葛河思潮社「浮標」神奈川芸術劇場大スタジオ
<2016年8月6日(土)夜>
日支事変の時代、結核の妻の療養のために千葉の海岸沿いの家で暮らす夫婦。絵の鬼とも呼ばれ今でもその能力が嘱望されている夫は、画壇への軽蔑と妻の看病に専念するためとから、わずかな仕事と借金で食いつなぐ。妻は祖父から託された不動産をつかって児童養護所を開設しているが、亡くなる前にその名義を弟に書換えておこうと妻の母からは迫られる。夫の数少ない友人からは出征が迫るなか残される妻の世話を託される。診断した医者からもはかばかしい返事がもらえないなか、夫は妻の望みで絵を再開し、万葉集を読み聞かせる。
身を寄せた哲学は崩壊し、打ちこんだ芸術は才能より政治が幅を利かせ、経済的には首が回らず金貸しに頭を下げ、親族はたかりに来て、友人はいなくなり、医学にも見放され、これでもかという八方ふさがりの中で何とかして生きてみせるというエネルギーの塊のような執念を描く。「炎の人」を遡ること11年、カットしてもまだ4時間の大作だけどそれだけのものが詰まっている脚本を、役者とスタッフが真っ向勝負で立上げた力作。ずいぶんと時代がかった台詞もあったけど、モノにしていた。三演目だとしても田中哲司の迫力と、小母さん役がはまっていた佐藤直子、出番は少なくても芝居背景に奥行を出した裏天役の深貝大輔は特に素晴らしかった。強いて言えば原田夏希が妻役よりは少し健康に見えるのと、長塚圭史の医者役はまだ練る余地があるのとが挙げられるけど、大勢にそこまで影響はない。歯ごたえのある芝居を観たい人はぜひ。脚本は青空文庫にあります。
開演前に、初演の主役を演じた丸山定夫は広島の原爆投下で亡くなったことを長塚圭史から簡単に説明。井上ひさしの「紙屋町さくらホテル」の人ですね。特に黙祷もないし、その後は固くなった客席をほぐすようなトークだったけど、そういう日にそういう縁のある芝居を観たのも何かの巡りあわせ。その初演より前に、丸山定夫自身も貧乏に追われて同棲中の女優が病気になったためにエノケンにお願いして一座でコメディを演じていた時期があったようです。当て書きだったのかどうなのか、そういう人にこの芝居の主演をやってもらったのだから、リアルタイムの時代と相まって初演の迫力もなかなかだったのではないかと推測します。
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