DULL-COLORED POP「1961年:夜に昇る太陽」こまばアゴラ劇場(ネタばれあり)
<2018年7月23日(月)夜>
1961年の福島県双葉町。農家の長男は東大生だが家業を継がずに物理学を生かした仕事に就きたいと実家に頼むために帰郷する。次男は理解するも祖父とは喧嘩になる。その長男が帰りの汽車で一緒になった「先生」は町長の家に用事があるという。そのころ町では山高帽をかぶった怪しい男が目撃されるが、農家の三男たちは少年探偵団気分で正体を突き止めようとする。
福島三部作と銘打った連作の一本目。家族の対立を描く場面や、三文芝居的なラブコメや、人形を使った少年達など思いっきり素っ頓狂な場面を前振りに、双葉町に原発が誘致されるまでを描く。三部作で時間に余裕があることもあって、そのころの東京にいる人間からみた未来と科学技術がどのくらいまぶしかったかと、住んでいる本人達が認めるくらい双葉町がいかに貧しかったかとを、あの手この手で描く。
その後にくる、誘致のための土地の買収交渉の場面の思惑の交差。科学を信じつつ営利企業としても行動する者、この機会を逃さずに発展につなげたい町長たち、長男から実家を継がないと言われて言い分は分かっていても絶望していたところに転がり込んだ機会に悩む祖父の、三者三様の立場。調査と取材をした結果とのことだけど、これが本当なら、誘致をした側も受けた側もこうやって行動するよな、自分がその時その中の一人だったら同じ決断をするよな、という気にさせられる展開。前回公演の「演劇」でもあったように、この山場の場面の関係者もとても演劇的な立場に置かれて、ある人は自分から、ある人はやむを得ず、演劇的に振舞うように追込まれていく。
この場面が、何と言うか、いかにもありそうなやり取りで世の中は演劇的な場面にあふれているのだなという感想と、演劇で演劇的な場面を上演しているのにこれは事実に基づいて構成されたのだという事情と、その後に事故が起こるということを知っていることとが混ざって、観ていて胸焼けするような場面だった。
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