2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月27日 (金)

イギリスでは労働階級出身だと芸能人になれないらしい

正確には「労働者階級の子供は芸能人にもサッカー選手にもなれない時代」というタイトルの記事を読みました。正確な内容はリンク先を読んでもらうとして、ここで紹介するからには芝居関係のところを代表して、内容が伝わりそうな箇所を引用。

王立演劇学校の芸術監督エドワード・ケンプは、年収2万5千ポンド(約460万円)以下の家庭の子供で2014年に同校を卒業した生徒は全体の36パーセントだったと言う。奨学金制度が充実している王立演劇学校は庶民的な子供が多いほうだそうだ。

もう1箇所、その影響に対するコメント。レペゼンはRepresentingで代表するという意味だそうです。「文化が全ての人間をレペゼンしなくなる」とはいつか使ってみたい表現です。

グラスゴーの公立校出身の俳優、ジェームズ・マカヴォイはこの状況に警鐘を鳴らしている。
「上流階級出身の俳優が成功することに問題はないし、誰も彼らを責めているわけではない。だが、僕たちが心配しているのは、社会のすべての人々に芸術の世界に入るチャンスが公平に与えられていないということで、それがまさに今起きていることなんだ。現在は影響を感じなくとも、5年先、10年先に必ずその影響が出て来る。社会のほんの一部の階級の人々が芸術やカルチャーを支配するようになると、文化が全ての人間をレペゼンしなくなる。それはフェアじゃないというだけでなく、社会にダメージを与える」

平和が続けば格差が固定する、すると上への希望がない層が一定の割合を超えたところで社会が荒れる、それは本人たちにも荒れた社会の被害をこうむる上の層の集団側にもよくない、だからそうならないように社会の仕組みを工夫するかが文明的集団の腕と知恵の見せ所、というあたりは一般論とします。

が、私がよく観る小劇場、あるいは小劇場から育ってメインストリームになった人たちは、小劇場ブームの時代に大学の学生劇団を母体としていたところがほとんどなので、大学出身者にもいろいろあらあな、という話とは別に、大学に進学して芝居にのめり込める程度には裕福な家庭の人が多いのではないかとも推測します。

さらに、嘘か真か、最近は揉め事を避けるために親族にトラブルメーカーがいる人は本人に素質があっても芸能事務所がスカウトを諦めるという話を以前どこかで読んだことがあります。日本でも二世芸能人が目立つようになってから10年ほど経っていますが、そこらへんの影響もあるのでしょうか。

以前「5%の差」というエントリーを書いて、それは観る側、文化の受益側の格差を書いたのですが、同じような話が演じる側、文化の発信側、しかも海の向こうで起きているということで、何となく引っかかる話題です。

ところで、日本では芝居見物はずっとマイナーな趣味に留まっています。ひょっとして偏った人口の人間ばかりが芝居をやるから、偏った業界文化が幅広い客層をレペゼンできていないという可能性はないでしょうか。

すいません一度使ってみたかったんですすいません。

2015年2月24日 (火)

シス・カンパニー企画製作「三人姉妹」Bunkamuraシアターコクーン

<2015年2月21日(土)夜>

帝政末期のロシア。軍人の父の元でモスクワで育った4人の子供たち。その後田舎町に引越すも父が亡くなり、生活は没落していく。三人の姉妹はモスクワに戻ることだけを心の支えとして日々を過ごし、長男は大学の教授を夢見るも地元の娘に惹かれる。そんなある日、モスクワから赴任してきた軍人が挨拶に訪れ、唯一結婚している次女が恋に落ちる。

かもめ」に次ぐシス・カンパニーとKERAとのチェーホフ上演企画第2弾で、これも初見。翻訳者は不明も、上演台本はKERAが書いたとのことで、そのせいか、とても古典とは思えない。現代演劇の翻訳みたい。ところどころで笑わせようとしているのはわかるけど、あまりにも陰々滅々たる展開に笑えない。モスクワという希望にすがって没落していく姉妹の痛々しさがまるで今の日本を見ているようで、ところどころに出てくる「生きなくては」という台詞があまりに時勢にぴったりしすぎて、役者が熱演して物語が回るほど、観ている側の気力体力を削るような仕上がり。全力の拍手、でも1回だけですっと終わる、という今までなかったカーテンコール。

役者はこれまでに何回も観た有名どころが揃っていたのだけど、それでも最初の出番では誰だかわからないような、適切な表現かわからないけど、役を持ってくるのではなく役に近づくような演技で揃えていた。それでここまで仕上がったのだから恐れ入る。ただそういうトーンの中でも、宮沢りえだけは、ところどころに女優・宮沢りえが顔を出す。運動神経や反射神経に個性が潜んでいる模様。

笑いは少な目だけど、芝居として観て損はないので、体力のある人はぜひ。

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »