2016年上半期決算
恒例の中間決算です。
(1)Bunkamura主催/企画製作「元禄港歌」Bunkamuraシアターコクーン
(2)パルコ企画制作「志の輔らくご in PARCO 2016」PARCO劇場
(3)ハイバイ「夫婦」東京芸術劇場シアターイースト
(4)野田地図「逆鱗」東京芸術劇場プレイハウス
(5)M&Oplaysプロデュース「家庭内失踪」下北沢本多劇場
(6)劇団民藝「二人だけの芝居」東京芸術劇場シアターウエスト
(7)ハイバイ「おとこたち」東京芸術劇場シアターイースト
(8)Bunkamura主催/キューブ企画製作「8月の家族たち」Bunkamuraシアターコクーン
(9)イキウメ「太陽」シアタートラム
(10)DULL-COLORED POP「演劇」王子小劇場
(11)青年団「ニッポン・サポート・センター」吉祥寺シアター
以上11本、隠し観劇はなし、チケットは1本以外すべて公式ルートで購入した結果
- チケット総額は73000円
- 1本当たりの単価は6636円
となりました。本数の割りに何だと自分で計算して一瞬目を疑いましたけど、(1)が思いっきり高かった分です。急用で観られない時期が多くて、6月は目一杯期待できる舞台が揃っていたのにまさかの坊主になるところ、駆込みで(11)を押さえての本数です。これだけ観られたのをむしろよしとしないといけない。
本数が少ない分だけレベルの高い芝居に絞られて、内容が疑問だらけになった(6)以外はどれもかなりのレベルでした。なのにいらない粗探しのようなエントリーが散見しているのは、こちらのハードルも上がったというよりは、疲れていたんでしょう、きっと。
以前のような言葉遊びを駆使したスタイルで今も昔も変わらない日本の問題を描いて容赦なかった(4)には口コミプッシュを出しましたが、半年で新作と再演を上演してどちらも楽しませてくれたハイバイの(3)と(7)、色気と狂気があふれる(5)、活動休止公演に相応しい力作と熱演だった(10)、いつもより手に汗握るスリルも込めて文句なしの(11)など、むしろ(4)よりも一般観客には勧めやすい芝居が多かった。青年団系が多くなったのも今期の特徴ですね。あと、再演がたくさん混じってもいいから半年に2回くらいのペースでやってくれると観るほうはありがたいです。イキウメとか。
2016年上半期のトピックは演出家で2本。まずは何と言っても蜷川幸雄が亡くなったことです。俳優から始めて、時期もよかったんでしょう、いろいろ知識豊富な人たちの薫陶を受けながら、現場の知恵を盗みつつ演出家に転向、ついに世界進出して世界のニナガワになるまるで漫画のようなキャリア。芸術性だけでも娯楽性だけでもなく、両方を含めた演出は観れば何かアンテナにひっかかる仕上がり。あらためて哀悼の意を表します。今後この穴を埋めるところまでたどり着ける人はいるんでしょうか。駆込みで(1)を観られたのはよかったですが、この後に予定されてついに流れた「蜷の繭」はいつか必ず上演してほしい。
そして新国立劇場の次の演劇部門芸術監督に小川絵梨子が決まりました。この抜擢人事という名の博打を認めた関係者には敬意を表します。演出翻訳合せても手がけた芝居はそんなに観られていないですけど、モダンな演出家という印象がある。それは年齢が若いとか、海外の現代ものを手がけていることが多いとかではない。多分、ある種の体系立った演劇教育を受けた、しかも海外で受けたのが理由と推測しますけど、芝居の解釈が行き届いているというか、ローカルなネタに頼らず芝居を立上げているというか、どことなく時事を感じさせるというか。上手く言えないですけど、演劇が観客によい影響を与られる力を持っていること、世界共通の芸術であり世界中に同業者と観客がいること、体系だって教えられる技術があってその上に表現が成立つこと、なにより演劇はいいものであることを信じているような気がします。世間は芸能界でも東京でも日本でもなく世界であり、多様な価値観がある世界に開いている。水商売とか親から絶縁とか芸は盗むものとか、そういうアングラ感がない。
偏見で言えば、芸人は末路哀れは覚悟の上といわれて親から縁を切られる話が珍しくない中、まだ少ない海外の理論をかじって伝統芸能からの独立を目指しながら、古典となる脚本の解釈に四苦八苦して、巡ってきたチャンスをものに出来た人たちだけが生延びた時代との断絶。一言で言えば世代交代ですが、単なる新旧交代ではなく、野良育ちの人たちが活躍する時代から、クラシック音楽や油絵などと同じように小さい頃から教育を受けた人たちの中から活躍する人が出てくる時代に移行している最中であることをうかがわせるような演出家の新旧交代劇です。いやもちろん小川絵梨子が主体的にものすごい努力をしたであろうことやこれからもするであろうことは信じていますが、それより前の段階の環境の違いのことです。芸術監督に就任してどんなラインナップを揃えてどんな演出をしてくるか、興味を持って待ちたいと思います。
ところで時代の移行は私個人の感覚では、良し悪しは半々です。いいところを挙げると、体系化による知識の蓄積と、業界のイメージ改善です。たとえば時代劇は今では作るのが困難で、それは金の問題ではなく、スタッフの後継者不足が最も大きいとのことです。撮影される現場が減ったため、現場の工夫でやってきた殺陣などは付けられる人も減ったり、あるいは着物の着こなしや小道具を使った仕草なども分かる人がどんどん減っているそうです。そういうことが、少なくとも知識として保管継承されていけば、仮に一度全滅してもどこかの段階で復活させられる。あと、今は一部の大学と公立劇場が演劇教育を行なって毎年卒業生がいるはずですが、そういう人たちが大幅に活躍している印象がまだない。むしろ大学でのめり込んで中退してからのし上がってくるのが王道のように思える。これがもっと改善されて、あと平田オリザみたいにワークショップとかで活躍の幅が広がれば、これはよい職業たりえる分野だという認識が広がる可能性がある。何しろ舞台を観ている人は少ない。接点がない人相手なら人は何とでも思える。舞台以外にも舞台関係者に接点がある人が増えれば認識も改まる。
ただ、効率悪い代わりに野良育ちの魅力というのは捨てがたいものがあります。役者だったら伊東四朗、脚本家だったら井上ひさしあたりはストリップ劇場から登りつめました。野田秀樹は賞に落選して「演劇の王道が守られた」と言われました。今になってみれば好き嫌いはあってもこの人たちの実力を認めないわけにはいかないでしょう。そういう人たちのために野良からの道も開かれていないといけない。何より芸能界がGentrificationの対象になってはいけないんじゃないかという感覚があります。それこそが偏見に満ちた考えなのかもしれませんが、社会をRepresentingできない芸術は業界と社会の首を絞めるという視線を忘れてはいけない。
関係者でもないのに勝手に心配して気苦労だけ増えていれば世話はないので、そんな余計な考えは捨てて、自分がどれだけ芝居を観られるかの心配をします。
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