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2011年12月11日 (日)

PARCO主催「90ミニッツ」PARCO劇場(ネタばれあり)

<2011年12月10日(土)夜>

ある事件が発生し、猶予が90分しかない状態で、異なる立場のため対立し結論が出せない男2人のやりとり。

「笑の大学」は観たことがないけど、そのときの2人による90分の芝居。役者の熱演は認めるけど、自分の個人的な意見が脚本の中心と対立して自分には駄目だった不幸な1本。人によることですが、以下オチまでネタばれで書きますので、まだ観ていない人は観てからどうぞ。

この話は実話を元にしているけど誹謗中傷嘲笑の意図はない、みたいな字幕がオープニングで出るのは、エホバの証人の輸血拒否事件を基にした芝居のため。田舎から出かけてきて、一緒だった息子が交通事故で怪我をした、今手術をすれば助かるが手術には輸血が必要、法律で子供の手術には親による手術同意書へのサインが必要、だけど地域の長年の習慣で輸血は認めていない、医者の西村雅彦と父親の近藤正臣の対立が続くが命が助かるまでの猶予は90分、というのが粗筋。話の元ネタがそれだということ自体は別に字幕をいれなくてもいいと自分は思うのだけど、興行上のエクスキューズとしては必要なんだろう。それより、それ以外の大小いろいろなところで引っかかって、自分には駄目だった。

細かいところから言うと、息子が危ないのになかなかサインをしない父親の初期の態度の緊張感のなさと、医者が父親の同意を取付けようとする最初の横柄な態度。前者は知識不足を表現しようとしたのかもしれないけど、後者はある程度事情を把握しているはずなのにあんな態度でファーストコンタクトするなんて駄目すぎる。まあ実際にいるかもしれない点では否定しきれないけど。

もっと細かいところでは、ベジタリアンの話で「輸血は駄目でも牛乳は大丈夫」というのを笑いのネタに使っていたところ(少なくとも客席の一部が笑うような演技だった)。卵はだめで牛乳は大丈夫というベジタリアンが知合いにいるので、別にそれは驚くところじゃないだろと心の中で突っ込んだ。そういう知合いがひとりいるだけで世界は違って見えるんだと気がついた。

そういうのは細かいところだから置いておいて、問題は大きいところ。手術同意書にサインを求める医者が、最初は「医者は裁判が怖い」と言っていて、それは職業的によい立場と思ったら、最後には「裁判沙汰になったら教授昇進がパーになる」という個人的な小さい立場になったこと。これが駄目だった。

なぜ駄目かというと、医療については、真面目に手術したのに逮捕、起訴されるという事件が実際に福島県で起こっている。これは結局無罪になったのだけど、当時はネットで医者や医療を心配する人たちが、こんなことじゃ医者なんかやってられないと結構話題になっていた。他に奈良県の話もある。こっちはもともと産婦人科が手薄だった奈良県南部で分娩可能な病院がなくなるという事態にもなった。医学は万能ではないので(それは芝居中でも当初の父親の誤解(現代医学なら輸血なしで手術ませんか)にもあった)、どれだけ一生懸命やっても救えない命はあるのに、手がけて失敗したら訴訟というならやってられないと思うのが普通。

それに、実際に裁判が始まったら、こんな対応こんな対応が必要になりうる。芝居中では西村雅彦が責任を取るかどうかに焦点が当たっているけど、実際に裁判になったら、電話の向こうで待機や手術をした医者も看護婦も裁判所に呼ばれる。救急搬送した隊員も呼ばれる可能性がある。それでたとえ無罪になったとしても、命を助けて訴えられたらそれだけで医者や看護婦は逃げる。

だから、医者や病院は裁判沙汰を避けるのが当たり前で、インフォームド・コンセントも輸血拒否事件が一般化の契機のひとつになったくらい。しかも芝居中では、父親は助けるために輸血してほしい、だけど後で訴訟を起こすとモンスター・ペアレントな発言を堂々としている。だから部長不在の副部長の立場だったら「現代の医学でも無理なものは無理、そんなことをされたら職員の時間取られるし場合によっては辞めてしまう、そうすれば今後助けられるはずだった多くの命も助けられなくなる、息子さんの心のケアも大事だが他の大勢の患者のために職員の無事と心のケアのほうが自分にはもっと大事である」と、少なくとも表面上は最悪見殺しになるのを覚悟するような立場を取ってほしかった。そうすれば、職業倫理と文化倫理との対立の構図に持っていけた。あるいは現代社会の矛盾を表現できた。

なのに単なる個人のエゴと個人のエゴとの対立に矮小化してしまった。さらに悪いことに、医者側が妥協してサインなしの手術にゴーサインを出すオチにして、なんとなく美しい精神論でめでたしめでたしにしてしまった。自分ひとりだけでなく他のスタッフにも裁判確実、最悪逮捕という影響が及ぶのが確実なのにこんな決断をする人間を美談に仕上げてはいけない。徹頭徹尾コメディでやってくれるなら「作り話だね」でいいけど、演技も演出も美術も照明も、シリアスなオチに向かっていたのでそうもいえない。現実がはるか先に進んでいるのに精神論の美談仕立てにした点で、この芝居は害悪と呼んでもいいと私は思う。そしてこれらの悪い点は全部脚本に由来しているので、これは三谷幸喜の失敗だと思う。もっとも、こういう議論を呼ぶための壮大な釣り針だという可能性もあるけど。

余談。私の勤務先(病院ではない)では毎年倫理教育というものが実施されて、その中の定番問題に「上司から不正とわかる指示をされた場合に従いますか(従いません、という回答を期待)」というものがある。この芝居は人命を巡って一時を争う芝居だからしょうがない面もあるけど、電話で「俺が責任を取るから手術しろ」と指示されたら、それはイコール法律違反が明白なわけで、指示された側は拒否してもいいと思う。自分の仕事なら「とりあえずメールでください」といって証拠をもらってからしかるべき人に相談する(幸いにしてそんな事態はまだない)。それに自分みたいな下っ端でも守らないといけない法律がいくつかあって、そのための仕事が増えたりするけど、法律はそれなりの理由があって成立したものだと思っているので、明白な理由がない(わからない)限りは、面倒でもとりあえずは従うほうがいいと考えている。

芝居の医者の立場を例に取れば、あとでもめないために一筆もらうことをルール化したわけで、それを拒否してしかも訴えるといわれるのであれば見殺しになっても訴訟はしない、というのを法律で明文化したほうがいいと思った。それがヒポクラテスの誓いとどの程度一致するかの問題はある。でも、助ける側のリスクが大きすぎたら誰もやらなくなるから、それは必要だと思う。

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