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2011年11月30日 (水)

第三舞台「深呼吸する惑星」紀伊国屋ホール(ネタばれあり)

<2011年11月29日(火)夜>

地球から遠く離れた惑星にある、地球と友好関係にある国だが、軍事的に地球に依存しているために独立活動を行なっている者がいる。ここに地球から配置された兵士の自殺率の高いことを気にして科学者が調査にやってくる。どうやら幻覚をみることで精神的な影響を受けるらしい。

ちょうど予定がついたので観てきました初にして最後の第三舞台。感想はいまいちで、少なくとも今回、第一舞台と第二舞台との間に、第三舞台は現れなかった、これだけ役者を揃えていまいちって点に大いに不満ありという結果。以下ネタばれでこのいまいちの中身を考える。これから観に行く人は後で読むべし。

ダンスが多いとか、年齢をだしにするとか、そういうネタはあまり気にしない。解散公演だし。長野里美の着ぐるみが定番らしいというのははじめて知った(ちなみにこれが一番盛上った)。

役者からいうと、見所満載の女性陣にたいして、それでいいのか男性陣という感想。長野里美の存在感がすごいよくて、筒井真理子と山下裕子もキャラを立てて応戦する。男性陣で一番上手いと思ったのは高橋一生で、きちんと会話していた。だけど小須田康人と大高洋夫はおとなしくて見所がわからない。そして筧利夫がやばい、声の大きさとテンションだけで勝負するって、それも手段のひとつだろうけど、自分には駄目だった。筧利夫の出番が多かっただけに、これがかなりの悪印象になったのがひとつ。

で、脚本演出の話。なんでこんな感想になったかを考えたけど、脚本が悪いんだと思う。ひとつは本来脚本に書かれていないといけない、設定(というのか状況というのか場面というのか環境というのか)が設定になっていない。推測するに、初めに登場人物がこうなるという案が先にあって、その案を実現するために、人物造詣とか人物の歴史とかではなく、必要な「機能」を設定に持たせることで解決しようとしている、あるいはそれ以上設定を練っていない、だから設定が設定として生き生きしていない。たとえば科学者の身の回りの世話を命じられる、その科学者から調査の依頼手続きを受けたりする、だけど普段の立場は園芸員で、花の架空購入で横領しているって、なんか変でしょう。あるいはかつて3年前まで保護した男と一緒に暮らしていたのに、その後整形して結婚詐欺で宇宙指名手配されるくらいの大物詐欺師になったって、ないとはいえないけどかなり極端でしょう。総理大臣が毎日墓参りにくる墓の宿舎の裏手で栽培禁止の花が栽培されているとか、もっと早く気がついてほしいでしょう。前作では矛盾が気になったけど、矛盾しているかどうかではなく、ご都合主義かどうかでもなく、状況や人物描写について本来脚本にあってほしいものが欠けている。表現が正しいかどうかわからないけど。

脚本でもうひとつ、地球とこの星との関係が、なんか日米の関係を冷やかしているような意図を感じる。軍事の設定しかり、文化依存の設定しかり。だとしたら、冷戦はもう終わったんだよ、新しい地政学が始まっているんだよ、中国は日本だけでなく世界の脅威だよ、といいたい。文化依存にしても、むしろ今は世界が日本に興味津々な時期で、日本は積極的に世界にアピールするべきで、その文化の一端を担う芝居としてあなたはどうなんですか、この芝居で世界に日本や日本文化をアピールできるんですか、といいたい。元々政治的な芝居が嫌いなのもあるけど、なんだろう、惑星という設定に総理大臣まで登場させているのに、このスケールの小ささは。

たぶんその印象は、鴻上尚史の脚本は、登場人物より真理より鴻上尚史自身のメッセージを伝えるところに重きを置かれていて、鴻上尚史の演出は、そのメッセージをいかに効果的に伝えるかを強調しようとしている、というところからくるのではないだろうか。だから人物を立体的に描くとか人物間の関係のいろいろとか状況を深く掘り下げるとか、そういう方面を期待している自分と全然合わなくて、逆にメッセージに敏感に反応した人たちは、熱烈な支持をする。だとすると納得がいく。今回で言うと、「絶望する人は行動する、あきらめる人は行動しない、みんなあきらめる(大意)」とか、そういうの。あと芝居のメインの話が、48歳と21歳との「ありがとう」で、書いたものが将来も残るかどうかってあたりで、自分たちの話、もっといえば鴻上尚史の書き手としての心配事みたいな印象を受ける。そのつもりがあったかどうかは別として。そうすると、第三舞台初の自分にはどうでもいいことになる。

メッセージに反応しないのはお前がおっさんだからだよ、と言われれば、それは否定できないけど、でも8400円の芝居で誰をターゲットにしたんだ。学生か。今まで10年間上演していないって、今の学生は観たことないってことで、それに8400円払う学生がそんなにいるのか。どう考えても全盛期のファンで、今はおっさんおばさんになった人たちがターゲットだろう。

なので今回は、全盛期をリアルタイムで観たファンが、盛大なお見送りをするためのイベントだと認識するのが正しい。熱烈だったファンは、これを観て、時間は過ぎて戻らないことを認識して、心置きなく縁が切れるような儀式にすればいい。あれだけ役者を輩出しただけでもすばらしいことだし、そのくらい輩出するだけの個性があふれる劇団が長続きしたほうが奇跡なのだから、惜しむには当たらない。

<2011年12月3日(土)追記>

ひょっとして、この芝居って劇団である第三舞台の関係者間で起きたプライベートないろいろを元ネタにしているのかな。だとすると、スケールの小ささにもなっとくだし、男性陣の控えめだったり棒読みだったりする演技は今更こんなネタ蒸し返すなよという脚本演出家への抗議と読取れなくもない(たくましい女性陣はそんなものものともしない、とか)。

いや、いくらなんでも筧利夫のあれはないよな、ってのがずっと引っかかっていたんだけど、一人客演に招かれた高橋一生が、他より若いのも含めて、早くに亡くなった看板俳優の代役なのか、と考えたら、そこから全部ネタなんじゃないかと妄想してしまった。生きていれば喧嘩別れするのが世の常なんですけどね、早く死んだ人はいい思い出ばかりが残るのも世の常で。

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コメント

はじめまして。
私は初日に観劇しました。
私もあなたと同じで、筧さんにガッカリでした。封印前にも何回か見に行ってますが、あんなではなかった気がしたのですがね・・。セリフが多いからは役者として言い訳にはならないですよね、棒読みなのが本当に観てて聴いててつらかったです。
初日は、小須田さんがグダグダでした。噛みまくってて、感情移入ができなくて、残念。

が、救いだったのは、長野さんです。
本当に輝いてました。終始安定してて、すばらしい女優さんだと思いました。

チケットの売れ行きも好調で追加公演も続々決定し、なんだか解散祭のようになってしまっていますが、きっと、何回か本番をこなすに連れていいものに変化していくのではないでしょうか?(脚本は変わらないですが・・)

>まきまきさん

どうも。たしかに本番をこなすうちに変化するかもしれません。長丁場の公演はそういうことが期待できるのがいいですよね。

ひとつだけ弁護するとすれば、長野里美は今の職業と家族の話、前の夫、学生時代の友人と背景が一番多い役なので、役作りの材料がたくさんあったことです。逆に筧利夫は記憶喪失なので、仮にでもそれ以前の過去を手がかりに役を作ってはいけないのが不利です。それにしてもあの棒読みはないと思いますが。

私が観た回は台詞を噛むことはありませんでしたので、もし封印前にも観ていた(熱心さはともかく)ファンでしたら、公演後半で当日券に挑戦して、変化を確認してみてはいかがでしょうか。

やはり、がっかりされた方が多いんですね。私は、偶々チケットが取れましたので29日火曜日と昨日5日月曜日、つまり1週間挟んで観て参りました。筧さんの棒読み台詞はだいぶ改善されていましたが、やはり作品としての物足りなさは残ります。何故かと考えてみたのですが、人物設定が陳腐であったとしてもストーリー展開がわかりやす過ぎるからだと思います。これまでは内面の葛藤セリフを里美さん演じる女性に言わせることが多かったように思いますが、主役の筧ちゃんの役にそれがあるかというと無いですし、やはり第三舞台での主役としては軽すぎます。最後の最後に舞台に残るのが客演の一生クンだったというのも、物足りなく情けない話。余韻が無かったんですよね。やはり、主役は大高さんか小須田さん、又は里美さんで行かなきゃ、締まりません。筧さんはイロモノで中心に据えてはいけないキャラの人だと思いますよ。筧さんが映像メディアで売れたから主役に置くことで客が呼べるんだと制作サイドは考えたかも知れませんが、従来の役者(大高さんや小須田さん)を中心にし、成志さんや勝村さんら封印公演メンバーも含めてストーリーを新たに考えた方が良かったのではないかな、と思います。私も昔から観ていますが、別に里美さんの着ぐるみを見たいワケではありませんし、だから、そのネタが里美さんに振られた時に老老男女(若い人がいなかった!)の客席が待ってましたとばかりに拍手喝采したのには正直がっかりし興醒め致しました。
音響担当が10年前の人から変わっていませんか?挟まれる転換の曲(というより無機質な金属音的な音)が、全く良くなく魅力的でなかった。スピッツや斎藤和義さんの曲もイマイチに感じました。第三舞台にはやはりブルーハーツだと思いますね。そして、あの喪服のダンスからそのまま新劇的リアル芝居にした方が、熟年を迎え、老年に差し掛かっている役者さん達には芝居のし甲斐があったのではないかと思うのです。最後に、真理子さんは、さすがでした。近年のテレビでは見せない、見られない、従来の第三舞台芝居からよくある自由奔放な役をあのお年で相も変わらずコケティッシュに演じていました。

>ふじゃがいもさん

どうも。昔から観ている人でもいろいろ思うところのある出来なのですね。

はじめまして。12/16に見て、う~んと思いながらネットを検索していて、この記事をたまたま読みました。

封印前の第三舞台も他の小劇場系も、それなりに見ていて、それなりに好きだった世代です。

正直言ってつまらなかったです。年齢のせい?「第三舞台」という枠にこだわりすぎたせい?とか、つまらない理由をあれこれ考えましたが、明確な理由はわかりません。

「今は昔じゃない」ということなのかもしれません。解散するのもむべなるかな、なんですかねえ。

私も、高橋一生さんがいちばんよかったです。

>たこすさん

どうも。いいか悪いかははっきりわかっても、その理由をはっきり説明するのは難しいですね。私もそれでいつも苦労しています。

はじめまして。
オールドファンは懐かしがって、変なところで感動しているので(笑)否定的な意見はないのかなと思って、ここにたどりつきました。
ここに書かれていること、何回もうなづきました。こんな同窓会的な集まりに参加して、しまったなと…
解散という儀式がなければ人を集められない、集めれると思ったらぶったくる。
第三舞台は、とっくの昔に過去のものだったんだと思います。

>snafkin7さん

どうも。「同窓会」とわかっていればもう少し考えようもあるんでしょうけど、その評判を待っている間にチケットが売切れたり、公演が終わったりするので、難しいですよね。

びっくりするほど、懐メロなので驚いた・・のが正直な気持です。時代と寝た表現って、やはり時代が変わると厳しいんですね。昔ん演歌や歌謡曲は成立しても昔のJ-POPは今聴くと古臭さだけです。昔、一世風靡した曲であればあるほど・・。悲しいけど風俗ってそうなのかなぁ。見ていて痛々しかったです。筧さんを始め皆さん俳優部がそれぞれの立場で今後ずっと活躍することでみんなの心に第三舞台が残り伝説になればいいんじゃないでしょうか・・。これだけずれた演出をできるところが、そしてそういうダサいものを大好きな人が山ほどこの国のPOPカルチャーを支えてるのもまた真理ですが。だから縮小したとはいえ『渡辺美里のコンサート』に人が集まり『長渕剛』はカルト信者を産むわけだし。それは世界の音楽や演劇とは遠く離れたこの国のドメスティックな文化です。結局、SASの桑田さんほどのベタでスタンダード・・なバンドとしての協同幻想と普遍性を第三舞台は持ち得なかった・・ということなのかなぁ。 青春は苦く、年を重ね劣化する事は悲しい(特に表現者は)。

29日横浜で見ました。リレイヤーⅢから何年振りだったか!見たくてもチケットがとれなかったのです!!今回,妻がプレリザーブに数回トライ。取れました!
客入れのロキシーミュージックで,もう出来上がってしまいました!出だしの「モダンホラー」を思い出させるダンスで,もう興奮最高潮に!!
ただ,話が始まってからは,大高さん,小須田さん演技に往年のキレとパワーがないように感じられ,あまり乗れませんでした。筧さんは,みなさん酷評していますが,確実に場面をつくっていて,結構良かったのではないですか?女優陣と客演の高橋一生は,良かった!特に,高橋一生の抑えがちの演技,味わい深かった。今度,私の大好きなピンターをやる?見に行かなくては!・・・
と、客演の彼がこんなに目立ってどうする!
横にいる妻が,「彼が若いから,脚本に合っていたんでは?」と言っています。
成程・・・・!「第三舞台」は,やっぱり若者の劇なのかも・・・。解散正解かも。


○付記

「話」は,正直イマイチかな。
場面つなぎも,往年のダイナミックさ,華麗さが感じられない。


>hanegiさん

どうも。ライブパフォーマンスは古くなるのを避けられない宿命ですよね。

>赤目さん

どうも。往年を観ていないので比較の感想は書けませんでしたが、私が観たのは公演序盤なので、1ヶ月経って筧利夫が馴染んできたのであればめでたいです。

記事中の、
「逆にメッセージに敏感に反応した人たちは、熱烈な支持をする。」
という記述の、おそらく「敏感に反応した人」にあたる人間です。

舞台の中身や出来をどうこう言うつもりは全くないのですが、舞台に対する愛が凄く溢れている批評で、読んでいて清々しかったです。
非常に文章でした。また来ます。

>ひでさん

どうも。インターネットで見かける感想は全面賛成と全面否定が多くて、私のこのエントリーは否定派に入ります。ただ、それは芝居とそれに対する自分の主観で、観て喜んだほかの人を否定しているわけではないので、そこを汲んでいただけたようでうれしいです。

ずいぶん昔に「朝日のような夕日をつれて」の福岡公演に行きました。
残像として心に焼き付いている、イメージのようなものが今もあります。
今日、「深呼吸する惑星」の福岡公演に行ってきました。でも、途中でちょっと眠気が・・・。
話の中身がよくわからないまま終わったので、ネットであらすじを調べようとして、このサイトに行きあたりました。
終わった後、客席が何度も拍手して役者たちを舞台に出そうとした気持ち、わかるような気がします。最後ですから。
でも、それとは反対に舞台では、さっさと幕を下ろして終わらせたいような、名残惜しさもないような、あっさりした空気がありました。夜の部があったから?
どんなことも、継続していくためにはパワーが必要ですよね。
若さという意味ではなく。そんな気持ちで帰ってきました。
ちなみに、後ろにいた大学生くらいの子たちは「おもしろかったね!」と大騒ぎしていました。

はじめまして。本日大千秋楽をライブビューイングで観てきました。
脚本に関してはある部分は同意しますが
アメリカと日本との関係の件は、今も横たわっている問題もありますし違和感は感じませんでした。
そもそも”三島を思わせる男の昔の動画に影響を受けた現代の男”がストーリー上必要で、その為に上記の設定を使用したというのがあるのでしょうし。
演技については棒読みとの批判は違うのでは?
つか作品に影響を受けた人ですからリアルな演技ではなく役者のパッションを楽しむ演出なのでしょう。少なくとも自分は筧さんや筒井さんの演技にそれを感じました。
他の役者も下手であることは認めますが、
ある程度同様のことを感じました。

>naoさん

どうも。パワーとかエネルギーって、何をやるにも重要だと自分も年々感じるようになってきています。

>エンダーさん

どうも。脚本は人によって受止めかたがいろいろあると思います。

演技は、自分が観たほぼ初日から1ヶ月以上経っていますので、上で別の方もコメントで書かれていますが、棒読み部分は改善されたのではないかと思います。

今日の大千秋楽を現地で観てきました。

その前に横浜でも観てるのですが、その時の感想が「良くも悪くも第三舞台」というものでした。鴻上さんはあえて第三舞台としての演出、脚本を踏襲したんじゃないかな、っていうのが素直な感想です。
でもそれぞれの捉え方が昔と違うのは、観ている側も時を経ていろいろ変化していったからなんじゃないのかな?なんて考えています。自分自身だったり、世間だったり環境だったり。

今日の大千秋楽に関しては自分にとって25年の思いが詰まっているので、もう冷静な評価はできなかったです。
はっきりしてるのはこれで区切りがついたこと。
でも、その区切りは10年前でも良かったのかもしれません。

昨日最終日の昼の公演に行ってきました。

観劇自体が久し振りで、それなりに面白かったですが、スケール感の問題や、シナリオの問題は、おおむね同意できます。「棒読み」という指摘についてはそこまでは思いませんでした。ああいうものとして受け入れられたというか。

まったく個人的なことですが、20年近く前に生まれて初めての演劇挑戦で「天使は瞳を閉じて」を演じる機会があり、創造的な「場」の作り方とか世界を構造的にとらえる見方とかを学び、それ以降仕事上の色々な局面でも鴻上さんの言動に影響を受けてきました。そんなものとして、このタイミングでの「解散」は、実人生の上でも次に進む上でいい区切りになりました。私としては今やってもらって良かったです。

>Nukeさん

どうも。「らしさ」をわざと踏襲した可能性はあるかもしれません。

はっきり区切りがついたのであれば、10年前かどうかは問わず、それが何よりかと。

>まるいとさん

どうも。自分が同じ脚本の上演に挑戦した経験があると、それが初めての1本だったのならなおさら、影響は大きいと思います。

それで区切りがつけられたのであれば、めでたいと言えるのではないかと。

私も第三舞台は96年のリレイヤーⅢからのコアな方から見れば多分浅いファン歴なので大した事は言えませんが気になりましたので。

鴻上さんの脚本や演出は古いなと感じます。
今時blogや同性愛など手法が変わっていない。
鴻上さんが始めた時は新しかったのですが。

でもそれは10年前も感じてた事で…。
今更言っても仕方ないのかなと思います。

それより今回の公演を2回見て思ったのは、鴻上さん以上に第三舞台の世界を表現出来る人はいない。
それだけで充分。

やはり解散公演に求める物は第三舞台らしさですから。

どれだけ脚本の出来が素晴らしくても長野さんの着ぐるみが無かったらそれだけで「物足りなかったな」と思っただろうし。

ただキャストは残念でした。
今までなら長野さんの役を大高さんや小須田さんが演じ、筒井さんと山下さんの賑やかし役は筧さんと勝村さんじゃなかったかなと。

主役を筧さんにした事で大高さんと小須田さんはあの演技程度になり見せ場が無くなってしまった。

筧さんは第三舞台になるとあの位だったと思うので彼の演技や鴻上さんの脚本を責めるつもりはありません。

第三舞台らしかったですから。

やはり第三舞台は大高さんと小須田さんと長野さんの映える物語が一番。

改めて昔の公演のビデオが見たくなりました。

>しっきむさん

どうも。それだけ思い入れがあれば、ファン歴が短くとも立派なコアファンだと思います。劇団のカラーを出すのに演出家というポジションは重要ですよね。

エントリーは私の主観ですので、しっきむさんが観て満足できたのであればそれが大事なことです。

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