4年越しの野次馬は思えなかったづくし
そういえば昔これでエントリーを書いたなと思って読返したら、無駄にテンションの高いエントリーだった。あのころはやばかったな。それが4年をかけて復帰して、ユニットも組むことになったそうです。ステージナタリー経由。
世の中には、謝ることすら許されない、100%自分が悪い、という出来事が存在すると思います。
僕が起こしたことは、2度とリセットすることの出来ない、一生背負い続ける過ちだと思っております。
しかし僕は、1秒として、「演劇をやめる」という選択肢を持つことができませんでした。なんとしてでもしがみつきたかった。
そのひとつの答えが、この「serial number」という場所です。
一度不祥事を起こした僕には、いつだってお客様から見放されるリスクが常にあるのだと、
重々承知の上、自分の人生と誠実に向き合って行こうと思います。
演劇とは、僕の想像をはるかに越えた、対等なものであり、美しいものであり、残酷なものであると思っています。
これからも、僕なりの形で、演劇と向き合っていきたいと思っています。
これから、何卒宜しくお願い申し上げます。
小劇場とはいえ、あそこからまさか復帰できるとは思えなかったし、4年も粘るとはもっと思えなかった。
思えなかったといえば風琴工房もここまで存続するとは思えなかった。自分が観たのはすでに中堅キャリアのころで、短編一挙上演とかの企画をやっていて、でもあの作風でそれ以上長続きするとも思えなかった。昔過ぎて手元の資料が見つからないうえに公式サイトリニューアルで昔の記録が飛んでいると思ったらまさか早稲田演劇博物館が残してくれていた記録が見つかったのでそれによると2002年だ。タイトルだけ覚えているのは「寄生植物園」で、あとなんだっけなあの写真家とカメラの話のタイトル、シャッターを押した瞬間にスポットライトになった場面は今でも覚えている。「箱庭の地図」で合っているかな。それが今から団体名を変更してまでユニットを組むという。
年内一杯は風琴工房名義で活動するようで、その次の公演はちょっと惹かれる「アンネの日」なのだけど、このキャリアで三鷹星のホールのMITAKA "Next" Selectionに出てくるというのだから、よほど波に乗っているのでしょう。ちなみにこれは女優だけの芝居なので4年越しの彼は出ません。
野次馬の唾なんぞ気にせずに、続ける人たちというのは続けるのだなというお話。それと思えなかったことなんて案外ひっくり返るんだというお話。
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