世田谷パブリックシアター企画制作「モリー・スウィーニー」シアタートラム
<2011年6月18日(土)夜>
ある田舎町に住む盲目の女性モリー。夫は妻の視力を回復させようと様々な調査を重ねる。そんな時、かつて世界的に活躍していたが、事情があってキャリアをドロップアウトした眼科医が同じ町の病院に勤めていることを知る。手術をすれば妻の視力が回復すると信じる夫は、手術を引受けてくれるよう医者に直談判におよぶ。
劇団のDULL-COLORED POPが評判になったとたんに活動休止になって気になっていた谷賢一が、豪華なキャストを手にして、翻訳まで手がけた3人芝居。厚みを持った芝居が見事に立上がっていました。
もったいぶった粗筋ですが、物語の展開だけなら観る前からわかるような脚本です(冗談抜きで、ちらしから予想した通りの展開だった)。それをモノローグを多用しながら、その展開の途中の登場人物の心情をものすごく丁寧に描くことで、「見ることと見えないこと」という題材を具体化した。
そういう脚本は下手をすると脚本負けしてしまうのだけど、今回の3人はみんな役を自分のものにして、さらに魅力を増幅させていた。南果歩がヒロインの喜怒哀楽を、相島一之が過去をひきずる医者の葛藤を、小林顕作が自己完結しがちな夫の心情を、細やかだったり大胆だったりのバリエーションを持たせながら、それぞれ表現していた。モノローグを使いこなしていた。南果歩は以前の芝居でいい女優だと知っていたけど、相島一之のよさは今回初めてわかった。そして小林顕作ってあれだけハチャメチャやって誰だろうと思ったら、コンドルズその他いろいろやっていたんですね。
それで感心したのは、それだけハチャメチャをやっても芝居が崩れないだけの大きい枠を設定した演出。アドリブをやっていい場面といけない場面は区別していたと思いますけど、それでもすごい。日本語もまったく不自然なところはなかったのですが、翻訳にかなり意図を込めたらしく、どこまでがオリジナルか翻訳かはわからないのですが、仕上がった芝居のよさはわかります。
あと、今回はスタッフに恵まれた芝居だったのではないかと思います。観ていてスタッフワークを意識しなかった。けど思い返すと脚本と演出の両方の意図がいろいろ感じられます。でもそういういいスタッフワークだったことを承知で、この芝居はDVDだけでなく声と音だけの録音演劇としても残してほしい。目をつぶって台詞だけ聴いていたとしても、十分面白いはずですから。
ただ、これだけ強烈な作品が仕上がって、観たことに満足しているのに、口コミプッシュする気にはなれないんですよね。なぜと考えてみるに、こちらの構えを崩してくれるあとひと押しの何かがほしかった。それが役者の演技なのか演出なのかわからないのですが、おそらく両方に絡むなにかだと思う。
これで谷賢一の名を覚えたのですが、次回は8月にDULL-COLORED POPの活動を再開して、Caesiumberry Jam(セシウムベリージャム)というどうやら原発真っ向勝負の再演らしいです。そういう脚本をすでに書いていたということは頼もしいことで、今回の仕上がりと相まってその才能に注目です。ところが、その前に同じ劇場で自分の結婚式をチケット売って公開公演するそうです。才能あふれる人の想像力は理解できませんので、芝居だけ気にしておきます。
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