PARCO PRESENTS「志の輔らくご in PARCO 2012」PARCO劇場
<2012年1月8日(日)昼>
35年間無遅刻の教師が人生で初めて授業に遅刻した理由とは「タイムトラブル」。雛人形作りを見学したいとフランス大使の妻と娘が突然田舎町にやってくる「メルシーひな祭り」。兄弟子に連れられて初めて行った吉原で出くわした花魁道中、太夫に一目ぼれした職人の恋煩い「紺屋高尾」。
年の初めらしい華やかな演目がそろって、出来もよし、文句なく屈託なく楽しめる3本。PARCOでやるときは演目が当日決まる場合と同じ場合とがあるのかな。今年は映像や舞台装置から、たぶん同じ演目で通すと思われる。
去年がひどかったから意識して明るい話を用意したらしい。4月ごろから糸井重里や矢野顕子と組んでいろいろやるらしい。こういうときに、体ひとつ楽器ひとつの芸を身につけた人たちの強さを感じる。
で、話は文句なく楽しんだのだけど、3本目の紺屋高尾、この話を「ないないありえない」とか否定せず、出来に文句なく楽しんだ自分の心が気になった。いい話だと純粋に感動したのか、よくできた作り話と割切って楽しんだのか、これこそニホンジンの考えるニホンの至高の恋愛という感性を味わって満足したのか。あれですよ、歌舞伎のイチョウは春でも黄色くないとイチョウじゃないと感じる日本人の、理想の型に近いことを尊ぶ感性。どういう楽しみ方をしたのか自分でもわからない。3つとも混じっていたんだと思う。
落語を聴いてこう考えるのが幸せなのかどうなのか。もっと素直に余韻を楽しめばいいのにと自分でも思う。でもこれからの世の中は、こういう考え方を訓練しておかないと困るだろうから素直に余韻を楽しむのはあきらめる。
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