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2011年12月30日 (金)

2011年下半期決算

決算です。

(1)キャラメルボックス・アナザーフェース「ナツヤスミ語辞典」新国立劇場小劇場

(2)虚構の劇団「天使は瞳を閉じて」シアターグリーン BIG TREE THEATER

(3)Project Nyx「伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪」ザ・スズナリ

(4)DULL-COLORED POP「Caesiumberry Jam」シアターグリーンBox in Box

(5)劇団☆新感線「髑髏城の七人」青山劇場

(6)維新派「風景画」西武池袋本店4階まつりの広場

(7)新国立劇場主催「イロアセル」新国立劇場小劇場

(8)TBS・サンライズプロモーション東京主催・制作「志の輔落語 in ACT」赤坂ACTシアター

(9)松竹主催「美女はつらいの」大阪松竹座

(10)文学座「岸田國士傑作短編集」紀伊国屋サザンシアター

(11)ホリプロ主催「炎の人」天王洲銀河劇場

(12)新国立劇場演劇研修所「ゼブラ」新国立劇場小劇場

(13)キューブプレゼンツ「有毒少年」CBGKシブゲキ!!

(14)第三舞台「深呼吸する惑星」紀伊国屋ホール

(15)世田谷パブリックシアター企画制作「狂言劇場 その七 Bプロ」世田谷パブリックシアター

(16)ままごと「あゆみ」横浜赤レンガ倉庫1号館

(17)M&O playsプロデュース「アイドル、かくの如し」下北沢本多劇場

(18)PARCO主催「90ミニッツ」PARCO劇場

(19)パルコ企画製作「ロッキー・ホラー・ショー」神奈川芸術劇場ホール

(20)さいたまゴールドシアター「ルート99」彩の国さいたま芸術劇場小ホール

以上20本ですが、隠し観劇が1本あって21本、チケットはすべて公式ルートで購入した結果、

  • チケット総額は118050円
  • 1本あたりの単価は5621円

となりました。上半期の10本とあわせて

  • チケット総額は177130円
  • 1本あたりの単価は5714円

です。後半に無理矢理詰込んだら30本に乗ってしまった。もっと減らさないといけないのに。

下半期の筆頭イベントはやはり新国立劇場演劇研修所のオープンスクール参加。あれはいろいろ刺激になった。ただ、神経の変なところを刺激されたようで、受講時に消化しきれなかったのはしょうがないにしても、年末になっても妙にひっかかっている。受講直後はためになったと思ったからこそあの5部作の長文エントリーを書いたけど、本当に受けたことがよかったことなのか、今になって迷う。いまさら受けない昔に戻る選択肢はないので、迷ってもしょうがないけど。

そこから展開していつにない読書。スタニスラフスキーを読んで、そのアメリカの末裔たちを読んで、日本の近代芝居の歴史を読んで、それを発展させた人の話を読んで。オープンスクールで受けた情報をとっかかりにして読めたので頭に入る情報量が違う。これも一度に読みすぎて消化に時間がかかった感はあるけど、どれも読んでよかった本。他に読んだ本、積読の本もあるけど、それは来年に持越し。

そして公共性の話。助成金の配分とか、文化庁の案とか、大阪の美術館とか、開演時間の話であれこれやとか、不正受給あれこれやとか。ありすぎてどうでもよくなる勢い。これ、自分の場合は公共性とか考えないで、まず観客として何を望むのかをはっきりしたほうがいい。

ようやく芝居。芝居については、11月に大空振り月間があって、12月はだいぶ持ち直した。ただ下半期の1本は8月のDULL-COLORED POP「Caesiumberry Jam」。後でまったく関係ない件で脚本演出家とやり取りしたけど、それとは無関係にこれ。通年だと、三谷幸喜の「国民の映画」も候補なんだけど、あれは本当に時期が悪かった。見逃したほうだと、青年団の「ソウル市民5部作」をあの長期公演期間で見逃したのは悔やまれる。他に(9)で初の関西遠征もあったけど、勢いだけで遠征するものじゃない。

3月の地震の後で芝居の趣味は変わって、その目でいろいろ観てきたけど、こうやって決算で改めて並べてみて、わざわざ観なくてもよかった芝居の多さに我ながら頭を抱えたくなる。玉石混合はライブパフォーマンスの常だし、芸能ごとは石のほうが多いのも常だけど、それにしても石のほうが多かったし、ひどい石もたくさんあった。なんでこんな結果なのかと考えたけど、玉を出せる人が関わっていない芝居では玉にならない、石が玉に化ける錬金術はない、鍵となるポジションにそもそも玉を作れる人がいないと駄目、というのが仮説。どこが鍵なのかはまだ確信がないけど、たぶん演出家。それが必ず当たりにつながるわけではないけど、駄目な演出家の芝居は何をどうやっても駄目なんじゃないのか。昔は脚本7割と考えていたんだけど、脚本がどれだけよくても、その良さを引出せないと宝の持ち腐れになるし、複数人の役者が登場する芝居で1人、2人だけいい役者がいても、いい演技が浮いたらよくない演技に見えるので意味がないので、全体を調整して高い水準に持っていけないといけない。もちろん舞台で演じているのは役者だけど、いい役者が揃っても駄目な場合は駄目なのも事実。

話を元に戻して、地震の後の目で観て、芝居という表現分野のポテンシャルは実感したけれど、そのポテンシャルを使いこなせる関係者の少なさも実感した。自分は「芝居ファン以上、芝居マニア未満」と自分を位置づけているけど、そんな自分は、迷った芝居は観に行かないという態度でちょうどいいというのが結論。面白い芝居は面白くても、そんなに面白い芝居はめったにない。もっと意図的に時間と費用を減らさないといけない。去年の目標が実行されていないのは反省材料。月1日2本、年間最大で12日24本という同じ目標を継続。本数より時間優先で縛ったほうがいいかも。実際、仕事でいろいろ変化があって、趣味にうつつを抜かしている間に仕事がよくない状態になってしまった。これを切抜けることが最優先で、芝居は観たくても我慢するくらいでちょうどいい。

最後にブログのエントリーについて。この決算を書くために読み返したら、長文が増えている(そもそもこの決算も長文だ)。しかも文章として破綻しているものもある。自分の理想は簡にして要を得た短文だし、そもそも文章がおかしいのはもってのほか。なのに、これが自分でいうのもなんだけど、面白かった。たぶん、自分で考えて、考えた結果が書きたいことになって、それを考えたなりに書いたため。他人が読んだら意味不明な文章でも、自分のためにはとてもよい結果だった。初代ブログから中断をはさんで8年目、誰に頼まれたものでもない自分のためのブログは、ひょっとしていいものかもしれない、と初めて思えた。

この11月、12月の更新頻度と長文とが異常で、今後はもっとそっけないブログに戻るかもしれませんが、むしろそれが本来のこのブログです。引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2012年1月から4月までの公演メモ

今のところわかっているものを挙げておきます。首都圏公演を初日順で。

 

・シス・カンパニー企画製作「寿歌」2012/01/05 - 02/02@新国立劇場小劇場:きちんと観たことがない北村想を魅力の3人で。

 

・PARCO PRESENTS「志の輔落語 in PARCO」2012/01/05 - 02/05@PARCO劇場:今年は観られるか。

 

・Bunkamura企画製作「下谷万年町物語」2012/01/06 - 02/12@Bunkamuraシアターコクーン:唐十郎作、蜷川幸雄演出、宮沢りえ出演。

 

・こまつ座&ホリプロ企画製作「十一ぴきのネコ」2012/01/10 - 01/31@紀伊国屋サザンシアター:よくみると長塚圭史演出の、男ばかりの井上ひさし芝居。

 

・五反田団「びんぼう君」2012/01/17 - 01/29@アトリエヘリコプター:最近観のがしてばかりの五反田団。

 

・ハイバイ「ある女」2012/01/18 - 02/01@こまばアゴラ劇場:岩井秀人はまだ「て」しか観ていないので次が観たい。

 

・世田谷シルク「渡り鳥の信号待ち」2012/01/19 - 01/22@シアタートラム:世田谷パブリックシアターが目をつけていて気になる世田谷シルク。

 

・劇団鹿殺し「青春漂流記」2012/01/19 - 01/29@紀伊国屋ホール:高田聖子や廣川三憲がゲストの今回は紀伊国屋ホール。

 

・テアトル・ド・アナール「ヌード・マウス」2012/01/24 - 01/29@赤坂RED/THEATER:次々と公演する谷賢一よりも、このタイミングで新しい演出家を捕まえる制作の伊藤達哉の手腕に感心しきり。

 

・ベッド&メイキングス「墓場、女子高生」2012/02/01 - 02/05@座・高円寺1:よく見ると脚本演出も役者もなかなか豪華。

 

・オリガト・プラスティコ「龍を撫でた男」2012/02/03 - 02/12@下北沢本多劇場:KERAと広岡由里子のユニット第5弾は意表をついて福田恆存脚本。

 

・オペラシアターこんにゃく座「金色夜叉」2012/02/10 - 02/12@世田谷パブリックシアター:一度舞台で観てみたかった古典。

 

・日本テレビ/キューブ主催「PRESS」2012/02/17 - 03/04@Bunkamuraシアターコクーン:明石屋さんまと生瀬勝久のコンビ。

 

・こまつ座「雪やこんこん」2012/02/19 - 03/11@紀伊国屋サザンシアター:これは鵜山仁演出の井上ひさし芝居。

 

・さいたまネクスト・シアター「ハムレット」2012/02/20 - 03/01@彩の国さいたま芸術劇場インサイド・シアター:この前みた役者が気になるので興味があるけど、蜷川幸雄はハムレット7回目というのも興味がある。

 

・北九州芸術劇場プロデュース「テトラポット」2012/03/02 - 03/04@あうるすぽっと:脚本演出はままごとの柴幸男。

 

・世田谷パブリックシアター企画制作「サド侯爵夫人」2012/03/06 - 03/20@世田谷パブリックシアター:本を読んで三島由紀夫に興味がわいて、6人の女優陣も申し分ないけど、演出の野村萬斎が不明要素。

 

・シス・カンパニー企画製作「ガラスの動物園」2012/03/10 - 04/10@Bunkamuraシアターコクーン:今まで見逃していた古典に、深津絵里と立石涼子という「春琴」を思い出させる2人がキャスティング。

 

・大人計画「ウェルカム・ニッポン」2012/03/16 - 04/15@下北沢本多劇場:チラシからは松尾スズキのターニングポイントになるような予感を感じさせるのだけど、さて。

 

・公益財団埼玉県芸術文化振興財団「魔笛」彩の国さいたま芸術劇場 大ホール:ピーター・ブルックの来日公演。

 

・NODA・MAP企画製作「THE BEE」2012/04/25 - 05/20@水天宮ピット 大スタジオ:冗談抜きのワールドツアーで、日本が最後。

 

後でわかったものがあったら追加。適当な時期になったら区切って新しいエントリーを作成。

「どうしたら夢が叶うか」と「どうしたらそれで稼げるか」

2つ紹介。最初はこれ。元の話は絵を描く仕事だけど、ここで紹介するということは芝居も同じだろというつもり。

なので、まず「○○になろうかどうか迷っている」とか人に相談している時点で、もうその人は向いていない。感覚がまともすぎる。仮にその仕事に就けたとしても、結局続けるべきかどうかで悩んで、まず成功できない。目の前のいばらの道を進むか迷っている人間が何の躊躇もなく突き進む異常な人たちと闘って勝つ自信があるのか、と。その断固たる決意があるかどうかは見る人が見ればすぐわかると思います。

それと、「○○になりたいんだけど、どうすればいいですか?」っていう人も向いてない。どの世界でも成功できる人は恐ろしいくらい自分の実力を客観的に見て、自分に足りないものを認識した上で、その世界を見渡して、今、何をすべきかを的確に判断できる賢明さを持ってます。これも一種のセンスだと思います。申し訳ないけど、この女の子に必要なのは絵の才能よりも、そういった自分を客観視する感覚で、周りがそれを気づかせてあげられないのも不幸だなぁと思ってしまったわけです。(まぁ、逆説的ですが、絵がうまい人というのはこの客観的に物事を見る能力が長けているからうまいと思ったりもするのですが。)

そういったわけで、この女の子に「まだ若いんだからいくらでも可能性はある。がんばって!」というのは簡単ですが、やっぱり僕があの女の子の担任だったら上記のスレにあった富野さんのようにOLになった方がいいよ、と言ってしまうのが優しさかなぁと思います。

なんか自分が書いたような文章だけど、自分ではない。で、そうやってめげたところに西原理恵子の言葉をまとめたエントリーの紹介。

努力のしかた

  • 順位に目がくらんで、戦う相手を間違えちゃあ、いけない
  • 目標は「トップになること」じゃない。これだけは譲れない、大切な何かを実現すること
  • 肝心なのは、トップと自分の順位を比べて卑屈になることじゃない。最下位でも出来ることを探すこと
  • 自分の得意なものと、限界点を知ること。やりたいこと、やれることの着地点を探すこと。最下位の人間には、最下位の戦いかたがある
  • 「どうしたら夢が叶うか」って考えると、全部あきらめてしまいそうになる。「どうしたらそれで稼げるか」って考えれば、必ず、次の一手が見えてくる

苦労した人の忠告は値千金、心にしみます。なんですけど、これには次がある。

「カネ」を失うことで見えてくるもの

  • 銀玉親方に教わったのは、まず 「負けてもちゃんと笑っていること」。これはギャンブルのマナーの、基本中の基本
  • ギャンブルでした失敗を、もし、どうにも笑えなくなったなら、それはもう、その人が受け止めきれる限度を超えた負けかたをしてるってこと
  • 限度を超えたが最後、ギャンブルは、怖い本性をむき出しにして、その人に襲いかかってくる

以前の「10年経って駄目なら芽が出なかったということ」もそうですけど、その道の大家のアドバイスはとても具体的です。およそあらゆる人生はギャンブルなわけですが、芝居の道に進むというのは賭け金の大きいギャンブルなので、笑えなくなった時点がギブアップのタイミング。

他人事じゃないので、覚えておきます。

2011年12月25日 (日)

「短すぎる公演日程や早すぎる開演時間の演劇は公共性がない」

fringeです。タイトルの通りの内容です。詳細はリンク先へ。

何をもって公共性というのか、いまだにわからないので突っ込みはしません。いや本当に。いつも変なエントリーを書いていますけど、芸術とは何か、公共性は何か、もう少し芝居を話せる人が増えないか。正解のない問い、あるいは時代とともに答えの変わる問いなのですが、なのですが、それならそれで、自分なりの答えを探したいと思っているのです。これでも一応。

2011年12月23日 (金)

ストラスバーグ「メソード演技」とアドラー「魂の演技レッスン22」とマイズナー「サンフォード・マイズナー・オン・テクニック」を読んだ

正確には、「メソード演技」はリー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオでストラスバーグのクラスに10年以上在籍(執筆時も在籍)したエドワード・D・イースティの作。「魂の演技レッスン22」はアドラーの講義の録音テープや書き起しをもとにハワード・キッセルが編集したもので、原語だと「Compiled and Edited」になっている。「サンフォード・マイズナー・オン・テクニック」はネイバーフッド・プレイハウスの授業のまとめで、マイズナーと一緒にデニス・ロングウェルが共著者になっている。でもまあ、3冊とも3人の本と呼んでいいと思う。

スタニスラフスキーを読んだら他も読みたいと考えていたところに、ちょうどスタニスラフスキーをまとめたエントリーで勧められたのもあって、最初に読んだのはマイズナー本。ただ読んでいるうちに、他の2人も実は同じ劇団「グループ・シアター」の出身だったということがわかって、アドラー、最後にストラスバーグも読んだ。なのでその順番で書く。

<マイズナー本>

登場する役者の飲みこみがいいのは、普通のクラスではなく、少し年配のプロフェッショナル向けに教えた講義の取材だから(途中でひとり追放される)。でも、3冊の中ではたぶんこれが一番演技の技術っぽいことを追求した本。

マイズナーが重視するのは、自分の感情を動かすこと。もう少しいうと、何かに刺激を受けたら、その刺激に自分の感情を反応「させ」て行動に移させること。「衝動が働くようにする」とも言っている。特に相手(相手役)との反応で感情が刺激「される」ことが大事。

相手役とのやり取りで最初の刺激はどうするんだろうと思いながら読んでいたけど、「感情準備」といって、最初は何とかして感情を準備しておくというのがお約束だった。

どんなことをやっているかは読んでもらうとして、以下の引用を読めばマイズナーの目指すところは伝わるんじゃないかと思う。

・紳士でありながら俳優にはなれない。

・せりふは一艘のカヌーのようだ・・・そして、カヌーの下を感情の川が流れる。せりふは川の上に浮かんでいる。もし川の水が激しく流れているとしたら、言葉は急流の上のカヌーのように出ていく。すべては感情の川の流れ次第だ。せりふは感情の状態の上に乗っている。

・原則は「君たちに何かをさせることが起こるまで、何もするな」。想像上の状況の中に存在するものに感応する人間となれ。

・台本の中の役の名前の下にある、カッコに入れられた小さな言葉、たとえば(柔らかく)、(怒って)、(懇願するように)、あるいは(努力して)、などは読者の助けにはなるが、俳優たちの助けにはならない。いますぐ、線で消してしまうことだ。・・・なぜなら、それらは、自然発生的にしか現れない人生を支配するからだ。

他に、

・その衝動を内に押さえて、実際には何もしないで、ただその気持ちだけを抱いていたら、俳優である君の役に立つのではないか

・役者になるには20年かかる。

というのもあった。

現代西洋流演技の、一番中心のところだけを切取った感じの本だった。自分は観客だからかまわないけど、実際に役者が読んだら好みが分かれるような気もする。でも、3冊の中で一番刺激を受けたのはこれ。

<アドラー本>

演技のテクニックの話ももちろんあるけど、演技のための心構えの面が多い本。スタニスラフスキーの「俳優の仕事」でいうなら第2部の内容。どうもアドラーは「現代アメリカの貴族(いないけどさ)の末裔」を任じているようで、翻訳の調子もあると思うけど、高飛車な感じがする。

でも、その高飛車な感じに負けないくらいいい言葉がたくさんあった。

・役の世界に見合う力量、度量、世界観 - 今後それらを総称して「サイズ」と呼びます - が必要とされました。サイズが足りない俳優はダメなの。

・アクションを行なう理由を見つける(ジャスティフィケーション)

・イプセン以来、戯曲には少なくとも二つの価値観が描かれるようになりました。甲乙つけがたい二つの視点が描かれている。最も重要なのは「二つの真実が存在する」ということ。「どちらの真実を選びますか?」と観客に問いかけます。・・・観客はまず片方の言い分に引きつけられ、しばらくするとまた別の片方に共感し、と揺れるべきである。それでこそ劇を見終わった後も、理想の生き方について考え続けてくれる。近代劇の多くでは、思想について議論できる俳優が非常に重要視されます。

・どんなアクションも具体的な状況の中で発生します。・・・状況とパートナー。この二つを明確にすれば、アクションがあやふやになることはありません。・・・アクションを強くする鍵は、状況とパートナーが握っているのです。

などなど。章単位だと、自分は第十三回の「アクションにサイズを与える」と第十四回の「テキストを理解する」がよかった。

あとアドラーも、叱ったことを個人的にとらないように、と注意していた。これはやっぱり重要

まずは本屋でめくってみて、特に抵抗感を覚えなかったら読んでおけという1冊。

<ストラスバーグ本>

これはスタニスラフスキーの「俳優の仕事」でいうなら第1部の内容。内容はかなり近いけど、取捨選択したものに独自の項目を追加して、こちらのほうが整理されている。

ただひとつ大きな問題があって、第四章の「感情の記憶」が危ない心理学になっていて、これだけは真似するのを止めたほうがいい。ちなみにこの内容は、生前のスタニスラフスキーに直接会ったアドラーが質問していて、スタニスラフスキー本人も(演技につながらないから)重視するのを止めたというもの。それはアドラー本の第五回、第十二回、あとがきあたりを参照。

内容は読みやすいけど、演技の技術目的なら今からわざわざ読まなくてもいいし、読むくらいなら多少読みづらくても、自分はスタニスラフスキーの第1部を読んだほうがいいと思う。そういう本。活字が古いので、個人的には読むのが苦痛だったことも付け加えておく。

ちなみにこの本の第十四章に、マリリン・モンローの有名なエピソードが出ている。アクターズ・スタジオで授業を受けて、練習はしても人前で実演はしなかったモンローが、18ヶ月目にして初実演を披露して、(キャパ70人のホールに押しかけた)200人の見学者を黙らせたというあれです。映画で観る以上に、筋のよい役者だったらしい。

<3人の関係>

グループ・シアターの演技はストラスバーグのやり方が入っていたけど、グループ・シアター以前から、アドラーはストラスバーグのやり方に納得がいかなかった。

ストラスバーグはスタニスラフスキーのやり方を間接的にしか習得できなかったけど、アドラーはパリでスタニスラフスキーに直接会って話す機会があって、それでアドラーは自分のやり方が正しいと確信した。マイズナーはアドラーと仲がよかったので、アドラーの話(だけではないけど)を参考にしながら役者の練習方法を考えた。

アドラーもマイズナーもストラスバーグをけなしていて、特にマイズナーは

・ストラスバーグは才能のある人を見つけると、彼のスタジオに参加するように誘う。有名で才能のある人だ。そして、後でいう。「彼は私の生徒だった」

・あそこは俳優たちがいる場所だ。それがアクターズ・スタジオのメリットだ。

・彼(ストラスバーグ)はひどい俳優だった。

とこてんぱん。どれだけ仲が悪いんだ。

で、なんでこんなことまで書いたかというと、全部読んだ人、全然読んでいない人ならいい。でも、役者志望の人が中途半端に1冊だけ読んで、それを金科玉条にしてしまうとよくない。さらに、本人が人生を間違うだけならともかく、他の人に悪影響を与える可能性も(残念ながら)あると考えたから、こういうこともメモしておく。

そういう悪影響から身を守るために、全部読んでおいて「ああ、あの人が言っているのはあの本の受売りだな」とわかるようにするのも場合によっては必要かも。ちなみに出版の時期は以下の通り。だいぶ離れている。

                                                         
米国出版日本出版
ストラスバーグ本 1966年 1978年
マイズナー本 1987年 1992年
アドラー本 2000年 2009年

年齢によってはそもそも出版されていなくて読めなかった人もいるだろうから、それはそれで考慮が必要。ただ、現代であれば3冊とも読める、スタニスラフスキーも3部作で読めるというのは、とても幸せな時代だと思う。だから、読まなくてもいいと書いておいてなんだけど、役者志望の人は一通り読んでおいたほうがいいと思う。それはたぶん、内輪よりももう少し広い範囲で仕事をするときの「共通言語」の獲得にもつながるだろうから。

あと、これが演技のすべてではないとも思う。日本の本(これとか)も読んでみるといいです。

<補遺>

アクションとかアクティングという言葉が「芝居中の役の行動(役として行動する)」という意味に使われていることと、シーンという言葉が「リアリズムを伴ったやり取り」という意味で使われていることは、知っていると今後他の本を読むときに役に立ちそう。

インド狂言

面白いものを見つけたので紹介。

 16世紀初め、ヴィジャヤナガル王朝のシュリークリシュナデヴァ・ラヤ王に仕えていたテナーリ・ラマンは、頓知話の主人公として有名である。彼の話のひとつを狂言にしてみた。古いことばだと思われるかもしれないが、これこそ同時代の日本語で、同時代の喜劇である。

これ、この前観た「柑子」の狂言のもう一ひねり版みたいなもの。海外の小話はネタの宝庫だけど、インドはまだ手付かずの話が多そうだから、野村萬斎におかれましてはインド狂言15分×10本でつくるインドシリーズとか企画してもらえるとよろしいのではないかと。

2011年12月18日 (日)

さいたまゴールドシアター「ルート99」彩の国さいたま芸術劇場小ホール

<2011年12月17日(土)昼>

日本国内で、外国の軍隊の駐屯基地のある島。基地の隣を、かつて基地と併せて整備された国道99号線が走る。基地の敷地内には、土地の貸借を拒否して住み続ける「巫女」の老女と、その弟子である若い姉妹が住んでいる。基地が10日間だけ外部公開されたタイミングで、軍の飛行機目当ての撮影者、本土から公演のために来た劇団、そして前日に起きた問題を相談したい地元の人たちが老女の住まいに集まる。前日に起きた問題とは、地元の名物であるまんじゅうを、国道99号線にばらまいたとして、トラックの若い運転手が逮捕されたという事件だった。

1日つぶれるのを覚悟で出かけたさいたまゴールドシアター。どう観ても沖縄が舞台なんですが、架空の国道だったり、最後まで沖縄という言葉を一度も使わなかったりした脚本の努力は尊重したい。そして面白くて楽しんだ。でもちょっとひねくれた楽しみ方です。岩松了の悪意と天才を堪能した。先週の岩松芝居よりももう少し露骨な感じがするのは脚本のせいか演出のせいか、それとも役者のせいか。

ゴールドシアターなので冒頭から登場するのは老人ばかりなのですが、もう日本人の悪い面のいろいろな特徴が台詞の端々に出ている役ばかり。オープニングから「そいつら全員(高所アクティングエリアから)突き落とせ」「そこの銃(舞台に置いてあった)をよこせ」とか心の中で突っ込みを入れながら観ていました。

この心境が変わったのが、途中でさいたまネクストシアターから参加の姉妹役が出てきてから。特に、請われていきなり劇団に参加させられたのに文句を言われて、そこから劇団のメンバーが言い合いを始めるその後ろで、ものすごい嫌そうなどうでもよさそうな白けた感じで言い合いが終わるのを待っている表情。さらに細かいですけど、その場面で劇団のメンバーはお茶を飲んでいるところに、姉妹役は水(ペットボトルと水筒)を飲んでいるのを観た瞬間、何でかわからないけどもう「2人ともこいつら全員ぶんなぐっていいぞ、俺が許す」と感情移入してしまった。物語に心奪われることはあっても、役に感情移入しながら観たのは久しぶりだ。いやまあそりゃ炭酸飲んでのどに刺激を与えるわけにはいかないという上演上の都合もありますけどね。後で出てくるトラック運転手の男性役もいい感じで、後半どんどんよくなっていく。

日本人の悪い面の特徴と書いたけど、それは(別に日本以外にも)いろいろあるけど、今回一番ひっかかった悪い面が「区別がない」こと。特に、自分の考えは他人が賛同して当然、自分の目標は他人も目標、という間違った集団意識。他人には他人の考え方があるから自分の考え方をおしつけることはできないという前提意識の欠如。これが、小は家族の不和から、大は基地問題まで、いろんな考え方をこじらせている。そのしわ寄せがいろいろな形で若者に回ってくる。姉役の時々鼻血が出る設定は、怒りを我慢して限界に達した場合の現象と解釈しました。あんな年寄りばっかりだったら腹が立って当然だと自分は思う。

別に役者の個人攻撃ではないですよ。役作りが上手かったということで、"Don't take it personally."です。今回はほとんどの役者が自分の名前と同じ役名を割振られているので、誤解されないように念のために書いておきます。そういう「悪い面」は岩松了の脚本の力で、だから、岩松了がどうやってこの脚本を書いたのかが知りたい。そして当日パンフで蜷川幸雄が「若い人への違和」と書いていたけど、違和についてどこまで意識的な演出をやったんだろう。すごい興味がある。

断絶したまま終わらないように、橋渡しに演出家だったり劇中劇だったりを用意して、特に劇中劇と劇を混ぜて思いっきり清算する巧みさには、救われます。

そういうわけもあって、今回はゴールドシアター以上にネクストシアターの3人が気になった。できれば「ハムレット」を観に行きたい。深谷美歩、周本えりか、川口覚の3人の名前は覚えておく。姉役の深谷美歩と妹役の周本えりかは、こんな発声の人が若手でいたのかと思って調べたら、深谷美歩は新国立劇場演劇研修所出身者だった。

<2011年12月18日追記>

2つ追記。その1。悪い面のもうひとつの代表的なものが真面目教。どちらかというと真面目ではなくて正直教で、日本の場合はこちらのほうが問題が根深い。その2。オープニングで何か変だと思っていてわからなかったけど、あれはカメラがおかしかったのが原因だと気がついた。芝居の進行上一部の人はあれだけど、飛行機撮影に来るほどのマニアなら原則として、全員プロ並の装備をさせてほしいところ。いまどきフィルム撮影を自分で現像するならなおのこと。近所の公園を朝通るときに鳥屋の爺様たちが持ってきているフルサイズのカメラにでかいレンズにごつい三脚の組合せを見るたびに、どんだけ金持ちなんだとうらやましくなる。

2011年12月11日 (日)

神奈川芸術劇場でインターンを募集中

劇場運営と舞台技術の両方で募集していました。詳しい情報は募集ページを読んでもらうとして、締切間近なようなので、興味のある人はお急ぎください。保険加入は劇場負担だけど、無給かつ交通費や食事代が出ないので、遠方からの人だと厳しいか。芸術系の学校だと学部や先生経由でお手伝い募集があるらしいと最近知りましたけど、正式に募集しているのはあまり見たことがないので(見落としている?)、プロの世界を覗いてみたいという人にはいいんじゃないでしょうか。

回し者じゃないですよ念のため。どちらかというと、これを機会に妄想を膨らませた人があきらめることを願ってのお勧めです。表現系の職業に必要な熱意は役者に限らないという意味で。

パルコ企画製作「ロッキー・ホラー・ショー」神奈川芸術劇場ホール

<2011年12月11日(日)昼>

婚約したブラッドとジャネットが2人で旅行の途中、森の中で車が故障する。ちょうど近くにあった城に助けを求めて中に入れてもらうと、なにやら城の主人の特別な日だという。現れた主人が2人を実験室に誘うとそこにあったのは・・・。

なんていうんでしょうねB級SFホラーコメディーロックミュージカルっていうんでしょうかこういうの。劇団☆新感線のおポンチ公演と言われてもまったく違和感がない。「俺たちの聖典」というのも案外本当だったみたい。こんなアホバカ舞台が1973年初演って、イギリス人もアホバカだったんですね(ほめ言葉)。

それじゃあアホバカで作っているかというと、むしろアホバカこそ全力を尽くして臨界点を超えるという意思と決意がにじみ出る超大作。手抜き一切なし。さすがにところどころで笑ってしまった。心得ている客がライト振ったりしていたけど、これは公演が進むと増えるのかな。米を投げるって何のことかと思ったらそういうものらしいけど、禁止だそうです。

古田新太(役名までフルター博士だ)のオカマ主人を始めとして、役者のはじけっぷりが楽しい。開幕したばかりというのもあるけど、登場人物ののどの調子がすこぶるよくて、高い声も低い声も伸びる声もよく出ている。カーテンコールの盛上げも堂に入ったもの。客席ノリノリ。

ひとつだけ残念だったのは、盛上げるための大音量で、特に歌の部分で歌詞が聴き取りづらかったこと。飽和するくらいの音量でないとこのテンションが成立しないのはわかるんだけど、もったいなかった。「はじめは右にジャンプ」とか、部分的に聴き取った感じでは、かなり日本語に馴染みそうな歌詞だったんじゃないかと想像したんだけど、まあわからなくても楽しめる。

あと、いつも配役表を配らないパルコ企画製作芝居ですが、今回はチラシがすでに配役表になっていて、ありがたいです。こういうのは継続されることを願って褒めておきます。

東京からの距離が祟ったのか、12月は平日がまだまだ余裕だそうで、トークショーまで企画されていて、カーテンコールでもお願いしている状態。あと自分が観た回の感触だと、週末でも席を選ばなければ大丈夫じゃないかと思う。より狭い劇場で観たい気分もわかりますが、東京公演より若干安いし、劇場の場所は風光明媚なので、スケジュールの空いている人は、中華街かみなとみらいで食事して、港近辺を散歩して、それを台無しにするようなB級ミュージカル見物とかいかがでしょうか。

PARCO主催「90ミニッツ」PARCO劇場(ネタばれあり)

<2011年12月10日(土)夜>

ある事件が発生し、猶予が90分しかない状態で、異なる立場のため対立し結論が出せない男2人のやりとり。

「笑の大学」は観たことがないけど、そのときの2人による90分の芝居。役者の熱演は認めるけど、自分の個人的な意見が脚本の中心と対立して自分には駄目だった不幸な1本。人によることですが、以下オチまでネタばれで書きますので、まだ観ていない人は観てからどうぞ。

この話は実話を元にしているけど誹謗中傷嘲笑の意図はない、みたいな字幕がオープニングで出るのは、エホバの証人の輸血拒否事件を基にした芝居のため。田舎から出かけてきて、一緒だった息子が交通事故で怪我をした、今手術をすれば助かるが手術には輸血が必要、法律で子供の手術には親による手術同意書へのサインが必要、だけど地域の長年の習慣で輸血は認めていない、医者の西村雅彦と父親の近藤正臣の対立が続くが命が助かるまでの猶予は90分、というのが粗筋。話の元ネタがそれだということ自体は別に字幕をいれなくてもいいと自分は思うのだけど、興行上のエクスキューズとしては必要なんだろう。それより、それ以外の大小いろいろなところで引っかかって、自分には駄目だった。

細かいところから言うと、息子が危ないのになかなかサインをしない父親の初期の態度の緊張感のなさと、医者が父親の同意を取付けようとする最初の横柄な態度。前者は知識不足を表現しようとしたのかもしれないけど、後者はある程度事情を把握しているはずなのにあんな態度でファーストコンタクトするなんて駄目すぎる。まあ実際にいるかもしれない点では否定しきれないけど。

もっと細かいところでは、ベジタリアンの話で「輸血は駄目でも牛乳は大丈夫」というのを笑いのネタに使っていたところ(少なくとも客席の一部が笑うような演技だった)。卵はだめで牛乳は大丈夫というベジタリアンが知合いにいるので、別にそれは驚くところじゃないだろと心の中で突っ込んだ。そういう知合いがひとりいるだけで世界は違って見えるんだと気がついた。

そういうのは細かいところだから置いておいて、問題は大きいところ。手術同意書にサインを求める医者が、最初は「医者は裁判が怖い」と言っていて、それは職業的によい立場と思ったら、最後には「裁判沙汰になったら教授昇進がパーになる」という個人的な小さい立場になったこと。これが駄目だった。

なぜ駄目かというと、医療については、真面目に手術したのに逮捕、起訴されるという事件が実際に福島県で起こっている。これは結局無罪になったのだけど、当時はネットで医者や医療を心配する人たちが、こんなことじゃ医者なんかやってられないと結構話題になっていた。他に奈良県の話もある。こっちはもともと産婦人科が手薄だった奈良県南部で分娩可能な病院がなくなるという事態にもなった。医学は万能ではないので(それは芝居中でも当初の父親の誤解(現代医学なら輸血なしで手術ませんか)にもあった)、どれだけ一生懸命やっても救えない命はあるのに、手がけて失敗したら訴訟というならやってられないと思うのが普通。

それに、実際に裁判が始まったら、こんな対応こんな対応が必要になりうる。芝居中では西村雅彦が責任を取るかどうかに焦点が当たっているけど、実際に裁判になったら、電話の向こうで待機や手術をした医者も看護婦も裁判所に呼ばれる。救急搬送した隊員も呼ばれる可能性がある。それでたとえ無罪になったとしても、命を助けて訴えられたらそれだけで医者や看護婦は逃げる。

だから、医者や病院は裁判沙汰を避けるのが当たり前で、インフォームド・コンセントも輸血拒否事件が一般化の契機のひとつになったくらい。しかも芝居中では、父親は助けるために輸血してほしい、だけど後で訴訟を起こすとモンスター・ペアレントな発言を堂々としている。だから部長不在の副部長の立場だったら「現代の医学でも無理なものは無理、そんなことをされたら職員の時間取られるし場合によっては辞めてしまう、そうすれば今後助けられるはずだった多くの命も助けられなくなる、息子さんの心のケアも大事だが他の大勢の患者のために職員の無事と心のケアのほうが自分にはもっと大事である」と、少なくとも表面上は最悪見殺しになるのを覚悟するような立場を取ってほしかった。そうすれば、職業倫理と文化倫理との対立の構図に持っていけた。あるいは現代社会の矛盾を表現できた。

なのに単なる個人のエゴと個人のエゴとの対立に矮小化してしまった。さらに悪いことに、医者側が妥協してサインなしの手術にゴーサインを出すオチにして、なんとなく美しい精神論でめでたしめでたしにしてしまった。自分ひとりだけでなく他のスタッフにも裁判確実、最悪逮捕という影響が及ぶのが確実なのにこんな決断をする人間を美談に仕上げてはいけない。徹頭徹尾コメディでやってくれるなら「作り話だね」でいいけど、演技も演出も美術も照明も、シリアスなオチに向かっていたのでそうもいえない。現実がはるか先に進んでいるのに精神論の美談仕立てにした点で、この芝居は害悪と呼んでもいいと私は思う。そしてこれらの悪い点は全部脚本に由来しているので、これは三谷幸喜の失敗だと思う。もっとも、こういう議論を呼ぶための壮大な釣り針だという可能性もあるけど。

余談。私の勤務先(病院ではない)では毎年倫理教育というものが実施されて、その中の定番問題に「上司から不正とわかる指示をされた場合に従いますか(従いません、という回答を期待)」というものがある。この芝居は人命を巡って一時を争う芝居だからしょうがない面もあるけど、電話で「俺が責任を取るから手術しろ」と指示されたら、それはイコール法律違反が明白なわけで、指示された側は拒否してもいいと思う。自分の仕事なら「とりあえずメールでください」といって証拠をもらってからしかるべき人に相談する(幸いにしてそんな事態はまだない)。それに自分みたいな下っ端でも守らないといけない法律がいくつかあって、そのための仕事が増えたりするけど、法律はそれなりの理由があって成立したものだと思っているので、明白な理由がない(わからない)限りは、面倒でもとりあえずは従うほうがいいと考えている。

芝居の医者の立場を例に取れば、あとでもめないために一筆もらうことをルール化したわけで、それを拒否してしかも訴えるといわれるのであれば見殺しになっても訴訟はしない、というのを法律で明文化したほうがいいと思った。それがヒポクラテスの誓いとどの程度一致するかの問題はある。でも、助ける側のリスクが大きすぎたら誰もやらなくなるから、それは必要だと思う。

2011年12月10日 (土)

M&O playsプロデュース「アイドル、かくの如し」下北沢本多劇場

<2011年12月10日(土)昼>

元女優とそのマネージャーだった夫が経営する芸能事務所。夫は事務員と浮気をしており、マネージャー同士はあまり仲がよくないが、人気上昇中のアイドルを抱え経営は順調。ある日、そのアイドルの仕事で付合いのあった音楽会社の社員が逮捕される。

岩松了の作演出による新作ですが、ときどき起こるイベントの重大度に比べれば淡々と進むのに、目が離せなくなる芝居でした。

いい役者が揃っていたけど、やっぱり宮藤官九郎がよい。もてて頼りになるけど駄目男の役で、真面目に読んだら格好いい台詞をまったく格好よくなく話して、でも全体として格好いいという不思議。それを受ける伊勢志摩も、ださいのに格好いいという不思議。この2人が前半最後に繰広げるやり取りがおかしくてたまらない。夏川結衣の声のトーンとか、津田寛治の独り言場面とか、見所だくさんで満足。ついでにいうと、岩松了の身のこなしが妙に軽くて目を引く。

でも、役者が上手いのはわかるとして、脚本も面白さに一役買っているはずなのに、何が面白いのかわからない。事務所の活動や劇中のイベントを通して、登場人物のすれ違いや対立が浮かび上がるというのが一般論だと思うのだけど、誰の何がどう絡む構造でこれだけ面白くなったのか、甘えというキーワードはあったけど、でも1回観ただけではわからなかった。勉強不足。

劇場に入った瞬間に期待できると思わせてくれた舞台美術(伊藤雅子)だったけど、これは当初予定の磯沼陽子が急逝したピンチヒッターとのこと。ピンチヒッターでよくこれだけ出来たものだと感心。で、磯沼陽子は「人形の家」の囲み舞台も担当した人。「ゴドーを待ちながら」は観られなかった。これからという年齢で亡くなったようで、合掌。

大阪は美術館を白紙に

そういう記事を見つけました。とりあえずMBSから。

 大阪市の橋下徹次期市長は、建設が予定されていた市立近代美術館について計画を白紙に戻す考えを明らかにしました。

 市立近代美術館は大阪市が28年前に建設を計画し、財政難で一旦凍結したものの総額153億円の美術品をすでに購入しています。

 これまで市は建設費を当初より削減し、2014年度から着工する予定でした。

 しかし、橋下次期市長は7日、担当部局からヒアリングを行い「費用が妥当なのかいっさい考えられていない」などとして、計画を事実上白紙に戻す考えを明らかにしました。

まあ費用の妥当性が掲げられているので美術館が不要だからというわけではないのだけど、破綻寸前ならそりゃ削りにきますよね。

別のまとめサイトでこんなやり取りも見かけました。偏っているまとめサイトとかそういうの抜きでとりあえず。

10 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2011/11/30(水) 10:37:08.60 ID:UUGdZNXw0
橋下市長は、交響楽団などは不要と思っているのだろうか?
縮小均衡であって、経済拡大路線じゃないな。

15 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 10:39:12.85 ID:c/E8/2aI0
>>10
別に交響楽団潰すなんて書いてないだろ
変態新聞がわざわざ例に挙げただけだ

16 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 10:39:14.14 ID:6bFmdYaH0
>>10
地方自治体が交響楽団を持つ理由は?
雇用斡旋以外に特に見つからんし、
たとえ持っててそれが黒字になるのならいいけどねぇ。

17 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 10:39:16.78 ID:/tQNEHO10 [1/2]
>>10
お遊戯じゃないんだから自立して運営すれば問題ないだろ。
てめーらが勝手にやりたいことになんで税金に集るの?
公共性なんて公共施設の優遇利用ぐらいで充分。
金なんて与える必要ない。

39 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 10:43:12.49 ID:H8v4vrg10
>>10
補助金を貰いながら現市長を応援した地域振興会:4億3500万円

大阪フィルハーモニー協会:1億1000万円

地域振興会を解散して交響楽団に回そう

55 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 10:45:23.64 ID:+k3pHBq6P [2/3]
>>10
オーケストラなんて
大阪府で一つありゃいいんで
あとは自分の金でやれや。

78 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2011/11/30(水) 10:48:03.31 ID:xPn5l8v90 [2/6]
>>10
興行で食えよ、税金に集んな
いくらでも仕事しながらオーケストラや管弦楽団してる市民いるぞ

81 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 10:48:09.65 ID:HYO+Xqs/0
>>10
補助は出すにしても、
自前で宣伝やチケットを売る努力をしろとか言ってなかったかな?

100 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 10:50:30.49 ID:/Eeky+oN0 [1/28]
>>10
公的部門の肥大化をよしとするのが経済拡大路線とかはじめて聞いたわ

164 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2011/11/30(水) 10:56:08.32 ID:nyEMVPgG0
>>10
運営費補助がなくても、しっかりとした活動をしてる団体はたくさんある。
事務員を置いたり、活動拠点の家賃を払ったり。それは会費や事業からの
利益でやれば済むこと。それは法的にも認められているからな。

1億円以上もの税金で私腹を肥やしていた輩がいるはずだから、
徹底的に打ちのめしてやってくださいな、新市長!

220 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 11:01:43.77 ID:10/0pQV/0 [1/13]
>>10
国がデフレ誘導・緊縮財政やってんのに
通貨発行権のない地方自治体に何ができると思ってんだ

232 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 11:03:53.73 ID:q8OJQ0Mj0
>>10
不要じゃボケが

505 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2011/11/30(水) 11:38:16.24 ID:+ZzLVhLvO
>>10
市に公共楽団が3つも必要か?

700 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2011/11/30(水) 12:03:47.76 ID:c/GpVA610
>>10
>橋下市長は、交響楽団などは不要と思っているのだろうか?
>縮小均衡であって、経済拡大路線じゃないな。

大阪人がカネを払って演奏会に行けば良いだけだよ。
でも行かないよな、だから税金にたかるようになる。
つまり交響楽団は大阪には不要で贅沢すぎるって事なんだよ。
カネがなくなったら音楽なんか一番最初に切るだろw

748 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 12:09:50.71 ID:h2z8OkoEP [1/2]
>>10の人気に嫉妬

交響楽団はあってもいいけど
他の仕事をして趣味活動の団体になるとか
チケット売って稼いで、その上で補助金もらえ

766 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 12:12:19.90 ID:xde7mRHB0 [1/2]
>>10
大阪フィルハーモニーってあの西成にある奴か。
納得だな。

977 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2011/11/30(水) 12:39:38.60 ID:gAwlNrlDO
>>10
大阪府のフィルは補助金削られて団員が必死に音楽を広めようと
頑張るようになって良くなって良かったと団長みたいな人が言ってたよ

これもたくさんあるからとか事情はあるだろうけど、交響楽団の旗色はよろしくない。ちょっと前に助成金の分配についてエントリーを書いてコメント欄でやり取りをしていたけど、余力のないときにはそうなる。

自分のエントリーなんてましなほうだ、と自分を弁護したいのではなく、そういう人たちを相手に張れる論陣は何かを探りたい。ある強固な意見を持つ人を無理に説得できるとは思わない。でもこういう話題に初めて触れる人たちや、あまり情報がなくて判断を留保するような人たちを相手に説明して、そのうちの何割かが「そういう考え方にも一理あるな」と関心を持つ論点があればそれは何か、に興味がある。別の言い方をすると、議論のスタートラインとしての共通の興味と理解にはどういう種類があるのか知りたい。

本業の方々には本業の方々のスタートラインがあると思うけど、それが現代の日本の一般人に受入れられるのかどうか。と考えると、芸術振興よりは、芸術と一般社会との接点を増やすほうが急務じゃないか。とかつらつらと。

2011年12月 9日 (金)

ままごと「あゆみ」横浜赤レンガ倉庫1号館

<2011年12月8日(木)夜>

主人公・あゆみが、生まれてはじめの一歩を踏出してから、最後の一歩を刻むまでを描く。

評判だったので観ましたけど、「わが星」よりもこっちのほうが面白い。

今にして思えば「わが星」はいろいろな人物が出てくるわりに脚本で人物が描かれていなくて不満だった。今回はひとりの人物に焦点が当たって、それこそ一生を描いていたので、そういう不満はない。そうすると、周りの人物の情報が少なくても、主人公経由で想像力が働いて、いろんな人物が立上がった。他の役経由の想像力というのは面白い発見だった。

全員全役の芝居はすごい久しぶりに観たけど上手。女性8人がいろんな場面のいろんなあゆみ(とそれ以外の役)を交代に演じて、いい意味でほとんど差がないのに驚き。どうやって揃えたのか興味がある(余談。こういう芝居で、役者ごとに演じた役に差があるのとないのと、どちらのほうが演出としてよくなるのか。やっぱり差があると混乱するのか)。ユニゾンとか周ったりの演出は2回目にしてすでに驚かなかったことに我ながら驚き。

あと会場。会場がどこでやってもこの面白さは出たと思うけど、でもこの会場のおかげで絶対に雰囲気がよくなっている。微妙に声が反響していたけど、それがまた演出効果につながっていた。演出家が一目ぼれしたのも納得。東京公演は観ていないけど、絶対こっちのほうが好みと断言できる。歴史があるのに手が入ってきれいになっていて、素舞台でやるような芝居なら一度は挑戦してみたい空間。

2011年12月 8日 (木)

世田谷パブリックシアター企画制作「狂言劇場 その七 Bプロ」世田谷パブリックシアター

<2011年12月8日(木)昼>

土産の柑子を太郎冠者に預けていた主人が持って来いと命じたら「柑子」。源平合戦八島の浦の戦いで、海上の平家方から扇を掲げられて挑発された源氏方で選ばれたのは若干20歳の若者「奈須与市語」。哲学の問いに悩む沙悟浄が教えを請うて旅に出る中島敦原作「悟浄出世」。

他愛もない話になごみながら、なんでも語って話が進むのはシェイクスピアに似ているとぼんやり考えた1本目。ひとり語りや弓引きの迫力はすごいけど途中で呼吸が荒くなって大丈夫か万作と心配した2本目。挑戦精神は買うけど退屈で萬斎は演出やらないで別に演出家を立てたほうがいいと確信した3本目。1本目+2本目で30分強で、休憩はさんで3本目が2時間弱とバランス悪い。トータルの満足度は低いです。

会場ではAプロのボレロがすごかったという声があちらこちらで聞かれたけど、観ていないものはしょうがない。

短めですけど。

2011年12月 6日 (火)

如月小春「俳優の領分」を読んだ

この本ここで薦められていたから本屋に行ったら、出てくる人たちが文学座の岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄の3人から始まって、映画の小津安二郎をはさんで、三島由紀夫がきて、修行時代をはさんで、別役実が出てくる。もう、自分の苦手意識と食わず嫌いのど真ん中の人たちばっかりで、中村伸郎も知らないし、買うのをやめようと思ったけど、本文をめくった字面の雰囲気を信じて買った1冊。築地座から文学座を経て、修行時代、演劇集団円参加という経歴を持つ中村伸郎の話。

小山内薫はスタニスラフスキーに学んだけど、上演した芝居がイプセンのような近代リアリズム芝居であり、また登場人物の対立が必要とされたから、社会主義リアリズム演劇であり、役者中心のリアリズムだった。それとは別に、脚本に書かれた韻律(流れ)を声と姿で成立させる、役者はあくまでその成立の一端を担うという立場で芝居の美しさの表現を目指したのが岸田國士で、フランスでコポーに学んだ別派のリアリズム路線。何気ない風景を写実的に演じることでそこに漂う韻律を立上げようとする手法は、心理主義リアリズムまたは純粋演劇理論と呼ばれた。そして中村伸郎は後者に学んだ。

この流れで三島由紀夫にバトンタッチ。小山内薫のようなリアリズムを「ドラマ」、岸田國士のようなある種の美しさを目指すこと、脚本の内容だけでなく上演時の美しさも求めることを「シアター」と呼んで、三島由紀夫はシアター路線を目指した。脚本に加えて肉体言語と台詞術の両方を持つ役者が要求されるシアター路線の到達点が「鹿鳴館」で、その役者の代表が杉村春子。だったけど、後に文学座の上演拒否事件で裏切られてから、上演時の美しさを当てにしない、自分ひとりの脚本だけで極みを目指した作風に変わっていく。その代表が「サド公爵夫人」。これは役者を当てにしない、徹底的な台詞術を要求するような脚本。三島由紀夫を追いかけて文学座をやめた中村伸郎は、それなのにあまり三島芝居に出演機会がなかったが、後者の時期に書かれた「朱雀家の滅亡」に主演する。美文を駆使した朗誦と会話体とが混在する脚本で、台詞術も求められるが、それと同時に滅亡を体現するような存在感も求められる脚本。

戻って小津安二郎。中村伸郎は小津映画に何本か出演している。小津安二郎はとにかく役者に何もさせたくない人。台詞に意味を持たせて強調することを嫌がる人。これは伝えられない何かを内に持って、最小限の台詞と仕草で、逆に表現し切れない心情をニュアンスとして立上げることを小津流のリアリティーとして狙っていたため。それは中村伸郎に言わせると「半分自分に、あるいはほとんど自分に言う。その方が、自分の腹の中にみんなおさめて存在感だけで芝居している」「演技らしい演技」となる。ちなみに黒澤明とは正反対。

三島由紀夫が亡くなってからの修行時代。イヨネスコの「教授」を十年二ヶ月上演。不条理劇だけど、むしろこの不条理劇を演じるためには、岸田國士の純粋演劇理論で言われてきた写実演技こそが求められるのではないかと考えた。なのに上演を重ねるうちに脚本の韻律・ニュアンスを立上げるのではなく、自分が演じたいように演じる芝居になってしまった。その原因を翻訳の問題に求め、ニュアンスを描く芝居の台詞は日本語でないと突詰められないという結論になり、上演をやめることになった。台詞術に熱心だったぶんだけ、語る速度、リズム、音色を劇世界に沿って正しく要請するような脚本がほしくなった。

そして最後が別役実。大陸出身の別役実と、引越して東京の山の手育ちになった中村伸郎とは、標準語で育ったのが共通点。台詞に生理が同調するような台詞術の役者だとまだるっこしくていえないような台詞だが、作られたリズムを楽しめる役者だと大丈夫。そして不条理な状況でも、リアリティーのある存在をしているつもりになることができたので、不条理劇固有の、状況のわからない脚本でも存在感が発揮できた。それが演技の基礎だと中村伸郎はいう。言いかえると、ある人物がそこにいると受入れて舞台に立てばそれで「純粋演劇」が成立することを知っていた。その台詞術と存在感を別役実と2人でつきつめてたどり着いたのが日本的な「たたずむ」演技。歌舞伎の脱却から始まった日本近代芝居のある種の演技体の最高峰であり、現代の芝居の最前衛だった。

という内容。あれだけ寝かせたのに下手なダイジェストになってしまった。自分の理解では、内容は以前のエントリーで書いた日本近代芝居の問題点のうち

  • 型やリズムから脱出したリアリズム演技の実現やそのための役者育成
  • 西洋的なリアリズム芸術(三一致、行為と時間と場所が一貫性と合理性をもったもの)に適してかつ自然な日本語口語体の創出

の2つに当たる。そしてその問題を解決した人たちの話になる。

後で書くつもりだけど、スタニスラフスキー系統の教えは感情をいかに解放するかに重きをおくので、それはそれでいいのだけど、やっぱり西洋流。日本流を極めた演技、腹の中に収めた演技でもリアリティーは追求できるというのも、ひとつの流儀として存在しうると知っているのは大事。台詞術も、感情に乗せる方法と、言葉それ自体を扱う方法とがあること。芝居の種類も、役者の役作りから物語を演じる芝居のアプローチと、脚本が要求する場面を役者が組立てる芝居のアプローチとがあること。両方知っていることが大事。それを実現した人たちがいる(いた)ことを知っているのといないのとでは後で大きな差になる。ストラスニフスキー系統の本を読んだら、こっちも読むべき。

読み終わった今は、字面の雰囲気を信じて読んでよかったという感想。今まで苦手だと思っていた脚本家たちに俄然興味が湧いた。それに面白い。序文で大正時代の中村伸郎少年から急に昭和時代の役者・中村伸郎に切替わるあたりなんか、暗転なしで切替わる芝居のような錯覚を覚えた。本は厚いのに読みやすいのは、やっぱり脚本家だった如月小春の実力なんだろうと思う。あるときは調べた内容を語り、小津安二郎映画を語っては饒舌になり、ついにインタビューを始めたきっかけ、芝居を観た際に覚えた衝動の源が「たたずむ」演技であることにたどり着くまでの運び。まるで名探偵如月小春の大冒険を読んでいるようだった。間違いなく名著。

なんでこれを出版するのに手間取っていたんだと後記の人にいいたいけど、言われても困るだろうから言わない。本人も手直しする時間があると思っていたんだろう。そして才能にはたまにそういう出来事がある。

他にも珠玉の言葉がたくさんあったのだけど、それは必要なときに引用するとして、ちょっと衝撃を受けた、2回引用されていた岸田國士の言葉をさらに引用する。

「東洋の近代化が、西洋文明の移植、模倣に始まったことは、実に止むを得ぬことであった。しかしながら、西洋文明に神の救いの如きものを求めたり、せいぜい、長を採り短をすてるなどという甘い考えで出発したことが、そもそもの間違いであった。

たとえ西洋文明の拒否すべからざるを覚ったとしても、東洋の精神は、単なる局部的な抵抗を試みただけで、精神自体が、精神と取組むていの格闘を演じたことはない。云いかえれば、自己の固有の精神を新しい精神によって、鍛え試みる自信と勇気と粘りとを欠いていたことは、何と云っても、人間としての第一の敗北であった。」

芝居の分野で格闘していたひとり、中村伸郎の到達点を見るべし。

2011年12月 1日 (木)

ステップアップのパス

SPACがスタッフを募集しているそうですが、注目は次の一文。

2.契約料は年俸制で220万円~350万円

応募資格で経験は問われていないようなので、それと物価を考えると当初条件としてはありだとする。3年契約で3年単位の更新というのも、うっかり変な人や向上心のない人を雇ってしまった場合の防衛方法でよしとする。

その後、これでメキメキと実力をつけたとして、どの程度の待遇アップが望めるんだろうか。年俸に反映させたてほしい人もいれば、企画や制作を任せてほしい人もいると思うけど。

平田オリザが、近年の公共ホールのスタッフは実力向上が著しいのにそれに見合った待遇向上がないのが問題、と書いていたけど、SPACの場合はどうなんだろう。

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