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2018年9月26日 (水)

シス・カンパニー企画製作「出口なし」新国立劇場小劇場

<2018年9月23日(日)昼>

扉がひとつだけで窓もなく、椅子と明かりとささやかな調度品だけが置かれた部屋に、3人の男女が連れられて来る。一度閉まると扉は内側から開かない。どうやら死んだ魂が案内されてきたようだが、なぜ集められたのかがわからない3人は、互いに自己紹介しながらその理由を探っていく。

こういう芝居だと大竹しのぶが俄然映える。ねちっこい台詞回しもそうだけど、多部未華子に迫るときのあの興奮の仕方の危なさがすごい。その向こうを張る段田安則は「ヘッダ・ガブラー」もそうだったけど、あの声は悪い場面に実に似合う。多部未華子は見とれるような完璧な横顔で綺麗なだけではない綺麗どころの役を熱演。「オーランドー」より出ていた声がよい感じだけど、発声お化けの2人に対抗するにはあと一歩。

観終わって、これだけ密度が高い芝居なのに80分しか経っていなかったのがまず驚き。世の中の芝居は長すぎる。結構激しい言葉が飛交っていたけどそれでいて全然台詞が立っていなかったのがまた驚き。あの台詞を全部消化して自分のものにしていたってこと。その後ろには翻訳含めてここまで整理した演出の腕があるだろうとは推測がつく。理屈が必要とされる西洋芝居の演出が小川絵梨子は本当に上手い。

ちなみに三度目の正直でようやく当日券を入手。人気者が出るにはせまい劇場なので当日券の枚数が少ないことはしかたないにしても、並んだ順の当日券販売でキャンセル発券ゼロ枚は長い当日券歴でも史上初の経験。キャンセル待ち番号すらもらえずに説明で事前に帰される人が10人以上。同じシス・カンパニーの「子供の事情」とは規模が違うけど、それでも毎回抽選にしたほうがよかったのではないか。

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2018年9月25日 (火)

松竹製作「俊寛」歌舞伎座

<2018年9月22日(土)夜>

平家を相手に謀反を企てたとして同士2人と一緒に島流しにあって3年の俊寛。同士の1人が島の娘と夫婦になると紹介に連れてきて、一同はめでたいと祝宴の真似事をする。そこに都の使者がやってきて、恩赦で3人を都に連れて帰るという。喜んだ3人は島の娘と一緒に船に乗ろうとするが、恩赦で連れて帰るのは3人だけであると使者が断る。押し問答の末に俊寛が取った行動は・・・。

一幕見席で見物。吉右衛門の当たり役とのことで、3年経って娑婆っ気の抜けた俊寛が、都に帰れる望みを見つけたとたんに見も世もなく使者に取りすがる場面の「みっともなさ」のリアリティはさすが。ただ、他がいかにも歌舞伎調な中で、リアルな演技を頑張るほどに吉右衛門が浮いて見えるのが難。これが統一した演出のない歌舞伎の悪いところ。その点、調子は全体に整っていた昼の「河内山」のほうが自分は好ましいと考える。

舞台は一幕で、これは乗り付ける船であったり、最後に盆を回して海を広げて孤島の感じを出したり、花道まで波を敷いたり、美術の出来も転換も「河内山」よりこちらのほうが圧倒的によい。最後の海の広さは1階席より2階以上のほうがより効果的に見えたのではないか。

ちなみに席取りの意味もあって「松寿操り三番叟」も見物。後見の役者が操り人形役の役者を操っている、という想定の舞踊。幸四郎の踊りもよかったけど、操る役の吉之丞が半身で足拍子を取る姿が格好良かった。

今回は昼夜とも一幕見席で観たけど、4階席でもセリと舞台は全部見えるので、いろいろ文句はあってもあの値段なら有名どころの芝居を試してみるのにいいかなと思えてきた。

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2018年9月21日 (金)

小田尚稔の演劇「聖地巡礼」@RAFT(ネタばれあり)

<2018年9月16日(日)夕>

大学時代の後輩の結婚式に呼ばれた女性が、青森まで出かける。ドレスの入ったかばんを高速バスに忘れたり散々だったものの、無事に結婚式は終わって、突然思いついた恐山への1日がかりの旅行を強行する。後輩は、先輩との思い出や夫との馴れ初めを語る。

これまでは行き詰った個人が、小さい、けど大事な希望を見つけるような展開につなげていた芝居だったけど、今回はより暗い方向に。トラブルはあったものの恐山の旅を満喫する先輩女性が観察する周囲の旅行客は、様子がただならない人ばかりで、供養を頼んだり、エリック・クラプトンのそっくりさんを見つけたり。一方で後輩女性には学生時代に知り合った夫とのエピソードで社会人になったばかりのころが一番幸せだったと語らせたり。クラプトンの自伝からも引用して、これだけ並べれば分かるだろという状態にして、最後に後輩から幸せな葉書が届いて、今後を暗示して終わる。引出物の風鈴の音を登山の杖につける鈴の音と重ねる見立てが効果的。

後輩女性が青森出身のはずなのにあまり青森に詳しくなさそうな様子とか、ドレスなしで結婚式に参加したはずの先輩女性の様子を描くのを端折るとか、この芝居なら語尾をもたつかせる台詞回しは減らしたほうがいいのではないかとか、ミラーボールの照明を音響が手伝うのはアイディアではあるけど回すのは諦めて転がした照明から照らせばいいのにとか、細かいところで瑕疵はある。けど観終わった感想として、こういう芝居は嫌いではない。暗い話が好きというのではなく、とにかく情報は出すけどつなげるのは客の頭の中でやらせる話。あと「聖地巡礼」とタイトルをつけたセンスも好き。使ったクラプトンの曲が有名すぎる(これまでも有名な曲を使うことが多い)のが難だけど、あの内容ならもう直球でしょうがないかとも思う。

ギャラリーを使った会場で、奥から外を見る形で客席を組んで、役者は正面入口と脇の通用口を使って会場外から出入りするという変則舞台。あれは雨のときはどうするつもりだったのだろう。観たのが夕方の回で外が明るかったため、通行人や車が目に入るのだけど、あれは通行人を恐山の幽霊に見立てたか。夜だともう少し怪しい雰囲気になったかも。

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グループる・ばる「蜜柑とユウウツ」東京芸術劇場シアターイースト

<2018年9月15日(土)夜>

独り暮らしの自宅で頭を打って亡くなった茨木のり子。その自宅に、のり子の甥と編集者がやってくる。亡くなる前に出版を頼みたいと伝えられたが原稿をもらっていない編集者が、相続して私物の整理をしている甥に頼んで調べさせてほしいという。甥も協力的ではあるが自分では見つけられなかったという。ところでのり子は、心残りがあって幽霊として自宅に残っているが、何が心残りだったかを思い出せない。自宅の管理人と称する幽霊が、通りがかりの幽霊を呼込んで、心残りを思い出す手伝いをしている。

初演を見逃したら評判がよかったので観劇。戦争や結婚や同人誌の活動など、茨木のり子の人生のイベントをある程度はなぞっているけど自伝というわけでもなく、と言って詩をたくさん引用して構成するわけでもなく、きちんと生活しつつ詩人としても活動したその心構えを得たり揺らいだりした転機やバックボーンを調べて追いかけて想像してみました、という一本。すごく地味だし、最近の流行りのように反戦の話が挟まったりして、お勧めする場面がほとんど思いつかないのだけど、その割にはあれ、結構よい芝居だったかも? という不思議な舞台。

よい芝居に思えた理由のひとつは、何と言っても主催を差置いての木野花。親友役で出てくるのだけど、これが抜群に格好いい。格好よくない場面がひとつもない。茨木のり子との初対面の場面で芸術家の生き方をやり取りする場面は「お勧めする場面がほとんど思いつかない」この芝居の中で数少ない見せ場のひとつ。あともうひとつの理由は、おそらくマキノノゾミの演出。どこがどうとは言えないけど、舞台全体にある種の統一された雰囲気が満ちていて、これでおそらく2段階くらい質が上がっていた。たまにはこんな芝居もいい。

他の芝居との兼合いでこの回を選んだらアフタートーク付き。制作を司会進行に、マキノノゾミと松金よね子と岡本麗と田岡美也子が登場。思い返してのメモだけど間違っていたらご容赦。

<アフタートークここから>

司会:3人は着替えてから登場なので先にマキノノゾミさん登場です。一度ご一緒したくて、私や3人も含めてライブに押しかけて演出を依頼しました。る・ばるでは依頼したい人に大勢で押しかけてお願いする、ということをよくやっています。
マキノ:親父バンドをやっているのだけど、その宣伝のために「俺の弱みを握りたいやつはライブに来い」と言いふらしているので、そこに押しかけられたら断れない(笑)。
司会:茨木のり子さんのことはどの程度ご存知でしたか。
マキノ:全然知らなかった。演出を依頼されたときはまだ脚本がなかったので、詩集を読んだり、評伝を読んだり、自宅の写真を眺めたり。まだ自宅が残っていて、今回の舞台は実際の自宅を元に作っています。小さいのだけど小奇麗で住みやすそうで、本人がしのばれるような家です。

司会:3人登場です。る・ばるを実際に演出してみた感想はいかがですか。
マキノ:何と言うか、部活みたいな感じで(笑)。基本的なところからいろいろと。
田岡:お菓子を食べていたら「台詞を覚えてから菓子を食え」とか(笑)。
松金:「休憩時間が終わってからトイレに行くな」とか(笑)。
司会:いろいろご迷惑をおかけしました(笑)。る・ばるに初参加していただく方にはどのくらい寄り添っていただけるかがいつも心配なのですが。
マキノ:それはもう寄り添って奉仕しました(笑)。
松金:介護体験のような(笑)。

司会:茨木のり子を取上げた経緯を。
松金:「倚りかからず」という詩集を読んで、そこから他の詩集も読んで、これは芝居にできないかと軽い気持ちで提案しました。ただ主催の3人を全員茨木のり子にするのは難しく。
マキノ:脚本の長田さんがどういう話にすればいいかすごく悩んでいたら、永井さんが「お化けはどう」と提案してくれて、そこから脚本が始まりました。
司会:永井愛さんには度々お世話になっています。
松金:そのときも一緒にお茶を飲んでいたのですが、「お化けにしちゃえばいいじゃん」と言ってくれました。
マキノ:「前世がヤモリ」って(岡本の)台詞は本人が信じている「実話」だから迫真の演技でしたね(笑)。
岡本:私、前世がヤモリなんです(笑)。
マキノ:それを聞いた長田さんは目が点になっていましたけど(笑)、あそこから一気に脚本が進みました。
司会:この脚本を演出してみていかがだったでしょうか。
マキノ:演出するときは「自分が一番この芝居が好きだ」という気構えで演出しますから。いや結構大事なことですよ。

司会:初演と比べて今回の出来はいかがでしょうか。
マキノ:初演より今回のほうが出来はいいです。
司会:初演を観た人はどれくらいいますか(会場半分くらい挙手)。
マキノ:結構いますね。
司会:やはり「今回再演を観て、初演では気がつかなかったよさに気がついた」と言ってくれたお客様がいたのですが、脚本は何も変えていないんですよね。
マキノ:同じです。
司会:出演していた立場からは。
田岡:初演のときは(台詞を)入れて出しただけで終わりました。今回脚本を読んで初めて気がついたことが多いです。
松金:今回は再演の心構えも教わりながら進めました。
マキノ:再演だから前回できたところまではすぐに到達する、そこからどれだけ伸ばせるかが再演の勝負です。若い劇団だと初演のほうが勢いがあって面白かった、となることが多いけど、今回は再演のほうがよかった。
司会:あまりそう言われると初演を観た方に申し訳がないので・・・。
マキノ:初演もよかったけど今回はもっとよかった(笑)。
司会:あまりSNSで拡散しないでくださいね。

司会:最終公演とした経緯を。
松金:フランス映画で「母の身終い」というのを観たら、内容はまったく関係ないのですけど「身終い」という言葉が気に掛かるようになって。今のうちに身終いしたほうがいいと考えて最終公演としました。
岡本:私はこれから終活で(笑)。もうこの芝居が終わったら私生活も身終いで(笑)。
田岡:私は実はまだ続けたかったし、続けられると考えていました。ただそのまま続けて、飽きられて忘れ去られて「まだやっていたの」と言われるくらいなら、この作品で終わりにするのはありだと考え直しました。
司会:期せずしてマキノさんに解散公演の演出を依頼することになってしまいましたが、これで責任感など感じられてしまうと・・・。
マキノ:ない、微塵もない(笑)。みなさん止めることを深刻に考えすぎですね。私は止めることに結構縁があって、自分の劇団も解散していますけど、別に明日から死ぬわけでなし(笑)。る・ばるが解散しても皆さんは役者として続けていかれるのですし。劇団なんてやっていると何年先の公演予定が入って、そこまで病気もできないとか、いろいろ不自由なこともあるでしょう。そもそもきれいに止められる集団なんてほとんどないのだから、こんなに上手に止められるなんてむしろめでたいことですよ(笑)。

司会:この後、年内はツアーを行ないますが、来年になったら何をしますか。
松金:木野花さんを加えて4人でユニットを立上げる?(笑と拍手)
司会:そのときはぜひ私も。
マキノ:木野花さんもねえ。ご自分が演出なさるときは知的でチャーミングな方なんだけど、役者のときはどうして・・・(笑)。
松金:る・ばる化していましたね(笑)。
マキノ:最初にこの仕事を引受けたときは木野花さんがいると聞いて頼みにしていたんだけどねえ(笑)。
司会:る・ばるに参加する方はる・ばる化する傾向にありますね。
マキノ:そういう自分も森に迷って稽古に遅刻しましたけどね(笑)。森で迷うって旅行か(笑)。

<アフタートークここまで>

あんまり書かないでとは言っていたものの、別にそこまで悪い話でなし、こんな弱小ブログでは気にしない。木野花の話で拍手まで起きたのは、やっぱりあの仕上がりのよさを認めた観客が多かったのだと確認。その裏ではいったい何があった。

マキノノゾミは想像していたよりも大きい図体がくねくね動いて、何か近藤良平のように、身体に不思議な色気のあるおっさんだった。ちょっと正確な言葉を失念しましたが「自分が一番この芝居が好きだという気構えで演出する」の下りはいいですね。このアフタートーク一番の収穫です。

<2018年9月24日(月)追記>

東京千秋楽で千秋楽で岡本麗が舞台から転落したとのこと。本家サイトより。

本日、東京芸術劇場シアターイーストにて14時開演の千穐楽におきまして、芝居中盤で出演者の岡本麗が舞台から転落致しました。しばらく様子を見ましたが、早々の再開続行は不可能と判断し、残念ながら公演中止とさせていただきました。
ご来場くださったお客様には、事情をご説明してお詫び申し上げ、その場で可能な限りご返金の対応をさせていただいております。尚、一部プレイガイドにてご購入くださったお客様のみ、後日の手続きということでご連絡先を伺っております。
大方のお客様には対応が完了したかと存じますが、もしもまだお手続きがお済みでない方がいらっしゃいましたら、プリエール 03-5942-9025(土日祝日を除く11時~18時)までお問い合わせください。
※尚ご返金の対象は、本日のご来場が確認できているお客様に限らせていただきます。

岡本は検査の結果鎖骨骨折とのことで、幸いそれ以外に異常はなく、若干の不自由はあるものの今後の地方公演は予定通り上演させていただきます。
さよなら身終い公演の東京公演千穐楽という日に、このような事態になってしまい誠に申し訳ございません。またご来場くださったお客様に振替公演のご提案もできず申し訳ありません。
今回の事態を踏まえ、スタッフ・キャスト一同、改めて作品と向き合って参りたいと存じます。
何卒ご理解賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

舞台手前はもちろん段差があるけど、激しいアクションのある芝居でもなし。舞台中央の階段はあるけど場転で出はけに使わないといけない舞台構造でもなし。そもそも岡本麗は階段を使う場面もほとんどなかったと記憶しているけど、どの場面でどこに落ちたんだろう。

1年前にはシアターウエストで病死からの転落があったし、不謹慎ながらまさかひょっとして茨木のり子の亡くなり方をなぞって身終いかと想像したので、こういっては何だけど骨折止まりで何より。

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遊園地再生事業団「14歳の国」早稲田小劇場どらま館

<2018年9月15日(土)昼>

とある中学校の3年生の教室。体育の授業中で生徒はいないが、教師が集まっている。中学生が最近起こした事件に触発されて、生徒を理解し危険を防ぐための持物検査を行なうためだ。ただし生徒には伝えられておらず、反対の意思を示した一部の教師にも内緒で行なわれている。授業時間内に終わらせないといけないのだが、教師の間で息が合わず、なかなか検査ははかどらない。

ネタばれしすぎたらつまらないので大雑把に書くと、いわゆる酒鬼薔薇事件を背景に、すでに大人になって長い教師から見た中学生のわけのわからなさと、そんな事言ったって大人のほうがわけがわかっていないではないか、という話。ある教師から話題が出たら、他の教師が必要以上に混ぜっ返していくあたりの展開は不条理劇っぽいラインぎりぎりを責めつつ、最後に不条理劇で一気にもっていく展開は見事。

ただその見事さ以上に、これが20年前の芝居とはとても思えないところが意外。酒鬼薔薇事件なんてすでに今の中学生が生まれる以前の事件で、実際に芝居の中では直接言及はされていない。それにも関わらず、登場する教師たちの、自分達は生徒の持物をこっそり検査してもよいという発想と、それでいて後ろめたいことをしている自覚と、なのに誰も止められないという展開。あれは舞台が中学校以外でも、今の日本として十分成立する。それを象徴するのがあのラスト場面とも言える。不条理劇なんだけど不条理に見えないというか、現実のほうが不条理というか。

教師役の5人がまた全員上手くて、特に疑わない筆頭の教師役の谷川清美の、近くに居そうな人物という雰囲気が、普通は上手いというと褒め言葉なんだけど、この芝居に限ってはそこに気持ち悪さが混じる。5人中唯一生徒寄りの美術教師役の踊り子ありは、こういう先生が居てくれたらもう少し救われる思わせつつ、あっさり生徒を裏切ったり、ラストの役回りも酷く、別の意味でわけがわからない大人の役が非常によかった。感想を無理矢理まとめると、丁寧で上等な後味の悪さを堪能させられた芝居。

ほぼ正方形の劇場に、一回り小さい教室を斜めに設置して座席を三方に配した美術は、どこから観ても見やすいというより、どこから観ても等しく損する場面がある模様。ただ思いっきりかさ上げされた舞台で、後列でも十分至近距離なので、前列よりは後列のほうがまだ見通しがよさそう。あと学校のチャイムから作った音楽がとてもよかったけど、それ以上に音響設備と音源がよかったのか、狭い劇場の音響がよかったのか、劇場ではこれまでで有数のハイファイな音響。いい音はいいものだと再認識。

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2018年9月18日 (火)

当日パンフとチラシ束を合体させてほしくない人の意見

感想に書こうと思ったけど止めていたら、fringeで取上げられていたので一言。野田地図の当日パンフがチラシの冊子と一緒になっていた、ということについて、嫌だという話です。

表裏表紙を入れて20ページ。発行編集が野田地図の当日パンフなのに、野田地図は4ページだけ(表裏表紙とめくった見開き)。後はチラシだけど、そのうち東京芸術劇場関係が8ページ(企画でクレジットの「父」、主催でクレジットの「ゲゲゲの先生」「書を捨てよ町へ出よう」「間」の4ページ、それに東京芸術祭2018が見開き2ページ、あと「芸術監督のだ秀樹のもと、道場に集え!」という東京芸術劇場名義の野田秀樹オーディション、ワークショップの見開き2ページ)。普通のチラシは8ページだけ(シネマ歌舞伎として「野田版桜の森の満開の下」が載っているのは松竹判断として普通扱い)。芸術監督を務める劇場の噛んだ宣伝をメインで載せて当日パンフの費用を賄うのはどうなのよ。

まあそれは正直いいんだ。微々たる金額だろうからそこの公私混同は目をつぶっても構わない。そもそも東京公演は共催扱いだし。

嫌なのは、自分は記念に観た芝居の本チラシ、当日パンフ、チケットの3点セットを可能な限り保管しているんだけど、全篇その芝居の冊子ならともかく、関係ない芝居の宣伝チラシまで保管したくないんだ。かといってホチキス外して中途半端な形で保管するのも困る。そもそもクレジットの見開き2ページの裏に普通のチラシページが来るようになっている(今回だとKAATの「出口なし」)。

これを今後の手段として使うなら、ホチキスを使わず、野田地図の情報だけが1枚の紙にまとまるような形にしてほしい。一番外側の紙か、一番中の紙が野田地図の情報になっていて、他がチラシの冊子。

それじゃこれまでの当日パンフと何が違うのかというと、実質何も違わない。つまり当日パンフとチラシ束を分けたままにしてほしい。

という話。

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2018年9月 9日 (日)

松竹製作「秀山祭九月大歌舞伎 河内山」歌舞伎座

<2018年9月8日(土)昼>

幕府の御数寄屋坊主を勤めているものの、裕福な商家にたかるようなこともしている河内山。たかり目的で寄った質屋で親戚一同相談中の事情を聴くと、大名屋敷に奉公に上がった娘が殿様の目に留まり妾になれと言われている、すでに結婚の約束を交わした相手もいるので断るも殿様からは手打ちにする、それならされると明日をも知れぬ身だという。助け出す知恵の湧かない質屋の内儀に、前金百両、無事に救い出せたらもう百両の話を取付けた河内山が、大名屋敷に乗りこんで一芝居打つ。

一幕見席で見物。一芝居打つと言ってもそこまでひねったものでなし、大名相手にやり込めて、追加の賄賂も巻き上げて、最後に見破られるものの開き直って啖呵を切って押し返すまでの一連の流れは実に素直。筋を楽しむより、わがままな武家を懲らしめるという展開が、当時の町人受けを狙ったもの、その背景として当時の町民は武家にそういう感情を持っていたのだろうなと推測。吉右衛門の啖呵が聞かせてくれるけど、愛嬌が多くて格好よすぎるのがこの話には難。筋が素直な分だけ、もう少し全体に生臭さも増やして、毒を以て毒を制す感じが出ていたほうが個人的には望ましい。

久しぶりに歌舞伎を観たけど、現代で観るには演技がゆったりしすぎと感じるのはいつも通り。自分には遅すぎると感じるけど、あれでないと昔の雰囲気が出ないと反論されるのはわかる。ただ場面転換はもっとスピーディーにならないかとは思う。盆を回すのにあれだけ時間がかかるのは舞台が広くてしょうがないにしても音や照明で工夫してほしいし、音も流さないで幕を閉めて場面転換するなんて論外。余所の芝居を観に行かないのかな。それにしたって「鼠小僧」その他で間近に観ているだろうに。

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2018年9月 7日 (金)

野田地図「贋作 桜の森の満開の下」@東京芸術劇場プレイハウス

<2018年9月6日(木)夜>

古代ヒダの国の王が3人の彫刻職人を呼寄せる。夜しか起きない姉の夜長姫と昼しか起きない妹の早寝姫との2人の姫の成人に祝いに、3年の期限で仏像を彫ってほしいという。が、そのうち一人目は誤って自分で亡くなった師匠の弟子が、二人目は職人を道中に襲って殺めた山賊の頭が、それぞれ成りすましている。極端な性格の夜長姫は一人目の男の耳を奴隷に切取らせたのを手始めに、何かと困らせる一方、美しい顔に引かれた早寝姫に近寄られた三人目の職人は、ヒダの国の丑寅に封印されている鬼のことを調べている。その動きを知った二人目の男は、それを種に手下の山賊たちとともに接近を図る。

当日券をもぎ取って、2001年の新国立劇場版、2017年の歌舞伎座版に続いて3度目の観劇。夢の遊眠社時代にも2回上演されているから、野田秀樹の中でも上演頻度の高い脚本のはず。ただ何と言うか、うーん、低調だった。

先に褒めるところを書いておくと、今回観て、脚本のよさに今さら気がついた。いかにもあったかもしれないように描かれる古代の謎と、今の時代ならもっと減らしたであろう、過剰と言える言葉遊びで挑むところ。演技力より何より上演にはまず気合が大前提の壮大な話は、野田秀樹でしか観られない。

それを上演する隙のないスタッフ陣。美術も照明も音楽もいいけど、微妙にポップなひびのこづえの衣装がよく似合う。歌舞伎座版で鬼の面に批判的な感想を持ったけど、今回そこまで気にならなかったのは衣装で中和されていたからだと思う。あとコロスの面々の切れのある動きとぴたっと止まる身体がスピード感を出していた。少しだけど台詞もあって悪くなかったし、ひとり表情の変化がすごい女性コロスがいたけど誰だろう。

ただ主力メンバーが軒並み低調。まず天海祐希の演じた三人目の職人オオアマ。美しさ格好良さはさすがだけどこの役に必要な悪い面が全然見えない。歌舞伎版を幸四郎のオオアマは観たときには感心しなかったのだけど、実は結構いい出来だったのだと思い直した。古田新太の二人目の職人マナコ。長丁場で省エネ運転なのは劇団☆新感線の出演も含めて最近の傾向だけど、切れがないから省エネが手抜きに見える。唯一新顔で早寝姫の門脇麦。溶け込んでいたのはさすがだけど、あと一歩ほしい。夜長姫の深津絵里は結構頑張っていたけど、七之助の夜長姫を見た後ではまだいけるのではと期待してしまう。一人目の職人で耳男の妻夫木聡と、ヒダの王を演じた野田秀樹が頑張っていたほう。他のベテラン勢は控えめに徹してあまり遊びも仕掛けず。

2日前に大阪で台風、当日早朝に北海道で大地震と大規模停電、ひょっとしたら身内に被害があってあまりはしゃぐ気分ではなかったのかもしれないけど、大枚はたいた客としてはもう少し何とかならなかったかと望みたい。

あと穿った見方をすると、今回はフランス公演を控えて、現地で誰か倒れても公演に穴を開けないで済むよう、バックアップを見据えたキャスティングだった可能性がある。天海祐希(野田秀樹主演の三谷幸喜芝居で宮沢りえにバトンタッチされたのは記憶に新しいところ)か古田新太なら池田成志か大倉孝二が、深津絵里か門脇麦なら村岡希美が、妻夫木聡なら野田秀樹がスクランブル、銀粉蝶と秋山菜津子も場合によっては調整、まさかの野田秀樹なら藤井隆が、それぞれ後詰めして、開いた役はコロスから抜擢。普段はこの贅沢なキャスティングが遊びを仕掛けて盛上げるのだけど、今回は字幕公演対応のためか実直な場面が多く、贅沢が無駄遣いに見える。そのくらいの理由を考えないと納得できない。

そしてバックアップで対応できるくらいの能力を持ったキャスティングにした結果、エネルギーに欠けるというか、こういっては何だけど年寄り臭い舞台だったともいえる。周りのコロスはみんなダンス経験者なのか、動きに切れがあったのでなおさらそう見えたのがひとつと、もうひとつ意外だったのが、滑舌が悪くて聞取りづらい台詞多数。3倍速で台詞を言っても聞き取れるのが野田秀樹の舞台じゃないのか。

フランス公演が終わって、自然災害が落着いて、もう遠慮しなくていい状態になった凱旋公演で出来ればもう一度確かめたい。

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