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2018年6月26日 (火)

2018年7月8月のメモ

DULL-COLORED POPと阿佐ヶ谷スパイダースは劇団再始動。パラドックス定数は劇場提携1年7本公演のうちの2本を連続上演で、ハイバイは2本並行上演で片方は演出家も出演。忙しい人たちが大勢いる。

・ナイロン100℃「睾丸」2018/07/06-07/29@東京芸術劇場シアターウエスト:客演陣の期待感がたまらない新作はいつもよりだいぶ狭い会場で

・マームとジプシー「BOAT」2018/07/16-07/26@東京芸術劇場プレイハウス:これは以前観た他の作家とのコラボレーションのようなスタイルではなく、自分で書く新作

・ホリプロ企画制作「レインマン」2018/07/20-08/04@新国立劇場中劇場:橋爪功と椎名桔平版を観たときには楽しんだ記憶がある

・DULL-COLORED POP「1961年:夜に昇る太陽」2018/07/21-08/05@こまばアゴラ劇場:福島3部作の第1部先行上演とのこと

・本多劇場プロデュース「志の輔らくご in 下北沢 牡丹灯籠」2018/07/31-08/12@下北沢本多劇場:すでに観たのでたぶん行かないけどメモ

・阿佐ヶ谷スパイダース「MAKOTO」2018/08/09-08/20@吉祥寺シアター、2018/09/07-09/09@神奈川芸術劇場大スタジオ:大勢劇団員を増やして再スタートだけど長塚圭史の確信犯的三振狙いの気配があるので迷う

・松竹製作「盟三五大切」2018/08/09-08/27@歌舞伎座:三部制の第三部に通しでやるのでスケジュールが合えば

・キョードー東京企画招聘「コーラスライン」2018/08/15-08/26@東急シアターオーブ、2018/08/29@神奈川県民ホール大ホール、2018/09/05-09/09@東京国際フォーラムホールC:一度くらいみてもいい気になった

・パラドックス定数「5seconds」2018/08/18-08/21@シアター風姿花伝:2人芝居連続上演の前半は日航機三五〇便が羽田沖に墜落した話だそうです

・ホエイ「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」2018/08/18-08/27@こまばアゴラ劇場:粗筋は非常に嫌な話の気配がする再演モノ

・ハイバイ「て」2018/08/18-09/02@東京芸術劇場シアターイースト:並行上演の先行は自分でもすでに2回(1回目2回目)観て鉄板の名作で、今回の母親役は浅野和之

・パラドックス定数「Nf3Nf6」2018/08/23-08/26@シアター風姿花伝:2人芝居連続上演の後半は収容所でチェスをする看守と囚人の話だそうです

・ハイバイ「夫婦」2018/08/23-09/02@東京芸術劇場シアターウェスト:並行上演のもう1本は亡くなった憎い父親を巡る再演のこちらも名作

・シス・カンパニー企画製作「出口なし」2018/08/25-09/24@新国立劇場小劇場:サルトル3人芝居大竹しのぶと多部未華子と段田安則で上演、10月から新国立劇場の芸術監督に就任する小川絵梨子なのにシス・カンパニー製作で演出ってのもまあ以前から決まっていた話なんだろうけど妙な感じ

Bunkamuraはメンテナンスで3ヶ月休館で、PARCO劇場も建設中で、渋谷方面の劇場は休みが多いです。

<2018年7月19日(木)追記>

2本追加。

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2018年6月24日 (日)

緊急口コミプッシュ:青年団「日本文学盛衰史」吉祥寺シアター

感想はこちら

原作未見だけど、よく考えれば小劇場出身ということを思い出させる平田オリザと青年団の、実力と振れ幅を見せつける1本。いまさら平田オリザを評価ってこともないのだけど、でもこれから2年ごとに新作を発表するとして、もっと整った芝居はこれからも創られる可能性が高いけど、ここまで史実と想像と小劇場的手法とを駆使した、娯楽的かつ日本的かつタイムリーな芝居が出て来るとは思えない。

たぶんこれが後期平田オリザの実力を示す代表作になる。あと2週間あって、追加公演もあるので、再演をあてにせずに今回観ておくべき。当日券は枚数が少ないみたいだけど、多少悪い席になっても見切れの少ない劇場に見切れの少ない美術なので問題ない。

<2018年7月3日(火)追記>

感想を書いたので微調整。

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青年団「日本文学盛衰史」吉祥寺シアター(若干ネタばれあり)

<2018年6月23日(土)夜>

明治27年5月の北村透谷、明治35年9月の正岡子規、明治42年の二葉亭四迷、大正5年12月の夏目漱石、それぞれの葬儀後の場で交流する文人たちを通して、新しい日本にふさわしい日本語を発明しようと苦労した先人たちを「今風に」描く。

こんなあらすじだと堅苦しく見えるけど全然そんなことはなくて、「今風に」描くのでスマホも出ればラップもあれば、本当にタイムリーな時事ネタも混ざりつつ、突然チェルフィッチュとか何でもあり。原作があるせいか今までの青年団のないはっちゃけぶり。知識がなくても楽しめるけど、明治に活躍した作家や詩人の作品と、その作者である文人たちの私生活ネタまで知っているとなお一層楽しめる。それでいて現代批判と日本語の発達の経緯まで描いて無駄なく、混乱もせずに観られる。

西洋の文化の一環として日本に入ってきた文学と、それをあるいは言語で読みあるいは翻訳しあるいは影響を受けて自作を発表した文人たち。文語文をどこまで洗練させても「新しい日本」を伝えるに足りず悩んだ北村透谷、俳句の分野で「新しい日本」を見せた正岡子規、口語文という「新しい日本語」を発明したのに中身が伴わないと自身が評価しなかった二葉亭四迷、口語文の小説と一緒に「新しい日本」の日本人の悩みまで書いた夏目漱石。これらの人たちの活躍した時代は政治の分野でも「新しい日本」を目指す動きがあり、その活動を行なう人たちの中には文士もいた。森鴎外のように政府の要人になっている人もいれば、幸徳秋水のように政府に処刑された人もいて、目指すところは違っても「新しい日本」のために文字通り命がけだった。そしてようやく整ってきた日本語は「新しい考え」を可能にし、しかし新しい考えは傲慢な意識を芽生えさせ、一方その新しい考えが自分達に向かうのを恐れる支配者層は市民への取締りを強化していく。

というのが、メインの筋。これを、いろんな作家の作品の引用や私生活のエピソードを混ぜて描く内容が、どこまで原作でどこから平田オリザ創作かわからないけどものすごい上手。そもそもこの登場人物たちが一同に会したことなんてない(笑)。それを葬式後の会食という設定で無理矢理同じ部屋に登場させてそれっぽく会話させてしまうことができるのが、小説や芝居のいいところ。与謝野晶子から「自由恋愛を批判ってお前が言うなって顔していますね」と言われてその場の男性文士が全員うな垂れて、当時の文士の駄目人間だらけであることを一瞬で表す場面、楽しいですね。

一方で、ここに現代の時事ネタを取入れたり(幸徳秋水がもう一人と一緒にスネアドラムを叩きながら首相へのデモ調に「かつーら辞めろ」「かつーら辞めろ」とか)、現代の知識をメタに混ぜたり(夏目漱石の妻は悪妻というのが定評でしたが最近はNHKのドラマで名誉回復云々、とか)、現代のテクノロジーを登場させたり(モバイルスピーカーを持ってラップしながら登場する宮沢賢治とか)、こういうネタが笑いを誘って芝居の雰囲気をほぐしつつ、これは現在の話でもあるんですよ、とメインの筋を現代批判にもつなげる手腕が、もうこれは息を吸って吐くようにごく自然にそうなっている平田オリザ節。

一方で、坪内逍遥と島村抱月という日本近代劇の創始者を登場させたり、国木田独歩に鈴木メソッドで退場させたり、樋口一葉に「大つごもり」の粗筋をチェルフィッチュの「三月の5日間」と混ぜて語らせたり、うっすら演劇の話も混ぜている。そのものずばり「演劇のことば」という本(面白いです)を書いた平田オリザにしてみれば、芝居の日本語の近代化に興味も知識もあるし、何なら自分が芝居の日本語を一気に自然にしてみせたくらいの自負はあるかもしれない。

そういういろいろな話を混ぜて、4幕目はまったく年代が重ならない作家まで登場させて、紹介するのも面倒だから全員に名札を付けさせて、その雑な感じの勢いから静かな未来の提示、一転して踊り狂うあの乱暴なラストまでの流れ。原作があったとはいえ、昔と今の時間を混ぜる作りは唐十郎とか野田秀樹あたりがやっているザ・小劇場の芝居だけど、あんな小劇場っぽい芝居も作れるんだと平田オリザの実力と感性を見せ付けられた。本来ならこういう芝居は若手の小劇場が上演して評判を上げるべきところ、自慢の役者陣を大勢投入して、柱だけでふすまや壁を取払った和室といういつもながら見通しのいい美術や、着物や日本髪なども用意して抜かりのない衣装陣など、そこらの小劇場では用意できない誂えも準備して、大ベテランの平田オリザが隅々まで行き届いたお手本のような芝居。ここまでやられたらこの路線にはぺんぺん草も残らない、ってくらいよくできていた。

あと今回観て思ったのは、やっぱり青年団の演技は今っぽいというか、少し違う。同じ話をもし新劇系の役者で演じたら、よくも悪くももっと湿っぽい、役への思い入れが前に出た演技になったと思うし、それだと現代ネタを混ぜたこの話の上演は難しかったはず。ロボットにも同じ演出をするという平田オリザのことだから、動きや声の調整をメインにして雰囲気をコントロールできるような、役者の個人技でなく全体で雰囲気を作り出せるような演技を青年団の演技の基礎として求めているのだと感じた。それが実感できたのが今回の発見。

ひとつだけ迷った点を挙げるとすれば、大勢の役者以上に大勢の役があって、同じ役は同じ役者が演じていたけど、複数役を兼ねる役者もいたことと、あと男性役が多いのはしょうがないのだけど、そのうち結構な数を女優が演じていたこと。見た目も大幅に変えていたし、芸達者なことこのうえない青年団の役者陣だけど、最初はやや混乱した。それこそ4幕目はいるだけに近い役も結構あったのだけど、青年団なら一人一役で役者を用意できただろうし、かといってあのくらい芸達者な役者を1幕で退場させるのはそれこそもったいないし、どちらがよかったのかは今でもわからない。

でも個人的にはもう大満足の1本。この時代の作家や詩人の作品に造詣が深ければもっともっと楽しめたはずで、その方面の教養のなさが悔やまれる。

<2018年7月3日(火)追記>

全面更新。

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世田谷パブリックシアター企画制作「狂言『楢山節考』」世田谷パブリックシアター

<2018年6月23日(土)昼>

主人に無断で出かけてしまった太郎冠者が家に戻っているという噂を聞いて主人と次郎冠者が訪ねるも居留守を使う太郎冠者を引っ張り出すべくあの手この手「呼声」、食料が乏しいため70歳になると姥捨の風習がある山間の村でまだ1年あるのに行くという老母とそれを止めきれない息子が姥捨の山に行く「楢山節考」

能の回、狂言の回を組合せたプログラムのうち狂言のAプロの回を観劇。軽い前半と地味で力強い後半の組合せ。前半は居留守を使う太郎冠者を引っ張り出そうとする呼びかけがエスカレートして、節や拍子や踊りまでつける話。簡単といえば簡単な話だけど、なんとなく一緒に手拍子を叩きたくなるあたり、簡単に見えて結構な実力なんだろうと想像。後半は狂言なのに笑い要素皆無の、芝居要素の強い一本。タイトルだけは聞いていた話だけど、さっさと山に行けと言う村人、まだ山に行きたがらない親を追い出す他家の息子、山に行きたがる親を止められない息子と、厳しい村の生活に合わせて思い起こされる幼少期?の思い出。それをまとめた手際と仕上げた腕前は満足だった。けど、貧乏は嫌だとつくづく思わされる1本でもあった。

もう1本のBプロは能で「鷹姫」を上演して、「生きる」ことと「死ぬ」ことを並べたプログラムにしたと当日パンフで野村萬斎の説明。Bプロは観られないけど企画の勝利という気がする。

<2018年6月28日(木)追記>

感想を清書。

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2018年6月14日 (木)

芸術は労力よりも結果がすべてである

前のエントリーに続いてこれも紹介されていたので拝見。劇場合同のイベントで審査員を依頼されたら出演団体の作演家からケチを付けられて心が折れたという話(今のところ12の2本)。書かれた内容だけで判断すれば、審査公表ルール変更の周知不徹底のため関係者全員の誰も得しない結果になるという不幸な出来事です。

先に書いておくと前述の心が折れたエントリーより先に公式Facebookでは

やはり、TGRは”お客様の目線で”一番面白い作品を決める祭典であることに立ち返り、専門家でも演劇関係者でもない方が単純に楽しめる作品が大賞に選ばれるべきではないかと考えます。

として審査方針を明確にし、次回の審査員(の一部)を公募することになりました(もう募集は終わり)。なので次回からはもう少し関係者が幸せになれるはずです。ちなみに公開された講評は6人分で、審査員の全員分ではありませんが、すでに掲載されています(123456)。

なので今さら書くこともない、と思いつつ絡むのが野次馬。絡むのは心が折れたと書いた岩﨑真紀の文章中で紹介されていた作演家の言葉です。

結果を目指してとてつもない労力を注いだ作品をあんな稚拙な講評でまとめられては全く報われない。

心が折れた仕返しに悪意を持って要約していないか、と疑うほどひどい言葉です。これが本当に書かれていたとしたら、その作演家に3つ訊いてみたい。

・そもそも誰に向けて上演しているのか。審査員のいるイベントの一環だとしても、観客に向けて上演するものではないのか。それとも観客席に審査員しかいないほど集客力に難があったのか。

・結果と労力は無関係である。世の中のモノやサービスを提供するためにどれだけの労力が費やされているのか想像したことがないのか。それらモノやサービスを普段あなたが選ぶにあたってどれだけ費やされた労力のことを考えて選択結果に反映させているのか。いわんや芸術の分野に於いておや。自分は一観客として、製作者の労力なんて気にしない。世の中たいていのものはそれなりに労力が掛かっているのでそれは判断材料にならない。観た内容で面白いかつまらないか、払ったチケット代に見合っていたかの結果を判断する。

・稚拙な講評というけど、どれだけ立派な文章を期待していたのか。そもそもこの2017年は1ヶ月で参加作品34本、しかも公演期間は短く週末に偏って、全部観られるタイムスケジュールになっているのかも悩むボリューム。仕事があれば1ヶ月に10本観るだけでもへとへとになるのに、そこに懇切丁寧なコメントを期待するならよほど出来がよくないといけない(ついでに書くと一般公募の審査員は20本ほど観ることを期待されているが、これもハードワークで、自分が1ヶ月で20本観たら若い頃ならいざしらず今なら文字通りゲロを吐く)。自分もつたない感想文を書いている身として、公開されている講評6人分どれをとっても、あれだけ書いてあれば十分だと思う。

それで以下の話が出てくることになる。演劇専門で長く批評を書いてきた人ではないかもしれないけど、あれだけの文章が書ける人に

改めて考えてみれば、観客が書く演劇作品の感想など、演劇人にとってはそもそもが余計なお世話に過ぎないのだ。作品について語ることは、演劇人とは関わりのない観客の側の遊び。多くの声に翻弄される中で忘れていたそのことを、私は某劇団のマネジメントに携わる方からの指摘でつい先日、思い出したところだ。

と言わせてしまうことのもったいなさ。それがたとえ正しいとしても、その業界その地域のもったいなさ。

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2018年6月13日 (水)

広田淳一の「全員で動く」資料

紹介されていたので見つけました。書いた本人Dropboxで公開中です。いまだにアマヤドリは観たことがないのですけど、これだけ読むとやっぱり演出家はいろいろなことを考えてしかも言語化、体系化することに長けているのだなと思いました。「前掲の資料はどうぞご自由にご利用ください。複製・印刷などしてもらっても構いません。あ、でも、この資料で勝手に商売しちゃダメヨ! ということで。」だそうです。

以下はスライドのタイトルを引用してみました。資料はもっと丁寧に書いてあって面白いのでぜひ実物をご一読を。

概要 俳優たちが影響を与え合いながら動く
基本の3動作 歩く/止まる/走る
流行を作る1 コンタクト 音を出す
流行を作る2 順番 役割 割る トーク
流行を作る3 アクション
「面」を作る
「面」から「点」へ
「面」を曲げる
「集」と「散」
「列」
「離れたまま同期する」
増減
意味/物語の発生と切断
テーマ/プラットフォーム
応用編 他のゲームとの組合せ
道具を使った「全員で動く」
「全員で動く」への心がけ
ゲームの上級者

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2018年6月10日 (日)

こまつ座「父と暮せば」俳優座劇場(若干ネタばれあり)

<2018年6月9日(土)>

敗戦から3年後の広島。図書館に務める美津江は独り暮らし、のはずだが、すでに亡くなっている父が幽霊というべきか、家に出てくる。図書館に資料を借りに来た大学助手の青年から好意を示され、父の幽霊からも似合いの縁組と言われるが、美津江は反発を示す。美津江が家に帰るたびに繰返される父の幽霊との4日間のやり取り。

初演が1994年というから24年前。コンスタントに上演されているのに掛け違って、ようやく観られた。井上ひさしの芝居にしては寄道のほとんどない、一直線と言ってもいいくらいの2人芝居。原爆で亡くなった父や友人への引け目、その引け目を感じさせるくらいの原爆の悲惨さ、などを上手に織込んでの1時間半。終盤は劇場のそこかしこで鼻をすする音が聞こえるくらいで、たしかによい脚本だし役者は熱演なのだけど、何か観ていて入り込めないものがあった。

戦前に地元の古老から集めた民話を語り継ぐ会という話を持ってきて、それは自分達が勝手に変えてはいけない、語り継ぐべきだという台詞。これを原爆の被害を被害者である市民が(被害があまりにも悲劇的すぎたがために)むしろ忘れたいと願う台詞と対比させて、この悲劇は語り継がれないといけないというあたりに井上ひさしの主張もあると思う。けど、悲劇を語り継ぐことと再度の悲劇を防ぐための思案というのはほとんど別物だと考える。これだけ何演も繰返されているというのはすごいことだけど、実力ある脚本家であるがゆえに語り継ぐことの力を過大評価しているというか。

で、そういう芝居外の観点を除いて、純粋に芝居の内容だけで判断すると、物足りない。よくできた話だけど、力強く惹きつけられるでもなく、現代につながる要素が自分には見つけられるでもなく、すごく閉じた話に見えた。引け目を感じる美津江の心情だけを追うならむしろ原爆を持ってくるなと反発も感じる。

書けば書くほど実感から遠ざかる。面白い脚本を面白く立上げるのが難しかったという一言で片付けたほうがいいのか、それとも単に脚本がつまらなかったのか。自分の感想を言葉にできない能力不足が恨めしい

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2018年6月 4日 (月)

新国立劇場主催「ヘンリー五世」新国立劇場中劇場

<2018年6月2日(土)夜>

父の後をついで即位したヘンリー五世は、祖父の権利を行使するとしてフランス王に領土を渡すよう要求する。それを拒否したフランス王は内通者を仕立ててイギリス軍を害しようとするが、事前に察知したヘンリー五世は内通者を処分する。かくしてフランスに侵攻したイギリス軍とフランス軍との戦いが始まる。

出征する兵士の場面や、戦いの前夜にヘンリー五世が兵士を見回る場面などで多少のアクセントはあるものの、戦争予告で始まり、戦争して条約締結で終わるというびっくりするほど単純な芝居。新国立劇場のシェイクスピア王家話シリーズとして実力派メンバーが大勢続投しているけど宝の持ち腐れ。それでいいのかシェイクスピアと言いたくなるし、ここまで後回しにされた理由も納得。

ヘンリー五世を演じた浦井健治がとてもさまになっていたのと、横田栄司の役作りとアドリブで客席をわかせたのが救い。鈴木瑞穂が体調不良で降板していたのは残念。「ヘンリー四世」から再利用された美術は見通しがよくて高さも使えて万能かもしれないけど今後もシェイクスピアをやるなら新しい美術希望。

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イキウメ「図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年6月2日(土)昼>

脳科学者だった父がアルツハイマーとの連絡を受けて帰国した息子が見たのは、父自身が精神と記憶を移植したコンピューターだった「箱詰め男」、どこから来たのかわからない衝動を無視するのはよくないという考えにとり付かれた運送会社の運転手は死亡事故を起こして交通刑務所から出てきた後もますますその考えを深めていく「ミッション」、就職活動を始めた女性は母の病気再発を聞かされて介護のために大学を辞めようかと相談するも家族からは反対されて恋人とも距離を置き始める「あやつり人間」。

日本人なのか人類全体なのかわからないけど、自他の区別が曖昧で自分の感情に鈍感な人間についての考察をちりばめた中篇3本。自分の興味ど真ん中で感心することしきりだったけど、この面白さをどうやって説明すればいい。

いつも主役に近い安井順平や浜田信也が引いて、ゲストの小野ゆり子、清水葉月、田村健太郎、千葉雅子に多めに活躍させたのは劇団としてよい兆候ととらえたい。1本目と3本目で確固とした存在感を示しつつ、2本目のおばちゃん所長役のほうがハマって見える千葉雅子はやはり小劇場の人。美術と照明を駆使した場面転換の場面は素敵。

後日更新するかも。

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M&O playsプロデュース「市ヶ尾の坂」下北沢本多劇場

<2018年5月26日(土)夜>

市ヶ尾の坂の横に住む3兄弟。両親はすでに亡くなり、長男と三男は地元で、次男は渋谷で働いている。近所に住む画家の妻は子連れの夫の後妻だが子供と上手くうちとけられないらしい。彼女に好意を持つ3兄弟は何かと家に呼んでおしゃべりを楽しむが兄弟同士で牽制しあって挙動不審である。

ミステリアスな女性が主人公のことが多い岩松了だけど、これは加えてミステリアスに見えないこともない男性3兄弟が絡む話。でも言わない台詞や微妙な仕草の隅々にたくさんの種を仕込んで観る側の想像力をかき立てるのはいつも通りの腕前。かついつも以上に冴えていて26年前の脚本とは思えないけど「描くために観ると観ているこちらが恥ずかしくなってくる」という台詞など今時の岩松了なら書かないであろう台詞にその名残が感じられる。水車小屋の話をする女性に焦がれる3兄弟の場面で3兄弟の気持ちを端的に表す照明がよい感じ。観ているうちにこちらの体温が上がってよくわからない興奮が残るという好調時の岩松了芝居に感じられる仕上がりを堪能。

後日更新するかも。

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