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2018年12月30日 (日)

2019年1月2月のメモ

1月の前半がスカスカで、見落としていないか後で再確認。ニッパチ(2月8月は興行不振の月と言われている)にチャレンジ企画を突っ込んだ結果、1月が手薄になったと読めなくもない。

・松竹製作「初春歌舞伎公演」2019/01/03-01/27@新橋演舞場:昼の部に「幡随長兵衛」、夜の部にこの前観た「俊寛」はともかく「鳴神」と「鏡獅子」で、一度観ておきたい演目が並んで迷う

・パラドックス定数「トロンプ・ルイユ」2019/01/09-01/14@シアター風姿花伝:劇場提携連続公演の6本目

・Bunkamura企画製作「罪と罰」2019/01/09-02/01@Bunkamuraシアターコクーン:野田秀樹の贋作は観たけど、これも新しく翻案したとあるし、どんなもんだか

・こまつ座「どうぶつ会議」2019/01/24-02/03@新国立劇場小劇場:エーリッヒ・ケストナーの児童小説を井上ひさしが舞台化したものを、半世紀ぶりで再演とか

・KAAT×まつもと市民芸術館共同プロデュース「マン イスト マン」2019/01/26-02/03@神奈川芸術劇場大スタジオ:ブレヒトを串田和美演出で、安蘭けいと再びタッグ

・中島みゆき夜会「リトル・トーキョー」2019/01/30-02/27@赤坂ACTシアター:とっくに前売完売だけど、また観に行くかどうするか

・松竹製作「二月大歌舞伎」2019/02/02-02/26@歌舞伎座:夜の「熊谷陣屋」が吉右衛門なのでここで一度観ておきたいのと、仁左衛門も出る「名月八幡祭」が気になる

・こまつ座「イーハトーボの劇列車」2019/02/05-02/24@紀伊国屋ホール:長塚圭史の演出で、宮沢賢治の話ですよね多分

・パルコプロデュース「マニアック」2019/02/05-02/27@新国立劇場中劇場:青木豪と古田新太との話から始まった音楽劇だそうです

・世田谷パブリックシアター/パソナグループ企画製作「チャイメリカ」2019/02/06-02/24@世田谷パブリックシアター:栗山民也演出の社会派芝居

・渡辺源四郎商店シェアハウス「過ぎたるは、なお」2019/02/08-02/11@こまばアゴラ劇場:いいかげんに観ておきたい

・新国立劇場演劇研修所「るつぼ」2019/02/08-02/13@新国立劇場小劇場:アーサー・ミラーの魔女裁判ものを宮田慶子演出で、12期生の終了公演

・Bunkamura企画製作「唐版 風の又三郎」2019/02/08-03/03@Bunkamuraシアターコクーン:演出も役者も唐十郎に向いていそうだけど主役の2人だけが未知数

・青年団「平田オリザ・演劇展vol.6」2019/02/15-03/11@こまばアゴラ劇場:「コントロールオフィサー」「走りながら眠れ」「ヤルタ会談」「忠臣蔵・武士編」「銀河鉄道の夜(2チーム)」までが公演前半、「忠臣蔵・OL編(3チーム)」「隣にいても一人(日本版3チームと韓国版)」「思い出せない夢のいくつか」が公演後半、土日は1日4本平日でも2本か3本で、一挙8本(公式では「隣にいても一人」の韓国版を独立させて9本扱い)上演、1本あたりの公演期間が短くチームを選ぶ余地はないので観られるときに観ないといけない

・世田谷パブリックシアター企画製作「熱帯樹」2019/02/17-03/08@シアタートラム:小川絵梨子が三島由紀夫に初挑戦

・パルコ製作「世界は一人」2019/02/24-03/17@東京芸術劇場プレイハウス:岩井秀人の脚本演出に松尾スズキ、松たか子、瑛太が参加、脇もおなじみの役者で今回一番の注目

・ブス会*「エーデルワイス」2019/02/27-03/10@東京芸術劇場シアターイースト:鈴木砂羽を主演に迎えて久しぶりの本公演

夏は夏でひどい天気だったけど、冬に吹雪で観に行けない、なんてことがないように祈っておく。

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才能の発露について

日経ビジネスのコラム(要登録)からです。義太夫はまだ観たことがないけど、何か納得しました。

 誰もが感情過多で、大げさで、身勝手で、常に自己憐憫の虜になっている。しかも、彼らは、たやすく激発し、ことあるごとに自暴自棄に陥る。

 この5年ほど、年に何度かお誘いを受けて義太夫を見に行く機会に恵まれているのだが、見るたびにあきれるのは、あの時代の演劇台本の中で暮らしている人々のうちにある不穏極まりない激情だ。

 最初のうちしばらく、私は、太夫の口舌の中で展開される人物像の直情径行のありさまにただただあきれていた。
 どうしてそう簡単に死ぬの腹を切るのと短絡するのかと、知的な現代人たるオダジマは、緞帳の手前に浮かび上がる近世人の阿鼻叫喚を訝しんでいた。

 ただ、何回か通ううちに理解したのは、われわれの集合無意識を父母に持つ演劇的な人物は、観客の理性や賢さではなくて、われわれの感情と愚かさを代表して舞台の上に立っているということだった。

 別の言い方をすれば、義太夫のような演劇台本は、理屈で説明できないわれわれの民族の愚昧な感情を体現しているからこそ、時代を超えて人の心を打つことができるわけで、誰であれ小論文みたいな芝居を見たいわけではないということだ。

でもこのコラムの一番の注目は以下。才能についてこんなにきっぱりとした指摘は初めて読んだ。

 才能が、「やすやすと作品を生み出す能力」だったり「努力なしに成果が出る」魔法の杖としてもたらされるものであるのだとしたら、こんなめでたい話はないのだが、多くの場合、才能は、「特定の対象への尽きせぬ執着」という形でそれを持たされた人間を蝕むことになっている。

上手い奴ほど見切って辞めていくと聞いたことがある演劇業界だから、長く続けているというのも才能なんでしょう。その一方で、年齢制限を設けて引導を渡す将棋界のようなものもあります。結局才能というものはない人にはわからないんでしょう。私もわかりません。

だからどうしたと言われても困りますが、オチのこの文章に非常に心打たれたので引用してみました。

 何の係累もない、はるか海の向こうの局外者が、誰かを救うことがある。
 これこそが才能の力だと思う。

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2018年12月26日 (水)

カタルシツ演芸会「CO.JP」スーパーデラックス

<2018年12月23日(日)夜>

最近よくないことが続く男が訪ねた「霊媒師」、スーパーでつかまった高校生が盗もうとした品がどうもおかしい「万引き」、久しぶりに新刊を出した作家が宣伝で話すインタビュアーの話し方が気になる「インタビュー」、クラスメートからは仲良く構ってもらえるものの不満がある「転校生」、妻が入院して駆けつけた夫に医者が病状を説明する「手術」、引越した友人の家を訪ねたらなぜか取付けられている「ボタン家」、主人が亡くなって犯人を見つける「名探偵」、順調に正解を続けているが「クイズ」、栄えある一等賞に選ばれたものの「メガネ男子」、計画を立てて押しこんだはずだったが「銀行強盗」、日本を救え「ジャパンレンジャー」。

順番とタイトルは一部適当。コントと演劇の境界を探ると銘打ったが「ゴリゴリのコントに仕上がりました」との前口上で始まるコント集。深いことは考えずに笑えるコントが並ぶ。こういうのを観るときは意地悪い気分で笑ってやるものかと身構えるけど、笑わされた。設定の妙に負けた「転校生」とあんまりな展開にやられた「名探偵」が特によい。たまにアドリブが入って共演者が笑うのはわかるけど、あまりにも上手い間がはまって共演者が笑うのはほどほどにとは思う。それも含めて面白かった。こんなにリラックスしていた客席の雰囲気は久しぶり。

横長の舞台を三方から囲むのでサイド席だと表情が隠れる場面もあったはずだけど、顔や仕草に頼る笑いが少なく声でしっかり突込みが入るから、わからなくて笑えないことはほぼない。それは逆にいうと設定と構成がしっかりしていた証拠。他人を馬鹿にするような要素もなく、政治的な話もなく、誰が観ても等しく楽しめる見本のようなコント集。

それとは別の感想として、ゴリゴリのコントとは言っていたけど、出来上がったものは演劇に近い。具体的にはKERAの芝居を観ているような気分になった。不条理劇と呼ばれる分野の脚本を書いて喜劇的に演出するKERAと、理不尽だったり強引だったりする設定やそこへのツッコミで笑いを取る今回の公演と、そんなに差はないことを実感。場面がつながって一本の物語になるか、ならないかだけが違いではないか。あるいは、困った(けどあり得ないことではない)場面に追詰められた登場人物がおかしいのがウェルメイドな喜劇で、理不尽な(本来あり得ない)場面に振回される登場人物がおかしいのが不条理劇で、それが短いコントになっていても長い物語になっていても根は同じではないか。今回のコントが不条理劇風味のラインナップで揃っていたのは、やっぱりコントと演劇の境界を探った成果ではないか。

こんな感想を書くのは、ついこの前「風の演劇」という別役実の評伝を読んだから。この本の中でも三木のり平やKERAを絡めて、不条理劇は喜劇に近いという話が載っていた。よく考えたら別役実は一度も観たことがないけど、コントだと思って機会があったら臨みたい。

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月刊「根本宗子」「愛犬ポリーの死、そして家族の話」下北沢本多劇場

<2018年12月23日(日)昼>

母が駆落ちし父はアル中になって亡くなって祖母に引取られた4人姉妹。祖母も亡くなった後で上の3人は結婚して家を出たが、若い頃に引きこもりになった四女は飼犬と本だけに関心をつないで生きている。22才の誕生日を祝いに姉夫婦たちが集まるが、その最中に飼犬が死に、義兄たちが嫌いな四女は義兄たちのせいだと恨む。その直後に、いつも読んでいる本の作家から四女にSNSでコンタクトが届く。

高圧的、マザコン、浮気性と駄目な男性の見本市のなか、それを見ていた四女が何をどうしてどうなるか。男性の駄目さを描く腕前は冴えていて、特に浮気性の夫が妻に言い訳する場面は台詞も演出も秀逸。演じた田村健太郎の逆切れぶりが素晴らしく、イキウメの「図書館的人生」の爽やかなストーカーを思い出す。

それに反して駄目な男性と別れない女性陣の描き方は最後まで筆が鈍ったまま。納得させるわけでもなく、突き抜けるわけでもなく、消化不良のぬるぬるが残る。演技演出が上手な分だけ演劇的な突き抜けた感のなさが目立つ。タイトルにも入っている愛犬ポリーは開始早々に忘れ去られて、でもポリーを活用しようとした痕跡は残っていたので、一度書いたプロットに納得がいかず書き直したものと推測。だとしても観ていて納得のいかないラスト。

あと全員の演技に文句はないけど、根本宗子だけ声の小ささが目立った。自分の芝居だけでなく「水の戯れ」とか役者出演でもいい腕前の人なので惜しかった。細かいところでは、歌とダンスの場面で4人の女性陣が踊るとき、根本宗子ひとりだけが笑顔の場面があった。当日チラシだと振付も本人なので、そこまで目が届かなかったんだろう。

結局、根本宗子の不出来または不行届にいきつく仕上がり。主役が直前で体調不良で交代するという不利はあったけど藤松祥子は代役をこなしていたし、何より脚本が迷走していた。チラシ作成時点で脚本未完成だったとしても「一人の少女が自分と周りを信じて家族を変えるお話です」と書いてあのラストはどうなのか。本多劇場ではあまり見かけない質感に仕上がりましたと当日チラシで言われても、まずは質感より質がほしい。

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2018年12月18日 (火)

入場券不正転売禁止法(チケット転売規制法)成立

正式名称は「特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律案」だそうです。芝居のチケットも該当します。法律出されてもようわかりません、ということで適当に解説記事として弁護士.comより。

すべてのチケットが規制の対象になるのではなく、一定の条件を満たす必要があります。

(1)興行主や、興行主から依頼された販売業者が、

(a)販売時に無断の有償譲渡を禁止し、(b)入場できる人の氏名・連絡先を確認した上で、

(2)チケットの券面に、(1)を表示したもの、かつ、日時場所のほか、入場できる資格者か、座席指定が表示されているもの、です。

簡単にいえば、チケットを買うときに「無断転売禁止ですよ」という説明があり、入場できる人の氏名と連絡先を確認した上で、チケットにも「無断転売禁止」「入場者氏名」「連絡先」「開催日時」「座席番号」が表示されている場合です。また、こうした条件を満たせば、「QRコード」のようなものも対象となります。

法律本文だと連絡先は電話番号以外にもメールアドレスなどでも条件を満たすようです。別に転売するつもりはないのですが、コンビニでチケットを発券して、引取りで名前は書かされるからしょうがないにしても、電話番号やメールアドレスまで印刷されるのは嫌ですね。チケットレス化が進むかな。

自分がダフ屋のつもりで考えたら、当日券は名前や連絡先の記載がないので、並んで当日券が買える公演の場合は人を雇って並ばせる手段が考えられます。ただしそこまでやって高く売れる公演は限られているので、あまりうまみはなさそうです。それも防ぐなら抽選にしてしまうか、前日予約や前週予約でチケットガイドで当日引換券として売ることが考えられます。

リンク先のコメントに、手数料を取って払戻しする仕組がイギリスや香港にはあることが紹介されています。日本だとぴあがリセールを導入していますが、買い手がつかないといけない、リセールを認める公演でないといけない、など条件がいくつかあって使いこなせていません(詳細をいまいち把握できない)。ただ劇場直接販売を含むチケットガイドが、払戻しなりリセールなりの仕組を導入してほしいです。

普段は当日券が多いので具体的に困るケースを想定しづらいのですが、将来何かあったときのためにこのエントリーを残しておきます。

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シアター風姿花伝企画製作「女中たち」シアター風姿花伝

<2018年12月15日(土)夜>

あまりよくない経歴を持つ、姉妹で奉公する女中たち。主人を密告し奥様を悩ませ、形見分けとして財産をもらおうと画策する。留守を狙って奥様の部屋で将来を夢見ていたが・・・。

虚実が曖昧な芝居と当日パンフに書かれていたけど、観た感じははっきりしていて特にそうは思わず。むしろ客を笑わせようというサービス精神の多い脚本と思えた。オープニングのどっきりとか、女中たちが奥様の口調や仕草を真似るところ(後で奥様がそのような演技をする)や、飲みそうで飲まない煎じ薬の扱いなど、そこは脚本家が絶対狙っているだろ、というネタが多い。もうだめだ、と嘆く台詞も笑わせどころにできたはずで、これは絶対喜劇。

なのだけど、鵜山仁がそうとう真面目に演出して、もちろん質は確保されていたけど、なんかアングラっぽい雰囲気になってしまってネタが生かされていない(白黒のメイド衣装にアングラを連想してしまったのは自分の偏見か)。いい感じの奥様の甘ったるさが放置されてしまったし、そして女中2人とも演技以前に存在に貫禄がありすぎて女中らしさが薄く、奥様との上下関係が弱い。那須佐代子の最後の長台詞は圧巻だったけど、あれをより生かすにはそこまでにもっと笑わせておいてほしかった。

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2018年12月15日 (土)

Bunkamura企画製作「民衆の敵」@Bunkamuraシアターコクーン

<2018年12月14日(金)夜>

ノルウェーの田舎町。見つかった温泉を整備して保養にふさわしい地域として宣伝し、町が活気にあふれている。が、温泉整備の発案者であるドクターは、保養客が病気になったのを不信に思い調べたところ、採取ルートが悪かったため汚染されていることがわかる。この事実を公表しようとするが、市長で温泉施設長も兼ねる兄は影響の大きさから発表を見合わせるように弟を説得する。それでもドクターの発表の意思は変わらなかったが、兄は具体的な町の損害を算出してドクターに賛同する人たちの説得を開始する。

イプセンでまだ見たことのなかった一本。タイトルが半分ネタばれだけど、実に設定の上手な、これは揉めるに決まっているだろうという状況で意見を変える人たちの姿を描いた秀作。自分には多数派がついていると最初にドクターに言わせて、後で多数派を非難するというあの脚本の意地悪さ。

加えて演出で上手だったのが、堤真一演じるドクターを単なる正義の味方にせずに、日常生活にやや想像力の欠ける人間として描いたこと。町の住人が、持っている土地や株券がパーになったり、失業したり、そこまで可能性を考えてなお決断するなら立派だし、そこまで考えたら行動に移れないとも思うけど、あの態度では他人事ながら手のひらを返されても不思議ではない。盗人にも三分の理というけど、観ていて市長や記者や不動産協会会長の立場に感情移入の対象が移ることが一再ならずあって、その点では芝居として実によいバランスだった。観た人に、誰の意見に賛成するか訊いてみたい。

編集長の谷原章介と、不動産協会会長の大鷹明良がいい感じ。兄で市長の段田安則と、ドクターの一家に味方する木場勝己は実にはまっているのだけど、個人的にはいつも似た役どころで観ているので、逆の役で観たかった。あと、音響が実に上手。普段は舞台から飛んでくるような音だけど、今回は劇場に音が湧いて充満するような音響だった。あれは劇場改修の成果なのか、今回の音響デザインがよかったのか、知りたい。

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新国立劇場主催「スカイライト」@新国立劇場小劇場

<2018年12月14日(金)昼>

ロンドンの、治安がよくない地域でアパートに独り暮らしをする女性の元に、かつて一緒に暮らした一家の息子が訪ねてくる。女性が出て行き、母が亡くなってから父の様子がおかしいので会ってほしいと言う。息子が帰ったあと、父である男性が訪ねてくる。女性は実家を出て男性が経営するレストランで勤務し、その一家に見込まれて一緒に住んでいたが、男性と不倫関係にあり、関係が妻に知られてから姿を消していた。話は近況の報告からお互いの価値観、そして過去の出来事と様々に進む。

小川絵梨子の芸術監督就任後初演出。ほぼ出ずっぱりの蒼井優と浅野雅博が、とにかくしゃべる。その会話の内容がいかにもイギリス芝居っぽい。相手をしゃべらせて、非難して、その言葉から相手を非難し返して、仲直りして、またしゃべらせて、がなんども続く。同じ出来事に対してこれだけ違う見方を提示しながら会話を続けるのは立派。1995年初演らしいけど、それにしたって浅野雅博演じる男性は余計なことを言い過ぎで、あれでよくひっぱたかれないなという脚本。ラスト15分ごろ、タクシーを呼ぶところからの蒼井優が突然いい感じになって、この人は高い声を普段無理して出しすぎで、もっと低い声のほうが楽に発声できるのではないか。

劇場の中央横に舞台を置いて、舞台を挟む席とギャラリーを囲む席の配置だったけど、役者の顔はやっぱり正面席優遇の感は否めず。今回入って奥側で観たけど、台所から食卓までの導線が正面向くようになっていたけど、それなら椅子や床に座ったときで顔の向きの按配を調整してほしかった。何度も書くけど、囲み舞台をやるなら稽古場の演出家席がわかるようなバランスはやめてほしい。あと入って正面から見て下手側の席だと、上手側と比べて窓が内よりに配置された舞台美術で、あれが役者に重なってストレス。床から上がる玄関を配置したのと、窓から差込む光を照明で作るために位置と距離を稼ぎたかったのが理由だと思うけど、あれでS席として同じチケット代ってことはないだろう。座席の不満が大きくて感想が薄い。

<2018年12月16日(日)追記>

寝て落着いたから思い出したことを若干ネタばれで追記。

表向きは不倫していた2人が過去や互いのよかったこと悪かったことを振返る話だけど、その振返る内容のかなりの部分に貧富の問題が含まれていて、そちらが本筋ではないかと思う。特に、治安のよくない地域からレストラン経営で身を起こして一代で富裕層になった男性と、弁護士の娘に生まれて大学を優秀な成績で卒業したのに治安のよくない地域に住みながら教育に力を注ぐ女性との対比は、役の基本背景として隅々まで行き渡っていてほしかった。それが最後に、あなたはどんなときでも現状では満足できない人、君は自分の身を他人に預けることが出来ない人、のすれ違う台詞で締めくくるような脚本になっていたはず。

この線でいくと、寝室を豪華に作ることが罪滅ぼしになったと考えていた男性と、もう花は見たくないと言った男性の妻とのすれ違いもあって、そこに貧民にも成金にも共通な軽蔑される要素を描くという、いかにもイギリスっぽい、ある意味嫌味な面もあったはず。

そんなことをつらつらと考えると、男性を演じた浅野雅博が紳士すぎた。人に命令しなれて、見下して、成功がさらに自意識を拡大して、でも飽くなき上昇欲を持ち、創業者ならではのエネルギッシュな魅力を放出して、少なくとも料理については唐辛子を先に入れる以外にも豪華な朝食を食べるなど一家言あり、それらが今はぺしゃんこになっているけど認められないという、少なくとも紳士ではない面をもっと見せてほしかった。相手を非難するときも、言葉の割に攻撃感が少ないというか。

もうひとつ違和感があったのは、ワンルームが広すぎたこと。囲み舞台にしたせいで壁を立てられなくて台所やストーブでしかボロさを出せなかったのはわかる。でもその場合にどこで貧しさを感じるかといえば日本人としては広さで、貧しい地域とはいえ1995年でロンドンで手ごろな家賃であの広さが借りられるのか。いや舞台美術なのはわかっているけど、それでも手狭さを出せなかったものか。

あと芝居とはまったく関係ないけど、終演後のカーテンコールで蒼井優のお辞儀に感じた真剣味というか深刻さというか、あれは何だったんだろう。単に少し長くお辞儀しているのがそう見えただけなのかな。

<2018年12月17日(月)追記>

何でろくに知らないイギリスの芝居にこんなコメントが出てきたのかと自分で疑問だったけど、これだ。「イギリスでは労働階級出身だと芸能人になれないらしい」ってエントリーを書いていたんだ。

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2018年12月10日 (月)

M&Oplaysプロデュース「ロミオとジュリエット」下北沢本多劇場

<2018年12月8日(土)夜>

2つの名家が反目を続けて勢力が二分されている街、ヴェローナ。一方のモンタギュー家の御曹司であるロミオは恋に破れたばかり。いたずら好きの友人にそそのかされて、もう一方のキャピュレット家が主催する仮面舞踏会に潜り込む。そこでキャピュレット家の一粒種の娘、ジュリエットと出会う。

「なるべくまんまやる!」という宣言通り、笑わせるためにところどころで役者に面白いことをさせたり台詞のニュアンスをいじったりしていたけど、だいたい脚本には忠実だった。なので粗筋は前回観た新国立劇場研修所版と同じ。シェイクスピアが生きていた時代はもっとごちゃごちゃ猥雑な雰囲気で上演していたはずだからこれもいけるはず、という狙いがあるとどこかで読んだけど、「ヘンリー四世」の佐藤B作を観たあとだと、そういう狙いも外れていないという予感はあった。で、結果は半分成功していて半分失敗していた。

先に成功していたところを書くと、まず笑い。このくらいいじっても耐えられる強度のある脚本だったというのはひとつの発見だった。その前提で、芸達者なベテランを配置して、崩し具合をコントロールしていた。

皆川猿時が飛び道具をこなしていたのはわかりやすいけど、ごく素直にいい感じの役者が多い中で細かくネタをこなして好感を持てたのがキャピュレット家の安藤玉恵と池津祥子と大堀こういち、大公の今野浩喜。そして意外にも三宅弘城のロミオも、年齢は高くとも身体が動く点で若々しさをカバーして、もちろん演技力もあって、成立していた。

抜群によかったのが神父役で、誰がやっているのかわからなくて終わってから確認したら田口トモロヲだった。真面目とネタの切替え、それでいて脚本の本筋にも関わる神父の真摯さを保ったあのバランスが、今回の演出に一番あっていた。「秘密の花園」の一風変わった演技よりもさらに上で、あの神父はもう一度観たい。ここを守ればあとはいくらでも崩せるという線を見極めていた模様で、その秘密が知りたい。一度にふざけるのは一人までとか声のトーンは一定の範囲を維持するとか、何かルールがありそうなのだけど分からずじまい。

スタッフワークでいうと、衣装を頑張ったのがいい感じ。あと半分は役者だけど、剣を使った喧嘩のアクションが身体にあたるすれすれで、観ていてどきっとした。

残念だったのが、ジュリエットの森川葵。キャンセル騒動からの代役で初舞台でジュリエットであの台詞量がきついのはわかる。ただそれら悪条件を差引いても、女優魂を感じさせてくれる台詞回しがなかったのは残念。強度のある脚本ではあるけど、それだけに特にロミオ役とジュリエット役は人材が求められる。三宅弘城があれだけ成立していたなら、いっそ片桐はいりとか連れてこられなかったか。

次に演出。ネタに時間を割くためか、長めの脚本を休憩無しの時間(今回約2時間15分)に収めるためか、全体にそうとう早回しの一本調子になっていた。登場人物が多いうえに脇役は複数の役者が兼ねるので、ある程度丁寧にやってくれないとややこしい両家の関係が頭に入りにくい。加えて、言葉にしづらいけど、本来の雰囲気を目指して入れたネタと、みんなロミオとジュリエットの粗筋くらいは知っているだろうという前提で崩したネタとが混ざっていたような印象。今回の演出だと後者のネタは混ぜてはいけないのではないか。どこがどうとは指摘が難しいけど。

スタッフワークでは音響が、どうも演出の雰囲気に沿っていない。今回の演出だと、笑わせるところと真面目なところの区別を客席にはっきり伝えるのが重要で、音響はそれを促進する役割があったはずのところ、いまいちわかりにくかった。

もっと猥雑な雰囲気を出せるはずという企画と演出の挑戦には敬意を表するし、所々成功はしていたけど、残念ながら満足には届かず。値段を考えたらなおのことこの出来では不満。「メタルマクベス」という名作を書いた宮藤官九郎にして、演出の狙いを整理し切れなかった、あるいは時間切れで詰めきれなかった印象。脚本の難しさを再認識する結果になった。どこかで再挑戦してほしい。

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