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2011年8月14日 (日)

(ワークショップ)新国立劇場演劇研修所「NNTドラマスタジオ オープンスクール(長いまとめ)」新国立劇場内稽古場

読む際の注意事項は目次をご覧ください。

(1)受講の感想

決まってから開催まで時間が足りなくてあまり告知できなかったらしいです。見逃した人、お気の毒でした。見つけて応募したのに落ちた人、観客の自分が枠を取ってすいません。見つけてスケジュールも大丈夫だったのに応募しなかった人、残念でした。ちなみに訊いたところでは、実技の都合で男女比を半々にした以外は、純粋な抽選だったそうです。

自分は「しのぶの演劇レビュー」で見つけました。最近は製作、制作のいろいろな案内も多く掲載されているので、定期的に確認するといいです。

講師陣を見た瞬間に3万円でこれはお得だろとは思っていましたが、実際に受講したら想像以上にどの講座も非常に充実していました。いや本当に。特に自分のように理論や歴史に疎い人間にとっては、目から鱗の連続です。一コマ3万円の価値があったと言っても大げさではない(さすがにそこまでは払えないですけど)。ワークショップがこんなに面白いものだとは知りませんでした。想像以上に実技が多かったのですが、それが研修所の方針に沿ったものであることは後で気がつきました。

すべての講座で共通していたのは「相手を聴くこと」「自分の身体感覚に敏感であること」「自分を表現するより全体をよくする事を目指すこと」で、それをどうやって実現するかを手を変え品を変え教えることが研修所の方針と理解しました。ここまでカリキュラムと講師陣の教える内容が統一されていると、研修所として目指すところにはブレがないのがよくわかりました。

あと、会場がすばらしかった。都心のあの場所に、使った稽古場はたぶん10間×9間×高さ4間。その広さによく響く音響と木の床に、ピアノはスタインウェイ。床には今まで立て込んだであろうセットの後が残っていて、いろいろな稽古の歴史を感じました。あの講師陣にこの場所で勉強できる研修生が本当にうらやましい。

自分の事前の想像ではもっと暇な、芝居と関係ない人が多く参加すると思ったのですが、芝居と無関係なのは自分ひとりで、あとはすでに役者のキャリアを歩いている人、あるいは役者のキャリアを検討している人ばかりでした。今回応募しなかったそういう人たちで、理論や歴史なんて役に立たないと思っている人、あるいは理論や歴史の存在自体を把握していないような人には、ぜひこのオープンスクールを受けてほしいです。これが自分の路線と合わないならしょうがないですけど、だとしても、こういうものがあり、こうやって教えていることを知ることは、世界が広がると思います。

オープンスクールの次回開講は未定とのことですが、観客の立場としては、芝居以前の芝居を撲滅するために、ぜひ定期的に、開講してほしいです。1回20人では受けられる人数も制限されますが、これより増えると授業の密度が薄まるので、1回あたりの人数を増やす代わりに、毎年どころか四半期に1回くらいのペースで、できるだけ多くの人が受講できるように開講してほしいと研修所および新国立劇場にはリクエストしておきます。今回、これだけの講師陣が揃ったのが偶然の産物らしく、次回開講が決定してもたぶん揃わないと聞きました。次回以降の受講希望者は、オープンスクール自体が講師陣の職務に組みこまれて無理やりにでも日程が確保されることを願ってください。

それとは別に、こういう内容を知ることは一般人としても有益なので、一般人向け中心にも企画してほしいです。今回、自分はたまたま夏休みの時期と一致したので平日でも受講できましたが、土日2日間で受講できるような短縮版とかできませんでしょうか。じゃあ何を削るかと言われると悩ましいのですが。

運営についてはひとつだけ、告知の時点で、抽選や料金振込などのスケジュールを事前に明示してもらえれば、自分の予定との調整がしやすかったので、そこだけは改善の余地ありと思います。当日運営から懇親会まではとてもスムーズで、まったく困りませんでした。この場を借りて感謝御礼を。

(2)当初の疑問について

目次にも書いたとおり、「正直な声に興味がある」、「芝居の面白さをもっと分析的に観られるようになりたい」、「研修所での教育がそもそも成立つのか気になる」という3つが受講動機でした。声については身体と聴くこととの両方から、面白さの分析については演出と戯曲の両面から、まだ把握できたとはとてもいえませんが、その取っ掛かりをつかむことができました。これはまあ、これから自分でもっと勉強していくことなので。

そして3つ目の研修所の教育について。3日目までずっと違和感を持っていたのですが、午後の宮田演説を聴いて気がつきました。教えることはできても育てることはできないのですね。どんな職業でもそうでしょうけど、役者は特に。

役者という職業は、特に研修所の方針では、身体や俳優の内なる衝動を重視するので、進捗を外部が把握してフィードバックを戻すことができない。アウトプットの良し悪しを判断するのにも能力がいる。そして何より、アウトプットに間違いはあっても正解はない。教えられるのはインプットの方法と、せいぜいアウトプットのための身体作りまで。インプットをアウトプットにつなげるところにこそ役者の役作りの能力が問われるのであって、そこは教えて教えきれるものではない。場合によっては足りないインプットから的確なアウトプットを出さないといけない。それが役者の職業といわれればそれまでですが、本当に難しい。どんな職業でもそれぞれの悩みはあるし、会社で必要とされる職種にも似ている側面はあるのですが、それでもまだ、目で見て教えられて、目に見えて進捗や結果を把握できることが会社の職種では少なくない。

今までいろんな役者を観てきて、あるいは研修所の上部組織である新国立劇場演劇部門の芸術監督として、「なりたいと思ってなれるならそんな結構な話はない」というのは本心でしょう。真摯に取組んでさえモノになるかどうかわからないのなら、中途半端な志望者がきたら追払わないと間に合いません。それを一言に集約したのが、栗山民也も言った「自立」という言葉なのかとこのときに気がつきました。むしろこれだけはっきり言ってくれた宮田慶子が4日間で一番優しい講師だったと思います。

それでなくとも仕分けと言われて久しい昨今、自分が同じ立場なら、毎年とは言わないまでも3年に一度くらいは大スターが出て「自分が今あるのは研修所のおかげです」と方々で発言してくれたら予算に運営にどれだけ助かることかと泣きが入るところです(調べたら、想像より少ない予算で運営されていました)。そういうプレッシャーを感じない、あるいは感じても前向きのエネルギーに変換できる人でないととても勤まりません。すごいですよね講師陣の情熱は。

で、そこまで考えた上でも、「芝居に関する支援を(研修所も含めて)国がやることか」という別の問いに対する答はまだ出ていません。日本の芸能界がスター主義でやってきたのはそれなりに需要があったためで、需要がないところに優秀だけどスターではない役者を供給するのがいいのかどうかはわかりません。その意味で、(まだ観たことはないですけど)宝塚は今まで上手にやってきたものだと感心します。結果で判断するなら、サッカーを参考にすれば20年(今が7年目なので、あと13年)見守って、そのとき初めて「あれ、最近の日本の芝居ってレベル高くなった?」となるかどうかです。ただ、今でも面白い芝居は面白いので、それがどうレベル高くなるのか、読めません。厚みが出てくるのかな。どちらかというと、役者より演出家のほうが需要があるのではとも思います。この問題は、今後も継続して考えていくことになりそうです。

(3)他の参加者の皆さんへ

今回のワークショップが充実していた理由の半分は講師陣とカリキュラムでしたが、残り半分の理由は皆さんのおかげです。ありがとうございました。いろいろな場所から、幅広い人たちが集まったものだと今思い返しても感心しています(皆さんから見れば、むしろ観客なのにワークショップに来た自分のほうが珍しかったでしょうが)。これで将来舞台で観られるのを楽しみにしています、と締めれば美しいのですが、自分はそんな素直な人間ではないので、ここから上から目線の話を少し。皆さんをぱっと見たときに、いい意味での「ずるさ」が少ない人たちだという印象を持ったので。

すでに役者のキャリアを歩いている人たちには頑張ってくださいとしか言えません。今さら私がどうこう言える問題ではありませんので。ただ、これから役者を目指したい人たちには、こんなしんどい仕事を本当に続けるつもりですかと訊きたいです。

私は観客として見巧者になりたいとは思いますが、それと同時に、つまらないものはそもそも観たくないとも思っています。映像と比べて生のパフォーマンスは、面白いものは映像より面白いけど、つまらないものは映像よりつまらないという特性があります。そして音楽など他の業界と比べても製作側の敷居が低いのが小劇場で、ハズレ作品にあふれています。そこでハズレをつかんだときの腹立たしさは映画や音楽の比ではありません。「観ることが、育てること」というキャッチコピーがあって、それはその通りだと思いますが、まだ育っていないものを観るだけの心理的、時間的、金銭的余裕は私にはありません。それは私に限らず、たいていの観客一般がそうだと思います。

皆さんが舞台に出演予定が決まって私に教えてくれたとして、今なら私は観る代わりにそのチケット代で一緒においしい食事を食べたい。観たくない芝居を観て腹を立てるくらいならそのほうがよほど楽しいです。タダでいいからと誘われればもっと観たくない。金を払ってでも観たくなるような芝居を観たい。この10年以上、車を買えるほどのお金を突っ込んで、小劇場から大劇場、来日公演、数は少ないですけど海外での公演まで、日本の自腹の一般観客としては多い部類に入ると思えるだけの舞台を観てきたつもりです。面白い芝居以上につまらない芝居にもたくさん遭遇しました。いろいろな事情で芝居を観るのを止めようと思ったときも何度かありました。そして実際に、芝居に費やせる時間は昔より減ってきています。それでも観るのであれば、単に上手なだけの芝居ではなく、自分にひとつでも多くの良い影響を与えてくれる芝居を、自分で選んで観たい。そういう芝居に出られるだけの実力が身について、そこに参加できる運に恵まれる人が皆さんの中にどれだけいるか。ゼロで当たり前、1人いれば上出来、2人いればラッキー、3人いたら奇跡だと思います。

自分は大学のときに演劇サークルに入っていて、そのときの先輩、同期、後輩たちでこの道を目指した人たちも何人もいましたが、モノになった人はひとりもいません(疎遠になったので最新の情報は知らないのですが、今調べてみたら、まだ続けている人はひとりは見つかりました)。何をもってモノになるというかは定義によりますが、専業で食べていけるという意味では、おそらく誰もいません。首尾よく研修所に入れて役者として能力が磨かれても、それでモノになるかどうかはまた別問題です。

単に芝居を続けるだけなら、就職先や職種さえ上手に選べば、社会人として続けることはできると思います(出張や転勤が少ない、比較的時間の融通が利く、etc.)。会社なんて踏み台にすればいいのであって、それを「いや、就職したら芝居はできない」と考えているのであれば、それは真面目にすぎます。すでに働いている人の場合は、働きながら関わることも考えてみてはどうかと思います。あるいは芝居の周辺職業に興味を持っていた人には、そこはビジネスチャンスが眠っていて、しかもその分野のパイオニアになれるチャンスだから、そこで第一人者を目指してはどうかと勧めたいです。怪我一発で駄目になる可能性があるのもアスリートと似ていて、何も好んでいきなりそういう職業を目指さなくてはいいのではと思います(ちょうど小劇場で上演していた「ナツヤスミ語辞典」に、怪我がきっかけで役者を辞める役が登場していましたね)。逃げ道を確保してから戦うのは卑怯でもなんでもないし、むしろ補給線を準備しないで戦い始めるほうが無謀だと思います。

こんなことを言って止めるくらいならそもそも役者という職業は目指さないでしょうし、それで中途半端に不満を抱えて歳を取ってからさいたまゴールドシアターに応募するくらいなら、さっさと挑戦して、さっさと飽きたほうが健康だと思いますので、たくさん場数を踏んでください。いま売れている劇団は、上り坂の時期に年間5、6本は上演しているので、アルバイトをしながら続けていくならそのくらいのペースを目指してください。ひとつだけ応援の言葉を言えるとすれば、モノにならなかったサークルの人たちも、飢えて死んだ人がいるとは(一応)聞いていません。今の日本に住んでいれば、戦争が始まらない限り、その心配はないと思います。

自分が観たいと思った芝居を調べたときに「あ、この人が出ている」というのが私の勝手な理想です。都内のあの劇場やこの劇場で、ひょっとしたらウェストエンドで、皆さんがクレジットされた芝居を観られることを楽しみにしています。

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