2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »

2014年6月30日 (月)

2014年上半期決算

中間決算です。まとめが遅れて、これを書いている時点で夏が終わりそうです。

(1)パルコ企画製作「志の輔らくご in PARCO 2014」PARCO劇場
(2)Bunkamura企画製作「もっと泣いてよフラッパー」Bunkamuraシアターコクーン
(3)東京芸術劇場主催「おそるべき親たち」東京芸術劇場シアターウエスト
(4)こまつ座/ホリプロ主催「ムサシ」Bunkamuraシアターコクーン
(5)サンプル「シフト」東京芸術劇場シアターイースト
(6)青年団・こまばアゴラ演劇学校「S高原から」こまばアゴラ劇場
(7)日本の30代「十二夜」駅前劇場
(8)ティルト主催「春風亭昇太独演会 オレスタイル」紀伊國屋サザンシアター
(9)Bunkamura企画製作「殺風景」Bunkamuraシアターコクーン
(10)演劇集団円「錬金術師」東京芸術劇場シアターウエスト
(11)イキウメ「関数ドミノ」シアタートラム
(12)青年団「働く私」こまばアゴラ劇場
(13)松竹/Bunkamura主催「三人吉三」Bunkamuraシアターコクーン
(14)青年団「忠臣蔵・OL編」こまばアゴラ劇場
(15)青年団「ヤルタ会談」こまばアゴラ劇場
(16)NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺企画製作「リア」座・高円寺1
(17)青山円形劇場/ネルケプランニング主催「赤鬼」青山円形劇場
(18)シス・カンパニー企画製作「抜け目のない未亡人」新国立劇場中劇場

以上18本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果

  • チケット総額は99100円
  • 1本当たりの単価は5505円

となりました。

本数が多いのは青年団のせいで、それがなければ14本だからほぼ予定の範囲。単価が高いのはシアターコクーンと三谷幸喜のせいで、それがなければ1000円くらい下がる。劇場は渋谷方面に回帰していたのに今気がついた。

前年下半期と比べるとさすがに明るい芝居も増えている。ほぼすべて佳作で、無理に絞ると、笑える面白さなら(10)、今時っぽさなら(11)、これこそ芝居という出来なら(4)になる。でもとびきりの1本はなかった。体が欲した感じがしたのは(4)と(17)か。

野田秀樹演出で何度も観た「赤鬼」はさておき、「ムサシ」とか一度も観ていないのに欲したのかというと、欲した。鼻が利くというのとは別に、よくわからないけど、今観ておけという勘が働いた。食事が偏りすぎて、野菜食っとけと体が欲したような。でもじゃあ何でそれが野菜だとわかったかというと、鼻が利いたとしかいえないので、書いている自分でもわかっていない。

最近は観たあとに感想をアップする時間が遅れてきているけど、読者の皆様にはそれを気にせずに細く長くお付き合いいただきたく。

2014年6月29日 (日)

シス・カンパニー企画製作「抜け目のない未亡人」新国立劇場中劇場

<2014年6月28日(土)夜>

国際映画祭が開催中のベネツィアのあるホテル。かつて一世を風靡して、結婚後は長く現場を離れていた女優が、夫である映画監督の死亡をきっかけに現役復帰を計画する。出演作品では監督と相思相愛にならなくてはいけないという信念の女優に、国も違えば作風も違う4人の監督が次回作の主演キャスティングをオファーしてくる。夫の遺産で出演料は気にしないでも構わない女優がどのオファーを受けるか迷っているときに、エージェントがひとつの提案を出す。

初日。イタリア喜劇の原作をアレンジして、三谷幸喜の持味のひとつであるとても軽い喜劇に。全体にデフォルメ勝負の役作りの中、あれだけおおげさにやっても馴染む大竹しのぶはやっぱり大物。ホテルマン兼進行係のの八嶋智人はこういう役だと非常に生き生きする。峯村リエはもうすこし観たかった。女優の妹の話がもう少し本線の話に絡んできたらよかったけど、そこは原作の事情か。

そんなオチか、みたいなオチも含めて笑って、ああ楽しかったと屈託なく思う一本。張出して広めの舞台を役者が左右に行ったり来たりで端の人は大変かもしれないけど見切れは一切ないすっきりした舞台に、テンポの良い休憩なしの1時間55分。大竹しのぶプラス誰か興味のある役者がいたら観てみたら如何。

2014年6月11日 (水)

あるようでなかった最も遠い席からの距離

ヨドバシカメラで掲示されていたという一覧表がこちらで記録されていたので文字に起こしておきます。

宝塚劇場:44m
帝国劇場:49m
新国立劇場:34m
劇団四季:23m
オーチャードホール:38m
東京文化会館:42m
横浜文化会館:48m
宇都宮文化会館:18m
国際フォーラム:76m
横浜アリーナ:57m
さいたまスーパーアリーナ:145m
府中の森芸術劇場:30m
武道館:25-30m
東京ドーム:135m
横浜スタジアム:138m
日産スタジアム:107m
中野サンプラザ:29m

複数劇場を含む会場のどの劇場のことかわからないですし、舞台の組み方によって最長距離も変わると思いますが、結構違うのがわかります。

四季の劇場が短いのが目立っていますが、確か浅利慶太が最長距離に気を配っていたはず、と思ったので検索したら数字入りの話が見つかりました。

劇団四季の関係者は「客席の最後方から舞台までの距離が21メートルのとき、最もコンパクトな劇場の雰囲気を引き出すことができる」とし、「日本国内の劇団四季の劇場もほとんどが1200~1300席の規模」と説明した。

とのことなので、23mというのもほぼ狙い通りの距離です。大きいほうの劇場には行ったことがないのですが、2階席や3階席がせり出しているらしいですね。ついでにいうと、トイレの数も計算していて、定員÷9くらいないと困るという計算だったはず。浅利慶太の本で読んだ記憶があるのですが手元にない。

他の劇場の最長距離も知っている人がいたらコメントください。舞台側の寸法図を載せているところは結構あるみたいなのですが、客席側まで含めた寸法図となるとなかなか難しいです。

2014年6月 9日 (月)

青山円形劇場/ネルケプランニング主催「赤鬼」青山円形劇場

<2014年6月8日(日)夜>

嵐で浜辺に流れ着き助けられた男女のうち、女が自殺した。村人から「あの女」と呼ばれた女の兄が語る、自殺の理由と村にやって来た「赤鬼」を巡る騒動の顛末。

囲み舞台が似合う、何度観てもいい野田秀樹の名作が、中屋敷法仁の演出で青山円形劇場に。動きや登場人数を補うためのアンサンブルで3人追加になるも、台詞はあくまで4人での芝居を、息の合った動きで展開させていく。4人の中では知恵の足りない兄を、あまり知恵が足りない感じにしなかった柄本時生に好感。衣装と舞台美術もよい感じ。何よりこの脚本なので、観れば満足は間違いなし。

という前提で、野田秀樹演出を観ているとどうしても比較してしまうのはやむなし。意図的かどうかはわからないけど全体に緩急強弱のつけ方が薄く、場面転換や台詞を立てるのも控えめ。野田秀樹が自分で演出と出演を兼ねる前提で書いたリズムの芝居を他の人が演出するのはかくも難しいか。あと、自分が観た席がBブロックの中でもさらに微妙な角度に当たってしまって、始終横から観ている印象に。舞台が一番高くなっているAブロックがやっぱり正面で、その裏はおそらくそれなりに向いていたので見えていたはずだけど、それ以外のブロックからどう見えていたか気になる。四面舞台ならもっと簡単になると思うけど、円形劇場の演出もやっぱり難しい。

日曜夜の芝居にも関わらず満席だったのは100分芝居を17時開演という狙いが当たったからか。おかげで日曜日なのにハシゴがする気になったので、今後も流行ってくれることを願う(ここに19時半のマームとジプシーのチケットを持っていたら3連続強行軍も狙えたけど、実際にやったマニアはいるかな)。

NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺企画製作「リア」座・高円寺1

<2014年6月8日(日)昼>

嵐の荒野を彷徨うリア。長女と次女に領地を分け与えたものの、そこから追出され、ただひとり慕ってくれた三女を亡くしたリアの胸中は。

千秋楽。再構築して90分の3人芝居にしたリア王。いきなり嵐の場面から始まったり、三女の扱いが死んでいるのか死んだつもりなのかがよくわからなかったり(台詞だけ聞いたら死んで引連れているけど、元の筋だと死んだのは荒野の場面より後だったはずだったので狂ったリアが死体と思い込んだ何かを引連れている可能性もあり、で小道具と再構築のためそこらへんは分からず)、正直わかりにくい話になっている。

けど、ほぼ出ずっぱりの渡辺美佐子のよくわからないエネルギーに90分連れられていった不思議な感あり。植本潤と田中壮太郎の2人もいい相手役だったけど、2人だけの場面はリラックスしすぎ。しかし植本潤の身のこなしは格好良かった。

照明が暗すぎて前半は表情がいまいち見えなかったのが視力の悪い自分には不満。照明の明暗でリアの心中を表しているかと思わないでもなかったけど、狭い劇場なら暗くても見える、というわけではないのでそれは一考してほしい。

青年団「ヤルタ会談」こまばアゴラ劇場

<2014年6月7日(土)夜>

ヤルタの地に集まって戦争の大詰と戦後の統治を相談するチャーチル、ルーズベルト、スターリンの3人。

落語向けに書下ろしたのが先で、そこから芝居にしたとのこと。ものすごくラフに物事を決めていく途中の認識の違いとか放言とかがブラックなのだけど、たぶん当事者たちも実際こんな感じだったんじゃないのと思わせるあたりのさじ加減がとても上手い。

元が落語向けなだけあって30分の小品だけど、将来もう1回観たい。

青年団「忠臣蔵・OL編」こまばアゴラ劇場

<2014年6月7日(土)夕>

昼食時間帯に飛込んできた殿の刃傷沙汰、追って届く吉良無罪の報せ、これに直面したOL達が休憩スペースで論じる今後の方針や如何に。

Aチーム。たぶん初演のOL編も観ている。ぐだぐだになることこの上ない展開になるのは覚えていたけれど、初演のときよりも観ていて腹が立つという珍しい経験。演技にではなく、展開の話。一応本会議前の雑談という設定だけど、勤め人として目的もアウトプットも定まらない会議の経験が増えたせいか。苦笑いできるようになりたい、修行が足りない。

大石内蔵助(に当たる家老)を演じた木崎友紀子のずるい感じがいいのだけど、うっとおしい会計(?)係が実にうっとおしいのを観て青年団は幅広く役者を集めているなと思ったら立蔵葉子だった。芸風広し。刀の大小は武士道の意気込みでも表しているとか?

2014年6月 7日 (土)

松竹/Bunkamura主催「三人吉三」Bunkamuraシアターコクーン

<2014年6月6日(夜)>

将軍家から手入れに出された名刀・庚申丸が、盗賊に盗まれて川の底に沈められてから何年も後のこと。川浚いで再び見つかった庚申丸が古物屋の手に渡って百両の金で買われると、この刀と金とが巡って吉三という同名の三人の悪党を義兄弟につなげる縁となる。ところが、この刀と百両の金とに関わった人物には複雑な因縁が絡んでおり、それが三人の吉三に迫ってくる。

初日。3回も上演するだけあってさすがによくできた歌舞伎脚本。こいつぁ春から演技がいいや、の出元がこれでした。一幕と二幕の演出は若干地味目で、ところどころ長塚圭史の実験芝居みたいな気配もあったけど、三幕の立回りで思いっきり派手にやってすべてを吹飛ばす演出で満足。2回目のカーテンコールがスタンディングオベーション。音楽と照明が今時っぽいスタッフワークになっていたけど、特に音楽で、あそこまで歌舞伎っぽさの印象が変わることがわかったのは収穫。

主役3人はさすがに目立って、勘三郎いなくても十分できていた。それでも若干おとなしく感じたのは初日だからか。笹野高史の存在感がさすがなんだけど、主役が目一杯派手にやるともっとお互いに引立つので(それがコクーン歌舞伎の仕組みだと思っているので)楽日に向けて主役の3人はもっと無茶してほしい。

前売が正真正銘の完売らしいので、当日券は2階のパイプ椅子少しに立見がメイン。通路は使うけどあまりメインの演技では使わないのでその点は心配なし。カーテンコールまでいれて休憩2回を挟んで3時間40分だったので、当日券の人は気合と体力で臨みましょう。逆に、前から5列分くらいの桟敷席が取れた人は三幕の演出をぜひ楽しんでください。あれはうらやましかった。

2014年6月 4日 (水)

大勢を一体化するものが娯楽、個人を独立させるのが芸術

インターネットをだらだらやるのはよろしくないですが、そのおかげでこんな引用をしているブログを見つけました。

芸術について。人を楽しませる作品は、私たちを作品世界に「引き込む」。だが、よい作品は、逆に、作品が私たちの中に「入ってくる」。映画で言うと『ジュ ラシックパーク』は典型的に前者。大島渚の『少年』は私にとって後者。よい作品が私たちの中に入ってくると、自分のものの見方が少し変わる。—
tetsujin (@chikurin_8th) May 31, 2014

芸術について。コピーライターの言葉は「引き込む」。詩人の言葉は「入ってくる」。コピーライターは、私たちのものの見方をそのままにしておいて、私たちを作り手の意図した場所に運んでいく。詩人は、受け手(私たち)のものの見方を変えて、私たちの意図を作り直す。—
tetsujin (@chikurin_8th) May 31, 2014

芸術について。作品の表現が、私たちの中に「入ってくる」と、世界に対する見方が少し変わる。変わり方は、私たちひとりひとりで、少しずつ違う。よい芸術作品は、だから、私たちをそれぞれ他人と違う「個人」にする効果をもつのではないかしら。—
tetsujin (@chikurin_8th) May 31, 2014

芸術について。政治の言葉は、私たちの中に入って来ないし、私たちを個人にしない。政治の言葉は、基本的にコピーライターの言葉と同じ働き方をする。私たちをどこかに連れて行くだけ。政治運動が歌舞音曲をしばしば伴っている理由が分かる。—
tetsujin (@chikurin_8th) May 31, 2014

芸術について。人を楽しませる芸術は、だから案外怖いものだ。ヒト以外の動物は象徴の体系をもたない。象徴芸術に「皆で乗り込む」ことで、ヒトは集団を作 り、暴走する。逆に、私たちを個人にする効果をもつ芸術作品が、どういう仕組みで生まれてくるのか、それは分からない。—
tetsujin (@chikurin_8th) May 31, 2014

自分が以前書いたタイトルの言葉と同じようなことを書いている人がいたのが嬉しくて引用してみました。ところがこの引用者は続きがあって、

芸術という娯楽の恐ろしさは哲人さんの述べるとおりだが、ひとつだけ哲人さんに思い出してほしいことをつけたしておくと、ヨーロッパを深刻な地獄に変えたナチはワグナーとニーチェという「私たちを個人にする効果をもつ芸術作品」群によって個人を圧殺したのだった。

という但し書きが付く。それがメインではないのですが、難しい話です。

でも、「私たちを個人にする効果をもつ芸術作品が、どういう仕組みで生まれてくるのか、それは分からない。」というのは、とても重要な問いであります。うっすら答えの想像はできるけど、それが正しいかどうかを確かめられない。

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »