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2016年4月18日 (月)

劇団民藝「二人だけの芝居」東京芸術劇場シアターウエスト(ネタばれあり)

<2016年4月14日(木)昼>

公演で赤字を出したために巡業公演中の劇団。主宰者兼男優の弟と女優の姉とが狂っているとして見限った劇団員は、有金を持ってロンドンに帰ってしまう。今さら公演をキャンセルもできない弟は、残った大道具係に舞台美術だけ組んでもらい、渋る姉を説得して2人だけで出来る演目を再演する。父が母を殺して自分も自殺した事件のために近所から迫害され、自宅から出られない姉弟の会話劇が開演する。

テネシー・ウィリアムズの日本初演作というけど、ちょっと難しくて、こなれていなかった。では何が悪いと聞かれるとそれがよくわからないので、思ったことを挙げてみる。

・姉弟の役のキャスティングとして、奈良岡朋子と岡本健一はちょっと年が離れすぎていた。どれだけ声色を作っても声年齢が離れていてつらい。せめて見た目だけでも岡本健一をもっと年上にできなかったものか。

・劇場に残された2人と、劇中劇と、実際の観客を劇中劇の観客に見立てるのと、3つの場面設定というか関係を混ぜながらそれぞれの内容をリンクさせて進めていくのが脚本の構成のはず。終盤になって内容がリンクしていくのはいいのだけど、それは今どの場面設定かが明確になってこそ生きてくること。今回は場面の切替にメリハリがなくて、誤解はしないのだけど、観ていて不完全燃焼な気分になった。

・いろいろ声の調子は変えていたけれど、結構同じテンポで会話が続いていた。あと、姉が言いたくない台詞を飛ばすために弟に指示したり、客席の態度を指摘したりするところは、劇中劇っぽくない声だった。これも場面の切替のメリハリのなさにつながっている。

「やがてリハーサルはのっぴきならない真実をあぶりだしていく」ってチラシやサイトの粗筋に書いてあるけど、観客を劇中劇の観客に見立てる台詞から、あの劇中劇はリハーサルではなく本番だったと考える。ただ、酔っ払っているという設定とはいえ、劇中劇の姉の声をあれだけ露骨な調子にしていたところからすると、翻訳もした演出家は、劇中劇に見えた場面は狂ったいない観客もいるように想像してしまった姉弟のリハーサルだと判断したのかも。

でも、劇中劇(またはリハーサル)の場面で姉に飛ばされた、なぜ父が母を殺したかの詳細が、最後の場面で寒さを紛らわすために稽古するときにそれっぽい理由が示唆されて、それと同時に劇中劇(またはリハーサル)の内容が姉弟のある程度の過去を反映していて、ひょっとして逃げた劇団員が正しくて本当に2人は狂っているのかも、って思わせるところがこの脚本の見せ所なのは確実だと信じている。それにしてはそこに至るまで、結構乱暴に展開していた。

試行錯誤する時間が足りなかったのかもしれないし、脚本自体が実はつまらないものだった可能性もある。けど、芝居全体の構成についてすら芝居と自分との間に合意ができなかった結果を考えると、翻訳兼演出家がどういう理解で演出したのかは訊いてみたい。

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