ハイバイ「ヒッキー・ソトニデテミターノ」東京芸術劇場シアターイースト(若干ネタばれあり)
<2018年2月21日(水)夜>
引きこもりを外に出す支援センターで働く女と男。男はかつて自分も引きこもりだった経験があり、女の担当で外に出るようになってからセンターで働いている。現在担当しているのは、10年間引きこもって親が顔を見せると暴れる男性と、28年間引きこもって社会に出るためにきっちり振舞うことを勉強している男性。支援センターの持つ寮に入ることを親に提案し、本人にそこに入ってもらうまでがまず一苦労。
岩井秀人自身をモデルにした役が出てくるヒッキーシリーズの、3本目かな、自分はシリーズ初見。初演は吹越満が演じた役を岩井秀人本人が演じての再演。男の昔話を入れた3人というか3家族の話を描く。描かれる内容は面白くて笑わせるけど嗤わない。家族との関係が甘えにも支えにもなって、突き放したはずが上手くいって、安心したと思ったら悲劇が待つところの難しさ。
支援センターの女を演じたチャン・リーメイのプロとして諦めないけど適度に距離を取る感じと、元引きこもりとして他人との応対もいまいちな男を演じる岩井秀人の距離の近さとの差が生むでこぼこコンビがやっぱり核。終盤、引きこもりから外に出た初日にひどい目にあった男がその後に外に出られるようになったことを指して、なぜあの体験の後で外に出られるようになったのかわからない、引きこもりの人間が外に出たほうがいいと言えるのかと突っかかる女にわかりますよと男が返す場面、あの場面の良さを伝えたい。双方のそこまでの立居振舞を思い返させてくれる仕上がりだった。ただそれとは別に、古舘寛治演じる引きこもりの役。きっちりしていないといけないと信じて道を訊かれたときの練習をする場面、あれには心を打たれた。
ポップだけどとっちらかった小道具(でも全部活用される)をあしらいつつ、外に出られない役を囲いの中に、それを見守る家族を囲い美術の周囲に配して、枠の中に入っているかどうかを表す単純だけどよく出来た美術が見事。まったく切れ目無しで3人3家族の場面を切替ながら続けていく演出。あれはやっぱり高度な技術の粋なのではないかと思うけど、何が高度かわからないのは相変わらず。役者の切替かな。難癖をつければ、ラスト感が薄く終わってしまった最後の場面(音楽を使いたくなければ照明で変化をつけてもよかったのでは)と、相対的に出番が減って能島瑞穂を使い倒せなかったこと、両方のもったいなさ。
当日パンフに書かれていた文章が素晴らしかったので一部引用。本当、こういう芝居だった。時間があればもう1回観たかった。そして他のヒッキーシリーズをぜひ観たい。
「世界の正しさ(ありかた)に勝てない人達」
たぶん僕は彼らを、心の中でそう名付けていました。感覚として。でもそれはたぶん、間違っています。僕は外に出たから、そのことを盾に「勝てない人達」と言っています。
部屋の中にいた頃の僕は、外に出て楽しそうにしている友人達を間違いなく「世界に抗うのをやめた人達」と思っていました。
その両方を描く必要が、僕にはあると思っています。
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