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2012年5月29日 (火)

線引きについて

何か盛上がっています、と書いたら被害者には失礼ですね。発端はおそらくこのTweet

【バナナ学園に関して②】メール『舞台上にいきなりあげられて、知らない男に胸をわしづかみにされて、下半身すり付けられてガンガンされて、それを他のお 客様に見せつけて笑われてパフォーマンスにされたことは本当に辛かったです。相手も段ボール被ってて誰かわからないし、土下座してもらいたい』

他の人の感想を読んでもあまりそういうことは書いていなかったので、どこまで本当かと思ったら、劇場が劇団と協議して謝罪の方向だということで、大筋は事実のようです。

演出家が公開で女優の胸を揉んだのは最近見たけど、ああいうのは見ているほうが反応に困る。その場にいる全員が「えー」って大声で突っ込んだから収まったのであって。

悪乗りして楽しむの観る側を楽しませるのとは違うということで、芸で観客を満足させる自信があるなら、線はきっちり引いたほうがいいです。

2012年5月27日 (日)

演出家と演技指導

こんなブログを読みました。

演出家が一番エネルギーを注がなければいけない、俳優の演技指導がほとんどできていませんでした。そのためベルナルダを演じた安奈淳以外の役者の演技が薄っぺらく、観ていて辛かった・・・。喜んだり怒ったりだとかの感情を台詞や表情に込めようとするあまり、肝心の役者の台詞と動きの意味内容が舞台上で成立していません。今回は、母親に抑圧された5人の姉妹に男を巡る諍いが起き、姉妹の一人が非業の死を遂げる―というシンプルな筋立てだったから観ていて物語を理解できました。しかし仮に複雑な作りの作品だった場合、こういう芝居をされると観客が物語を理解できないまま舞台上で「出し物」が進んでいく、とい う悲惨なことになります。他にも不必要な舌打ちを頻発させたり、本来静止するべきと思われる箇所で役者がだらりと動くなど、プロフェッショナルではない部分が目に付いたのは残念です。

自分はその芝居を観ていないので引用した意見がどの程度妥当かについてはまったく判断しません。だから観ていない芝居をつまらないと書いているとか、そういう的外れなツッコミはなしで。

その上で、引用先の人が怒った箇所は「演技指導」というカテゴリーなのかというと、違う見方もある気がする。後半のだらりと動くあたりは演技指導の範疇かもしれないですけど、

ある場面で登場人物が怒るのが適切だと判断して、それをどうやって表現するのが効果的かというのは、役者と演出家の試行錯誤なんじゃないのかな。もちろん、役者の技量とか演出家のスタイルとか稽古の制限なんかに影響されると思いますけど。もっと言えば、その怒りが何に由来しているか、なぜそこで怒るのかも、選択肢だけなら無限にある。それを、芝居の進行と、場面ごとの登場人物ごとの関係とで、全体を見通して最終ジャッジするのは演出家の権限というか責任。

でもそういう試行錯誤を促すような環境を用意するのも演出家の技量のうちなのかな。だとするとそれを演技指導と呼ぶのも間違っていないように思えてきた。

ちょうどさっきピーター・ブルックの本を読終って、そういうことが書いてあったので、受売りが書きたかったんだな。でも、芝居がつまらない責任は演出家でいいと思うけど、演技が下手ならそれは役者の責任にしたほうがいいと思う。そしてそういう区別は、観ていてもわからないことがあるから難しい。下手な役者しかいなくて演出何もできなかったぞという演出家と、馬鹿な演出家のせいで芝居がめちゃくちゃになったという役者とが、お互い愚痴を並べてくれると、そういう仕事の分担がはっきりしていいのにと外野は気楽に考えます。でも、一流は愚痴の前に、自分で何とかなるところはせめてまともにしようって行動するのかな。

何を書いているのかわからなくなってきたのでここまで。

2012年5月21日 (月)

ナイロン100℃「百年の秘密」下北沢本多劇場(若干ネタばれあり)

<2012年5月18日(金)夜>

樹齢もわからない大木を中心に立てられたベイカー家の屋敷。この屋敷の家族として生まれたティルダと、12歳で転校してきていらいの友人コナをめぐる、ベイカー家の百年に渡る歴史と、そこで起きた秘密について。

シリアスなのは覚悟の上でとチラシに書いていたけど、シリアスというよりはある家族をめぐる壮大な歴史モノ。少な目ながらも残っている笑いの種類とか、大木の反応とか、いろいろ手癖は残っていても、たぶん「わが闇」以降のKERA新路線の完成形。

先にスタッフワークを褒めておくと、あの無茶な構成で成立たせた美術に、いつになく美しい照明、耳に残るテーマ曲、ナレーションに合せたオープニングの振付、すっきりした衣装やもはや芸術の域の映像など。長くナイロン100℃やKERAとやっていた人たちの阿吽の呼吸を感じる。このスタッフワークがあってこそ、ここまで完成したのだと思う。

その分脚本演出に注力したのかしないのかはわからないけど、脚本のネタはシリアス寄り。いろいろな人物のいろいろな秘密が出てくるけど、直接間接に「死」を感じさせる秘密がとても多い。それが芝居っ気抜きに(っていうのも変だけど)展開するので、観ていて気が抜けない。時間が行き来して、先に結果をばらしてから後で秘密が生まれた瞬間に戻るんだけど、これがよりシリアスさを濃くしている。主人公の両親の秘密が薄かったけど、それは必要なら再演時に修正すればいい。多少の笑いはあっても、自分で書いたものでも、緊張感を保って最後まで演出しきったこの手腕は本物。そしてその中心を担った犬山イヌコと峯村リエの2人も本物。この2人の実力を最大限に輝かせるための芝居だったんじゃないかと思う。

そして、本物なんだけど、本物だからこそ今まで見えなかったものが見えてしまった。役者が追いついていない。この脚本演出の水準に見合っていたのが、上の2人と、松永玲子、客演だと山西惇くらい。廣川三憲が終盤の一瞬だけいい感じだったけど、大倉孝二とか村岡希美とかみのすけとか、いつも通りの演技をいつも通り観せられた感じ。ナイロン100℃自体がもともと小劇場というかサブカルチャーというか、リアリズムど真ん中って感じではないし、この芝居の何箇所かではそういう演技のほうがよかったとは思うけど、でもリアリズムで責めたほうがいい場面で責めなかったのは、あれは演出なのか。リアリズムっていうのも違うな、うーん、これが正しい言葉なのか自信がないけど、もっと「生っぽい」ものに「触らせて」ほしかった。大倉孝二が親と口論する場面とか、村岡希美が取立に来て犬山イヌコと口論になる場面とか、あれは観ている側が登場人物の核に触れられる機会だけど、なんか中途半端に終わってしまった感じがする。これはたまたまどっちも口論の場面だけど、普段の場面からもっといけるはず。他の人も含めて、超もったいない。

なんだけど、とてもよい芝居なのは間違いないので、これからツアーで観る人はお楽しみに。観るかどうか迷っているなら迷わずチケットを手配。首都圏だと横浜がもう1日だけあります。笑ってすっきりする芝居ではないですし、休憩をはさんで3時間35分とか長いですけど、観ている間はそんなの気になりませんから。

2012年5月13日 (日)

今年も新国立劇場演劇研修所のオープンスクールをやるそうなので奮ってご応募ください(追記あり)

当ブログの感想エントリー 紹介されていて気がつきました。今年も開催決定だそうです。今年の講師とカリキュラムはどうなるんだろう。タイミングが重なって去年の初回を受講できたのは本当にラッキーだったと思う。

それで以前のエントリーを読みかえしてみたら、ものすごい勢いで情報を浴びて気持ち悪くなったのを思い出して、自分で書くのもなんだけど、面白い。こうやって思い返せるから文章化は大事。とくに直後にまとめることが大事。あれだけ熱心に書いておいてよかったと今更ながら思う。

話を戻して、オープンスクールが面白いかどうかは人によると思います。受身な人は駄目です。払った時間とお金を3倍にして取返すつもりで、とにかく何でも得てきましょう。講師だけでなく、空間だったり、カリキュラムだったり、他の受講生だったり、あらゆることが情報です。講座が終わる間際には30分延長と叫んで、懇親会では関係者を質問攻めにしましょう。

もう1回受けたい気持ちはあるのだけど、それよりはひとりでも多くの人に受けてほしい。芝居は観るだけの人でもかまわない。むしろそういう人が混ざったほうが適度な違和感が発生していいんじゃないかと思う。受講資格は好奇心とくじ運だけ。予定を空けて続報を待ってください。

<2012年6月10日(日)追記>

詳細が発表されていました。「声と演技」「身体で語る」が「ムーヴメント」でアレキサンダーテクニックになって、「戯曲を読む」が「戯曲に触れる」になって、それぞれ講師が変わっていますけど、想像していたよりも講師や講座の交代は少なかったですね。サロンは誰になるのかな。

アレキサンダーテクニックは個人でも講師を探したことがあるんですけど目的や場所が合わなくて決められなかった経験もあって、ものすごい受講したい。それが(去年のカリキュラムを参考にするなら)4日間。これだけで余裕で元がとれます。うらやましいです。

そして参加費用が3万円なのは去年と変わらないですけど、17歳以上30歳以下の年齢制限が追加になってしまいました。ということは、もともと入学希望者への公開講座の目的があって、純観客かつ年齢オーバーの自分が受講できてしまった去年がイレギュラーだったのでしょうか。声を大にして言いたい、去年受講できた俺は超ラッキー。

年齢オーバーの人、お気の毒様でした。年齢オーバーに近い人、迷っている暇があったら応募しましょう。年齢資格に達して間もない人、興味があるならお金を工面して早いうちに受けておきましょう。そして受講した人で文章書くのが苦痛じゃない人がいたら、ぜひとも講座の内容と感想をアップしてほしい。それが肯定的な意見でも否定的な意見でも、受講した本人の言葉でどういう印象を受けたのか語ってもらうことにとても興味があるので。

2012年5月 6日 (日)

本気と降板

こんな話こちら経由で見つけました。ちょっと前のエントリーだけど、内容は古くない。

とある芝居のとある役者さんが言っていたそうです。

※ちなみに彼は芝居をするために調整がきくよう、、バイト生活をしているとのこと

 そのお芝居はふたり芝居だそうで・・その相方は派遣社員をしながら芝居をしているとのこと

「俺がこんなに本気でやってるのに、、本気でやってない人とは一緒に芝居はしたくない・・!」

というような内容を吐いていたそうで・・・・
(中略)

そして昨日

どうやらその彼は 公演を降りたそうです。。

こんな本気は嫌だ。解説は紹介元のブログのほうが詳しいです。

これを読んでひとつ思ったのだけど、実は派遣社員しながらやっている人のほうが、降りた役者より上手で、「俺の本気はなんだったんだああああああ」みたいになって、プライドを守るために「本気」という単語に過剰な意味を後付で持たせたなんてことはないのかな。

人生負けてからが勝負っていう芝居か映画のお勧めを誰か知らないか。あったら観たい。

2012年5月 5日 (土)

ロンドン・ヤングヴィック劇場「カフカの猿」シアタートラム

<2012年5月4日(金)昼>

学会で自分の体験を披露することになった猿。アフリカで密猟者にとらわれ、輸送中の船で人間の真似をするようになり、見世物小屋での学習を通じて言葉を覚えるようになるまでの5年間の経緯。

どうして昼夜でやっていないんだと恨みながら渋谷から田園都市線か井の頭線かものすごい迷って、一人芝居連続ってネタで選んだカフカ原作のキャサリン・ハンターの一人芝居。カフカ未読で臨んで、すごいよくできていたのだけど、ちょっと入りきれなかった。入りきれなかった原因は、一に自分の心持で、どうも最近調子がわるいのだけど、そればかりではなくて。

アフタートークによれば原作にないエピソードをひとつだけ足している他は原作に忠実で、移民の多いロンドンでは移民の話として受止める人が多かったらし い。自分は最初、野田秀樹の「赤鬼」を連想したけど、観ているうちにこれは「ガリバー旅行記」だと思った。馬の国の人間嫌いの話。いろんなエピソードの方向がそっちに向かっている。

前宣伝ではキャサリン・ハンターは猿の見て動きを覚えたという点が強調されていて、それは確かにすごかった。なかなか真似のできない動きをしながら台詞をしゃべって1時間出ずっぱり。あれを毎日昼夜やったら身体がもたないから普段は1公演で当然だ。あと猿の鳴声も、あれは何を思って出しているんだろう、あまりにも似ていて素直に感心した。

で、入りこめいと感じた理由のひとつが、キャサリン・ハンターが猿を上手に演じすぎたこと。この脚本はもっと抑えて演じても十分面白い、いっそ美術の演台(途中で脇によけられる)を残したままリーディングに近い形でもよかったと思うけど、猿の動きで見せてこそ効果的な場面は一部で、全体では1足す1にしか思えず、脚本との相乗効果があまりない、過剰演出に感じてしまったのがひとつ。

もうひとつが、なんか台詞が劇場に充ちないで、きっちり舞台の向こう半分にしか想像の世界がないような気がしたこと。アドリブあったし、客席にも来たし、日本語も話したし、展開の一部に客を組込む度胸はすばらしいの一言だけど、台詞が後ろに飛んでいる感じ。いままで英語で音響のほとんどない芝居を観たことがなかったけど、英語の台詞回しってあれが普通なのかな。一人芝居とはいえ、観客が学会の聴衆という設定にしては違和感。

これもアフタートークによれば(翻訳とオペレーターとアフタートークのゲストは谷賢一だ)、字幕は最小限に抑えてキャサリン・ハンターに注目がいくように狙ったらしいけど、字数の制限はあるにしても、どうも台詞を聴いていると情報量が足りなすぎる気がする。自分の語学力が足りないのが第一だけど、字数の制限を考えても削りすぎだったんじゃないのか。たとえば字幕ではあえてモンキーとエイプとチンパンジーを「猿」で統一したらしいけど、これなんか人間嫌いの意図を伝える重要なキーワードだったと思う。ついでに書くと、アドリブの多いこの芝居でのオペレーターは大変だと思うけど、ライブ感を狙いすぎて統一感のないタイミングになっていた気がする。フォントと字幕位置は見やすくてすばらしかった。直前でそこに追込みをかけた情熱は報われていたので、それは特筆しておきたい。

結論としては、英語をもっと勉強しないと世の中損するぞ俺、です。

2012年5月 3日 (木)

森田オフィス/イッセー尾形・ら企画製作「イッセー尾形のこれからの生活2012 GW in クエスト」原宿クエストホール

<2012年5月3日(木)昼>

イッセー尾形の一人芝居7本。(1)めでたい格好をしているおじさんのいる場所は (2)移動中の噂話 (3)窓口のおばさん (4)店番の女性 (5)道に迷ったおじさんたちの中心人物 (6)旅する女性 (7)どこかのギタリスト。

初めてのイッセー尾形だったけど、上手くて面白くて、さすがでした。楽しんだ。個々のタイトルが不明なのと、設定の説明をするのももったいないのですごい適当なメモになりました。これから観る人は楽しみに。

全部同じ人による作成なのだから統一感があるのは当たり前なんだけど、設定が秀逸なものと、演技が上手なものとに分かれている印象。でも導入というか構成というか、すばらしかったな。衣装と簡単な小道具はあっても、7本とも一人で観ている側を引っ張り込まないといけないところを、会話の順番だったり、出のインパクトだったり、言葉遣いだったりで、違和感なく状況を知らせて納得させるのは。落語の現代版といえなくもない。個人的には設定と展開と演技が絶妙でインパクトも強かった(1)と、説明にしてやられた(6)がよかった。(7)は、あの突飛な組合せはなんだったんだろう(笑)。

あとはロビーもすごいことになっていた。ドリンクとおつまみが無料で、これまでの衣装のフリーマーケットもやっていて、あのリラックス感はちょっと普通の芝居では見かけられない。

当日券でも観られそうなので、時間のある人は一度はイッセー尾形を観ておくべき。老若男女、誰でも楽しめる貴重な舞台です。

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