DULL-COLORED POP「プルーフ/証明(後半バージョン)」シアター風姿花伝
<2013年6月1日(土)夜>
あらすじは前半バージョン参照。
チケット価格に対して大胆な挑戦のリピーター1000円割引もあって後半バージョン(Wキャストは中村梨那)も観る。以下比較が中心。
前半バージョンの抽象舞台に対して具象舞台で臨み、前半バージョンより20分くらい長い上演時間をかけて、登場人物の心情や脚本の構成などを丁寧に描いた演出。前半バージョンとの比較もできて、見落としていた関係や、間違っていた箇所も見つかった。主人公が内向的と書いたのは間違いで、かといって攻撃的や反抗的でもなくて、自分の怯えと決断から孤立無縁な立場に追いこまれていく人が自分の能力と歴史上の人物によすがを見出して殻を作って自分で自分のプレッシャーに対抗していくことは何ていう言葉で表現すればいいんだ。
ここは変わるかな、と事前に想像していた箇所の演出が両バージョンでも非常に似ていた。再演だから場面の理解が似ているのかもしれないけど、それだけでなく、脚本の内容以上に翻訳の単語選びで演出が強く付与されているせいもあるような気がする。見易さなら間違いなく後半バージョンだし、個人的には仕上がり好感度の高い主人公と父親ということもあるけど、やはり90点には届かず。面白い脚本を面白く立上げるのは至難の業という古田新太の言葉を思い出す。あと、音響のタイミングは悪い意味で近年まれに見るほどひっかかったけど、あれは狙ってやっていたのか、それとも舞台が見えない場所から操作していたのか。
比較してようやくわかったけど、演出方針が全然違う。変な例えだけど、後半バージョンがコースを最短時間で攻められるF1カーを作ろうとしていたのだとしたら、前半バージョンはアウトバーンを時速500キロで走れる車を作ろうとしていたような。主人公が、観客的に心理を追いやすい王道のストレートプレイを進んだ後半バージョンに対して、ハサミと雑誌と切りくずの扱いで端的に心理状態を表した前半バージョンはルールからして違い、良くも悪くも野蛮な演出。両方見比べた今となっては、雰囲気が全然違うのでどちらが上下ということはないのだけど、翻訳者本人による再演出として無視できるルールは全部無視してルールを再構築した前半バージョンに対して、当日パンフに「やるからには、勝ちます」と書いて勝手にルールの枠に閉じこもった後半バージョンはその言葉遣いの点ですで負けている。芝居の勝ち負けは観ている側が勝手にあっちだこっちだと決めて、それは観る側の単なる好き嫌いであってその芝居の価値とは無関係なのだから、相手より上を目指すんじゃなくて、今自分が行ける最高峰を目指してほしい。
あと、前半バージョンと後半バージョンの順番が反対で、先に具象舞台、後から抽象舞台だったほうが、自分は両バージョンに対してもう少し好印象だったと思う。半年前に決まったらしいので、その時点で演出プランを確定させてスケジュールを決めるのは無理だったと思うけど、惜しい。
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