2015年12月31日 (木)

2015年下半期決算

恒例の年末決算です。まとめが非常に延びました。

(1)ミナモザ「彼らの敵」こまばアゴラ劇場

(2)劇団☆新感線「五右衛門vs轟天」赤坂ACTシアター

(3)日本の30代「ジャガーの眼2008」駅前劇場

(4)KERA・MAP「グッド・バイ」世田谷パブリックシアター

(5)カタルシツ「語る室」東京芸術劇場シアターイースト

(6)てがみ座「地を渡る舟」東京芸術劇場シアターイースト

(7)FUKAIPRODUCE羽衣「橙色の中古車」こまばアゴラ劇場

(8)大人計画ウーマンリブ「七年ぶりの恋人」下北沢本多劇場

(9)ブス会「お母さんが一緒」ザ・スズナリ

(10)シーエイティプロデュース「スポケーンの左手」シアタートラム

(11)パルコ企画製作「ツインズ」PARCO劇場

(12)劇団チョコレートケーキ with バンダ・ラ・コンチャン「ラインの向こう」東京芸術劇場シアターウエスト

(13)Bunkamura/こまつ座企画製作「ひょっこりひょうたん島」Bunkamuraシアターコクーン

以上13本、隠し観劇はなし、チケットはすべて公式ルートで購入した結果

  • チケット総額は80600円
  • 1本当たりの単価は6200円

となりました。上半期の16本とあわせると

  • チケット総額は159360円
  • 1本あたりの単価は5495円

です。今年は年中バタバタしていて、上期のラインナップを見返したら3年くらい前、下期でも前半は1年以上前の印象があります。芝居を観られない時期もあり、これは当たりだと思っても見逃した芝居が片手に余るようになったので、去年から大幅減少です。観る機会が減ってもなるべく開拓精神は維持したいのですが、相対的に手堅く当たりの期待できる芝居が多くなるのは致し方なく、単価5000円を越えてしまいました。見逃した芝居も、公演期間が4週間未満だったら公演期間が短いほうが悪いと開き直る昨今です。

そんな下期は当たり外れがはっきり分かれる結果となりました。実話を基にした直球社会派の再演モノ(1)と、堅苦しさは脇に置いてスクリューボールコメディの何たるかを見せつけてくれた(4)が甲乙つけがたいのですが、どちらかひとつを選ぶとしたら今回は(4)です。年間トップもこれで。理由は後述。他に、1時間の一人芝居で惹きつけられっぱなしだった(7)と、女同士のエグい話を描かせたらさすがの(9)が、佳作や秀作と呼ぶにはもったいない出来で楽しませてもらいました。

で、非常に重苦しい話題の多かった1年なので、振返ると暗い話になるうえに政治の話題を避けて通れないので気が進まないのですが、できるだけ落着いて振返ってみます。

エントリーを読み返してみると神経質だったりそっけなかったり、いつにも増して書き散らかしています。その中でも年末最後の3本が暗い日本の話題で続いて、まったくもって年おさめに相応しくない芝居ばかりでした。安全保障法案の討議や可決で盛上がったのか、再演の(6)に新作の(12)(13)と戦争絡みの芝居が並びましたが、個人的には労働者派遣法の改正が通ったことに注目します。この法案で、今よりももっと雇用環境が悪化して、生活が不安定で貧しい人が増える、もともと中流が多い構成から少数の裕福な人と多数の貧しい人とに分かれる流れ(長くなるので理由は割愛)が起きていますがこの法案はその流れを加速させる、と考えるからです。

もともと不安定なのが当たり前の演劇関係者には「だからどうした」「安定しているほうがおかしい」「表現したい欲求は安定を求める気持ちより大きい」と考える人もいるかもしれません。が、下り坂の経済で貧しい人が増えれば、短期には観客数の減少(金がない、金があってもより有益な他のことに回す)、中長期には業界の人材不足(そんなことにかまけている余裕はない、そもそも興味が湧く機会もない)、上演環境の悪化(もうからない上演場所の廃止や稽古場所の商業転用による減少、助成側の資金力低下による助成金の減額)で影響がでると予想します。今の日本で芝居が一般的な趣味や共通の話題とは言えませんが、それでも一定数の上演があり、その中からたまにはモノになる団体や役者が出てくるのは、その活動を許容する経済的体力と精神的余裕が社会の側にあればこそです。その土台がぐらついたら、等しく影響はあるわけです。

安全保障法案の可決で徴兵制を心配する言葉もちらほら目にしますが、個人的には徴兵制はないと踏んでいます。貧乏を押しとどめるだけの力が社会になくなったら、学費免除による進学と兵役志願とのバーターが魅力的に見えるようになるからです。昔ローマ今アメリカで市民権や学費と引替に兵役に志願する例があります。何より徴兵制になったら地位や資産に関係なく、自分やその親族が兵役に就くことになります。徴兵逃れなんてやろうものならばれた時のバッシングは想像するにかたくありませんし、大多数の人間は戦場に行くのは真っ平ごめんです。もしそういう事態になったら、金持ちだけでなく、もっと一般人もふくめて賛成します。それに対抗するには思想信条や反骨精神なんて役にはたたなくて、社会全体が豊かさを維持して、お互いが五分五分で対峙できるだけの余裕を持つのが大事で、大金持ち対貧乏人だったら貧乏人の勝ち目はありません(ただし、この方針は人口が増えるないし若者の比率が一定以上維持される前提なので、人口減少中の日本では移民の話が絡みますが、これも割愛します)。

できるだけそういう状態に陥らないように、あるいはそういう状態になるまでの時間を稼いで反転の機会に望みをつなげられるようにするべきだと考える自分には、戦争反対徴兵制反対ばかりを声高に訴える演劇関係者は、一般政策のまずさを隠すための政府の回し者じゃないかと疑われます。あるいは、今の社会のまずさを描いて「ひどいよね」止まりの芝居は、意識的か無意識的かはさておき、そんな分かっていることを言われても困ります。かといって「あいつらが悪い」とそれっぽい悪役をこしらえて糾弾するのはもっと違います。問われるべきは自分たちであり、まずは自分たちが正しく自分の意見を言語化して自分自身を認識すること、叶うものならそこから前に進む勇気を得ること、これができない限り改善への道は遠いです。それを描いて客席を問詰めたのが(1)です。これも再演ですが、楽日に間に合ってよかった。瀬戸山美咲はまだ2本しか観ていないのに非常に惹かれるので、もっとたくさん上演してほしいです。次が1年後(2016年6月)というのはいかにも長い。

それとは別に、そんな世情とはまったく関係ない(4)が傑作コメディとして、久しぶりに声が出るくらい笑わせてくれました。どちらも甲乙つけがたく、もし(1)が年末に上演されたものだったらそちらを年間トップに選んでいました。が、あまりに暗い芝居が年末に3本も続いてしまい、むしろこのご時勢ではコメディのほうが貴重ではないかという意見に傾いたので(4)を年間トップに選びます。こういうコメディを上演できているうちはまだよくて、不謹慎だから止めろという声が挙がってきたらそれが危険事態の一歩手前です。戦争反対もいいですが、全力でコメディというのも演劇関係者の意思表示として覚えていてほしいです。

ここまで書いて読返してみたら政治の話題ということもあって結構恥ずかしい気もしますけど、妄想が過ぎますかね。でも想像力が大事というのは芝居で学んだことのひとつなので恥は恥として残しておきます。そして珍しく政治の話を書いたのでもう少し。

2015年は戦後70年ということで、その時代を体験した人たちがどんどん亡くなってしまい、どうやって語り継ぐかが課題というニュースを見ました。そんなことは当たり前で、ロボットじゃあるまいし、何十年も前から分かっていたことです。もし本当にその戦争が自分たちにとってよくないものだったと考えるのであれば、原因と責任を追究して、そういう事態にならないような社会の体制であったり、組織の人事であったり、意思決定の教育であったり、そういう仕組の部分に反映させるところに努力するべきです。

なんでそういう話題が出ないのか自分なりに考えたのですが、仕組というのは人間が作るものであるという実感のなさ、自分の意見が仕組みに反映される体験の乏しさが理由だと思います。自分の場合は仕事上の経験でそういう考えを持つようになりましたが、それまではそういう発想さえありませんでした。

その仕組作りの最も大きいもので、その割になおざりにされているのが選挙です。ピンポイントで政策に投票できないのでまどろっこしいかもしれませんが、選挙は一般人が自分の意志を社会の仕組に反映させることができる貴重な機会です。変革が常に望ましいものとは限りませんし、数年前に政権交代があったときには被害が思いっきり社会と一般人にも跳ね返ってきました。でも、特定の候補にお灸を据えることができれば他のどの候補でもいいという発想の投票ではなく、自分が期待する社会のあり方に最も近い候補に投票する行為を積重ねていくことが、今より半歩でも期待できる社会に近づくために必要な行動である、そのために先人が用意してくれた仕組と権利を無駄にしないという考えは、そんなに悪くないと思います。2016年からは選挙権が18歳からに引下げられましたが、18歳以上、何歳でも選挙権は持っていますので、ぜひとも有効活用して投票率を上げてほしいです。

いろいろ書きましたが、観るからにはコメディでもシリアスでも、とにかく面白い芝居が観たいのです。来年の目標は去年の目標と同じく30本にしておきますが、気になる芝居を全部観るには年間30本ではいかにも足りない。でもそれは最初にこのブログを始めて以来トップに掲げている「どれだけ舞台を観られるかは時間とお金と運次第」なので如何ともしがたいです。せめて出合った芝居が観た側にも観られた側にも幸せな、人ひとりの一生を超えた大きな命のつながりにつながってほしいと願うばかりです。

今年の様子を見る限り来年の更新頻度は低調な見込みですが、引続き細く長くのお付合いをよろしくお願いします。

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2015年12月23日 (水)

Bunkamura/こまつ座企画製作「ひょっこりひょうたん島」Bunkamuraシアターコクーン

<2015年12月23日(水)昼>

ひょうたん島の住人たちの日常だったり、島の外からやってきた様々な人たちとの邂逅だったり。

オリジナルのテレビ番組を観たことはないけど、登場人物だけ借りて、あんまりオリジナルっぽい要素はなさそう。長短いくつかにわけた場面は不条理劇あり東京を舞台にした語りもあり、ごった混ぜ感がいかにも串田和美という感じの舞台。雑にまとめると日常の愛おしさと戦いの悲惨さとについて。

今回も引きが強いというか、他に候補だった芝居が戦争物だったから続くのを避けてこっちを選んだのに、前回から3連続でやっぱり戦争の影というか今時の世間の余裕のなさを描くような内容になっていた。最後の場面は希望と絶望とどちらとも取れる内容だったけど、観客としては一縷の希望を描いたのだと思いたい。

ごった混ぜはごった混ぜなりに全体で筋は通っているのだけど、「ひょっこりひょうたん島」と冠しているからには、やっぱりもう少し登場人物や場面設定をひょうたん島に寄せて統一感を出してほしかった。脚本が原因かもしれないけど、だとしてもそれを許した串田和美の、真面目に不真面目な面が悪い方向で出た。

ほとんどの役者に複数の役が当たっていてもベテラン揃いで安心して観ていられる。その中でも白石加代子が一頭抜けていた。あと数少ない若手の山下リオが声よし見目良し切れよし、もっと舞台に出てほしい。カーテンコールの歌のノリにその人の出自がうっすら見えるのは楽しい。

ひとつだけ不思議だったのは舞台美術。小道具や衣装は多くあったし、床こそ回転していたけど、後ろのパネルは半透明のものを並べただけのようで、公演の移動も考慮したのかまあ簡素な美術だった。その割に貧乏臭くないし、スカスカした感じもなく舞台が埋まっていた。役者の数の違いはあっても、もっと狭い劇場でスカスカしていた芝居と比べて、あれは美術の力なのか演出の力なのか予算の力か劇場の力か、いったい何が違うんだろう。

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2015年12月18日 (金)

劇団チョコレートケーキ with バンダ・ラ・コンチャン「ラインの向こう」東京芸術劇場シアターウエスト

<2015年12月17日(木)夜>

1946年に降伏して終戦を迎えた結果、ソ連管轄の北日本とアメリカ管轄の南日本とに分断された日本。県境で国境が引かれたため、山奥の県境にまたがる、親戚同士の農家が2家族が住むだけの集落が北と南とに分かれることになる。家族は互いの農作業を手伝いつつ、両国の国境監視の兵士が1人ずつ駐在するも、見回り以外何もしない平和な状態が続く。そこに、北と南との戦争が勃発し、北日本の軍に入隊していた息子が脱走して戻ってきてから、村の雰囲気が少しずつ変わっていく。

初日。観に行ったこちらの引きの強さというか、前回に続いて暗い日本の話。昨今はこういうテーマの芝居が多い。豪華ゲストを迎えて大きな設定を持ってきた割には保守的な仕上がり。上記あらすじまで進んだ時点で3パターンくらい考えたら、その中の一番穏当な結末だった。無理に破天荒な芝居が観たいわけではないけど、この筋だと現実の重苦しさに力負けしている。あとひと転がしがほしかった。

台詞がほぼすべての状況と心情を説明する脚本は観る側に想像する余地を与えない。演出で笑いやシリアスのメリハリをつけようとしたり、深く掘ろうとした気配もない。初日とはいえ近藤芳正がいて戸田恵子と髙田聖子を呼んで、この出来は不満の一言。

南日本の兵士の西尾友樹が肩の力が抜けた感じで好印象。劇場一杯の飛行機の効果音は臨場感を上手に煽っていた。

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2015年12月11日 (金)

パルコ企画製作「ツインズ」PARCO劇場(ネタばれあり)

<2015年12月9日(水)夜>

日本の海辺の町。日本人が大勢海外に出国するような「大変なこと」が起きてから4ヶ月。兄弟とその子供が実家に呼ばれる。長男は独身で実家住まい、次男は娘と一緒に、長女は息子夫婦とその双子と一緒に来ていたはずだが行方不明になる。実家では長男と寝たきりになった父親を、謎の若い男女が世話している。兄弟を呼寄せるメールはこの女性が出したもので、敬老の日に合せて呼ぶように父親が依頼したという。もともとそりが合わない兄弟なのに、「大変なこと」で殺気立っている次男。不安定な一同が敬老の日を迎えるまでの3日間を描く。

この面子でPARCO劇場で、さすがに派手目に振ってくるだろうという事前の予想を全力で裏切る地味芝居。毎年PARCO劇場で何かは観ているけど、この劇場で過去最高に地味。冒頭の多部未華子を観て一瞬松尾スズキの「キレイ」かと思ったけど、むしろ平田オリザの「南へ」の長塚圭史バージョン。地味なら地味なりに仕上げる工夫もあるはずなのだけど、前半と後半で雰囲気が揃わず、中途半端なバランスに。地味なことを除いても、これはさすがに首をひねる仕上がり。

情報を小出しにしている(最後まで出さない情報もある)ので、前半は地味というよりも深刻かつミステリアスに進むのだけど、「大変なこと」を警戒していた古田新太演じる次男がコロッと意見を変える場面から、古田新太の笑わせ演技が出て雰囲気が崩れた。そもそもこの意見を変える展開が脚本演出の腕の見せ所なのだけど、そこを古田新太の腕力で強引に持っていくにまかせたあたりに手抜きを感じる。吉田鋼太郎演じる長男には意味ありげな過去を匂わせつつ最後までシリアスな感じを維持させただけになおさら。「ラストショウ」とかもっとぎりぎりのバランスを保っていたのだけど。

あと、絶望を描くなら、絶望に落ちるまでの経過だったり、希望を目指して結局絶望に戻る経過を描いてほしい。最初っから絶望的で、最後まで絶望のままで、そこに何を見出せというのか。

それに関連する一番の不満は、絶望を描くのであればそこに希望も描いてほしいのにそれがまったくなかったこと。描いているのが今の日本の風刺であればなおのこと。さっさとイギリスに逃げたっていいのに、絶望の多いこの日本に留まって芝居を創りながらサバイバルしているんだろ。その留まる理由に少しでも前向きなものがあったらそれも舞台に乗せて共有してくれよ。観客だってサバイバルしているんだよ。「日本という国がどうなってもいいけど日本人がそれにつきあう必要はない」って言っている平田オリザだって、「もう風も吹かない」ではもう少し背中を押すようなことを描いている。前田知大なら「(若者に向かってこんなところに留まらずに)外の世界を目指せ」というメッセージを「獣の柱」にこめた。「大変なこと」を背景に、今の日本のいびつな状態を登場人物のそれぞれに投影したことはわかるけど、海の向こうに行く船もない、「でかした」と生まれてきた子供は行方不明になる、祖父に問いかける孫は返事を得られない、そしてあのラスト。本当に何にもないのか。それとも俺が見逃したか。であれば分かっていないやつの駄文だから流してくれ。

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2015年11月27日 (金)

シーエイティプロデュース「スポケーンの左手」シアタートラム

<2015年11月26日(木)夜>

アメリカのある安ホテル。左手のない壮年の男が、かつて切落とされた自分の左手を探して宿泊している。左手のありかを知っていると持ちかけた若いカップルのうち、男を監禁して女に左手を持ってこさせようとするが、それは自分の左手ではなかった。怒る壮年の男に出まかせを伝えたところ、確認のための外出中の担保に女まで監禁される。騒ぎを聞きつけたホテルのスタッフが部屋を訪れるが・・・。

マーティン・マクドナーの近年物の4人芝居。マクドナーは長塚圭史の演出イメージが強いからもっとケバくてグロい芝居かと思いきや、効果音以外の音楽なしで90分最後まで緊張感を維持させたことも寄与して、乱暴な言葉遣いや派手な演出があったにも関わらず、イメージに対して比較的品のある仕上がり。、麻薬の売人の岡本健一とその恋人の蒼井優が幼く見えた分だけ乱暴なイメージが薄まったのはあるけど(若いカップルなのでこれは演技プラン通りかもしれない)、脚本の寓話的な側面を上手に出していて、マクドナーの脚本の力ももちろんあるけど、これはひょっとしたら演出の力かも。そういう区別がつかないところに一観客として未熟を感じる。

対面客席で劇場中央を横切るように舞台を配置して客席との距離を短めにとったのはよいけれど、自分はよくないポジションでの観劇となった。ただ、よく観ると万全の客席はほとんない、スイートスポットの狭い演出。上手のベッドの足元に座った役者と、中央の配管に監禁される役者とが向かい合うような場面が多いので、この幅に入れると役者の顔が両方見えるけど、そこから外れると片方は背中を観ることになりそう。自分がしょっちゅう批判する、対面の片方の客席だけが背中を観るようなことはないけど、悩ましい。舞台を劇場中央に置いたせいで配管の位置に制限が出たのが理由と推測。

舞台慣れした蒼井優には華がある。足がつりそうな色っぽい小技を楽しめるのは小さい劇場ならでは。左手を探す男を演じた中嶋しゅうの演技に文句はないのだけど、抑えた調子からはじけて狂った年配の男を演じる役が中嶋しゅうに集中している気がする。翻訳芝居でこのポジションがつとまる人材は他にもいそうなものだけど、自分の観劇本数が足りないための勘違いならなにより。

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2015年11月20日 (金)

ブス会「お母さんが一緒」ザ・スズナリ

<2015年11月19日(木)夜>

3姉妹が母の慰労のために温泉旅館に宿泊している。文句の多い母に辟易しつつ、お互いも揉める姉妹。夕食に用意するサプライズで追加のプレゼントをあげるあげないで長女と次女が揉める中、三女が用意していた追加のプレゼントは・・・。

初日観劇。女同士というだけでなく姉妹という身内の関係も絡めた話は、昔話まで遡って傷口を暴きにかかる言葉のボクシング。ここまで言葉で殴りあうかという脚本だけど、役者が立上げに成功して眠気もふっ飛ぶ2時間。

筋も演出も面白いけど、話が微妙にいまどきの家族問題に触れていて、笑うに笑えない場面も多数あり。「人生は間近で見ると悲劇だが俯瞰で見ると喜劇である」を体現した芝居だった。笑える者は幸いなるかな。

キャスティングに加えて劇場の狭さがこの行詰まり感に寄与しているので、仮に再演されてもどこまで面白さが再現されるかは不明。結構よい値段だけど初日時点ですでにクオリティが値段にまさっている当日券は毎公演発売とのことなので観られる人は今回ぜひ挑戦を。

<2015年11月20日(金)追記>

内田慈の歌が上手かった、って書くのを忘れていたので追記。

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2015年11月 2日 (月)

大人計画ウーマンリブ「七年ぶりの恋人」下北沢本多劇場

<2015年10月31日(土)夜>

昭和の懐かしのアイドルが、余りに姿が変わりすぎて出られないと生放送の出演を拒否する、という話を通しつつ、まったく関係ない話も含むコント集。

多目のアドリブ、自分も出演中の宮藤官九郎がそれを観て笑うところ、伊勢志摩をキャラクターに採用したコントまで。何か既視感がと思ったらタイトルからして「七人は僕の恋人」の路線だ。どちらかというと笑わせるより笑われる方面を目指したか。あまり深いことを考えてはいけない。楽しんだものの勝ち。

じっとしていられないグループが歌って踊る場面が妙に全員上手なあたりにアホな大人の馬鹿騒ぎ感が漂ってよいけど、出演者に投げっぱなしで各自が力技だろうが何だろうが笑わせないといけないところに丸投げで追い込んで責任を取らないあたりは、昼に観た芝居よりもある意味で大人のコント。

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2015年11月 1日 (日)

FUKAIPRODUCE羽衣「橙色の中古車」こまばアゴラ劇場

<2015年10月31日(土)昼>

思い立ってアルゼンチンを一人旅する女を描いたロードムービーなのか何なのかよくわからない一人芝居。

いまどきテンションでここまで持っていく芝居をやっているところがあるとは思わなかった。花道以外ほぼ素舞台に若干の小道具と映像。客席のノリにも左右されるところ、この回はノリがよく、かなり楽しめた。脚本の構成はしっかりしていたけど、後半に物語っぽい展開をつけたのは、よくも悪くもこういう責任の取り方なのだろうと。

1時間とは思えないくらいたっぷりと楽しめた。深井順子はシリアスをやってもよさそうな役者なので、あちこち客演してほしい。

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てがみ座「地を渡る舟」東京芸術劇場シアターイースト(若干ネタバレあり)

<2015年10月30日(金)夜>

民俗学者として活躍した宮本常一。1935年に渋沢敬三に認められてからの活躍と、アチックミューゼアムで働いた研究員たちとの10年を描く。

脚本家、長田育恵の評判を一躍高めた芝居の再演。確かに戯曲賞にノミネートされるだけの実力ある芝居だった。けど、それだけにいろいろ気になるところも目についた芝居だった。脚本がよくて演出が負けていて、それはたまに見かけるけど、脚本がよくて脚本自身の物足りなさまで目につくのはとても珍しい。

ひとつは、宮本常一と渋沢敬三にフォーカスしすぎて、周りの研究員が薄くなったこと。アチックミューゼアムの休眠を前に思いのたけを台詞にされる場面を盛上げたいなら、その前に各人のエピソードをもっと入れてほしい。宮本常一にフォーカスするなら、そのあとの「自分勝手」が思い当たるようなエピソードをもっと入れてほしい。

もうひとつ、時期が第二次世界大戦に突入して敗戦になるまでの10年を選んで、軍人や戦争に協力した研究員をかなりはっきり嫌な奴として描いている。そこまではいいとして、他の人が善人に見えすぎないか。女中頭の弟の出征と戦死の話があって、ここに民俗学の調査結果(死者の魂は故郷に帰る)を重ねて軍人にたたき返してしまうのが、脚本家の実力であり、惜しいところ。庶民禁止という個人的趣味からすると、その前にラジオを聴いて喜んでいた場面からつなげて、もっと因果応報な描き方にしてほしかった。渋沢敬三の妻はその点で好みの線で描かれていたけど、財閥出身者なので普通はあれも軍人たちと同じ側で見えてしまう。

演出について言えば、泣きたい感情を全面に押し出した湿度の高い演出で仕上げているけど、薄く見せるほうがいいような内心もはっきり台詞にした脚本なので、もっとドライな芝居に仕上げた方がこの脚本にはよかった。最後の70年後の現代人の通行。いい感じの選曲と、冒頭の70年前という台詞と合せて、たぶん戦時中の庶民のたくましさ、たとえば飢えさせないように農民ががんばったから今日がある、みたいな美談にしたいのだろうけど、自分には、よいところ以上に悪いところも温存して今日まで来てしまったようにしか見えない。

ほんの少し脚本と演出を変えるだけで激変しそうで、それが今は自分の好みではないほうに振られている。観られてよかったとは思うけど、いろいろ書いて気が付くのは、やっぱり自分は政治的な芝居は原則苦手。政治的な悪人を想定して自分は無条件で善人のふりをする芝居は特に苦手。なので政治的な話はもっと上手に隠してほしい。

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2015年9月27日 (日)

カタルシツ「語る室」東京芸術劇場シアターイースト(若干ネタバレあり)

<2015年9月26日(土)昼>

ある山間の町。幼稚園の送迎中の運転手と園児1人が、山道にバスだけ残して消える事件が起きる。初動の警官は残されたカバンから消えた園児が甥であることに気が付くも、現場にいた不審な若者に逃げられ、人海戦術による探索も空しく2人の行方は不明のまま。5年後、事件を調べるためにやってきた霊媒師の車が盗まれて、その警官の勤める交番に届出に来たところから話は始まる。

5年間、ここに至るまでの経緯を描いた芝居はとても良いところに着地していたのだけど、全体に衝突よりもすれ違いを優先した仕上がりはちょっと食い足りない。最初は中嶋朋子が抜けきっていないように見えたのだけど、よく考えたら周りが追付いていなかったのかも。

甥の行方をつかむ手掛かりになるかもしれない容疑者を逃した警官はもっと悔やんでほしいし、父の手掛かりを探す兄妹にはもっと驚いてほしい。盗まれた車の行方は展開上重要になるけど、ちょっとその盗まれた理由は強引に過ぎるし、いろいろ時間軸が合わないような。2人が行方不明になった理由が大胆なだけに、その他の部分で強引な要素は脚本で取除いてほしかった。そのせいか、舞台となる町の規模とか時間帯がいまいち想像がつかなかった。見えても掴んではいけないという霊媒師の台詞が大本で、それをひっくり返してここまで話を創ったのだと推測するけど、そもそもチラシに書かれていた内容とは違う部分があったので、脚本を書き直して時間が足りなかったか。

あと、イキウメでなくカタルシツでやるから「地下室の手記」とか橋爪功の「犯罪」とか、あのくらい客席向けの台詞で埋めることを想像していたけど、思ったよりも普通の演劇の範囲に収まっていた。語りを担当している役者は会話台詞には参加せずに語るくらいゴリゴリに語ってもよかったのに。

文句ばっかり書いているけどある種の希望を感じさせる良い芝居です。なのに何で自分はこんなに面倒な客なんだろう。

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