東京芸術劇場主催「小指の思い出」東京芸術劇場プレイハウス
<2014年10月12日(日)昼>
あらすじはパス。
雑な書出しで申し訳ないけど、粗筋がわからなかった。言い訳半分で書くと、この脚本は初見で、今まで観た野田秀樹脚本の中では言葉遊びも詰めこまれた要素もかなり多い部類。それを、物語よりは台詞と音と見た目の美しさを追求した演出にしたために、さらにわからなくなった。表の世界は当たり屋一家、裏の世界はやがて迫害されるカスパーの一族、でいいのか。章のタイトルを映像で補足していたのだけど、アクティングエリアが平面基本に対して投影場所が高いために見逃す場面も多々あり。物理的に高い劇場の演出は難しい。最後の場面、あの何となくいい気持ちにさせることでおなじみの長台詞は、もっと感情控えめで、詩の朗読みたいにやったほうがいいと思えたのがもったいない。
あと、個人的に分かりにくさを助長する演出が2つあった。ひとつはマイクの利用。これは中劇場で演じるにはしょうがない面もあるのだけど、役者の声が似ていたり滑舌がいまいちだったりするうえに、劇団☆新感線みたいに整理された演出ではなかったので、どこで誰が言った台詞なのかがわからなくなる場面多数。常にはっきり分かったのは勝地涼と松重豊の2人くらい。もうひとつは役者を写したライブ映像の多様。映像がマイク音声より遅れて表示されるので目で見る口の動きと耳とが合わず、台詞理解の妨げに。視力が悪いせいもあって舞台を観るときに耳情報重視で観ている自覚はあったけど、五感の耳以外も結構使っているのだとは思い知らされた。
ただ、そういうのがハンデにならない場面で、たまに要素が揃って美しさが現れることがあった。野田秀樹の脚本はとりあえず早口で勢いよく進めて、考える暇もなく異なる世界の接点を繰返し示すことで何となく納得させるのが演出のコツだと思っていたところ、そうではないやり方の可能性を見せてくれたのは将来に期待が残った。とりあえず、マームとジプシーを一度見てからだ。
ちなみに、選んだ脚本がこれ、という時点である程度結果は想定できただろうに、こんな企画を通した野田秀樹の芸術監督としてのわがままっぷりは、むしろ評価したい。発掘作業は当たるほうが珍しくて外れるほうが多いのが当然で、オッズが低いのであれば発掘の名に値しないので、これで企画を縮小させるのではなく、できるだけ数撃つ方向を目指してほしい。
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