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2011年7月 2日 (土)

2011年上半期決算

恒例の決算です。

(1)柿喰う客「愉快犯」東京芸術劇場小ホール2
(2)新国立劇場主催「わが町」新国立劇場中劇場
(3)春風亭昇太プロデュース「春風亭昇太十八番シリーズ」下北沢本多劇場
(4)野田地図「南へ」東京芸術劇場中ホール
(5)パルコプロデュース「国民の映画」PARCO劇場
(6)パルコ企画製作「欲望という名の電車」PARCO劇場
(7)ままごと「わが星」三鷹市芸術文化センター星のホール
(8)イキウメ「散歩する侵略者」シアタートラム
(9)ナイロン100℃「黒い十人の女」青山円形劇場
(10)世田谷パブリックシアター企画制作「モリー・スウィーニー」シアタートラム

以上10本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果、

  • チケット総額は59080円
  • 1本辺りの単価は5908円

となりました。それなりに新しいものを取入れたつもりですが、野田秀樹、三谷幸喜、松尾スズキ、KERAという有名どころを観ると単価に反映されるのはやむを得ないものがあります。あと、新しいものを取入れた結果が国公立劇場に偏っているのは、今後の芝居を主導する集団が誰であるかについて、ある種先取りしている感を覚えます。これは何かの機会に別エントリーを書ければと考えています。

上半期は3月11日の大地震と津波、それに続いてまったく収束の気配がない原発問題があって、芝居を観る視点に上手く言えないのですが、転換がありました。地震の直後にはずいぶん乱暴なエントリーを書きましたが、それが落着いたらなんか偉そうなエントリーを書いていました。3月11日以降に観た芝居の数は少ないのですが、その中ではイキウメの1本が、まだまだ未完成ながら(再々演なのにそれもどうかとは思いつつ)、可能性を感じさせてくれました。

そしてアーツカウンシル騒動。もともと「アーツカウンシルって何じゃらほい」というエントリーを書いていたのですが、そこから引張られて何かよくわからないうちに勢いで「アーツカウンシルでパブリックコメント募集中」、「『アーツカウンシルとは』に対するパブリックではないコメント」、「アーツカウンシル騒動終わりました、プログラムディレクター募集中です」という3本の長文を書いていました。これもいろいろ書いて、特に最後は暴言を吐いていますが、落着いた今となっては書きすぎたと思っています。ただ文章が雑なのは置いておいて、この短期間で自分が気になる事をこれだけまとめたというか、これだけの情報が自分の中に蓄積されていたのに気がつけたのはよかったです。あとこの問題を通して、公と私の境界、国と自治体との仕事の分担について自分なりに問題意識を顕在化できたのは思わぬ副産物でした。

物事はなんでもそうですが、芸術を語るにも、全体を見渡す大きなフレームワークを見つけることと、内容の大小というか上下関係というかレイヤー分けをしっかりすることで、他の人の話を理解できること、そして適切なレイヤーに沿って意見を説明できることが、観客にも演者にも制作者にも大事なことだと思います。そんな偉そうなことを言わなくても、せめて芝居の感想くらいはわかりやすい文章を書けるように精進します。

引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

2011年6月19日 (日)

世田谷パブリックシアター企画制作「モリー・スウィーニー」シアタートラム

<2011年6月18日(土)夜>

ある田舎町に住む盲目の女性モリー。夫は妻の視力を回復させようと様々な調査を重ねる。そんな時、かつて世界的に活躍していたが、事情があってキャリアをドロップアウトした眼科医が同じ町の病院に勤めていることを知る。手術をすれば妻の視力が回復すると信じる夫は、手術を引受けてくれるよう医者に直談判におよぶ。

劇団のDULL-COLORED POPが評判になったとたんに活動休止になって気になっていた谷賢一が、豪華なキャストを手にして、翻訳まで手がけた3人芝居。厚みを持った芝居が見事に立上がっていました。

もったいぶった粗筋ですが、物語の展開だけなら観る前からわかるような脚本です(冗談抜きで、ちらしから予想した通りの展開だった)。それをモノローグを多用しながら、その展開の途中の登場人物の心情をものすごく丁寧に描くことで、「見ることと見えないこと」という題材を具体化した。

そういう脚本は下手をすると脚本負けしてしまうのだけど、今回の3人はみんな役を自分のものにして、さらに魅力を増幅させていた。南果歩がヒロインの喜怒哀楽を、相島一之が過去をひきずる医者の葛藤を、小林顕作が自己完結しがちな夫の心情を、細やかだったり大胆だったりのバリエーションを持たせながら、それぞれ表現していた。モノローグを使いこなしていた。南果歩は以前の芝居でいい女優だと知っていたけど、相島一之のよさは今回初めてわかった。そして小林顕作ってあれだけハチャメチャやって誰だろうと思ったら、コンドルズその他いろいろやっていたんですね。

それで感心したのは、それだけハチャメチャをやっても芝居が崩れないだけの大きい枠を設定した演出。アドリブをやっていい場面といけない場面は区別していたと思いますけど、それでもすごい。日本語もまったく不自然なところはなかったのですが、翻訳にかなり意図を込めたらしく、どこまでがオリジナルか翻訳かはわからないのですが、仕上がった芝居のよさはわかります。

あと、今回はスタッフに恵まれた芝居だったのではないかと思います。観ていてスタッフワークを意識しなかった。けど思い返すと脚本と演出の両方の意図がいろいろ感じられます。でもそういういいスタッフワークだったことを承知で、この芝居はDVDだけでなく声と音だけの録音演劇としても残してほしい。目をつぶって台詞だけ聴いていたとしても、十分面白いはずですから。

ただ、これだけ強烈な作品が仕上がって、観たことに満足しているのに、口コミプッシュする気にはなれないんですよね。なぜと考えてみるに、こちらの構えを崩してくれるあとひと押しの何かがほしかった。それが役者の演技なのか演出なのかわからないのですが、おそらく両方に絡むなにかだと思う。

これで谷賢一の名を覚えたのですが、次回は8月にDULL-COLORED POPの活動を再開して、Caesiumberry Jam(セシウムベリージャム)というどうやら原発真っ向勝負の再演らしいです。そういう脚本をすでに書いていたということは頼もしいことで、今回の仕上がりと相まってその才能に注目です。ところが、その前に同じ劇場で自分の結婚式をチケット売って公開公演するそうです。才能あふれる人の想像力は理解できませんので、芝居だけ気にしておきます。

2011年6月 6日 (月)

ナイロン100℃「黒い十人の女」青山円形劇場

<2011年6月4日(土)昼>

昭和の高度経済成長期。テレビ局のプロデューサーである風は、猛烈な数の仕事をこなす一方、妻帯者でありながら次々と女性に手を出す男だった。職場が重なっていがみ合うのにつかれた女性たちは、風の妻を巻きこんである計画を立てる。

映画原作の舞台化ですが、映画は未見。いかにもKERAっぽい演出だけど、多少ひねっているとはいえKERAでは観ないストレートな脚本。女優の競演を楽しむ舞台。あまり男女のあれこれの経験値が高くない男の感想という言い訳を先に書いた上で感想。

もともと女優陣に主眼を置いた芝居と思うけど、峯村りえの貫禄と、松永玲子の迫力と、村岡希美の情が見せ場。特に松永玲子はすごい。ナイロン100℃より武者修行を選んだころからめきめき実力をつけているけど、今回の迫力は圧倒される。十人の他の女優も決して悪くはないけど、この迫力の前に全部喰われた。そのせいで芝居がアンバランスになってつまらなくなったというくらいすごい。小ネタとしては、緒川たまきが声の演技を披露する場面で、もう展開がわかっていてあとは笑うところなのに、妙に上手で客席が笑い損ねてむしろ感心していたのが面白かった。いい芸を持っていますね。

一方、みのすけ演じる風は観て面白いけど、とっかかりがまったく見つからなかった。そういう人物として描かれているし、そこがみのすけの演技に合ってはいたのだけど。今回は、女性が観たら喜びそうな舞台。男の場合、身に覚えのある人が観たら面白いかも。

で、自分の結論は、原作の映画を観たくなった、むしろ原作の映画でよかった気がする。これを生で観ることによる迫力というのはあるんだけど、迫力じゃないんだ、最近の自分が芝居に求めるのは。それとも面白さを読取るだけのあれこれの経験値が足りないのか。足りないんだろうな。

2011年5月30日 (月)

イキウメ「散歩する侵略者」シアタートラム(ネタばれ少々あり)

<2011年5月28日(土)夜>

ある町で3日間失踪していた男が保護された。知識に問題はないが、性格が大きく変わっていた。脳の病気ではないらしいが生活に困るため、別居中だった妻が面倒を見ることになる。男は少しずつ回復していくが、同じ頃、同じ町で、認識能力の一部が欠けた患者が次々と発生する。

調べてみたらイキウメではすでにこの芝居だけ再々演になっていて、それだけ脚本がよくできているからだと思うのですが、はたして素晴らしい物語でした。欠点も目立ちましたが、それを補うだけの魅力ある舞台というのが正確か。

1にも2にも素晴らしいのは脚本。ネタばれを承知で言えばLove&Peaceのひと言で済んでしまう内容で、うっかりすると「若えな」で終わってしまう話で、設定は荒唐無稽で展開は強引なんですけど、そんな事を気にさせない、それだけで終わらない何かが作用している。それが何かについて1日考えたんですけど、いまだにわからない。大きな背景と身近な現象という点では「東京ノート」を思い出しますけど、それと比べて、徹底的に身近なミクロの場面を描いて、それがラストに世界のマクロにつながるところがいいのかな。

そういう物語の面白さに、演出と演技が追いついていないように思う。役者でいいと思えたのは岩本幸子と大窪人衛で、主人公2人が弱い。劇中の日数の経過とか場面設定なんかも、適当に済ませたんじゃないかという点が散見。小劇場の欠点として衣装替えを嫌がるってのがあるけど、今回の演出ならそれは不自然。個人的にはテーマ音楽の音の悪さ(録音の悪さ?)も気になる。もっと言えば、脚本も部分的に整理する余地はありそう。

ところが、そういう明白な欠点が多数あるにも関わらず、いいんですよ。普通これだけ欠点があると、脚本が良くても評価は辛くなるんですけど、カーテンコールでまず「観られてよかった」という満足感が先にきました。そこが不思議なところ。

以上の感想を短くまとめると、こちらの方の感想に近くなります。「なにか奇跡が起きてる気がする舞台」というのが私の抱いた印象を説明するのにありがたい言葉です。ただ、明々白々に奇跡が起きるには粗すぎました。でも観たことのない人は観ておいたほうがいい。そういう不思議な芝居。ウェルメイドの上手な別の演出家でも観たいな。宮田慶子とか。

2011年5月 2日 (月)

ままごと「わが星」三鷹市芸術文化センター星のホール

<2011年4月30日(土)夜>

40億年以上経った地球の誕生と終わりを、その地球上のある一家のある少女の誕生と終わりに重ねて描く、壮大な音楽劇。

1年前の初演ですでに大評判で、今回も立見上等の当日券目当ての人たちが大行列。確かに新しい、評判になるのも頷ける内容。ただし完成度に不満ありでもったいないというのが感想。

芝居と音楽との融合した表現形式は斬新で、ミュージカルなんか捨ててもいいと思えるような内容。観たことのない人に説明しにくいんですけど、DVDが出ていたんで観られなくて気になる人は買ってください。たぶん初めて野田秀樹が出てきたときも観客はこんな感覚を受けたんじゃないかと推測する。これを思いついて形にしたという点で、柴幸男と関係者は絶賛に値する。岸田國士「戯曲」賞受賞ももっとも。

これを支えるスタッフワークでも、照明と振付の大胆さが素晴らしい。シンプルにまとめた美術も気に入った。そして音楽は、よくぞここまでまとめたというくらいぴったりはまっている。ついでに言えば、台詞とリズムについて、こんなに的確な実例を示してもらえたことには感謝もの。

なんですけど、それに匹敵する不満が2つある。ひとつは役者。演技も、身体能力も、この芝居に要求されているレベルに届いていない。脚本負けしている。中心に向かう演技を要求される演出だけど、だとしてもこの規模の劇場で空気を支配できないのはつらい。部分的にぴんとくる場面もあったけど、全体で見れば不満のほうが多い。

もうひとつは、音楽はよかったけど音響が拙い。立見で半端な場所だったとはいえ、台詞が聞こえない場面が多すぎる。戯曲本の初演では初日直前にあわててマイクをいれたと書かれていて、今回もマイクがはいっていたはずなんだけど、音量の大きい、マイクが必要な場面では完敗。じゃあ音量を下げればいいかというと、ライブとしてはあの音量が正解だから、マイクを頑張るべき。初演ならまだしも、同じ劇場で再演なのだから、もっとやりようがあったはず。ハウリングを避けるためのスピーカーポジションを照明と取合って照明優先になったんじゃないかと予想するのだけど、そういうのをまったく気にしない音響だった可能性もある。どちらにしてももう少し考えて欲しい。

不満はあるけど、内容だけなら、この時期、東北でこそやってほしい内容だった。いわき市での公演が中止になったのが惜しまれる。再々演もあると思うので、そのときはぜひ東北ツアーをやってほしい。

蛇足ですけど、柴幸男は5年後くらいにこの種の芝居に飽きてストレートプレイにいくような予感がするので、今のうちに書きためておいてほしい。

2011年4月24日 (日)

パルコ企画製作「欲望という名の電車」PARCO劇場

<2011年4月24日(日)昼>

神経がまいった姉が、結婚してニューオリンズに住む妹を頼ってやってくる。気位の高い姉は、妹の夫とことあるごとに衝突する。自宅に遊びに来た夫の友人と親しい知合いになるが、妹の夫とは打解けない日々が続く。

有名どころで一度は観たかった演目を、松尾スズキ演出というので駆けつけました。満足しましたけど、まるで松尾スズキが脚本も書いたかのような、こんな救いのない話だとは知らなかった。ところどころで遊びはありますけど、たぶん脚本には忠実。そしてヒロインの嫌な部分、弱い部分に集中した演出など、「キャバレー」に似ているものを感じた。

池内博之もよかったのですが、圧倒的に秋山奈津子がよかった。秋山奈津子でなかったら途中でペットボトルを投込んでいたんじゃないかというくらい駄目な女(投込まないけどさ)。よくあんな演技を貫徹させられるなと変な視点で感心した。それに比べると鈴木砂羽は、悪くないけどよくもない。あの姉に対して、妹がふわふわしすぎ。でもそれもどうでもいいくらい秋山奈津子につきる。

あと映像が松尾スズキらしくない、ナイロン100℃っぽいと思ったら、ナイロン100℃の映像と同じ人が手がけていました。気持ち悪いのがマッチしている。

ただ、つらい話なので、できれば地震の前に観たかった芝居ではある。3時間10分と体力も要求される。

ちょっと疲れているのでこのくらいで。

2011年4月 4日 (月)

パルコプロデュース「国民の映画」PARCO劇場

<2011年4月2日(土)夜>

1942年のドイツ。映画への肩入れ著しい宣伝相ゲッペルスは、ひとつの企画を胸に、有名な映画関係者を招いたパーティーを催す。次々と現れる招待客だったが、招かれざる客が含まれる。微妙な緊張感の中で進むパーティーの行方は。

3月はいろいろ難しかったので千秋楽直前に行ってきました。ほとんど実在の人物で構成した舞台だったのでリアリティの担保はしやすかったかもしれないけど、それを差引いても今の現実に負けない芝居。地震があっても公演続行しただけのことはある。商売を抜きにしても、これを公演中止にするには惜しすぎる仕上がり。

主要人物を演じる小日向文世、段田安則、白井晃の3人の対比がすごい。特に白井晃にあんなはじけた演技を付けた演出は目の付け所が違う。他の役者が抑えるところは抑えて演技していたこともあるけど、風間杜夫すら霞む。

脚本なんて、ほぼすべての台詞が、登場人物の内面を想像させるか、またはそのための伏線になっている。それを芸術論や映画論を軸に、実に面白く、無理のない物語で展開させている。それが最後に、三谷幸喜らしからぬエンディングに集約される手際は圧倒的。そして美しいピアノに、最初どうなっているかわからなかった美術。

惜しむらくは、どうしても女性陣が脇に回るというか、本筋を引きたてる脇のストーリーの盛上げ役に回ってしまうこと。話や舞台設定を考えるとしょうがないのだけど、色気に欠けるのは三谷幸喜の数少ない弱点が今回も出たと言える。でもこの仕上がりなら許す。昔、松尾スズキが「有頂天ホテル」を観て、もう三谷幸喜は有頂天になっていい、と評したのを思い出した。

でもなあ、芸術論で走るのは「コンフィダント」でもあったことで、むしろいいことなんだけど、喜劇作家を任じる人がどうしてあのエンディングに着地したのがわからない。年をとって感動大作で名声をほしくなったとか、たまに黒い話を書いて吐きださないともたないとか、今後海外展開して稼げる脚本を狙ったとか、いろいろ理由は考えたけど、ひょっとして「演劇は時代を先取りする」の言い伝え通り、日本の不穏な時代の到来を予感してしまったんだろうか。そうでないことを願いたい。

見損ねた人は横浜公演を見逃すな、って書こうとしたけど、原発が段々それどころじゃなくなってきているので、無理するな、と書換えておく。

2011年2月13日 (日)

野田地図「南へ」東京芸術劇場中ホール(ネタばれあり)

<2011年2月12日(土)夜>

活火山のそばにある観測所。火口に身投げしようとした女性を救出してきたところに、新しい観測員が赴任してくる。女性の嘘に翻弄される観測所の面々。その最中、麓の旅館から観光客がやってくる。極秘の任務を請負っているらしい。いろいろ行き違いや思惑が行きかううちに、少しずつ火山の活動が活発になっていく。

すいません、体調最悪でまったく集中できませんでした。昼はまだ大丈夫だったけど、その後急速に悪化。ものすごいいい席で観られたのにもったいない。ただそれを差引いても、前回の「ザ・キャラクター」に近い印象。コロスの使い方がかなり洗練されていたのもそうだし、社会派路線で一回では把握しきれないのもそう。

ネタばれでいうと、マスコミが絡んで、嘘を言っていた女性の言うことに本当が求められ、本当のことを言っていたはずの観測員の言うことが信じられなくなっていく。観る側が誰の言うことを信じればいいのかわからなくなっていくその過程に、それを古代の物語と、日本のXX(これは伏せる)の起源と、現代のXX(これも伏せる)に絡めていく。こんだけいろんなネタを詰込んで、ひとつの話に成立させるのは野田秀樹でないと無理。その点ではすばらしい。

でもこの壮大なテーマを立上げるためには、役者の側に想像力や演技力だけでなく、何らかの見識も求められて、それを若い役者に求めるのは酷だったというのが印象。妻夫木聡は前回観たときよりも格段に成長していたし、蒼井優はもう少し発声がしっかりすればいい女優に化けそうな予感もしますが、それでもきつかった。渡辺いっけいと高田聖子でもどうか、というくらい脚本のハードルが高かった。

で、役者ですが、みんな上手。上手なだけに、主役2人とチョウソンハに注目が集まる構成なのがもったいない。渡辺いっけいと高田聖子と銀粉蝶にものすごい期待していたし、藤木孝はなんかやってくれそうな面構えだったんですけど、見せ場が少なすぎる。もったいない。

こっちの体調や、公演後半になったりすると、またいろいろ変わると思うんですけど、いろいろもったいない舞台だった。

春風亭昇太プロデュース「春風亭昇太十八番シリーズ」下北沢本多劇場

<2月12日(土)昼>

昇太の前振り。春風亭昇々による前座で、医者に訊かれて知らないともいえない和尚が小僧を使いに出して探りを入れる「転失気」。以降昇太で、浮気を疑う奥方の疑いを収めるために付添いの権助に嘘を言いくるめて帰らせたが「権助魚」。力士になるように教育された小学生が授業でも力士のようになって「力士の春」。たまたま茶屋で見かけた相手に恋わずらいした若旦那の相手を探す手がかりは一首の和歌「崇徳院」。

昇太で2時間やってくれるなら一度は観ておこうと思って挑戦。なるほど面白い。全体に、前座を長めに笑わせて、本編はぎゅっと圧縮した早口で短め。「権助魚」は構成が本人一押し、「力士の春」は昇太のオリジナルでそれぞれ面白いけど、どれが一番楽しめたかというと、個人的には「崇徳院」。十八番というだけのことはある。

ほかにきちんと見た落語は志の輔くらいなんだけど、それに比べると昇太というのは棘があって毒が強い。芸人なんだから棘も毒もあって当然なんだけど、それにしてもそれが、特に枕だと、強く前に出てくる。嫌いなものを嫌いというのはいいんだけど、何なんだろうな、たまに出てくるあの馬鹿にしたような見下したような感じは。あの毒気を抜いたら昇太ではないと思うし、今の落語ブームの一端を担った自負もあるとは思うけど、それにしてももう少し上手に隠せないものか。

あと、「転失気」はなんか聴いたことのある話だと思ったら、昔々、今は亡き某名人の話で聴いたことを思い出した。もうちょっと落着いてやればいいのにね。春風亭昇々は二つ目昇進らしいので、がんばってください。

2011年1月30日 (日)

新国立劇場主催「わが町」新国立劇場中劇場

<2011年1月29日(土)昼>

アメリカはニューハンプシャー州の片隅にある人口二千人余りの町、グローヴァーズコーナーズ。20世紀初頭に、この町で道を挟んで向かい合う2つの家族を通して描かれる、ありふれて平凡で、とても美しい人生についての物語。

1本しか観られる時間がないってことで他の芝居とどっちをとるか大いに悩んで、3ヶ月前に観たばかりだったのですが、全力のキャストで一度観てみたかったのでこれを選びました。期待通りの出来で満足でした。

とりあえず小堺一機。役者で誰かひとり挙げろと言われたら小堺一機。キャスティング勝ちとしかいいようがない。あて書きなんじゃないかってくらいはまっていた。ちょっと固い場面もあったけど、最後の「おやすみなさい」の台詞には泣きそうになった。

他もよかったですね。全体に、女性陣が目立っていたのは演出家が女性だったからでしょうか。筆頭は鷲尾真知子。男性陣は優しめの設定でしたけど、その中では山本亨の存在感が目を引いた。

中劇場の舞台を広くとって客席との距離を近くするのは最近の流行りですけど、やっぱり観やすくていいです。そしてあまり色を使わずに、それでいてその広さを存分に生かす照明が美しかった。音響は、ピアノ生演奏に役者の生効果音を足して、上手に物語を進めていた。

で、いろいろ褒めましたし、脚本が面白いのが大前提なんですけど、やっぱり演出家の実力なんだろうな。面白い脚本にさらに面白さを足せる演出家はいろいろ思い浮かびますが、面白い脚本の素材を十二分に引張りだして仕上げる演出家という点では、やはり宮田慶子は一級の演出家だなと思わせられました。

千秋楽に間に合ってよかった。

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