キャラメルボックス・アナザーフェース「ナツヤスミ語辞典」新国立劇場小劇場
<2011年8月8日(月)夜>
かつて教師を務めていた男のもとに、今は中学2年生になった昔の教え子から、夏休みの課題「昔の担任に手紙を出す」のための手紙が届く。仲のいい3人組の生徒がそれぞれ送った手紙に書かれていたのは、補習で登校した夏休み中の学校での出来事、そしてそこで出会った人物を巡る話だった。
「キャラメルボックス見納め」とか「柿喰う客なんか、今観たらただの馬鹿騒ぎとして片付ける」とか、今まで散々なことを書いておいて、よりによって両劇団のコラボレーション芝居を観ました(何で観たかはたぶん次くらいのエントリーで)。脚本はキャラメルボックスから、演出は柿喰う客から、役者は両方+さらに客演を呼んでの当公演。想像よりもよくミックスされていて、しかし想像以内の面白さにとどまりました。
今更気がついたのですが、両劇団ともあまりリアリズムを追求しないのと、すごい早口で台詞を話すのとで、かなり相性がいいです。その場合どちらの色が強く出るかと思いながら観ていたのですが、オープニングこそ柿喰う客っぽかったですし、ところどころにそれらしい演出は入っていましたけど、全体にはキャラメルボックス調が強かったようです。それは脚本の構成がそれだけしっかりしていたからだと思いますが、それでいて、(通常具体的なセットが多いキャラメルボックスの芝居を)あの斜面だけの舞台に立上げたのは演出家の手腕の賜物だと思います。普段のキャラメルボックスよりこちらのほうが好みです。
役者はまあ役者なのですが、その中でボスを演じたコロと、カブトを演じた熊川ふみは落着いたトーンで通し、よくこの脚本と演出におさまるトーンを見つけて通したなと感心しました。観ていた自分は、この2人に脚本の可能性を教えられました。
ただ、脚本の力が強いと脚本の粗も目立つのがつらいところで、キャラメルボックスでよく見かける、肝心な場面をご都合主義で転がすところが残念です。具体的には、撮った写真に被写体が写らなかった理由を即座に理解するところは、あれは非常に慎重に伏線を張って理解につなげる準備をしておかないといけないのに、さらっと進めてしまうあたりは、物語に没入したいこちらの感覚をぶった切ってしまいます。リアリズムと無縁とはいえ、物語重視の脚本としてあれは賛成しかねます。
あと役者でいうと、手紙を受取る、語り部に位置づけられる多田直人が弱かった。強く出て次につなげないといけないのにトーンダウンさせてしまう場面が何箇所がありました。たまたま観た回だけなのかもしれませんが、重要な位置を占める役なだけに影響が大きいのと、他の役者にそれを感じなかっただけに目立ってしまって、非常にもったいなかったです。
好きなら観ておいて損はなし、苦手なら見送って問題なし、迷ったら見送ってよし、という当たり前の結論で申し訳ないですが、当日券はありましたし、バルコニー席でも見えない箇所はない美術なので、挑戦する方はどうぞ。
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