小田尚稔の演劇「凡人の言い訳」新宿眼科画廊スペースO(若干ネタばれあり)
<2018年4月21日(土)夜>
大学から東京に出てきた女性。アルバイトをしながら仕事を探すため、オーバードクターとして大学に籍を置き、大学の寮に暮らしている。アルバイト先への通勤電車で痴漢を見つけても何も言えず、同じ寮に住む留学生の友人にはその気がないのに言い寄られる。そんなある日、全然帰っていない実家の母から、祖父が亡くなったと連絡があり、急ぎ実家に帰る。
女性主人公の一人芝居で約100分、ダブルキャストで観たのは宇都有里紗の回。東久留米の国際学生寮ということで検索したら東京学芸大学が背景か。平凡な日々に埋もれそうになる凡人が新たに前向きになるまでの話。誤解を恐れずに言えば前回、前々回と同じ展開。それなら気に入ってもよさそうなものだけど今回はだいぶ様子が違う。
脚本に違和感があって、何だろうと考えていたのだけど、話の抜きだし方が合わなかった。主人公の日常からイベントがあってまた戻って最後まで約3ヶ月。それを100分でやるのだから省略は必要なのだけど、そこから最後、急転直下で前向きになってしまう主人公。大きい出来事よりは、小さい、細かい出来事を積上げてラストに向かっていた前回や前々回より、よく言えば省略がきいているけど、ちょっとこれは急すぎる。時間の感覚も納得いかなくて、広島行き最終ののぞみで着いたら葬式が終わるところ(通夜?)って日付が変わっているだろうにそんな遅くまでやっているのかとか、冬の話のはずなのにちょっと暖が足りなそうな衣装とか。
あと一人芝居にしては導線や位置関係の想定が雑。横に長く取った舞台なのであのくらい動かないと空間が埋まらないのかもしれないけど、そこでそんなに動けるかとか、それはさっき向こうにあったのではないかとか。最初からそこで説得力を出すつもりはなかったのか、ダブルキャストで稽古時間が足りなかったのか。でも細部重要。移動中の場面とか、祖父が亡くなったことを伝えて友人に抱きしめられる場面とか、いろいろよい場面もあったのだけど、それも違和感に押し流された。
公式サイトによれば2本目のオリジナル脚本ですでに四演目のようだけど、それにしては脚本演出ともブラッシュアップの余地が大きいのではないか。
<2018年4月24日(火)追記>
エントリーを書いてからさらに考えたのだけど、「話の抜きだし方が合わなかった」のではなくて「この脚本で本来描かれるべき何かを意識的にか無意識的にか隠していた」からではないかと考えを改めた。なまじ一人で100分持たせられる役者が上手に演じたことで、脚本の違和感が立上がってしまったしまったのではないか。
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