« 2017年5月6月のメモ | トップページ | ローザンヌ・ヴィディ劇場製作「ウェルテル!」静岡芸術劇場 »

2017年4月27日 (木)

日本人が日本人を警戒する視点の芝居を望みます

2017年5月6月の観たい芝居のメモをまとめていたら、ラインナップを眺めて言葉になった考えを書いてみます。

安全保障に絡む法律の制定改正に反対意見が盛上がるなか、演劇関係者も反対を表明する人たちが多いです。それを反映してかこの期間だけでも、事前にわかる範囲で戦争を扱った脚本の再演が4本あります。粗筋を読んだ限りでは戦争に対して否定的な芝居です(戦争を肯定する芝居はあまり聞いたことがありませんが)。

今まで芝居を観て学んだところによれば、日本人は日本人を信用していませんよね。そしておそらくその通りで、日本人は信用ならない。だから国際情勢が、遠くではなくすぐそこの国に関係してきな臭くなったにも関わらず、法律の制定改正に反対しているのは、直感では正しいです。法律が制定改正されたら、なし崩しで日本人が日本人に迷惑をかける形の運用がなされる。そういう日本人の信用ならないところをあの手この手で描いてきたのが平田オリザです。直近だと4月の「南島俘虜記」とか。

それを出発点として考えると、戦争への警戒以上に日本人を警戒しないといけない。いざとなったら何をやらかすかわからない存在として、日本人である私たちは自分たちと自分自身をもっと警戒してとらえないといけない。だから単に戦争反対を目的として法律の制定改正に反対している人たちは同じく警戒しないといけない。それは立場が変わったら自覚無しに法律の制定改正を推進する人たちです。今回の件に限らず、私は政治的な反対意見を表明している人たちに嫌な印象を持っていましたけど、これが理由のひとつだと今わかりました。

演劇関係者もその例に漏れません。有名なところでは、本人にいろいろな考えがあったとしても、岸田国士は結局大政翼賛会文化部長を務めた事実があります。どこで読んだか忘れましたが、自分が務めたほうが関係者の保護に回れる分だけまし、という理由もあって引受けたと記憶しています。ただ、今日の目をもって昨日を論じるなかれという考慮をしても、そもそも就任したのが正しかったのかどうか、それとも全部辞退して疎開して隠遁していればよかったのか、正式に抗議活動をして拷問されるのがよかったのか。岸田国士ですらそうなのですから、今の演劇関係者で戦争に反対している人たちも立場と時局によっては何を言い出すかわかったものではありません。とるべきだった振舞についての合意は今もできていませんから、状況が変わったら状況倫理を駆使して豹変して、後で「あの時はしょうがなかったんだよ」で済ませるような人が大勢いるでしょう。

再演される芝居はすでに脚本があるのでリライトするわけにはいきませんし、そもそもリライトするなら再演する意味がありません。それでも、単に戦争反対という視点から戦争を断罪して観客をいい気分にさせるのではなく、戦争にまつわる悲劇を起こしているのは人間の営みで、その中でさらに日本人の通常の営みには戦前戦中戦後を一層悲惨にする何らかの要素や様式があって、それは劇中の人物だけでなく現代の作り手の日本人や観客の日本人の中にも脈々と受継がれて潜んでいるので強く警戒するべき、という視点から描かれることを、一芝居ファンとして望みます。

それとは別に、相手の土俵に乗らないことで反対を表明する方法もあります。戦争が起こる可能性が大きくなるほど、戦争とは遠い純粋な娯楽を提供することで、観客の日本人には逆にある種の救いになりうる、次の日に向かう力を与えられる、ということも忘れないでほしいです。

|

« 2017年5月6月のメモ | トップページ | ローザンヌ・ヴィディ劇場製作「ウェルテル!」静岡芸術劇場 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 2017年5月6月のメモ | トップページ | ローザンヌ・ヴィディ劇場製作「ウェルテル!」静岡芸術劇場 »