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2011年12月 6日 (火)

如月小春「俳優の領分」を読んだ

この本ここで薦められていたから本屋に行ったら、出てくる人たちが文学座の岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄の3人から始まって、映画の小津安二郎をはさんで、三島由紀夫がきて、修行時代をはさんで、別役実が出てくる。もう、自分の苦手意識と食わず嫌いのど真ん中の人たちばっかりで、中村伸郎も知らないし、買うのをやめようと思ったけど、本文をめくった字面の雰囲気を信じて買った1冊。築地座から文学座を経て、修行時代、演劇集団円参加という経歴を持つ中村伸郎の話。

小山内薫はスタニスラフスキーに学んだけど、上演した芝居がイプセンのような近代リアリズム芝居であり、また登場人物の対立が必要とされたから、社会主義リアリズム演劇であり、役者中心のリアリズムだった。それとは別に、脚本に書かれた韻律(流れ)を声と姿で成立させる、役者はあくまでその成立の一端を担うという立場で芝居の美しさの表現を目指したのが岸田國士で、フランスでコポーに学んだ別派のリアリズム路線。何気ない風景を写実的に演じることでそこに漂う韻律を立上げようとする手法は、心理主義リアリズムまたは純粋演劇理論と呼ばれた。そして中村伸郎は後者に学んだ。

この流れで三島由紀夫にバトンタッチ。小山内薫のようなリアリズムを「ドラマ」、岸田國士のようなある種の美しさを目指すこと、脚本の内容だけでなく上演時の美しさも求めることを「シアター」と呼んで、三島由紀夫はシアター路線を目指した。脚本に加えて肉体言語と台詞術の両方を持つ役者が要求されるシアター路線の到達点が「鹿鳴館」で、その役者の代表が杉村春子。だったけど、後に文学座の上演拒否事件で裏切られてから、上演時の美しさを当てにしない、自分ひとりの脚本だけで極みを目指した作風に変わっていく。その代表が「サド公爵夫人」。これは役者を当てにしない、徹底的な台詞術を要求するような脚本。三島由紀夫を追いかけて文学座をやめた中村伸郎は、それなのにあまり三島芝居に出演機会がなかったが、後者の時期に書かれた「朱雀家の滅亡」に主演する。美文を駆使した朗誦と会話体とが混在する脚本で、台詞術も求められるが、それと同時に滅亡を体現するような存在感も求められる脚本。

戻って小津安二郎。中村伸郎は小津映画に何本か出演している。小津安二郎はとにかく役者に何もさせたくない人。台詞に意味を持たせて強調することを嫌がる人。これは伝えられない何かを内に持って、最小限の台詞と仕草で、逆に表現し切れない心情をニュアンスとして立上げることを小津流のリアリティーとして狙っていたため。それは中村伸郎に言わせると「半分自分に、あるいはほとんど自分に言う。その方が、自分の腹の中にみんなおさめて存在感だけで芝居している」「演技らしい演技」となる。ちなみに黒澤明とは正反対。

三島由紀夫が亡くなってからの修行時代。イヨネスコの「教授」を十年二ヶ月上演。不条理劇だけど、むしろこの不条理劇を演じるためには、岸田國士の純粋演劇理論で言われてきた写実演技こそが求められるのではないかと考えた。なのに上演を重ねるうちに脚本の韻律・ニュアンスを立上げるのではなく、自分が演じたいように演じる芝居になってしまった。その原因を翻訳の問題に求め、ニュアンスを描く芝居の台詞は日本語でないと突詰められないという結論になり、上演をやめることになった。台詞術に熱心だったぶんだけ、語る速度、リズム、音色を劇世界に沿って正しく要請するような脚本がほしくなった。

そして最後が別役実。大陸出身の別役実と、引越して東京の山の手育ちになった中村伸郎とは、標準語で育ったのが共通点。台詞に生理が同調するような台詞術の役者だとまだるっこしくていえないような台詞だが、作られたリズムを楽しめる役者だと大丈夫。そして不条理な状況でも、リアリティーのある存在をしているつもりになることができたので、不条理劇固有の、状況のわからない脚本でも存在感が発揮できた。それが演技の基礎だと中村伸郎はいう。言いかえると、ある人物がそこにいると受入れて舞台に立てばそれで「純粋演劇」が成立することを知っていた。その台詞術と存在感を別役実と2人でつきつめてたどり着いたのが日本的な「たたずむ」演技。歌舞伎の脱却から始まった日本近代芝居のある種の演技体の最高峰であり、現代の芝居の最前衛だった。

という内容。あれだけ寝かせたのに下手なダイジェストになってしまった。自分の理解では、内容は以前のエントリーで書いた日本近代芝居の問題点のうち

  • 型やリズムから脱出したリアリズム演技の実現やそのための役者育成
  • 西洋的なリアリズム芸術(三一致、行為と時間と場所が一貫性と合理性をもったもの)に適してかつ自然な日本語口語体の創出

の2つに当たる。そしてその問題を解決した人たちの話になる。

後で書くつもりだけど、スタニスラフスキー系統の教えは感情をいかに解放するかに重きをおくので、それはそれでいいのだけど、やっぱり西洋流。日本流を極めた演技、腹の中に収めた演技でもリアリティーは追求できるというのも、ひとつの流儀として存在しうると知っているのは大事。台詞術も、感情に乗せる方法と、言葉それ自体を扱う方法とがあること。芝居の種類も、役者の役作りから物語を演じる芝居のアプローチと、脚本が要求する場面を役者が組立てる芝居のアプローチとがあること。両方知っていることが大事。それを実現した人たちがいる(いた)ことを知っているのといないのとでは後で大きな差になる。ストラスニフスキー系統の本を読んだら、こっちも読むべき。

読み終わった今は、字面の雰囲気を信じて読んでよかったという感想。今まで苦手だと思っていた脚本家たちに俄然興味が湧いた。それに面白い。序文で大正時代の中村伸郎少年から急に昭和時代の役者・中村伸郎に切替わるあたりなんか、暗転なしで切替わる芝居のような錯覚を覚えた。本は厚いのに読みやすいのは、やっぱり脚本家だった如月小春の実力なんだろうと思う。あるときは調べた内容を語り、小津安二郎映画を語っては饒舌になり、ついにインタビューを始めたきっかけ、芝居を観た際に覚えた衝動の源が「たたずむ」演技であることにたどり着くまでの運び。まるで名探偵如月小春の大冒険を読んでいるようだった。間違いなく名著。

なんでこれを出版するのに手間取っていたんだと後記の人にいいたいけど、言われても困るだろうから言わない。本人も手直しする時間があると思っていたんだろう。そして才能にはたまにそういう出来事がある。

他にも珠玉の言葉がたくさんあったのだけど、それは必要なときに引用するとして、ちょっと衝撃を受けた、2回引用されていた岸田國士の言葉をさらに引用する。

「東洋の近代化が、西洋文明の移植、模倣に始まったことは、実に止むを得ぬことであった。しかしながら、西洋文明に神の救いの如きものを求めたり、せいぜい、長を採り短をすてるなどという甘い考えで出発したことが、そもそもの間違いであった。

たとえ西洋文明の拒否すべからざるを覚ったとしても、東洋の精神は、単なる局部的な抵抗を試みただけで、精神自体が、精神と取組むていの格闘を演じたことはない。云いかえれば、自己の固有の精神を新しい精神によって、鍛え試みる自信と勇気と粘りとを欠いていたことは、何と云っても、人間としての第一の敗北であった。」

芝居の分野で格闘していたひとり、中村伸郎の到達点を見るべし。

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