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2018年2月18日 (日)

演劇はどこまでいってもコンテンツ

2017年末にちょっと静かに話題になっていた「『WIRED』日本版プリント版刊行休止に関するお知らせ」という文章。とても演劇っぽい話をしているなと思って読んでいたわけですが、その編集長がトークイベントをやるということで案内ページに前振りの文章が載っていました。その冒頭。

最近ちょっと思ったのは、いわゆる「出版モデル」ってものと「電波モデル」の違いってことでして。出版って基本メーカーなんで生産供給量の設定っていうのが最初にあるんですよ。刷り部数5万部の雑誌だったら、基本その5万人を見てればいいわけです。一方でラジオ、テレビとかの電波モデルって、これ、まずコンテンツに対して課金ができないシステムだったので、原理的にみんなに届いちゃうわけですよ。そのなかからどれだけのパーセンテージを取れるかっていうのがここでの勝負のキモなわけですよね。ウェブでいう「リーチ」って言葉は、この電波モデルの考え方から来てるんだろうと思うわけなんですが、このふたつってまったくビジネスの成り立ちもモデルも違うものなんですよね。

いわゆる出版モデルが扱っているのが「コンテンツ価値」っていうものだとすると、後者が扱ってるのって「広告価値」なんですよ。リーチが取れるっていうのは「広告価値」が高いってことになるとは思うんですが、逆にそのことによって当然コンテンツ価値は下がるわけです。ただで誰もが見れるたり読めたり聞いたりするわけですから。「情報はタダになりたがる」ってセリフ、誰が言ったのかよく知らないですけど、実感としてそう思ったこと一回もないんですよね。それって本当にあってるんですかね?(笑)。ところが広告の場合はこれが正当化されるんですよ。ただそれにしたってタダになりたがってるのかは怪しい気もして。タダにするしか方法がなかったっていうのが電波情報ってものなので、仕方なくそうせざるを得なかったって話かもしれないんですが。

刷り部数を客席数に置換えればそのまま演劇。そもそもどれだけ儲かっているのか怪しい演劇業界ですけど、やっぱり演劇というのはどこまでいっても広告モデルではなくコンテンツモデルなわけですね。今さら何をと言われるかもしれませんけど、それと対比されるものを持出すことで認識できるというのがありまして。2500年前の芝居に今さら感動して、人間ってのはあんまり進化しないものだとも言えるし、古今東西同じようなことで笑ったり泣いたりしているとも言える。

そういえば年末の休刊のお知らせのほうでも少しコンテンツについて触れている。

でも、少なくともヒトが何かをつくるってのは、なにか賭けるってことだしね。

──バクチ。

そう。コンテンツビジネスなんてハナからバクチだよ。他人と同じことをやることになんの意味もない仕事だから。再現性ないの。という意味では旅のようでもあるし。

──でた。便利ですよね、旅ってメタファー(笑)。

でも実際そうなんだよ。周りの景色は、たとえ自分がじっとしてても、どんどん変わって行く。編集長やってた間、それは本当に痛感したよ。テクノロジーってところだけ見てても、その主戦場となる舞台はどんどん動いていったから。

2500年前の話で今に通じるものもあれば、現代を切取って鋭かった話が数年後の再演でまったく輝きを失くしてしまうこともあって、本当、世の中は難しい。

ま、こういう話も仕入れておくと、演劇の話をするときに幅がでまさぁな、という雑談でした。

ちなみに休刊のお知らせが話題になった理由のひとつは守護聖人の話だったけど、みなさんは守護聖人いますか。自分はいませんけど、芝居に限って言えば、一番最初に面白い芝居は面白いんだということを教えてくれた平和堂ミラノあらため田嶋ミラノかなと思いました。上品にしていないと駄目、というのは全然守れていませんけど。

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