松竹製作「助六曲輪初花桜」歌舞伎座
<2018年10月20日(土)夜>
吉原の三浦屋で一番の花魁である揚巻。その揚巻が三浦屋の得意客を袖にしてもぞっこんなのが花川戸の助六。侍と見ては喧嘩を売って歩くやくざ者だが、見事な色男っぷりに吉原では煙管の雨が降る。それにしてもあまりの乱暴振りだったが、実は訳があった。
一幕見席。最後がすごい中途半端だったけど、Wikipediaによれば元は3時間を2時間に縮めてそこで止めるのが通例の演出とのこと。筋書きだけならもうどうでもよくて、助六役がいかに格好良く見得と啖呵を切ってくれるか、あと所々のアドリブで楽しませてくれるかだけの芝居。
物語を楽しみたい自分のような客にとっては肩透かしもいいところの演目だったけど、これがびっくりするような大人気。前売完売どころか、一幕見席も満員札止めで後からきて並べもしないで帰る人多数。しかもその前の演目の一幕見席も売切れていた(一幕見席をつなげると早く会場に入って座席を確保できるのが歌舞伎座ルール)。その立見も老若男女いろいろで、驚くべきは杖代わりにカートを使うような御婦人が立見で頑張るほど。なんだ、歌舞伎は筋より役者なのか、色っぽい役者が綺麗な格好をして見得を切ったり気の利いた台詞を言ったりするのを、スナップショットで楽しむものなのか、うすうす気がついていたけど、汚しの入った衣装や舞台のリアリズムより、省略と誇張を駆使したぴかぴかのお約束が好きなのか。というのを見せつけられた次第。
いや、それはわからなくもないんだ。疲れてしんどいときに深刻な芝居を観ると身体がもたないのは身をもって体験しているところで、「せめて観ている間だけでも笑ってほしいと願っている」という黒柳徹子の考えにも大いに賛同する。昼間の芝居が悲惨な話なのに感動したのは体調がよかったことも大いに関係している。さらにいえば自分も仁左衛門が格好いいのは認める。けど、それももう少しの筋があり役があった上でのことだし、もうちょっと喜怒哀楽のバランスが取れてもいいんじゃないかと。まあ、「助六」についてお約束を知ったうえで楽しむもので、そういう教養を求められるのは「助六」が古典の位置づけを確立しているということなのでしょう。ちなみに誰が助六を演じるかでタイトルも異なって、今回のタイトルは仁左衛門専用らしい。初心者としてそういうところから少しずつお約束を学ぶことにします。
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