新国立劇場主催「消えていくなら朝」新国立劇場小劇場
<2018年7月23日(月)昼>
東京に出て以来、初めて実家に帰った劇作家はバツイチ。一緒に連れてきた結婚するつもりの彼女は売れない女優。母は劇作家が子供の頃から宗教にのめり込んで父との仲は冷えて久しい。サラリーマンでこれもバツイチの兄や、父の会社で働く独身の妹もやってきて、十数年ぶりに家族が揃う。互いの立場への思いやりの欠如、仕事への無理解、母の宗教活動への遠慮が及ぼすよそよそしさなどが積もって罵りあいになる一晩の出来事。
これで芸術監督最後となる宮田慶子の演出作品は蓬莱竜太の家族体験に基づいたという新作。やりたいことをやっていていいよなという兄からの言葉や、売れていることがいいことではないのかという父からの言葉に返答が詰まったり、自分が言った言葉を否定する形で相手を貶めたり、いい意味で歯切れの悪さが出ている。反面、主人公以外の登場人物の日常や仕事についてはあまり描かれず。劇中の主人公に他の登場人物への想像力や理解が足りないのはよいけど、芝居を観ているこちら側にはもう少し想像する種を渡してほしい。家族の話だからと脚本の配慮で省いたのではなく、本当に知らなくて描けなかったのではないかと疑われる。
どこまでが実体験なのかはわからないけど、以前観た蓬莱竜太芝居に出演していたこともあり、宗教にはまりつつ恋愛もする母の造形は定期的に世間を騒がせる斉藤由貴がモデルなのかもと想像。この母の台詞の「誰もかまってくれなかったじゃない」が山場。互いの無関心の行き着いた果てのひとつを描いた芝居とも受取れる。演出がかなりフラットというか、よけいな脚色抜きで脚本を立上げるようにした結果、終わってみるととてもちっぽけな家族の話に着地したのが不満。ただその分、身近な問題をきっちり描いた感触も残って、良し悪し半々。平日で客席の年齢層が高かったためか、客席はしっかり受取っていた印象が強い。
主人公を演じた鈴木浩介の絶妙な上から目線加減と、そこまで多くない台詞で父親の微妙な立場を表した高橋長英が好印象。
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