2013年上半期決算
恒例の半期決算です。
(1)PARCO PRESENTS「志の輔らくご in PARCO 2013」PARCO劇場
(2)パルコ企画制作「ホロヴィッツとの対話」PARCO劇場
(3)東京芸術劇場/東京都/東京文化発信プロジェクト室主催「マシーン日記」東京芸術劇場シアターイースト
(4)世田谷シルク「ブラック・サバンナ」アトリエ春風舎
(5)青年団「平田オリザ・演劇展vol.3 銀河鉄道の夜」こまばアゴラ劇場
(6)ハイバイ「て」東京芸術劇場シアターイースト
(7)イキウメ「獣の柱 まとめ*図書館的人生(下)」シアタートラム
(8)(9)DULL-COLORED POP「プルーフ/証明(前半バージョン)(後半バージョン)」シアター風姿花伝
(10)シスカンパニー企画製作「ドレッサー」世田谷パブリックシアター
(11)ナイロン100℃「わが闇」下北沢本多劇場
以上11本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果、
- チケット総額は53400円
- 1本あたりの単価は4855円
となりました。
この一覧を観て湧く微妙な思いを言葉にすると、ベテランか小規模芸術寄りかのどちらかで、「ちょうどいい劇団」というものが見当たらない。ちょうどいいと言われても困ると思うけど、公演規模とか年数とかチケット代とかがちょうど中堅な感じというだけでなく、たとえ裏にどれだけ毒が隠れていても、全体に華がある、仕上げはエンターテイメントが前面に出てくる劇団。自分が芝居を観始めた頃はそういう芝居のほうが多かった気がする。メッセージが前面に出るのは別に悪いことではないし、上手に出してもらえばむしろ好みなんだけど、そういう芝居ばかりになるのではなく、選択肢のある状態がいい。
昔も今も単に自分が観ていないだけだと言われればそうかもしれないけど、時代がメッセージを求めている気がする。それも道に迷った人が行先を求めるようなものではなく、助からない事態に直面した人の悲鳴に近いような。大震災と原発事故が起きたからかと思うと、そうではない。自分で自分のブログを読返した感じでは、すでに2010年の段階で兆候は出ていた。
1年前の決算で「世の中の変化はもっと激しいはずで、あるいはその変化を早めて、あるいはその変化の影響を緩和して、あるいはその変化に立向かうための希望をみせるような、そんな動きを芸術が担えるのかどうかはやっぱり興味がある。」と書いた。これを改めて、人によって複数あるだろう芸術の定義の定義のひとつを「それを体験した人に、人生に立向かうための勇気を与える表現」としてみたい。そしてその具体例がイキウメの(7)だというのが個人的な感想。同じようなことは今まで感じたり本で読んだりしていたはずなのに、生身の人間の演技で観ることでここまで衝撃が強くなるとは思わなかった。
俺は私はそこまで感じなかったから(7)は芸術じゃないとか、他のものは芸術じゃないんだとか、そういうつっこみは無し。芸術というのはとても個人的なものなので、一定数の人が芸術と思えば、場合によっては表現者当人以外にたった一人でも芸術と思えば、芸術になりうる。じゃあ娯楽と芸術の違いは何だよと問われてこれまた定義を考えてみると、「大勢を一体化するものが娯楽、個人を独立させるのが芸術」と言ってみる。
ここまで書いて気がついた。そりゃあ芸術は儲からない。別の言い方をすると、芸術が面と向かって必要とされる世の中は幸せではない。幸せではないというか、幸せの意味が変わる過渡期というか(書いていてダメな日本のポップスの歌詞みたいに読める文章力のなさが嫌だ)。何だけど、社会の成熟と個人の独立には近い関係があるので、面と向かってではないにしても、世の中は少しずつ芸術が必要とされる方向に向かうものだと思う。商業面をいうなら、芸術が毒を隠して娯楽のふりをして悪いことはないし、昔からやっていたのだろう。現代なら、狭い地域の少ない人数に限らず、世界を目指せる。
書くだけなら気楽なもので、これだけ偉そうなことを書いたけれど、本日ただいまから心を入替えて芝居を観る本数を増やすとか、もっとためになるエントリーを書くとか、そんなことはできないし、するつもりもない。ただ、どれだけ観る本数が減っても、観ることを止めることはもったいないな、続く限りは観るべきだな、と考えたわけです。
半年で観たペースは予定通り。例年はだいたい年末に膨れるけれど、それで増えるとか減るとかは、あまり気にしないようにする。読者の皆様もその点はあまり気にせずに細く長くのお付合いをとこれも恒例の挨拶で。