松竹主催「美女はつらいの」大阪松竹座(ネタばれありあり)
<2011年11月3日(木)昼>
すばらしい歌唱力を持ちながらあまりに太っており、かつ病気の父親を抱えるため、歌が下手な美人歌手のゴーストシンガーを務める主人公。憧れのプロデューサーには応分の扱いをしてもらえるも、美人歌手やマネージャーからはさんざんな扱いと迫害を受ける。自殺を試みるまで思いつめた主人公は整形外科に通い大手術を受ける。美人になった主人公は別人の振りをして元のプロデューサーのオーディションを受けに行く。
ブログを書き始めてからたぶん初の遠征。もうアレがアレしてアレなんで「そうだ京都へ行こう」とか考えていたんだけど、どうせなら変わったことをしたいと考えて思いついたのが松竹著作権問題。どうせなら実物を見比べてやれ、でも「原作」の漫画はいまさら売っていないだろうから芝居だけ観てもわからないか、まあ交通費も馬鹿にならないし漫画がなかったらやめとこう・・・ジュンク堂、お前の品揃えには脱帽だよ、だったら観に行ってやるよ。
ということで原作5巻を大人買いして事前に読んだ上で、日帰りで行ってきました。以下全力でネタばれ。観に行った理由が理由だから許されたし。
まず内容「だけ」で言えば、これは裁判官が別物と判定したのもしょうがないというほどの別物。舞台が日本か韓国かは置いといて、まず漫画で言えば
- 大学生の大学生活が中心(主人公が学生なのか、学食でバイトしていただけの若者なのかがいまいちわからない)
- 1話目の1ページ目が整形済みの段階でスタート
- 憧れの彼を、地味ブリッコ二股女から略奪して紆余曲折を経て付合いはじめる(2巻まで)
- 付合いをご破算にしそうなイベント(妹にばらされそうになる、うっかり情けをかけた別のブスに振り回される、偶然会った彼の先輩にほれる)(4巻まで)
- 同棲を始めるもお互いの欠点が目に付いて、さらに他の女から略奪の働きかけを受け、整形を白状するも、めでたしめでたし(5巻)
- 全体に、「美女に対する誤ったイメージを実行して嫌われそうになったのを、ブス(不幸な立場一般)の気持ちがわかるためにリカバリー」というパターンのコメディ
というもの。これに対して芝居は
- 音楽業界の歌手とマネジメント側が中心、主人公には歌唱力という能力あり
- 主人公を誘導して(もてあそんで?)、無料で整形して、さらにサポートするのが天使という設定
- ブスがいじめられ、さげすまれ、憧れのプロデューサーのパーティーで恥をかかされ、自殺したくなるまでが大半、加えて整形して正体を隠してオーディションに受かってデビューするまでが前半
- 整形してデビューしたものの実は整形前にもプロデューサーが好意を寄せていたことを知って後悔する、事務所の方針で「美女らしい」振舞いを叩き込まれるが却って性格がゆがんで忙しくて会えない親の面倒を見てくれていた友人と険悪になる、主人公のデビューでクビになった美人歌手から正体を追及される、並行して事務所の契約トラブルでプロデューサーが自己嫌悪に陥る、コンサート当日に事務所が解散同然になってしかも正体がばらされてブーイングの中でステージに上がって謝罪して応援されて歌ってめでたしめでたしの後半
- 全体に、シンデレラストーリーをベースに「ブスの悲哀」「正体を隠して美人になったための苦労と苦悩」を描いた物語
というもの。共通点らしきものは「主人公が整形して美女になる」「美女らしい振舞いをしようとして失敗するエピソードがある(エピソード自体はまったく違う)」「他の女に正体を追及されてばらされそうになる(追求される理由が、身内からの追及と、クビの恨みとで違う)」「格好良くて女に困らないような男が、外見無視の性格重視で相手を選んでいる」くらい。これだけじゃさすがにどこにでもある話の設定。今回の一件を知らない人が両方を観て原作関係を指摘できるとは思えないし、指摘できたとしてもその話を聞かされた人は「でもそれってよくあるパターンじゃないの」と返事するレベル。
なので、作品面から著作権を追求するのは無理、この芝居が映画を参考にしている証拠を探すしか手段がないんじゃないか、というのが私の印象。さすがに当日パンフレットは買わなかったけど、ぱらぱらめくった感じでは映画のことすら一切触れていない。触れていないことが逆に確信犯だと思うんだけど、それは証拠にならないので、クレジットで誰か映画にかかわっている人を探すとか、韓国での上演時の資料を探すとか、韓国から舞台化の申し込みがあったときの記録を探すとか、そういう方法しか思いつかない。「原作」者と講談社におかれては大々的な調査となって面倒かもしれませんが、ここで一発かましておかないと後でもっと面倒な犠牲者が出ると思いますので、最低でも「あそこは無断でやるといろいろうるさいからパクるのはやめておこう」と知らしめる程度にはがんばってほしい、それがコンテンツ海外展開先駆者の苦悩と承知して引受けてほしい、と勝手に願っております。背中から撃つようなことをブログに書いておいて勝手に願ってんじゃねーという感想を持たれるかもしれませんが、作品面については正直に、正直に。
ここまでが騒動に対する意見。ここからが芝居の感想。
面白いといえば面白いんだけど、いくらミュージカルに単純明快はありがちと言っても、それ以上にそのご都合主義はどうなのよ、という点が散見。
- 天使という設定を持込むことで、貧乏な主人公の大規模整形費用が無料になること(あるいは、ゴーストシンガーをやっているのに家賃を滞納するほど貧しいこと)
- いくら性格重視の男だからって、ブスの主人公にほれるきっかけがわからない(歌唱力にほれたって設定を新曲の場面で描いたのだとは思いますが)
- 整形や芸能界に対する台詞に違和感を感じる
とくに最後が不思議で、最初は芝居だからいじめも何事も大げさにやるのだと思っていました。けどプロデューサーの台詞に、美人歌手はダンス、XX(失念)、整形、ダイエットと努力している(大意)とあって、え、整形って努力に含まれるの? 他の役に言わせるならまだしも、ひょっとして韓国ではそれが普通? みたいなカルチャーギャップが芽生えたのがひとつ(他に、いまどきニュートラル(ナチュラルだったかも)美女なんてありえないという美人歌手の台詞もある)。あともうひとつ、事務所のトラブルに「奴隷契約」とかでてきて、あれ、ダブルキャストのもうひとりのヒロインの所属ユニットで実際に騒動になっていなかったっけ? 全部作り話と思っていたけど実はかなり現実が反映されている? だとすると他の部分、ブスへのいじめや美女は何をしても許されるという設定もかなり韓国の実情を反映しているのかも、といらぬ想像が湧いてしまったのがもうひとつ。だから、これは口パクかも、あの人はどこか整形しているのかな、このくらいのいじめは日常茶飯事なのかな、と今観ている芝居に対していろいろ考えてしまって、何かですね、素直に楽しめなかったんですよ。
役者についていえば、主人公のパ・ダは結構観られたし、聴けた。でもクライマックスの音響オペはもっと落としたほうがいいと思う。プロデューサー役のオ・マンソクは演技も歌も力不足。一番よかったのは、天使役兼整形外科役兼あといくつかを演じたキム・テギュンで、何をやるにしても余裕が感じられたし、声も出ていた。あと父親役の人がちょっと気になったけど名前不明。アンサンブルは振付はさておき、全体にもう少し揃えてほしかった。あと日本語を混ぜるのであれば謙虚さよりも面白さを追求してほしい。エンターテイメントをやっている最中に卑屈に見られたらアウト。その点でもキム・テギュンはよかった。
あと雑感。チケットは9割がた売れていてびっくり。客層は40以上の女性団体が主、もう少し若目の女性が若干、40以上の女性に連れられてきた旦那さんがごく少数、自分は希少種。拍手はプロデューサー役に一番多かったので客層は男性スター目当てだったと思われる。いわゆる韓流が最近批判されているけど、こういう人たちにそれなりの需要があるとわかったのは収穫。他の観客のおしゃべりによると、原語には言葉遊びがちらほらあってもっと笑えるらしい(韓国語と日本語を流暢に話している人だった)。あと別の観客は騒動のことを知っていて、でもシンデレラストーリー自体がよくある話だろと自分と似たような感想を話していた。大阪松竹座は3階席まである、新橋演舞場の幅を狭くしたような劇場だけど、どこから観てもわりと観やすくてよい、そのかわりロビーが狭い。かに道楽は何件もある。読み終わった漫画はどうしよう。
どうせなら京都に寄ってきたかった、1日つぶして高い交通費で日帰りで何やってんだと後悔はしきりだけど、反省はしない。それにしてもやったことはフリーのライターみたいなものだけど、事前調査に交通費に芝居にと金ばかりかかって、もっとまじめに調べるなら映画のDVDを買うとかもあるし、これは儲からん、フリーの収入3分の1則(サラリーマンの3倍もらって やっとサラリーマンと同じくらいの稼ぎになる)は本当だ、と実感した。
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