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2018年10月20日 (土)

新国立劇場主催「誤解」新国立劇場小劇場

<2018年10月20日(土)昼>

ヨーロッパの片田舎で使用人をおいて小さな宿を経営する母娘。父は亡くなり息子は20年前に出奔したきり。いつか海と太陽の町に引越すことを夢見て、裕福な独り客を殺害しては金品を強奪している。そこへ仕事で成功し結婚もした息子が帰ってくるが、母娘は気がつかない。それを見た息子は、名乗り出る言葉が浮かぶまで独り客として泊まりたいと妻を説得し、妻を近隣のホテルに返して自分は偽名で宿に泊まる。疲れたので今回は殺害を見送りたいという母に対して、これを見逃す手はないと説得する娘。

公演も終わったしそこはネタばれしてもいいから書くけど、結局殺害してしまい、その後で息子の身元がわかる。この殺害をはさんで、息子の身元が分かってから、母の絶望と、絶望する母に絶望する娘の圧倒的な台詞が繰広げられる。母を助けるために若い時期を田舎町で過ごして、それが海と太陽の町への憧れを経て、歪んだ動機を生んでしまう娘。娘しか頼る家族がいないばかりに娘を田舎町に縛りつけてしまっているが、その負い目から娘の殺人を手伝うようになってしまった母。どちらが先かわからない入れ子の依存関係から、息子の身元に気がついた瞬間に母は目が覚めるが、そこで突然置いてきぼりにされたことに気がついて母を詰る娘。

展開だけ観たら救いようのない話だけど、母娘の言い分に理解できるところ多数。殺人ほど大げさではないにしても、こういう親子関係を他人事とは思えない家族は現代日本には多いのではないか。あと、民衆と国家と山、という台詞があったけど、初演が1944年で第二次世界大戦中だった痕跡か。その時代の閉塞感も、残念ながら今の日本に近い気がする。

原文なのか翻訳なのか、独特な言い回しの多い脚本だったのも特徴的。これが「台詞に生理が同調するような台詞術の役者だとまだるっこしくていえないような台詞だが、作られたリズムを楽しめる役者だと大丈夫」な台詞の例なんだろう。少なくとも原田美枝子と小島聖は完璧に消化していた。母の原田美枝子の柔らかさと疲れとの混ざり具合も絶妙だったけど、娘の小島聖の、他人への頑なな態度で始まる前半から、母を詰る場面から絶望を語る場面が圧巻。長台詞をものともしないテンションで絶望を台詞で紡いで、代表作といってもいい仕上がり。あれだけ言われたらおもわず納得させられてしまう迫力。あと使用人役は最後に二言しか台詞がないけど、それを演じる小林勝也の存在感が素晴らしい。やっぱり神様とか運命という裏設定だったのか、普段なら無駄遣いと書くところだけど、あの立って見つめているだけで格好になる雰囲気は若い役者には出せないし、おもわぬ軽い動作もいい。息子の水橋研二は、人心を軽く見ること甚だしくて、あれは殺されてもしょうがない(笑)という意味で好演。その妻の深谷美歩だけ、今回台詞が身につかずに苦戦。

スタッフワークは安心の新国立劇場レベルだけど、シンプルな舞台に適度な透過度の大布を駆使して場面を転換した美術と、国籍がヨーロッパにも日本にも見える衣装を取上げておく。一言で言えば成功の部類で、この重たい話を真正面から取上げた演出家の稲葉賀恵の勝利。

<2018年10月22日(月)追記>

速報を清書。

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