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2011年6月17日 (金)

そういえば長塚圭史の原発芝居

ちょっと前に地震やら何やらについていろいろ書きましたけど、唐突に、長塚圭史の芝居があったのを思い出しました。パルコでやった「LAST SHOW」で、原発芝居というよりは、すぐそばで原発問題が起きているのに、家の中はもっとすごいことになっているという芝居です(味もへったくれもない要約ですいません)。そのときのバックアップから引張ってきた文章が以下。

今回の芝居ですぐそばに建てられている原発の問題が借景というか、扱われています。最後の場面で何が起こったのか確認しようとしてテレビをつけ、だけどそれをすぐに消してしまう。これを私は、北村有起哉の設定とあわせて、遠くの他人事より自分の身近のほうが大変だから、まずはそっちに集中しろよ、という意図に解釈しました。だけど、すぐそばで大きな問題が起こっているのにそこに目を向けない、という意図にも取れますし、向ける余裕のない人が今はたくさんいる、という意図にもとれます。演出家の意見を聞きたいところです。

で、実際に原発問題が起きたら、現実はもっと静かに、だけど確実に、おかしい方向に動いてました。事実は小説よりも奇なりといいますが、芝居よりも現実の静かさのほうが不気味です。

で、この芝居からさらに連想して思い出したのが「はたらくおとこ」で、これはまだ長塚圭史2本目だった自分にはきつかった。トラックの中身のやばい物体を処理するあの場面。汚染水の処分に困っている今ならLAST SHOWよりこっちのほうが変な比喩になって確実にやばい。LAST SHOWの市川しんぺーの演じた役より確実にやばい。

当時の長塚圭史がどの程度本気で原発を意識していたのか知る由もありませんが、イデオロギー臭抜きで描いたこの2本、なかなかよかったと今にして思い出す。

でも、昔の芝居に飽きた長塚圭史が、気が向いて何か再演してくれるのであれば、自分は「ポルノ」が観たい。あのラスト場面がもう一度観たい。

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