定した演出。アドリブをやっていい場面といけない場面は区別していたと思いますけど、それでもすごい。日本語もまったく不自然なところはなかったのですが、翻訳にかなり意図を込めたらしく、どこまでがオリジナルか翻訳かはわからないのですが、仕上がった芝居のよさはわかります。

あと、今回はスタッフに恵まれた芝居だったのではないかと思います。観ていてスタッフワークを意識しなかった。けど思い返すと脚本と演出の両方の意図がいろいろ感じられます。でもそういういいスタッフワークだったことを承知で、この芝居はDVDだけでなく声と音だけの録音演劇としても残してほしい。目をつぶって台詞だけ聴いていたとしても、十分面白いはずですから。

ただ、これだけ強烈な作品が仕上がって、観たことに満足しているのに、口コミプッシュする気にはなれないんですよね。なぜと考えてみるに、こちらの構えを崩してくれるあとひと押しの何かがほしかった。それが役者の演技なのか演出なのかわからないのですが、おそらく両方に絡むなにかだと思う。

これで谷賢一の名を覚えたのですが、次回は8月にDULL-COLORED POPの活動を再開して、Caesiumberry Jam(セシウムベリージャム)というどうやら原発真っ向勝負の再演らしいです。そういう脚本をすでに書いていたということは頼もしいことで、今回の仕上がりと相まってその才能に注目です。ところが、その前に同じ劇場で自分の結婚式をチケット売って公開公演するそうです。才能あふれる人の想像力は理解できませんので、芝居だけ気にしておきます。

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2011年6月17日 (金)

そういえば長塚圭史の原発芝居

ちょっと前に地震やら何やらについていろいろ書きましたけど、唐突に、長塚圭史の芝居があったのを思い出しました。パルコでやった「LAST SHOW」で、原発芝居というよりは、すぐそばで原発問題が起きているのに、家の中はもっとすごいことになっているという芝居です(味もへったくれもない要約ですいません)。そのときのバックアップから引張ってきた文章が以下。

今回の芝居ですぐそばに建てられている原発の問題が借景というか、扱われています。最後の場面で何が起こったのか確認しようとしてテレビをつけ、だけどそれをすぐに消してしまう。これを私は、北村有起哉の設定とあわせて、遠くの他人事より自分の身近のほうが大変だから、まずはそっちに集中しろよ、という意図に解釈しました。だけど、すぐそばで大きな問題が起こっているのにそこに目を向けない、という意図にも取れますし、向ける余裕のない人が今はたくさんいる、という意図にもとれます。演出家の意見を聞きたいところです。

で、実際に原発問題が起きたら、現実はもっと静かに、だけど確実に、おかしい方向に動いてました。事実は小説よりも奇なりといいますが、芝居よりも現実の静かさのほうが不気味です。

で、この芝居からさらに連想して思い出したのが「はたらくおとこ」で、これはまだ長塚圭史2本目だった自分にはきつかった。トラックの中身のやばい物体を処理するあの場面。汚染水の処分に困っている今ならLAST SHOWよりこっちのほうが変な比喩になって確実にやばい。LAST SHOWの市川しんぺーの演じた役より確実にやばい。

当時の長塚圭史がどの程度本気で原発を意識していたのか知る由もありませんが、イデオロギー臭抜きで描いたこの2本、なかなかよかったと今にして思い出す。

でも、昔の芝居に飽きた長塚圭史が、気が向いて何か再演してくれるのであれば、自分は「ポルノ」が観たい。あのラスト場面がもう一度観たい。

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2011年6月15日 (水)

アーツカウンシル騒動終わりました、プログラムディレクター募集中です

よくわからない情熱に駆られて書いた前回の長文の話ですが、終わったようです。パブコメ141件、それを適当に抜粋して議事資料に使い、まとめの報告書を清書してお前らありがとう(棒読み)というありがたいお言葉で終わったようです。

結局今の日本芸術文化振興会の運営委員会は温存したままプログラムディレクターやプログラムオフィサーの分だけ焼け太りで、振興会の皆様おめでとうございます。そのプログラムオフィサーには助成の戦略やら方向性の検討やら、審査基準案の作成やら評価基準案の作成やら事後評価案の作成やら、運営委員会はいったい何をやっているんだというくらい仕事を押付けて、それでいて審査や評価への決定権は持たせないとか、こんなクレイジーな案を通してしまっていいんでしょうか議事出席者各位におかれましては。それとも馬鹿な政治家を振付けるのが当たり前で麻痺した官僚からの、委員を上手に誘導して名はくれてやれ、実はお前が取れ、振付師の楽しみを存分に味わえるぞという隠微なメッセージでしょうか。野心と能力によってはそれも十分可能なように読取れます。

それにあわせて音楽とダンスの分野でプログラムディレクターの募集が始まりました。初代かつ各1名で、方向付けのために責任重大と思いますが、再選ありとはいえ当初任期は8ヶ月、給料はよくわからんという非常に心もとない条件です。文化活動業績とか受賞歴が要求されるあたり、制作者よりもアーティストを求めているのでしょうか。さらに他薦が用意されているところを見ると、裏で誰か唾のついた人がいるはずです。活動開始の8月1日をわくわくしながら見守りましょう。

もともと野次馬の私からすれば、駆り出された議事出席者の調査委員のメンバーには特に恨みはない。志がなかったとも思えない。むしろ負け戦を承知で、多少なりともよい方向に物事を進められればという覚悟で来たのだと思う。ただ、セゾン財団は稽古場助成で最初は役人に反対されたと第3回の資料に書いてあったからここでにらまれたくないだろうし、東京芸術劇場の最終トップは石原慎太郎だから、事を荒立ててこんな大ボスに釈明することになって野田秀樹を巻きこむような事態も避けたいだろう。他のメンバーも多数決が成立する程度には似たような事情を抱えた人が多かったと推測する。委員の選定で戦う前に勝負を決めるのは官僚の得意技なので、そこに今更異議を唱えても甲斐はない。

ただし、何も方向性を示さない、責任が問われる決定が必要な場合は臨時職員(に類する立場)に押付ける、そもそも外部への責任の表明を別にしても過去の反省からの改善能力がないという、日本芸術文化振興会の無能無責任ぶりはよくわかった。これからは納税者として、この日本芸術文化振興会自体を仕分けして廃止にするべきという立場をとることにする。役員情報のリンク先がおかしいことすら悪意に見える。

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2011年6月 8日 (水)

「アーツカウンシルとは」に対するパブリックではないコメント

まとめたけど、長い。念のためにいっておくと、ここは芝居のブログなので、芝居に限って話します。先にこっちこっちを読んでおくと、なんでこんな長いエントリーを書いたかわかります。

<2011年6月8日追記>資料のPDFのリンクを追加しました。

芸術文化振興会によるパブリックコメント募集の資料はこちら。その資料がまとまるまでの議事が8回あって、議事次第はこちら(1回目2回目3回目4回目5回目6回目7回目8回目)。


(1)自分なりの経緯の把握

後先は正確に把握していないので間違っているかもしれないけど、たぶん最初は2009年の事業仕分けだと思う(これとかこれ)。特に評価やフォローが出来ていないという指摘があって、実際に成果を定量的どころか定性的にすら説明できなかっただろうから「とにかく成果を説明できるようにならないと将来はない」というのは重視されたんだろう。

ところがここに、芸術の成果を正しく説明する方法なんてどこにもないという大きな問題がある。公平性とか納得できる基準とかを求められる税金の使途と根本的に相反する。

そこで事例を調べて見つけた。海の向こうにはアーツカウンシルというものがある。そこではプログラムディレクターとかプログラムオフィサーとかを専門家がつとめて審査と評価を行なうらしい。だったら丸ごとパクったれ。

検索したら、「六つの重点戦略」という話を見つけた。2010年6月でちょっと資料が古いけど、わかりやすいのでこれを引用。この時点ですでにアーツカウンシルという単語があった。もともと2011年からの5ヵ年計画を立てることは決まっていて、実際に今年2011年の2月に閣議決定されたらしい。だから急いで盛込んだのでしょう。

こういう経緯を考えると、とにかく、評論家ではなく専門家による基準とフォローができることが、何よりも求められているんだと思う。誰に求められているか? 芸術分野担当の官僚に。経緯は官僚主導ですよ。金を今までどおり用意するために、金をもらう側が自分たちの責任においてもらいたい金の使い道の正当性を説明しろ、もっと言えば、毎年説明に困らないような仕組と(説明する側の)人材育成まで責任を持て。ここまでがゲームのスタート。

ヒアリングの結果は、芳しくない。金の使い道の正当性を説明できる人材、あるいはそういう組織構成やワークフローについての回答を期待しているのに、もっとオープンに評価しろ、公平にしろ、云々。それは前提で、そのための意見を集めているのにもらえるつもりで回答している、誰のためにヒアリングしてると思っているんだ。と思ったかどうかはさておき、ご意見拝聴の1と2はまあいいから3で実務専門家が必要と言えるような流れで回答がほしかったのではないかと推測する。官僚がね。あと多分、ジャンル別を正当化する言葉もほしかったんじゃないかと思う。オペラのおっちゃんは結構よさそうな感じの回答だった。そういう意味では、地域別という発想はなかったはず。地域とか小せえこというな、助成金がなくなるかどうかの話だぞ、というのはさすがに邪推?

それに対して委員は実例で対応。実例は説得力があるしね。

(2)そういう前提で再構成

最大の欠点は、このアーツカウンシルの助成方針(目的)が不明なこと。セゾンでいうところの「中長期の支援」「公演の場ではなく、創造の過程を対象」「助成金だけでなく場、情報、機会などを組合せて提供」というもの。アーツカウンシルに限らず、基本方針を定めないことには機能できないのはどこの組織も同じ。「プログラム」ディレクターや「プログラム」オフィサーがプログラムを組めない。そしてこの基本方針が既存助成団体と重なるならわざわざ国がやる意味がない。

そしてその助成方針に大義名分がないといけない。何を大義名分にするか。「六つの重点戦略」に載っていた
・文化芸術そのものの価値の向上
・日本人のアイデンティティの確立
・文化力=経済力・外交力の基盤
のうち、3番目を大目的にする。具体的な活動としては戦略6の「文化発振・国際交流の充実」を目指す。

そして成果が評価できることが大事。咽から手が出るほど大事。これを海外活動の実績、その際の興行の両側面から評価する。国が税金で支援するのにふさわしい規模だし、支援が終わったあとも追跡調査しやすい。あと、単発の助成だと評価しにくいからセゾンを見習って3年から5年の期間を対象にしたいけど、そういう(一般的には)中長期の助成を正当化するには、これくらいの大風呂敷があってしかるべき。つまり、海外公演の実施と、助成終了後の海外での活躍を評価対象とする。3つの項目で「文化芸術そのものの価値の向上」を選ぶとアーティストの育成が入ってくるけど、アーティストの実力向上は評価できない。なので活動を評価項目にする。そこがポイント。

どこでジャンル別の話を持ち出すかはわからないけど、評価対象も評価項目もジャンルによって違ってくるのはなんとなくわかる。なので以下は芝居を対象にした話。各分野でこれを決めないといけないので、初代の担当者の任務は重い。

具体的には
・助成対象を直近3年でX公演以上、かつ平均年齢がX歳以下の団体とする。これは、すぐに解散されても困るし、助成した結果、長く海外向けの活動をしてほしいから。そして支援後も海外向けの活動をしてほしいので、制作責任者を含めた団体をターゲットとする。アーティスト個人は対象外。
・助成期間の最後に海外公演を行なうことを目指す。3年なら3年後の海外公演をターゲットに、助成期間はそのための準備、つまり、それに耐えうる製作側の創りこみの準備と、制作側の準備に充てる。もちろんその間に国内で上演するのは問題ない。というか、その上演と上演準備を海外公演のためのテストプロダクトという位置づけにする。最低限、国内ツアーを行い、その活動を評価するところまでこぎつける。また、支援完了後も継続観察する。
・助成(国)側は、海外公演の調整、制作のサポート、海外芸術事情のアドバイスなどを行なう。その他、環境やら現金やらあってもいい。海外の芝居を観に行くツアーがあってもいい。短期留学があってもいい。海外公演につながる名目が立つかどうかで判断。
・これを、ひとつの団体に対して助成側は特定の個人(複数でもいいけど固定のメンバー)が担当することで、より深く、個別の団体の特徴を生かす方向に進める。
・スタッフを助成対象にするか困るのだけど、これもまた評価しづらいので、直接助成対象にしないで、海外公演のための「助成内容」として扱うことで、結果的にスタッフが助成の恩恵を受けられるようにしたらいいのでは。今はそこまでしか思いつかない。

この実務を担うのが、プログラムディレクターとか、プログラムオフィサーとか。誰がやるか。ここで劇場法(仮)とかを持ち出す。劇場館長、あるいは劇場プロデュース部門のトップで海外に明るい人を中心に持ってくる。ここで将来はジャンル別の下にさらに地域別の階層を設ける、とかすればいい。芸術監督が制作に詳しいかどうかは不明なので、そこは実情に応じて決める。短期で入れ替わるという問題があったけど、これならそれぞれの劇場の任期に応じて少しずつ入替わるし、極端な短期も長期もない。それがイヤなら就任時にだけ資格を課し、最短と最長の任期を明記しておく。誰がディレクターで誰がオフィサーかはさておき、座長は新国立劇場の指定席。ただし、海外制作の支援が務まる人。この場合の支援の具体的内容は不明だけど。

アーティストオンリーの人は入れない。教授も評論家も入れない。支援されるのはアーティストとスタッフで、支援するのは制作のプロとして制作経験のある劇場の上位スタッフを資格の担保とする。ここを人選の基本とする。野田秀樹はどっちかと聞かれると、芸術監督なので資格としてはあり。ただ制作に詳しいかどうか知らないので、詳しくて本人が希望するなら本人が、詳しくないなら高萩宏が、劇場代表になる。

じゃあどうやって選ぶか。そのときのプログラムディレクターやプログラムオフィサーの独断による推薦を、プログラムディレクターたちの合議による独断で選ぶ。こればっかりは独断になってもしょうがない。体裁は応募性だけど、事実上の推薦とする。打診して断られたら、次点の団体を推薦する。ただし、その都度重視する項目を「プログラム」の一部として事前に発表しておく。その項目は一定期間通す。プログラムディレクターもプログラムオフィサーもその項目に沿って評価する。あと、プログラムディレクターやプログラムオフィサーが普段からどんな団体を観ているのか、それをどう評価したのか、ブログでもなんでもいいからすべて発表させる。未発表は罰則。偏っていてもいいので、偏っていることがわかるようにする。

選考漏れの団体をどうするか。諦める。全部とか無理。あるいは最初から特定の劇場で上演した公演が評価対象、他は対象外にする。むしろ推薦したくなるような団体は劇場プロデュース公演で上演させて推薦候補にする。もう一歩進めれば、プログラムディレクターやプログラムオフィサーの劇場に助成候補育成とかの名目で助成金を渡してもいい。劇場法(仮)につながりましたね。めでたい。ただし、助成の採択数が少ない劇場は外す。あるいは推薦した団体の評価が低い団体ばかりだったらやはりその劇場は外す。入替える

その団体の評価を何によるか。ここで経済を導入する。海外公演ステージ数、会場のキャパ数、そして実際の(有料)入場者数を初めとして、最終的には海外興行で黒字かどうかをひとつの目安とする。グッズを売ってもいい。これは芝居の内容と制作手腕の両方が求められ、しかも申告内容に嘘がなければ助成団体で左右できない。あと、短期だと赤字確実なので、一定期間の公演が必要になる前提を導入して、それでいろいろ慣れてもらうという狙いもある。ただ、海外でいきなり純粋黒字はハードルが高すぎるだろうから、なにがしかの費用はさっぴいていい。輸送費とか。ただ個人的には、海外公演だから赤字当たり前というのはおかしい。当初の目的に照らすなら、海外で現地の人が金を払ってでも観に来てくれて黒字公演になるような団体を輩出するのを超長期目標とおいてもいい。

まあこれは大風呂敷で、全部を海外に持っていけるとは限らないので、最初は国内ツアーの助成から始めて、その中でさらにいけそうな団体を海外推薦としてもいいと思う。

ここまでの話を上演団体から観た話に整理。
・一定の実績を持つ上演団体は、特定の劇場に応募して上演する。あるいはその劇場から誘われて上演する。
・そこでプログラムディレクターやプログラムオフィサーの眼鏡にかなうと、打診を受ける。
・受けると、応募書類を兼ねた目標までのロードマップの作成になる。ここからプログラムオフィサーがヘルプに入ってのアドバイスが始まる。このときすでにある程度の助成項目や金額も見積もる。
・で、応募して、審査。
・で、合格すればチャレンジ。公演のたびに決算と評価をして、ロードマップを確認して、団体の方針と活動内容を調整。
・公演がないときでも定期的にそのロードマップを確認しつつ、上演やら準備やらをしながら、国内ツアーまでこぎつける。
・その結果がよければ、海外推薦。
・で、合格したら、1年くらいかけて準備する。慣れの問題も、字幕その他の問題もあるから、原則再演。仕組が回ってきたら新作での挑戦を開始してもいいかも。

こうなると組織構成としては、プログラムディレクターやプログラムオフィサーが金額やらなにやらを含めた助成を決めるようにする。今の運営委員会と部会を置き換える。今の運営に物言いがついているのが最初だから、それでいい。
・理事長
・ジャンル別プログラムディレクター
・ジャンル内プログラム別オフィサー
の3段構成。将来地域別に展開する場合、地域別担当者を配置する。これをプログラム別オフィサーと並列に置くか、プログラム別オフィサーの配下に置くかはそのとき検討。ただ、助成が始まった後の助成の実務を、プログラムオフィサーが行なうのか、そこから委託されたプロの制作者がサポートする形のほうがいいのか、ここはちょっと今はわからん。

(3)こういう考えに立ったパブコメのようなもの

コメント1。そもそも助成方針が不明確。助成方針の立案までPDやPOに期待しているように読めるけど、公平な助成、万遍のない助成はそもそも不可能という前提に立って、それは金の出し元である国(から委託されている日本芸術文化振興会)が既存の助成団体とは違う方針を、責任を持って決めるべき。ここを逃げる団体に納税者として助成金を任せたくない。PDやPOの仕事が決まらないのはこれが原因。自分の意見は上述。

コメント2。現在の助成対象と評価委員の資格が曖昧。助成対象はアーティストと制作者を団体単位で、評価委員は制作経験を持つ劇場の上位スタッフということを明らかにしたい。アーティストが直接評価側に入るのには以下の2点から反対。
・選定が恣意的と言われる可能性がある。またそれを防ぐ手段がない。無理に防ごうとしてアーティストと無関係な分野を担当させると、それはアーティストを起用した意味がなくなる。
・そもそもアーツカウンシルは助成対象の成果を評価したり今後の活動をサポートするのが元来の役割で、それは国を超えても共通する概念として保持すべき。なのに助成側、審査側に回ることで育成する云々というのはアーツカウンシルではない。単なる言語遊びとして流したり、日本の現状に合わせて解釈とかで逃げてはいけない。最低限この意味を固定しないと、何でも助成可能になる。

コメント3。その上で、PDとかPOがサポートになって決定権がないのはおかしい。今の委員で評価できるならPDとかPOとかポストを用意するのがおかしい。評価できなかったメンバーのサポート役を増やすだけなら反対。今の委員を大幅に入替えて、PDやPOに実質的な評価委員として権限を持たせる。その代わり、上に書いたような資格を設ける。何も劇場法(仮)にこじつけた資格というわけではなく、求めている職務内容の質は高くも量も多いので、そういう立場の人でないとこなすのに支障がでるだろうというのもある。あと、PDやPOは各ジャンルを広く浅く観るよりは、特定のジャンル内で広く深いほうがいい。

コメント4。芝居に関して言えば、評価団体に(略)の資格を設ける。東京なんかはそれでも数が多いと思うので、さらに上演場所で区切ってもいいと思う。その上で、その評価資格公演は必ずPDやPOは観て、個人的に発表してもらうし、その感想を評価メンバーが交換する場を定期的に設ける。月1回くらいが理想。こういうことも、劇場職員なら職務に組みこめるけど、アーティストやスタッフだと厳しい。

コメント5。地域別に分ける場合は、細かい地域分けにしない。地元密着アーツカウンシルが将来出てくる事を期待して、国は大まかな分け方で対応する。東京、東日本、西日本でいい。東日本や西日本のような広い区分で評価資格公演を観るのも、アーティストやスタッフだと厳しい。

コメント6。公平は期待しない。ただし透明性を課す。プログラムと評価ポイントは事前に公表する。評価メンバー(PD、PO)には費用を払う代わりに、普段の芝居で何を観て、どう評価したかを逐一発表してもらう。プログラムの段階で偏りが起きうるのはしょうがないが、それならそれでその期間は一貫した偏りを目指す。その偏りがわかるように、発表してもらう。

コメント7。海外を対象とすることで、その外国語でその国の芝居を観られる、制作が出来る程度の語学力は助成側のメンバーの能力としてかなり重要視する。

コメント8。最終評価に興行評価もいれたいので、会計知識もあったほうがいい。これを会計専門家にするか、制作アドバイザーが兼ねるかは不明。現実的には別々にしないと人材がいないか。

(4)まとめ

なんか現状追認の箇所も多いけど、せっかくのチャンスなら官僚のプロレスにのるのもありと思います。ちなみにこの話の前提となる私の問題意識として、
・芝居の分野は支援してもらえて当たり前と思っている人が多すぎじゃないか。元は税金だぞ。
・なんでそれで食っていける職業として成立つ劇団が少ないんだ。プロとしてやっていくつもりはあるのか。
という、個人的にはまっとうと考える意見があります。なので貧乏当たり前のアマチュア劇団の単発運営費に税金を使って欲しくない。助成するならプロを目指す人の中で今後の見込みがある人に、それでプロになるまでの修行の費用を税金で立替える(投資する)ことで、将来もっとお釣りがくるような大物のプロになってほしい、というのが願いです。

<2011年6月14日追記>決着がついたようなので改めてエントリーをアップしました。

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2011年6月 6日 (月)

アーツカウンシルでパブリックコメント募集中

短期間らしいので注意。後で直すか追加する前提で。

<2011年6月7日追記>書きなおしました

パブリックコメント募集中。別に自分は出すつもりはないけど、何か書きたい。
・参考になる落着いた意見。「過去8回分の議事次第および配付資料を全部読んだのか疑問に思うものが多い」というのはその通りで、これはひどいです。過去8回分はここからどうぞ。PDFが読めない環境しか持っていない人間には意見をいう資格はない。真面目な話。
・自分には1回目より、2回目から4回目のヒアリングのほうが興味深い。あと、3回目のセゾンの例が興味深い。絶版らしくて本が手に入らないのは惜しい。
・議事次第はあっても、議事録が見つからないんだよな。
・ちなみに自分が以前書いたのはこれ(「アーツカウンシルってなんじゃらほい」)。我ながら言いたい事を結構上手にまとめている。

追加で何か書くためのメモ。
・セゾン財団の方針。作品の芸術性の高低ではなく、財団のプログラムの方向性に合致しているか。というか3回目の紹介がすべてでは。
・実務(制作)経験優先か、観客視線優先か。
・特定分野か、全分野か。作品か、育成か。公演か、製作過程か。
・実施するために強引に進めている感があるのは、実績作って金を引張るための官僚の努力の一環では。
・日本で実務をもった状態で、広く世界を見渡すことが可能なのか。
・観る側が年間100本観るのは可能。自分でも50本は到達した。シスカンパニーのあの人は300本。評論家でなく制作・製作側は何本観ているか。とりあえず全部ブログに書かせろ。
・宮本亜門ですらこんなもんかと思ったツイート
・最初から公平とかありえない。

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ナイロン100℃「黒い十人の女」青山円形劇場

<2011年6月4日(土)昼>

昭和の高度経済成長期。テレビ局のプロデューサーである風は、猛烈な数の仕事をこなす一方、妻帯者でありながら次々と女性に手を出す男だった。職場が重なっていがみ合うのにつかれた女性たちは、風の妻を巻きこんである計画を立てる。

映画原作の舞台化ですが、映画は未見。いかにもKERAっぽい演出だけど、多少ひねっているとはいえKERAでは観ないストレートな脚本。女優の競演を楽しむ舞台。あまり男女のあれこれの経験値が高くない男の感想という言い訳を先に書いた上で感想。

もともと女優陣に主眼を置いた芝居と思うけど、峯村りえの貫禄と、松永玲子の迫力と、村岡希美の情が見せ場。特に松永玲子はすごい。ナイロン100℃より武者修行を選んだころからめきめき実力をつけているけど、今回の迫力は圧倒される。十人の他の女優も決して悪くはないけど、この迫力の前に全部喰われた。そのせいで芝居がアンバランスになってつまらなくなったというくらいすごい。小ネタとしては、緒川たまきが声の演技を披露する場面で、もう展開がわかっていてあとは笑うところなのに、妙に上手で客席が笑い損ねてむしろ感心していたのが面白かった。いい芸を持っていますね。

一方、みのすけ演じる風は観て面白いけど、とっかかりがまったく見つからなかった。そういう人物として描かれているし、そこがみのすけの演技に合ってはいたのだけど。今回は、女性が観たら喜びそうな舞台。男の場合、身に覚えのある人が観たら面白いかも。

で、自分の結論は、原作の映画を観たくなった、むしろ原作の映画でよかった気がする。これを生で観ることによる迫力というのはあるんだけど、迫力じゃないんだ、最近の自分が芝居に求めるのは。それとも面白さを読取るだけのあれこれの経験値が足りないのか。足りないんだろうな。

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