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2018年1月24日 (水)

パルコ/兵庫県立芸術文化センター共同製作「テロ」紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

<2018年1月20日(土)夜>

飛行機がハイジャックされて満員のサッカースタジアム目掛けて自爆テロを試みた。緊急発進した空軍の戦闘機の警告も無視し、国防長官はそれ以上の攻撃命令を下さない。とっさの判断で戦闘機のパイロットはミサイルで飛行機を撃墜、テロリスト以外に乗客乗員164名全員が死亡した。この行動で訴追されたパイロットおよび検察官、弁護士、証人たちを巡り、観客が有罪無罪を判決する裁判劇。

神野美鈴の検察官と橋爪功の弁護士とが被告の有罪無罪を巡って繰広げる実にスリリングな会話劇。裁判長の今井朋彦が出す説得力がさすがで、この芸達者揃いの中でも一番よかった。3時間の長丁場も苦にならない納得の仕上がり。すごくいい。

観客席を陪審員席に、観客を陪審員に見立てて進むドイツの裁判所が舞台の裁判劇(劇中では「参審員」と呼んでいた)。1幕で証人尋問と被告の陳述、2幕で検察官と弁護士の弁論、この後の休憩で観客が実際に有罪か無罪かに投票し、短い3幕目は投票結果で有罪無罪を決定して内容が変わる仕組。裁判長役の今井朋彦が(脚本通りとは言え)相当丁寧に進行して、投票方法も説明してくれるので観ていればわからなくなることはない。その点は心配無用。

1幕が終わった時点で裁判長から休廷が知らされて、普通なら役者が退場するのを待って客席も動き出すところ、それを待たずにいっせいに客席が動き出したところなど、現実の出来事のよう。すっかり観客を参審員として巻き込んだ手際はさすが。

つまらない結論にならないように外堀を埋めて、お互いの言い分を存分に語らせて、理屈も感情論も大いに出して、脚本は実に精緻。その上で検察官と弁護士の最終陳述させるけど、お互いの主張に少しずつ突っ込みどころを用意して観客を揺らすあたり芸が細かい。ちなみに毎回の投票結果は公式サイトで公表されていて、観た回は有罪166対無罪225で無罪だったけど、見てもらえばわかるように僅差の回が多い。自分がどちらに投票したかは内緒。

何となく、神野美鈴と橋爪功が細かい仕草や言い回しで(相手に押し付ける形で)票を誘導している気配があったけど、そんなことは気にせずに投票するべし。これは観てもらえばわかるけど、最初に有罪無罪の先入観があっても本当に悩む。大御所を揃えながら地味に徹したスタッフワークにもこっそり拍手。票数で集客がわかってしまうけど平日は余裕、休日も開演前に並べば買えるから、観てみてほしい。

これと「アンチゴーヌ」が両方パルコの絡んだプロデュースなんだから、劇場がないのにむしろ張りきっている。どちらも今の日本にぴったりな決断に絡む芝居で、新年早々こんな社会派のラインナップを並べてしかも観て堪能できる芝居に仕上げたパルコ(とこちらは兵庫県立芸術文化センターも)に拍手。

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東京芸術劇場主催「秘密の花園」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年1月20日(土)昼>

東京、日暮里のアパートに暮らすポン引きとホステスの夫婦の部屋に、ホステスの店の客だった男が通い続けている。ただし男はホステスに手を出さずに毎月自分の給料を渡しており、ポン引きの夫もそれを承知している。ホステスは町の実力者の甥から求婚されているがまだ受けていない。そんなある日、男は大阪に転勤になることを告げる。そこで騒動が巻き起こったあと、男を迎えに来た姉は、ホステスと瓜二つだった。

おっかなびっくりで観たけど、いまいちな仕上がり。アングラな芝居の持つエネルギーに丁寧すぎる演出がブレーキを掛けて乗りこなせなかった印象。柄本佑と寺島しのぶの主人公2人はストレートプレイで、実力者の叔父の池田鉄洋は小劇場、実力者の甥の玉置玲央はアングラ、田口トモロヲは不思議な演技。登場人物ごとに雰囲気が違って揃っていないのと、なによりほとんどの役者の声が出ていない。大量の本水をつかった美術と、選曲に時代を感じさせつつ現代の設備に耐えうる音質の音響など、スタッフの気合が入っていただけに残念。

ただ、いろいろ考えたらそもそも乗りこなせなった印象が正しいかというと、そうとも思えなくなった。ここから先はあまり芝居と関係ない雑感。

大量の言葉と息をつかせぬスピード感で、理解させるより先にわけのわからない設定を進めて、気がついたら何かよくわからない到達感を覚えさせるのが唐十郎の手法。それはやっぱり言葉を意味と音の両方から操れる詩人の仕事で、唐十郎は何よりも詩人だということ。観ていて思ったのは、野田秀樹は確実にこの詩人・唐十郎の系譜に連なるということ。

一方、身体的に個性のある役者(障害者という意味ではないです)を配してある種の重さ、泥臭さを出すのも、特権的肉体論(全然わかっていないけど「訓練された普遍的な肉体としてではなく、各役者の個性的な肉体が舞台上で特権的に『語りだす』ことを目指した演劇論」)と言い出した唐十郎の特徴で、たぶん唐十郎と一緒に仕事をした蜷川幸雄もこれを体質にしたのだと思う。「薄い桃色のかたまり」に出ていた役者陣の演技(もっといえば劇団員選抜の時点)に、その片鱗を感じさせた。蜷川幸雄は脚本の読み解きはもっとテクニカルというか今時風、西洋風だった。この身体性と脚本読み解き技術とが混ざって芝居が出来上がると、洗練されすぎて鼻につくこともなく、かといって泥臭すぎて目を背けたくなることもなく、地に足の着いた仕上がりになって、それが魅力だったのだろうと今になって思う。

出典は失念したけど、串田和美は野田地図「カノン」の出演からだいぶ後のインタビューで、野田秀樹の芝居に出るとみんな声を張って走り回る、ああいうのではない演出もあり得ると思うのだけど気がついたら自分が頑張る余地はなかった、という感想を述べていた。今回の上演は(野田秀樹が芸術監督を務める)東京芸術劇場の「現代演劇のルーツといえるアングラ世代の戯曲を若手・気鋭の演出家が大胆に現代の視点で読み直す」企画であるRooTSの一環で行なわれたものだから、まさに串田和美の指摘どおりの企画。詩人の仕事にも特権的肉体論にも囚われる必要なく、純粋に組立てなおせる可能性もあったはず。

今回の公演に際して松尾スズキがどこかで福原充則を「アングラをよく知っている人」とコメントしていて(他の役者が聞きだしたコメントだったかも、これも出典失念)、それが引っかかっていたけど、なんとなく理解した。たぶんアングラな芝居を原案と違う演出で上演するのに、アングラに詳しすぎるとそれが足を引張って自由度が下がる、それで上演して吉と出るか凶と出るかわからないけど頑張れ、みたいな含みをもたせたのだと推測。

そこまで考えると、田口トモロヲの軽快かつ実感あふれるヒモっぷりが目指すラインではなかったか。暑くるしいアングラ芝居にいかず、かといって嘘臭くもなく、軽演劇風でもなく、今回のキャスティングの中でひとりだけ形容しがたい演技だった。でもあのラインの演技を他の役者がすんなりできるとも思えず、形を変えた特権的肉体論のような気がする。寺島しのぶのおとなしめの演技もそういうラインを目指したのだと考えれば腑に落ちるのだけど、貧乏ホステス感を出すにはちょっと上品すぎたのと、柄本佑が応えられていなくて失敗した。姉役はアングラ感を強めに出していたけど、あの場面の連続ではアングラ感を出さないほうが難しい。ただ田口トモロヲは隅にいるときは細かい演技で、真ん中に出てきたときも声を張りすぎずにやり通した。結局は声か。あの演技の秘密がさっぱりわからない。

観客としては面白ければよくて正解はないのだけど、つまらない不正解はあって、今回の仕上がりは不正解だった。

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2018年1月16日 (火)

パルコプロデュース「アンチゴーヌ」新国立劇場小劇場

<2018年1月13日(土)夜>

2人の息子と2人の娘を残したオイディプス王の亡き後、息子たちが王位を交代で務めて治めてきた古代ギリシャの都市国家テーバイ。だが2人の息子が王位を巡る争いで戦争を起こし、刺し違えて亡くなる。代わりに王位についたオイディプス王の義弟クレオンは、甥である兄弟のうち、弟を反逆罪として遺体を野ざらしにした。遺体を弔うものには死刑を命ずる法を発行したが、オイディプス王の末娘であるアンチゴーヌが埋葬の儀式として土をかけて、見張りの兵士に見つかってしまう。アンチゴーヌを救いたい王クレオンは今回の処置の意義を言葉を尽くして説明するが、兄を弔うことに咎めるところのないアンチゴーヌは真っ向から反論する。

ジャン・アヌイ作の古代ギリシャを舞台にした翻訳劇。新年早々パルコの割に地味な演目と思ったらとんでもない。個人が自分の信ずるところを行なう信念と、国の平和を願って個人の意見を飲みこんで汚い仕事を推し進める信念とがぶつかり合う言論劇。対立する両者に肩入れしたくなる大人の芝居。現代風の衣装と音楽に、荘厳さを思わせる照明と十字舞台を切って、大昔の設定なのに現代にも通じる、なかなか観られない出来。

蒼井優演じるアンチゴーヌが小さい身体からほとばしる感情を全力で訴える姿と、生瀬勝久演じるクレオンが大きい身体に秘めた繊細な心を除かせながら脅したり宥めたりして説得に努める姿との対比でキャスティング大成功。持っているカードを最初から切っていくアンチゴーヌと切札を使わないで済ませたいクレオンとの勝負とも言える。中盤はほぼ蒼井優と生瀬勝久の一騎打ちで、蒼井優も相当頑張ったけど生瀬勝久が圧倒的によい。他の役者も設定背景を膨らませるのに貢献。ここまで役者の力を引張りだした栗山民也の演出手腕はさすが。

当日券が2階席しか売っていなかったけど1列しかないので距離も近く俯瞰もできるので十分楽しめる良席。十字に切った舞台の、いつもの使い方の手前から奥に伸びる通路がメイン舞台。十字の見切れの範囲は意識してある程度外してくれるしネットでぎりぎりまで見えるよう、最初から座席下にタオルケットを用意する配慮ぶり。1階席は客席通路まで乱入してくれていたので臨場感抜群。

値段は高いけど奮発した芝居も観ておくものだと言いたくなる芝居。

<2018年1月26日(金)>
速報を清書。

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シス・カンパニ―企画製作「近松心中物語」新国立劇場中劇場(ネタばれあり)

<2018年1月13日(土)昼>

元禄時代の上方、新町の遊郭。落とされた手紙を拾って送り主に届けに来た飛脚屋。普段は遊郭に寄付きもしない固い男だが、届けた先の店で働く遊女梅川に一目惚れし互いに恋に落ち、通い詰める。一方飛脚屋の幼馴染で道具屋の従妹と結婚した婿養子は、商売下手ゆえ姑と折合いが合わず連日遊郭に泊るが、夫に惚れて心配する娘を案じる姑が自ら連れ戻しに来る始末。ある日、裕福な商家の旦那による梅川の身請話が持上がるが、飛脚屋の養子には身請けできるような金の持ち合せはない。思い余って相談された道具屋の幼馴染は、相談なしに店の金蔵をこじ開けて手付けの金を貸してしまう。

タイトル通り最後は両方のカップルが心中になる。筋立てはシンプルを通り過ぎて雑じゃないかという不思議な脚本。成立させるには役者スタッフ総動員が必要だと思うのだけど今回は失敗。

梅川役の宮沢りえが真っ向勝負で最高にいい出来に持ってきて、飛脚屋の堤真一も悪くなかったけど、道具屋の池田成志と小池栄子の2人を最後までコメディ要素強めにしたため、緊張感が台無し。確かにふざけた展開の2人ではあるけど心中の場面までコメディになってしまいやり過ぎた。飛脚屋仲間の市川猿弥や姑の銀粉蝶もよかっただけにもったいない。あと多数の場面転換をこなすために劇団☆新感線でよく観るような骨組みだけの箱を使っていろいろな店の内外を作っていたのだけど、劇場の広さに対して柱が細すぎたせいか華奢な印象になってしまったのと、上側がスカスカな印象と、悪い感じが目立った。

全体には、正面からぶつかったほうがよい脚本にずらした体で臨んだいのうえひでのりの演出判断ミス。あそこまで仕上がっていた宮沢りえがもったいない。

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あうるすぽっと主催「あうるすぽっとでお正月」あうるすぽっと

<2018年01月06日(土)昼>

講談の神田松之丞、落語の桂吉坊、浪曲の玉川奈々福3人揃ってのトークから開始。関所を越えられずに箱根の山中で籠屋と一夜を過ごす宮本武蔵が出合ったのは「狼退治」講談。商家の前に捨てられていた犬が亡くなった飼犬に似ていたからと引取られた先は「鴻池の犬」落語。名人・左甚五郎に小田原にいると噂を聞いて弟子入りしたい江戸の大工が行ってみると「狸と鵺と偽甚五郎」浪曲。最後にまた3人揃ってのトーク。

結構広くて天井も高いロビーでは親子連れが独楽を回したり羽子板で遊んだり甘酒が振舞われたりとにぎやか。さらに開演前にはチンドン菊乃家によるチンドン屋がいろいろ披露してくれてお得感が高い。公演が始まってもロビーで遊び続けられるし、ロビーまでは無料。むしろこの遊びの一環で企画されたという順序が正しいか。干支にちなんで犬の話を選んでほしいところ、たぶん揃わなくて動物に関する話というお題で選ばれた3本。これらの芸能に馴染みの薄い観客にも楽しんでもらえるよう、講談落語浪曲の違いや上演時の特徴をを説明しながらの話芸。

講談はよく出来ていたのだけど、惜しむらくはちょうどこの話だけNHKのラジオで聞いたことがあって重複。あと終盤のこの籠屋が実は何某(名前失念)で、これが誰かはみなさん後で検索してくださいというやり方をしていたけど、志の輔の落語なんかではこういう解説も実に上手に展開するので、もう一歩親切心がほしい。落語も上手だったけどややしんみりする点もある話でもったいない。浪曲はトリを務めただけあって明るさ勢いは一段上だけど人間に恩返しをする狸の話も何となく持駒の中では不得手に分類される演目のように思われる。干支に絡めるのが無理だった時点でめでたい話で揃えるように舵を切ったほうが演目の幅が広がったと思う。もし定番化するなら来年以降の検討課題で。

むしろ最初と最後のトークがみな詳しくて興味深い話が多い。落語はともかく講談や浪曲は演者が100人切っている業界で、そこにわざわざ飛込むのだからマニアな人であるのは当然か。相手の業界についてもいろいろ知っている気配で、トークの時間をもう少し取ってもよかったかも。

あと3本とも話が中心の芸なので目の不自由な人たちが何人か聴きに来ていたけど、普段は芝居ばかり観ているからそういう需要に気がつかなかった。で、その客が入場するときは階段が危ないからロビーのスタッフが横の扉まで誘導して入場させていたのだけど、休憩時間にたぶんトイレで退場するときに自力で同じ扉までたどり着いたらそこが閉まっていてまごついていた。これは最寄の他の観客が階段のある後方の出口に誘導して事なきを得た。一度入ってきただけで道を覚えていた客はさすがだけど、あれは休憩時間だけでも場内場外にスタッフを待機させて誘導できるように見てもらったほうがよい。

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